1.5-8 殺意と救済
合図もないし、きっかけもない。
ただ二人は静かに歩み寄って、剣が翻った。
砂利が跳ね飛ばされ、剣が空を焦がす。
立ち位置が激しく入れ替わり、お互いの服に切れ目ができる。
全てが俺には見えた。自分の剣のいく先も、サリーの剣の範囲も。
彼女がどこへ動くかも、全て見えていた。
片目がないとは自分でも思えなかった。でもむしろ、片目を失ったことが、俺に新しい視線を与えたような気もした。
見えないがために、見ようとする。
普通だったらそれでも何も見えない。
でも俺には精神器がある。周囲の全てを把握する第六感は、視覚を半分、喪失したことで、逆に研ぎ澄まされていた。
サリーが間合いを取り、彼女の剣は鞘の中。
お互いに無言のまま。
彼女は動きを止め、じっとこちらを伺う。
あれが来る。
俺の顔を切り裂いた一撃を、俺はもう一度、相手にしないといけない。
意識を失う寸前までの記憶、精神器の感知した動き、それは何度も何度も、頭の中で繰り返してきた。
対処法を想定できる限りの数、想定した、
でもそのうちにない一撃がくるのは、絶対だ。
サリーは、こちらの想定内に収まるような、並の使い手ではない。
こちらの予測を予測してくる。こちらが予測の予測を予測することも、織り込み済み。
どちらがより深く読むか、などというものではない。
読み合いですらない。
想像力、実現力は、読みを超越する。
俺は迷いなく、手に提げていた剣を鞘に戻した。
わずかにサリーが動揺した空気を滲ませるが、消える。ただ、瞳の奥に問いたげな色。
その問いには、これから答えを出す。
生きるか、死ぬか。
勝つか、負けるか。
全てを決める一撃が、ここで起こる。
誰も何も言わない。無言。無音。
どちらが先に動くでもなく、同時だっただろう。
名前も知らない歩法。
サリーが見せてくれた、居合と組み合わせる奇妙な動き。
サリーも目の前で同じことをしている。
二人の間合いが一瞬で消える。
彼女に何が見えているかは、わからない。
俺には全てが見えている。
サリーの手が柄を掴んで抜いていくのが、よく理解できる。
上体の捻り、腕のしなり、指先まで伝わる力。
俺もまた、同じことをする。
それが俺の決断だった。
サリーの最速の踏み込み、最速の居合に、対抗できる技が俺の中にはなかった。
だったら、同じ技を使う。
体が万全なら、この決闘を想定して、可能な限りの時間を技の習熟に費やしたけど、不幸なことに、体はほとんど動かせなかった。
その上、サリーのその剣術を見たのは、一回だけだ。
あとはただ、想像の中だけで訓練し、反芻しただけ。
うまくいくかは、未知数。
お互いの剣が超高速で行き交い、体はすれ違った。
俺は脇腹を押さえた。手に液体が伝う。
振り返ると、サリーも振り返った。
「信じられない」
そう言って彼女がぐらりと傾く。俺が切られた脇腹と、ほとんど同じところを、サリーも切られていた。彼女の方が傷は深い。
モエが駆け寄ってくるけど、俺の方はサリーに歩み寄った。
「彼女を連れて行こう」
思わずそう言っていた。モエが怒鳴った。
「こんな女、放っておけばいい!」
「そうもいかない」俺は自分の上着を脱いで、サリーの傷を押さえるように縛り上げた。「これだけの使い手を死なせるのは惜しい」
俺は無理やり、サリーを抱え上げた。
ため息を吐いて、モエが強引にサリーを僕から取り上げ、自分の背に背負った。
「さっさと行きましょう。まずは自分の怪我をよく見なさい」
自分の体を見ると、腰の方へ血が流れている。モエがサリーをおぶったまま、荷物を放ってくるので、そこから包帯を取り出し、自分の腹に適当に巻いた。縫う暇もない。
ほとんど小走りでモエが岩場を駆け上がり、僕は息を切らせて、それを追った。岩場の頂上を越え、今度は下っていく。また森林地帯になる。
日が暮れる前に、一度、モエはサリーを地面に下ろし、医薬品の中から出した針と糸でざっとサリーの傷を縫うと、包帯をきつく当て、その上で僕の上着で強く強く縛った。
「これじゃ血が止まらないわ。どこかの誰かさんがやりすぎたせいでね」
