1.5-4 取り込み
コラッドは大柄な男で、どこか粗野な感じがする。ただ、一方で頼れるような気配もあった。
その彼は俺が作った寝台の一つに腰掛け、モエが用意したお茶の入った器を受け取った。不思議そうに器の中を覗いている。
「茶葉なんて、なかったはずだが?」
「故郷の村でよく飲んでいたお茶ですから、ご安心を。山の中でたまたま見つけたのです」
モエがそういうと、恐る恐る、コラッドは口をつけた。不思議そうな顔で俺とモエを見る。
「初めて飲む味だ。悪くはない」
すっとモエが頭を下げる。コラッドはもう一口、飲んでから、声を潜めた。
「君たちを狙っていた男たちの死体は、私たちで片付けておいた」
そうか、そんなことは忘れていた。今まで、大抵の場合は放置していたのだ。
「お手間をとらせました。剣術を教える機会もなく、申し訳ないです」
頭をさげると、コラッドは小さい声で返事をした。
「実は、お二人には内々にお願いしたいことがある」
その口調にただならぬものを感じて、俺はこっそりとモエを見た。彼女と目が合う。同じ感想なんだろう。
「できることには限りがあります」
「その剣の腕を借りたい」
剣の腕、か。
「暗殺ですか?」
「察しがいいな」
「どなたを? こんな山の中に、争う相手などいないと思いますが」
ずいっと、コラッドがこちらににじり寄った。正確には、寝台から動かずに、身を乗り出しただけだけど、体が大きいので迫力がある。
「ゾルドを、切ってほしい」
ふむ。それは、かなり難しいな。自然と考えはサリーに及んだ。
「サリーがいますから、不可能かと思います」
「お二人が同時にかかれば、どうとでもなると私は思っています」
そう言うコラッドの表情は真面目そのものだ。冗談を言っているようではないし、考えていないわけでもない。彼なりに冷静に考え、計算し、サリーに対処できる、と考えているのだ。
「すぐにはお返事できませんし、色のいい返事が出来るとも思えません」
仕方なく、俺は正直に答えた。こうなってはサリーに誘われたとはいえ、この山賊と関わったのは大失敗だった、ということだ。
でも、そうか、サリーの剣術を見られたのは、収穫ではある。
「あなたがたを探しているものが、多数、この山に紛れ込んでいます」
急に話が変わったので、少し安心して、俺はモエの方を振り向いた。彼女は真剣な顔を崩さない。それもそうか。
向き直ると、コラッドは気むずかしげな顔をしていた。
「相当な手練のようですが、ここでは我々に有利な要素がある」
「罠ですね?」
答えたのは僕じゃない。モエだ。ここ一週間、僕はかなりの時間を剣術の稽古に費やしたけど、モエはそこらじゅうを歩き回っていて、食事の前後しか小屋にいない様子だった。
探検している中で、罠を見つけたんだろう。
彼女の言葉を聞いても、コラッドは小揺るぎもしない。
「彼らは何も知らない。それでもそろそろ気付きつつある。お二人を安全にしておけるにも、限度がある」
どうやらその主張で俺たちを揺らしに来たようだ。
「なら、謝礼を置いて、出て行くまでのことです」
「その謝礼の代わりとして、と私が言ったら?」
うーん、現実的じゃない。
俺の中での最大の関心事は、やはり、サリーだった。
「サリーに勝てるという確信がありません」
やはり、そこは譲れなかった。
勝てない勝負をする必要がある場面もある。自分の死が何かの利になることもあるし、決着までに時間を稼げば、勝てないまでも負けない、という状況を作り出せる時もある。
でも今回の件は、俺にもモエにも得るところはないもない。
やはりここを出た方がいいだろう。
その時、外で何か物音がした、と思ったら、即座にそれが悲鳴に変わった。
俺とモエは得物を掴んで外へ飛び出した。
小屋の周りに複数の人間。服装では見分けがつかないが、三人がこちらに背を向け、、十二人がこちらを向いている。三人の方が、コラッドが連れてきた山賊か。彼らの側に一人、倒れていて、動かない。
十二人の方は、査問部隊なんだろう。
次の瞬間に起こったことは、俺には寸前に察知できたけど、査問部隊の連中は想定外だっただろう。
風を切る音が連続し、とっさには勘定できない数の矢が彼らに襲いかかった。
ほとんどは木の幹や地面に刺さったが、査問部隊のほぼ全員が体のどこかしらに矢を受けた。
