1-5 無意味な争い
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モエが剣聖になった時には、彼女がトグロ村を離れて五年が過ぎていた。
俺がその間にしたことは、農作業と剣術の稽古、そしてちょっとした小競り合いだった。
タツヤの父親が流行り病であっさりと他界し、二人の兄が王都に出ているがために、トグロ村の実質的指導者がタツヤになったのが、様々な弊害を、主に僕にもたらしていた。
まず、作っている野菜や穀物での収入が、一割ほど減って、いよいよ俺と母さんの生活は貧しくなった。
それは別に構わないが、問題は、ちょっとした小競り合い、という奴になる。
これはタツヤの行動が根源にある。
周囲の集落との間の取り決めを守らず、他所の森の木を勝手に伐採して売り払い、その場所を勝手に開墾したのだ。
これは町村連絡会から激しく批難され、即座に賠償し、土地を返すべし、という決議がされた。町村連絡会を無視するのは、どう考えても得策ではないけど、タツヤはそう考えなかった。
さらに山を切り開いていき、さすがの町村連絡会も武装した兵士を送り込んだ。
その兵士との小競り合いの担当が、俺たち、トグロ村の男たちになる。
もちろん、小規模なぶつかり合いなので、大勢でもお互いに五十人ずつくらいだ。
連絡会の部隊は若者が揃っているが、こちらはそうはいかない。
さすがに老人は出さないが、中年が主体になる。
俺は十七歳で、最年少ではないが、それに近い。直接の部下は二人で、その下に五人がいる。その他の二人を含めた十人が、タツヤが「切り込み隊」と呼んでいる俺のチームだ。
その他の二人というのは、タツヤからの監視の二人で、かなり剣を使うが、その剣は俺が何か良からぬ行動をとれば、俺の方に向かってくるだろう。
「連絡会を無視したせいで、穀物の値段が安くなりすぎですよ」
直接の部下二人は、二十代で、俺と同じ小作の青年だ。
畑仕事をしながら、彼らとはよく話をする。今は連絡会がここら一帯の穀物の流通価格に介入したため、トグロ村からの穀物が安く買い叩かれている、という話だった。
「良いんじゃないの? 売らずに、身内で食べれば」
「金がないと買えないものがあるだろうよ」
「服は必要だな。あとは、武器も」
「ボスは服とか、どうしているんです?」
青年の一人が声をかけてくる。
「ボスはやめろ。それを聞いたら本当のボスが俺たちを敵の前に放り出すぞ」
「今でもそんな感じじゃないですか。切り込み隊とは言いながらも、ほとんど鉄砲玉ですから」
「それでも口は謹んでおけよ。服は古着を買っているよ」
青年の一人が頷く。
「母上は、裁縫が得意でしたね」
母さんは最近、いよいよ体が動かなくなり、裁縫の仕事をしている。
トグロ村が連絡会に歯向かう前は外の村とやりとりして金になったけど、それができなくなった今、裁縫の仕事は村の中での仕事に過ぎず、つまり、金にはならない。物々交換のように、野菜に変わる程度だ。
「武器はどうです? ボス」
「だから、ボスはやめろ」
「じゃあ、チーフ。武器はどこで?」
「敵のを奪うしかないな」
二人の青年がニヤニヤと笑う気配。
「トグロ村一の猛者が、自分の武器もないとは、連絡会も思わないでしょう」
「切り込み隊の隊長が、まともな武器がないと知れば、連中もこれまで以上に、攻めてくるんじゃないか?」
「良いんだよ、武器なんて」
俺はひときわ強く、鍬を振り下ろす。
「相手を倒せれば、なんでもな」
「それだけの腕があれば、軍にも入れるんじゃないですか?」
「俺はここでの生活で満足なの」
心にもないことを言っても、彼らはそれを察することもない。
その後も雑談をして、作業を続け、夕暮れ時に切り上げた。
三人で俺の住んでいる家で食事をする。母さんはもう寝台から降りることはない。
居間の机を三人で囲む。まだ雑談が続くので、俺は適当に応じておく。
食事が済むと、二人は無言になり、家を出た。俺も続く。
