1.5-5 真剣勝負
砦は意外に複雑な構造をしていて、中庭まであった。
そこは平らに整えられていて、今、俺とサリーが向かい合っている。モエは俺の背後にいる。
ゾルドとコラッド、もう一人の副官は、中庭に面した部屋で、こちらを見ている。手には酒杯がある。
良い見世物だろうな。
何の合図もなく、すっとサリーが前に出た。
僕にはそれが緩慢に見えている。
剣が交錯した。二人がすれ違い、向かい合う。
お互いに無言。俺の首筋へ何かが落ちる。また頬を切られた。一方のサリーは、耳の上のあたりで、少しだけ髪の毛が切り飛ばされている。
何が起こったか、多くの山賊は理解していない。意味もなく囃し立てている。
今、お互いに剣を抜いたはずの俺たちが、それぞれに鞘に剣が戻っていることを、誰も気にしない。
サリーはどうやら、本気らしい。今の居合は、本気じゃない。小手先の技、探るような技だ。
次の一撃は、本気の居合が来るだろう。
俺はゆっくりと鞘を掴み、抜こうとした。
したけど、サリーの方が早い。
緩慢な時間の流れの中に自分が取り込まれ、しかしサリーは普通の速度。
和音の歩法は、やはり強力だ。
刹那で二人がすれ違った。残響と火花の残像が弾ける。
僕は剣を抜いている。一方のサリーの剣はまたも鞘の中。
どうにか凌げたけど、かなり際どかった。
今の居合を受けたところで、さらに連撃を仕掛けられたら、こちらが不利になったはず。
そうしなかったのは、もしくはサリーは、俺の大樹の構えを警戒しているのかもしれない。
とりあえず、俺は剣を抜くことができた。これだけでも大きい。
すっと、サリーの姿が消える。
息つく暇もない連続攻撃があった。
こちらは予測されているとわかっても、大樹の構えで応戦。
しかし、サリーの対応力は想像以上だった。
彼女はこちらに剣を弾かれても、姿勢をほとんど乱さない。どういう仕組みかは、俺の知覚力でよくわかった。
彼女は速さをそのままに、強い威力の振りを制限している。
大樹の構えの最大の難点は、そこだった。
強い力で打ちかかられれば、より強い力で弾き返せる。
だけど弱い力で打たれると、弱い力でしか弾けない。
今の勝負は、真剣だ。何も相手を輪切りにするような剛力は必要ない。防御を封じたり、回避を封じたりして、弱くても相手を切ればそれで済む。
いつまで続くともわからない、嵐じみた連続攻撃を俺はしのぎ続ける。
サリーが足技を使い始め、防御は前方に限るのは無理になってくる。側面へ回られ、どうにか向き直り、背後にだけはつかせない。
こちらの不完全な和音の歩法は、まだ取っておきたい。
ただ、そんな余裕が刹那で消えた。
背後を取られる。
ここしかなかった。
両足を稽古の通りに運ぶ。サリーの剣が体を掠める。
休む暇はない!