モエと俺が同時に飛び出す。狙うのは矢を受けていない奴だ。
剣が縦横に走り、僕が二人、モエが一人を切った。これで相手は九人だが、しかし彼らも自身の異常に気付いたようだ。
剣を抜いているが切っ先は定まらず、体が震えている。
矢に毒が塗られているのは、常套手段だ。査問部隊もこの事態は想定していなかったのだろう。査問部隊は優秀だが、山の中では、山賊に分があったということ。
彼らは撤退しようとしたが、動きが通常のそれではない。
モエと俺を防ぎ止める力はもうなかった。
一方的な殺戮が発生し、査問部隊の残りの九人も、地に倒れた。
「凄まじい腕だとよくわかった」
小屋のそばに立っていたコラッドが声をかけてくる。
「この小屋ももう安全ではない。砦へ来るといい」
俺は違和感の正体が、ぼんやりと理解できた。
コラッドはここに襲撃があることを知っていて、弓を持った部下を潜ませていた。それは俺たちに恩を売るためだ。
その恩に報いるために、ゾルドを殺せ、と暗に言っているのだ。
隠れ家が危険というシチュエーションさえも、コラッドの謀かもしれない。俺たちを堂々と砦へ入れることができる。
そうなると俺とモエに、ゾルドから剣術の指南についての話がないのも、コラッドの策のうちだろうか。いや、それは考えすぎか。理由がない。
何はともあれ、このままこの小屋にいるのは危険だし、砦の方が安全ではある。
それでもここで山賊と別れる、という選択肢も有望ではあった。
それができなかったのは、ただ、サリーの剣をもっと見たい、という俺の変な欲求のせいかもしれない。
「先ほどの話は聞かなかったことにします」
俺はコラッドにそう宣言すると、彼は軽く顎を引いた。でも顔は全く納得していない。むしろ、部下がいなければ、もっと圧力をかけてきそうな雰囲気だった。
砦に行けば、さすがにコラッドも表立って俺たちを勧誘しないだろう。
荷物をまとめて、砦へ移動した。移動しているうちに、どこかから現れた男たちが合流し、彼らは全員が弓を持っていて、矢筒も背中にある。彼らが査問部隊を襲ったのだ。みな若く、血の気が多そうだった。
砦に着くと、ゾルドが迎えてくれた。
「報告は聞いている。隠れ家を襲われたと」
「助けていただきました」
「我々としても、あまり揉め事は歓迎できない」
おっと、俺が望む展開になったぞ。
「早いうちに、別の場所へ移ろうと思っています。いえ、今すぐでもいいのですが」
さりげなくそう言うと、ゾルドが強く頷く。
「良いだろう。必要なものを渡す代わりに、一つ、頼みがある」
「なんでしょう?」
「今夜、宴を開く。そこでサリーと立ち合ってくれないか? 俺の前で」
思わずゾルドの瞳を見つめていた。本気の目だ。
「殺し合え、と?」
「良いだろう?」
良いも悪いもないけれど、いつの間にか近くにゾルドの部下も、コラッドの部下も集まり、二十人ほどの集団が俺たちを取り囲んでいる。剣の腕が使えそうな身振りの奴は十人ほど。
さて、無傷で突破できるか、と自然と考えたけど、それはやめた。
サリーと堂々と剣を交えられるなら、それも良いだろう。
もっと剣術を知りたいし、単純に自分の成長を試したかった。
愚かしい判断だった、と気付いたのは、だいぶ経ってからだけど、この時には何も感じなかった。
「良いでしょう。今夜ですね?」
俺の返事に、ゾルドが笑う。
「勇敢だな。尊敬するよ」
「サリーを切っても、許されるのですか?」
その問いかけに、ゾルドは不敵に笑って応じる。
「彼女を切れる奴を、俺は知らないよ」
どうやら俺がかませ犬のポジションらしい。
精々、足掻いてやるよ。
「部屋を用意する。そこで調子を整えれば良い」
ゾルドの身振りで、山賊の一人が俺とモエを砦の奥へ連れて行ってくれた、山賊たちの塊も、散ったようだ。
「どういうつもり? 死にたいの?」
歩きながらモエが訊いてくる。
「死ぬ気はないよ。勝てるさ」
「不安だわ。あの女は、底がしれない」
そこはお互い様、と思ったけど、俺は黙っていた。
案内された部屋で食事をして、あとは俺はひたすら、以前に見たサリーの剣のことを思い返していた。
興奮するでも、恐怖するでもなく、淡々と、頭の中で無数の動きをイメージした。
夕日が眩しい、と思って顔を上げる。
そろそろ夜だ。
決着をつけるときは、もうすぐそこだった。
(続く)