1.5-3 剣術比べ
小屋の前で、俺とサリーは向かい合った。
「あなたたちのやり口でいいから、まぁ、遠慮せず」
彼女はそう言って、でも剣を抜こうとしない。柄に手を置いているだけで、それも抜こうという感じではなく、まさに置いている、という感じだ。
俺はゆっくりと剣を抜いた。
居合では彼女に敵わない、と本能的にわかった。
モエは何をしているかと思えば、少し離れて立っているけど、すぐに乱入できる視線の配り方だ。
俺はじりっと前に出た。
来る、と分かったのは、直感だし、そうではないとも言える。
緩慢にサリーが動き出す、片手で逆手のまま剣を抜いていく。
もちろん俺も反応するが、俺の動きの方が遅い。それだけサリーの動きが速いのだ。
癪だったし、手の内をあまり見せたくないけど、こうなってはサリーの攻撃地点を先読みして、そこを防ぐ必要がある。
つまり彼女が以前に指摘した、正確すぎる剣術、を改めて晒すことになる。
結局、俺の剣は正確に彼女の剣を弾き飛ばした。
が、彼女はそれを読んでいたかのように、変なステップを踏んだ。動きがさらに加速し、こちらの側面へ回り込んでくる。
信じられない機動力だった。
俺はここまでの旅で身につけた剣術の一つを、出すしかなかった。
重心の移動を最大限に利用した、足さばきの原理に真っ向から歯向かう剣術。
ほとんど視界の隅からこちらへ迫ってくるサリーの一撃を、俺は弾く。
彼女からすれば俺が反応したことも意外だっただろうけど、討ち払われた手応えにこそ、驚いたはずだ。
ぐらりと彼女が揺らいで、バランスを崩す。
ただ、俺も万全ではない。
彼女が距離を取り、俺も向き直ることができた。
「あなた、おかしすぎるわよ」
さすがのサリーも声に緊張が滲んでいた。俺も緊張していたし、正直、何かを口から戻しそうだったけど、耐えている。
俺の周囲を回るように、サリーが移動しつつ、話しかけてくる。
「どういう目をしているか知らないけど、見えすぎると思う。それにさっきの受けは、何? 手応えがおかしいわ」
「剣術にもいろいろある」
答えつつ、俺は別のことを考えていた。
彼女の脚さばきは、旅の剣士に聞いた、音階の歩法という奴だと、ほぼ確信できた。
常人には理解不能な技術で、音階の歩法は七つの脚さばきからなり、それ単体でも無駄のない素早い踏み込みなどになるが、三つを組み合わせることでより高速の機動力を発揮する、和音の歩法、という発展系につながるらしい。
サリーのさっきの踏み込みは、三つの動きを連続し、それ以前とは段違いの動きを実現していた。
何回か見れば、コツが掴めそうだ。
せめて、あと一回は見たい。
じりっと、こちらかもサリーとの間合いを変えてみる。彼女の構えが変わる。
踏み込んでくる、とわかった。
意識が極限まで集中し、彼女の動きが全て、手に取るようにわかった。
そうか、それが音階の歩法、そして、和音の歩法か。
見えていれば、どうとでもなる、と思えるが、実際には彼女は早すぎる。
先ほどと同じ受けを繰り出す。
旅の途中に立ち寄った村で、老人が見せてくれた剣術だ。
彼はそれを、大樹の構え、と呼んでいた。
完成形になったのは、旅の剣士の助言と助力のお陰でもある。
その場を動くことなく、わずかな体の動きと重心の移動を利用して、実際の振り以上の威力を出すこの技術が無ければ、サリーには対抗できなかった。
果たして、再びサリーの剣は弾かれ、彼女は姿勢を乱した。
ただ、それは予定通りだったらしい。
ぐらりとしたのも一瞬、彼女の足が地を蹴る。先ほどとは違う音階の歩法の組み合わせ、和音の歩法。
より加速し、こちらの背後へ一撃を繰り出してくる。
いくら大樹の構えでも、限界はある。
剣を当てなければ意味がないし、当たったとしても不十分な姿勢では威力も出ない。
なので、俺は無様に地に転がり、その一撃を避けた。
追撃も転がり、回避。起き上がり、やっと大樹の構えで、彼女の攻撃を凌いだ。