両者が高速で立ち位置を変え、剣を振るう。
見ている方には、理解できなかっただろう。
急に両者が激しく入れ違い、剣が空を切る音だけが鳴り響く。
さっと、サリーの方が距離をとった。
無言。ただ、不審がっているのはわかる。俺が和音の歩法を身につけたのが、不思議なんだろう。いや、不思議というより、不可解、まさに不審に思っている。
一方の俺としては、少しの余裕もなかった。
和音の歩法は子供だましだ。まだ攻めに使うには不十分。位置を占めるためか、占められるのを防ぐのに使うのみ。
一弦の振り、もしくは四弦の振りが今、残されている切り札になる。
どこで出すべきか。
考えている間もない。
サリーが何気なく一歩、踏み出す。
不自然、と感じる間もなく、その動きに飲み込まれた。
ただの一歩だったのだ。ただ足を踏み出しただけ。音階の歩法でもない、和音の歩法でもない。ただの、何気ない踏み込み。いや、踏み込みですらないだろう。ただ、前に出ただけなんだ。
それを俺はじっと見てしまい、次にはサリーを見失った。
剣が来るのはわかった。
何もわからない。剣がこちらへ走るのに、理解が追いつかない。
彼女は俺の目の前にいる。
居合の構え。
なのに、僕は少しも備えてない。
時間が切り取られてしまったような、不自然な事態だった。
背を反らす。
頭を両断する一撃が、来た。
◆
ミチヲが倒れた時、突然に騒動が起こった。
モエはそれに構わず、倒れたミチヲに飛びつき、自身の剣を走らせる。
彼女の剣と、サリーのとどめの一撃が衝突し、弾き合う。
サリーが身を引いたのは、事態がわからなかったからだろう。
砦のそこここで声が上がり、中庭に面した部屋でも数人の山賊がゾルドに襲いかかっているのだ。山賊同士が切り結ぶ場面も多く、また矢が行き交い、弓が鳴り響く。
「ミチヲ! ミチヲ!」
モエが呼びかけても、ミチヲは返事をしない。
一撃を顔に受けている。頬から額へかけて切り裂かれていた。左目を刃傷が縦断していた。
彼を抱え上げ、モエは走った。砦の中に駆け込み、必死の思いで剣を振るい、山賊を退ける。そのまま外へ飛び出し、視界の端に厩舎が見えた。
鞍もない馬でも、モエは乗れる。
繋いでいる綱を切り飛ばし、モエはミチヲを抱えて飛び乗った。剣で馬の尻を叩くと、大きく嘶き、竿立ちになってから駆け出した。
その時には背後から無数の矢が飛んでくる。
当たらないように願うしかなかった。
どれだけ走ったか、唐突に馬が倒れこんで、モエもミチヲも投げ出された。モエは受け身を取るが、ミチヲは意識を失っているので、放り出され、物のように転がった。
心の中で謝りつつ、モエはミチヲに駆け寄り、背負う。馬は、体にいくつかの矢を受けていて、その毒で絶命したらしい。馬も、死ぬ寸前まで、よく走ってくれた。彼女は軽く馬に頭を下げ、森を進む。
彼女はこの一週間で把握した範囲にたどり着き、そのまま分け入って行く。
山賊たちの隠れ家にいられなくなることを、モエは最初から考えていた。それも、査問部隊の追撃を受けたとかではなく、山賊に攻撃されたらどうするか、ということを想定して。
山賊たちも山の中を把握している。目印になる大木、巨岩、洞窟、そういうものはよく見ているだろうとモエは考えた。
そういう目印が近くになく、しかしモエには目印のある場所を、時間を使って探した。
見つけたのは偶然で、目印とも言えないような目印だった。
白い皮の木が森の中にはそこここにある。その木もその一本だ。ただ、わずかにツルが巻きついて、緑がちりばめられている。
これなら山賊も気づかないだろう、とその木の近くを探索し、わずかに地面に窪地があるのを見つけた。
あとはその窪地を覆うように木の枝を張り巡らせ、その上に落ち葉を大量に撒いた。
結果、一見するとそうとはわからない空間が、窪地にできた。
そして今、そこにたどり着いた。
狭すぎる空間にミチヲを押し込む。腰を屈めることもできず、四つん這いになるしかない。
何よりも暗いし、湿っぽい。
モエは素早くミチヲの状態を確かめた。顔の傷がやはり一番ひどい。血はまだ流れている。脳をやられているなら、もう手遅れだし、どうしようもない。
馬から放り出されて大怪我をしてもおかしくなかったけど、そこは強運の持ち主なんだろう、どこの骨も折れてはいないようだ。打撲傷はそこらじゅうにあるが。
モエはどうするべきか、迷った。
ここに自分がいてもできることはない。今、できることは、昼間に後にしたばかりの隠れ家へ戻り、医薬品を回収することだった。
当然、山賊はまず、あそこを押さえるだろう。
絶対に、戦いになる。
モエは覚悟を決めた。このままミチヲを放っておくことは、モエにはとてもできなかった。
彼女は一度、意識の戻らないミチヲの頬を撫でてから、剣を手にとって窪地を出た。
森の中を走っていく。
ひたすら頭の中で願いを繰り返しつつ、走る。
隠れ家が見えた。山賊がいる。三人、いや、四人か。
モエはわずかの声もあげなかった。滑り込み、剣を抜き、振るう。
悲鳴、苦鳴が森の空気を震わせた。
(続く)




