4-9 旅の季節
派遣武官という形で王属兵団に入った僕は、任命式もそこそこに王都を離れた。
ソラが言っていた通り、中年女性の教師が僕についた。彼女の名前はマンナと言い、騎士学校で教鞭をとっていたのが、引き抜かれたことになる。
マンナは旅慣れているようで、僕と遜色なく街道を歩く。二人で決めて、一日に三時間ほどは様々な講義の時間を作った。
これがミチヲのことを思い出させて、感動的ですらあったけど、もちろん黙っていた。
王都から南下しつつ、各自治体で役人の仕事や軍人の様子、訓練などを観察した。軍人の中には明らかに僕を下に見るものもいて、そういう時は同行しているマンナが一喝する。
軍人は女性に叱られて、憮然とはするが、僕を認めるわけもない。
ただ、このマンナの一喝は誘い水だ。僕は不服そうな軍人に手合わせしましょう、と水を向ける。
軍人たちは、女性を連れている偉ぶった若造を叩きのめす好機、と捉えて、喜んで剣を取る。
そう、真剣を持ち出すのだ。
こうなると実力差を理解できない軍人が不憫だったが、僕としてはありがたい展開だ。
僕は本気で向かってくる軍人を、丁寧に打ちのめしてやった。
彼らは僕の実力を認め、場合によっては平伏さえする。
ただ、満足感は少しもない。
弱いものを潰しても、僕には何の得もない。
「あなたが傲慢ではないとよくわかりましたよ」
旅の途中で、マンナがそんなことを言う。
「僕は弱い人間です。本当は、強い相手と剣を合わせたい」
「あら、傲慢な方なのかもしれませんわね、おほほ」
変な笑い声を上げて、マンナが笑うけど、僕の理解を超えている。
南下が続いて、海岸線まで至った。初めて見る海は、どこか生臭くて、変な感じだった。しかし海で取れる魚は、かなり美味い。子供の時は川魚しか食べなかったし、今までに食べた海産物はここまで新鮮ではなかったようだ。
軍には海軍が付属していて、それも知識で知ってはいても初めて見る。マンナとともに、大型船に乗せてもらった。
かなり揺れるな、と思いつつ、大砲も見物した。
「こんなに揺れて、当てることができるのですか?」
説明するためについてくれた軍人が微笑む。
「陸上よりは命中精度は落ちますね」
「接舷されて白兵戦になると大変だと思います」
「海の兵士は誰もがこの揺れに慣れています」
そうか、確かにこの軍人も平衡感覚が良さそうだな、と僕は勝手に解釈した。
海岸線を東方へ向かった。そちらが今、シュタイナ王国が最も危険視している地域だからだ。
大陸の南東部は未だ統一されず、蛮族が群雄割拠している。シュタイナ王国の領内への侵略も頻繁で、この方面に配置されている部隊は精鋭だと聞いている。
精鋭というのは、嘘ではなかった、と王都に報告したわけだけど、それは軍人や兵士の態度でもわかる。
旅の途中で会った軍人たちのように、すぐに剣を抜こうとしない。
そもそも彼らには感情の揺れが少ないように見えた。いやに冷静で、カミソリの刃のような冴え冴えとした瞳の色をする。
攻撃的というわけではなく、まるで鞘に納まった剣なのだ。
その剣は、ものすごく切れそうだった。
一度、蛮族の集団との戦闘の様子を見たけど、部隊の動きには少しの乱れもなく、合理的に、そして油断も隙もなく、蛮族を押し戻した。
戦闘の後を確認したが、シュタイナ王国の兵士たちの手際の見事さが、よくわかった。
いくつかの戦闘を確認してから、マンナと一緒に今度は西進する。来た時とは違う街道を選び、知らない土地を進む。
騎士学校からの課題が来て、マンナの指導を受けつつ、旅を続けながらそれをまとめて、王都に送った。マンナは「心配ないですから、お仕事に集中してくださいね」と言っていた。
シュタイナ王国の南西部へ進み、そうするとまた国の様子が違ってくる。
シュタイナ王国の西の国境は、オットー自由国と接している。オットー自由国は商業が盛んな土地で、大陸の中でも一番、物資の流通が盛んだと聞いている。
なのでシュタイナ王国の南西部も、商業が盛んだ。この地域はオットー自由国の人とも血が混ざっていて、南東部などとはまた違った肌の色や髪の色が多かった。