ここでサリーが俺に畳み掛ける、という事態もあったようだけど、どうも彼女も不気味さを意識したようで、距離を取った。
ふぅっと息を吐いて、俺は肩の力を抜いた。
「理解できないわ、何も」
サリーがぼやくように言って、乱暴に剣を鞘に戻した。
「変に反応がいいかと思ったら、急にみっともなく逃げを打つ。馬鹿にしているの?」
「死ぬくらいなら、逃げるよ」
「理解できないわよ、本当に」
初めて見るけど、心底からサリーは怒ったようで、パッと手を閃かせてから、離れていった。
ちょっとの間を置いて、彼女のそばにあった木の幹がずるりとずれ、そのまま倒れた。
おいおい、木を剣で切るとか、非常識だよ。
サリーが肩を怒らせて去ってから、モエが近づいてきた。
「あれは、私が見た和音の歩法にかなり近いけど、どうだった?」
「おおよそ掴めたよ」俺は剣を鞘に戻して、服の汚れを払い落とした。「練習すれば、どうにかなりそう。でも、あの居合だけは、よくわからない」
彼女は僕の前で都合、三回、居合を見せてくれた。一回目は初めて会った時で、この時は僕の頬に浅い傷ができた。二回目はついさっき、最初の一撃が居合だった。三回目は木を切り倒した時だ。
ただ、その三回にばらつきがありすぎて、彼女の本気はよく見えない。
軽く検証してみると、一回目の居合が最も鋭く、殺意が篭っていた。
あの居合は、鋭すぎるほどに鋭かったし、僕の知覚を超えていた。
でも僕の知覚を超えることは、どんな使い手でもほとんど不可能に近い。それはこの短い旅の中で、わかってきた要素だ。
つまり彼女は、俺の知覚の原則を無効化する、妙な技が使えるらしい。
「あなたの精神器には、驚かされるわよ」
モエが嘆くように言うので、俺は笑うしかない。
「物理力を持たないから、大した意味はないよ」
「でも、理解力は人間の領域じゃないでしょ?」
「理解できても、体が動かなければ意味はない」
そんなものかなぁ、などと言いつつ、モエが小屋に戻っていく。
俺は改めて剣を抜いて、その場でついさっきサリーが見せた足捌きを再現してみた。剣を抜いたのは、サリーの動きを完全に真似するためで、つまり、さっきのサリーとそっくりそのまま、同じように体を動かすことになる。
当然、うまく行かなくて、三回も四回も、俺は転倒した。
でもそれを三十回ほど繰り返すと、もう転ぶこともない。
なるほど、これが音階の歩法か。
それから日が暮れてくるまで、俺はひたすら足の運びを繰り返した。
「稽古バカはお腹が空かないの?」
声をかけられて、やっと意識が現実に戻った。
薄暗い中で、小屋の出入り口からモエが顔を覗かせている。僕は息を吐いて、やっと自分がものすごく呼吸を乱していることに気づいた。服も汗で重いし、足元を見れば、自分の周囲だけ、うっすらと抉れて土の色が変わっている。
剣を鞘に戻し、小屋に向かおうとして、わずかに足がもつれた。ちょっと根を詰めすぎたな。
小屋の中でモエと一緒に食事をして、今夜はさすがに俺は剣を抜かず、モエが一人で剣術の稽古をするのを見ていた。
彼女が最近、力を傾けているのは、一弦の振りと呼ばれる超高速の一撃を、複数回連続させる技術で、彼女は今、四連撃、つまり、四弦の振りの習得に躍起になっている。
彼女のそれはおおよそ完成していて、今は、どんな姿勢、どんな位置からでも繰り出せるように技を練り上げている。
それを僕はじっと観察し、全てを把握しているので、僕自身もテクニックは分かるようになってきた。
モエとの訓練で、四弦の振りの打ち合いは、数週間に一度、やっている。おおよそ互角で、それがモエには気にくわないようだ。
「あんたみたいな似非達人にはうんざり」
と、前に彼女に言われたことがある。似非達人、とは言い得て妙だな、と思ったけど、それを口にすればまた怒りを煽りそうで、口にはしなかった。
その夜も更け、サリーもやってこない静かか日々が続いた。
一週間が過ぎた時、来客があった。
それはいかにも山賊という見た目の男、コラッドだった。
(続く)