二人は棒をすでに持っていて、俺が外に出ると、素早く棒を構えた。
もう雑談はない。
俺も棒を手にして、二人に気を払う。
二人がわずかな時間差で打ち掛かってくる。
素人ならどちらも受け損ねるだろう、本気の打ち込み。
しかもその時間差は、並みの使い手では防げない、巧妙な時間差だった。
俺は即座に対応した。
靴が地面を擦り、体が回転、棒を振るう。
鈍い音が二度連続し、二人が弾かれたように一歩ずつ後退する。
俺はまた二人を警戒。
二つの攻撃を俺は完璧に防いでいた。
それから何度か同じことを繰り返した。もちろん二人の青年は本気で、俺が死んでもおかしくないような打撃を、急所に繰り出してくる。
それをことごとく、俺は防いだ。
どれくらいの時間が過ぎたのか、二人の青年がほとんど同時に膝をついた。
「よし、あとは二人でやってみろ」
俺は呼吸を整えて立ち上がった二人が乱取りを始めるのを横目に、素振りを始めた。
ラッカス師は二年前に亡くなった。
しかし疑惑のある死に方だ。明け方、馬車に轢かれて、死んでいた。
傍らには酒瓶が転がり、ラッカス師が飲酒していたという。つまり、師は酒に酔って道路に寝てて、そこを馬車が轢いてしまった、というのだ。
でも俺は、師が飲酒しているところを見たことはない。絶対ではないが、そもそも、酒を進んで飲むような人ではなかった。
なんにせよ、師は命を落とし、俺はまた一人になった。
その頃に小競り合いが始まり、俺には二人の青年がつけられた。
俺が誰かに剣術を教えるというのは、どこかおかしい気もしたが、しかし、素人の青年二人に何の稽古もさせないまま剣を持たせ、小競り合いとはいえ、命の取り合いをさせるのは、酷だと考えた。
幸い、小作人なので、身体は出来上がっている。力は十分だった。
俺は二人に剣術を教えようとした。したけれど、それはすぐに無理と分かった。
剣術を修めるのには時間がかかる。
ラッカス師は俺の伸びを何度も不思議がっていたが、それが俺にもわかった。
俺が三年で身につけた剣術は、きっと、並の人間が十年かけて身につけるレベルだ。
これを素人の青年に身につけさせるのは、無理だ。
なので、俺は考えを変えた。
二人の青年をペアにして、常に二人で一人に当たるように指導した。
それがさっきの稽古につながる。
一対一だと、どうしても力量、技量の差が如実に出る。運という要素もあるが、それほどの大きさではない。
では、力量や技量を無視するにはどうするか。
それが二人で一人を潰す戦法であり、最も効率よくその数の有利を生かすのが、あの時間差攻撃なのだった。
俺と同じ力量の剣士がいれば、防がれる。でもそんな奴は今まで、現れていない。
稽古が終わり、三人で小川まで汗を流しに行った。
手ぬぐいで体を拭いつつ、俺は癖になっている動きで、自分の胸の傷跡を見る。
剣聖につけられた傷の痕跡は、まだ残っていた。
二人はそれぞれの家に戻り、俺も自分の家に帰る。
母さんはすでに眠っていた。
俺は自分の剣を手にもう一度、外に出て、ゆっくりと鞘から抜いた。
剣をかざして、動きを止める。
時間さえも止まったかのように、体を固定する。
そのまま精神を整える。
どこかで鳥が羽ばたく。
星が流れたような気がした。
息を吐いて、剣を下げ、鞘に戻す。
家に戻って、剣を枕元に置いて、寝台に横になる。
明日は、持ち回りの当番で、伐採部隊の警護をしないといけない。
馬鹿げていた。
馬鹿げていたが、どうしようもない。
まさか、タツヤを切るわけにはいかない。
モエがいなくなってから、保安官事務所の連中は、なぜかタツヤの味方になっていた。もちろん、タツヤとモエの関係も変化はなく、いずれは二人は夫婦になるわけで、ということは、タツヤの家とモエの家は、同じ一族になる。
ただ、俺にもよくわからないのは、モエが剣聖になってしまったことだ。
これが両家の関係に、妙な空気を生み始めている、と俺にもわかった。
分かったが、まぁ、よその家の話だし、関係ない。
明日、無事に任務が終わればいいんだが……。
(続く)