大きな街に入り、そこで色々と情報を集めたけど、興味深いのは、傭兵会社が多いことだ。
モエの会社を思い出したけど、比べてみると、モエの会社よりも和気藹々としていて、まるで傭兵会社ではない。
どうやらこの地域では、傭兵に必要なのは戦う力ではなく、戦う力がある、という看板の大きさらしい。
オットー自由国は軍事力が弱く、シュタイナ王国も戦力をそれほど国境に集めていない。それでもお互いに油断していると認識させるわけにはいかないので、そこで傭兵が必要になる。
お互いにお互いを警戒している、というのが関の山だけど、それでも言い訳にはなる。
こんな平和のあり方も存在するのか。感慨深いものがあった。
商業の様子なども報告書にまとめて、王都へ送った時、入れ違いに連絡があり、課題は受理され、判定は合格とのこと。正直、ホッとした。
旅は続く。いつの間にか夏が過ぎ、秋も深くなった。
「冬はどこで過ごすつもりですか?」
少し冷え込んだ日に、マンナが尋ねてくる。
「北上して、北部に行くつもりですが」
「北上? 雪が降るじゃないですか」
「雪は苦手ですか?」
「寒いのは嫌ですよ。女はそういうものです」
どういうものかわからない理屈だったので、冗談なんだろう、と解釈した。
結局、秋は北上に費やして、アンギラスとの国境に近い位置で、大雪に降られた。
山岳地帯に入ろうかというところで、国境地帯の砦の一つを目指して二人で進んでいた。幸い、砦にたどり着き、そこで雪が溶けるまで過ごした。
兵士たちは僕に好意的で、剣術を色々と教えることになった。もちろん、僕のように高めることはできないけど、彼らのやる気は心地よかった。
騎士学校の課題をこなしたりしているうちに、春が近くなり、雪も減ってきた。
兵士たちに見送られて、砦を出て、マンナと一緒に王都へ向かった。春には着くだろう、という見通しで、ゆっくりとしたペースで進む。
「あなたはこれから、どうするつもりです?」
雪が見えなくなった頃、歩きながらマンナが尋ねてきた。
「わかりません。軍人になるしかないと思いますが」
「あなたの剣術の凄さはわかりますよ。これでも騎士学校の教師ですから。ですが、あなたの心は、それに追いついていない」
「心が追いついていない?」
マンナが頷く。
「あなたはただ、流されているだけです。志すものがない。違いますか?」
「剣技を極めたい。それではいけませんか?」
「剣技を極める? それは人生の一部ですよ。違いますか? 私が教師として一流になる、と言い出したら、おかしいと思うでしょう? 私の人生が教師としての仕事だけになると、変でしょう?」
どうだろうか。あまり考えたことのない事態だ。
「剣は人生です」
なんとなくそう言うと、マンナが可笑しそうに笑い声をあげる。
「そうですか。それは、あなたの心は剣、ということですね。失礼しました」
「何が失礼なのですか?」
「あなたには心がないと思いましたが、あなた自身が剣なら、心がなくても構わない、ということです」
びっくりした。
「僕には心がないと思いますか?」
「いえ、それはもう、私の中で解決しました」
「僕の中では解決していません」
あらあら、などとマンナが口元を隠し、しかし真剣な顔で僕を見た。
「あなたには心はありません。どこかに置き忘れたのでしょう」
「心を、取り戻したいと思います」
「その必要はありませんよ」
「そうでしょうか?」
何度も、念を押すように、マンナが頷く。
「あなたは、剣として、生きなさい。それが今のあなたには、一番、合っていると思います」
剣として生きる?
歩きながら、僕はその言葉を吟味していた。
言葉遊びだろうか。世の中には、こういう曖昧な表現が多すぎる。
剣技はもっと単純だ。
相手を切れるかどうか、が全てになる。
僕は答えの出ないまま、歩き続けた。
ただ、答えが出ないことの多さに、自分が慣れていくような気がした。
どれだけ生きても、答えが出ないものは、多いのかもしれない。
街道の片隅で、名もない植物が、わずかに緑を覗かせていた。
(続く)