モエはすぐにサリーを背負い直す。モエはサリーの血でドロドロになっているが、気にもしない。
夜通し走って、明け方になる。まだ森の中。食事の間も惜しむ。水筒で水を飲んだけど、すぐ空になった。
日が真上に来て、木々の梢の間から、モザイクのように日が降ってくる。
そのうちに森の中に人が通った道が現れた。そこを選べば、より早く移動できる。二人で先を急いだ。
日が暮れて、何も見えなくなった頃、遠くに明かりが見えた。ポツンと一つ、闇の中に浮かんでいる。
時間もわからない頃、どうにかそこにたどり着いた。小屋としか言えないが、明かりがある。
扉を激しく叩くと、つっかい棒と外すような音の後、開いた。
中年男性が、目を丸くしている。
「すみません」モエは息を切らしたまま一息に言う。「医者はいますか?」
「医者……?」
男性は遅れて事態に気付いたようで、里にいる、連れてくる、と携行用の明かりを持って、どこかへ行ってしまった。
そうか、今、モエはアンギラスの言葉をしゃべった。ここは、シュタイナ王国ではない。
「よくとっさに言葉が出たね」
「勉強したからね」
小屋の中に上がり込んだモエが、サリーをそっとおろして、状態を見ている。サリーはほとんど死体のように見えた。すでに出血も少ない。それだけ血が失われたのかもしれなかった。
「助かるかな」
「あんたがほとんど殺したわけだし、助かるも何もないと思うけど」
「それはそれだよ」
「ここまで必死に走ってきて、無理でした、死にました、では、最悪よ」
俺とモエはじっとして、男が戻ってくるのを待った。
サリーの呼吸に耳を澄ませたけど、本当にかすかだ。
頼む。死なないでくれ。
男が帰ってきた時、若い男をもう一人、伴っている。その男性がまずモエを見て目を丸くし、次に僕を見て驚き、サリーを見てほとんど悲鳴をあげた。
「医者?」
モエの問いかけに、小屋にいた男性が頷く。
連れてこられた男性がサリーの様子を見て、一度、額を拭ってから、治療を始めた。
医者の男性は小屋の持ち主の男性にいろいろ指示を出して、刃物を熱するための火を用意させたり、お湯を沸かさせたり、清潔な布を用意させたり、なんだりして、明け方までサリーに治療を施した。
アンギラスの医療技術もシュタイナ王国と大差ないようだけど、驚いたのは、サリーの傷の内側を熱した刃物で焼いた場面だ。
傷口を焼いて出血を止めたらしい。激痛だろうけど、幸いというか、サリーは意識がない。
日が相当高くなってから、医者がよろめくようにサリーから離れた。
「密入国かね?」
青い顔をした医者が僕たちに尋ねてくる。
「ええ、そんなところです」
モエが堂々と答える。彼女はまだ血まみれの服を着ていて、それだけでも迫力がある。
医者はそのモエに対して、笑って見せた。
「堂々としているね。言葉も比較的、自然だ」
「通報しますか?」
「ここで通報したら、私の命がない、とはっきり分かる」
その言葉にモエは傷ついたようだけど、医者は気にもしていない。
「怪我人が回復するまで、黙っているよ。そうしよう、キール」
男性が頷く。キールという名前らしい。
「よろしくお願いします」
俺がそう言うと、医者が微笑む。モエは驚いていた。俺がアンギラスの言葉を流暢に発音したからだろう。
「そちらのお兄さんも、言葉が上手だ」
「傭兵だったもので、語学の座学を受けたんです」
「そうかい。この女性の傷は、見事といえる綺麗な切り口だよ。残酷だがね。あなたの怪我の治療もするか?」
僕は手のひらを広げて見せる。
「残念ながら、謝礼を払えません」
「無償でやるよ」
どうやら、アンギラスの人間は相当、親切だ。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
結局、俺も治療してもらった。
医者が帰って、キールだけになると、彼は恐る恐るという様子で、声をかけてきた。
「えっと、農作業の経験は?」
まったく、異国に来ても、農作業か。
「密入国者になる前は傭兵で、傭兵になる前は、小作人だった」
俺がそういうと、キールがにっこりした。
(続く)