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剣聖と剣聖  作者: 和泉茉樹
第1部 失われた剣聖の誕生
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1-4 剣聖への道と、闇へ続く道

     ◆


「モエが? なんで?」

 それが僕の素直な言葉だった。

「知らねぇよ! でも、本当なんだ!」

 僕は無意識に顎を撫でていた。

 幼なじみの言っていることは、到底、信じられない。

 モエが、剣聖候補生になった、というのだ。

「剣聖はモエと手合わせをしたの?」

「そういう話は聞いてないけど、でも、実際に剣聖がモエの家に行っているんだ!」

 僕は迷った。

「行っておいで」

 声は背後、家の中からだった。

「母さん……」

 振り返ると、すぐそこに母さんがいた。

「行っておいで、モエちゃんのところへ」

 穏やかな声だったけど、強い意志を感じた。

 その理由は、すぐに察しがついた。

 剣聖候補生になれば、王都の騎士学校へ通うことになる。つまりしばらくは会えなくなる。もしくは、二度と。

「行っておいで」

 もう一度、母さんが繰り返す。

 僕の心は決まった。

 畑に持っていくはずの荷物を全部置いて家を飛び出した。

 幼なじみを置き去りにして、僕は駆けに駆けた。

 トグロ村の中心にある保安官事務所が、モエの住む家でもある。

 村の中心に近づくと、どんどん道に人が増え、その中心が保安官事務所だった。

 トグロ村だけではなく、近くの村からも野次馬が来ているようだ。

 大人たちを掻き分けて人混みを飛び出した。

 そこには三人の、正装の兵士が四人ほど立っていて、無言の圧力で村人を拒絶していた。

 そのさらに向こうに、保安官事務所があって、中はうかがえない。

 と、誰かが出てきた。

 剣聖かと思ったが、違う。背広を着た男。

 どこか不快に感じる笑顔を周囲に向ける。剣聖についている官僚だろうか。

 それに続いて出てきたのが、剣聖だった。

 真っ白い正装の上に、深い赤のローブをまとっている。剣は確かに、銀の鞘だ。

 背広の男と剣聖を四人の兵士が囲み、移動すると、村人の群れの割れていく。どうやら剣聖たちはタツヤの家に戻るようだ。

 剣聖たちが見えなくなってから、村人は保安官事務所に殺到した。

 僕は危うく人並みに飲まれそうになり、必死に離れた。

 こうなってはモエと会うのは不可能だ。実際、保安官事務所に近づくこともできない。

 剣聖が保安官事務所から出てきたということは、モエが剣聖候補生になったのは、間違いない。理由は今でもわからないけど、でも、この目で見た光景は、理由なんて無意味なものだ。

 この分なら、すぐに噂が流れてくるだろう。

 僕は今度はゆっくりと歩いて家に戻った。母さんは留守にしていて、書き置きもない。僕は支度をして、畑へ向かった。

 母さんが、野菜の世話をしている。

 気づくと僕は足を止めて立ち尽くしていて、母さんがそれに気づいて、立ち上がった。

「ミチヲ? モエちゃんは?」

「よくわからないけど」

 僕は声に力が込もらなかった。

「剣聖候補生になったのは、間違いない」

「またいつか、会えるわ」

「どうかな」

 僕は母さんの横に座り込み、野菜の手入れを始めた。母さんもすぐ横で、手を動かし始める。

「ごめんね、ミチヲ」

 静かな調子で、母さんが話し始めた。

「こんな田舎で畑仕事をするのが、あなたの性に合っている、とは私も、お父さんも考えてはいなかったの。どうにかしてお金を作って、少しはマシな環境で、あなたに教育とか、経験を積ませたかった」

 母さんの細い手はゆっくりと動く。

「でも、私は病気になって、そうもいかなくなった。お父さんも出稼ぎに出た。まさか、事故に遭うとは思わなかったけど、でももう、今更、遅いわね」

 僕は視界が滲んで、強く目元をこすった。

「実はね、お金はあるのよ」

「え?」

 反射的に母さんを見ていた。母さんはこちらを見ない。

「少しだけどね。こっそり貯めていたの」

「少しって?」

「本当に少しよ。王都との間を往復するくらいはあるわ」

 王都までは片道が歩いて二週間だ。つまり、四週間分の食費と宿泊費があるんだろう。

 今の生活からすれば、かなりの額になる。

「まだ、使わないよ」

 僕は即座に答えた。母さんが目を丸くして、こちらを見た。

「モエはモエ、僕は僕だから」

「……そうね、その通りだわ」

 その日は二人で夕方まで作業をして、一緒に家に帰った。

 夕飯を済ませて、モエのことを懐かしむように、彼女からもらったノートを眺めた。

 そろそろ寝ようかという時、控えめにドアがノックされた。母さんは疲れたと言ってもう眠っている。

 僕は不審に思いながらもドアを開けた。

「モエ……」

 そこにはモエがいた。恥ずかしそうな笑みを見せて、

「入っていい?」

 と、小声で言った。

「まぁ、いいけど」

 僕は彼女を招き入れた。お茶でも出すべきだろうか。

「いきなりだけど、明日、王都へ行くの」

 お茶を出すかを尋ねる間もなく、モエが切り出した。椅子に座りさえしない。時間がないんだろう。

「そうなんだ。本当に、剣聖候補生なんだな」

 少しだけモエが顔をしかめる。

「いろいろあってね」

「いろいろ?」

 コクリとモエが頷き、こちらに手を差し出す。

「また会いましょう」

 手を握り返すべきか、迷った。

「時間がないの」

 急かされて、僕は彼女の手を握った。彼女はじっと繋いだ手を見て、何かを探るように、手を動かした。

 なんだ? 何をしているんだろう?

 尋ねる前に、彼女は手を離し、笑顔を見せた。

「またね、ミチヲ」

 彼女はそっとドアを開けて、外へ滑り出て行った。僕は後を追おうとしたけど、彼女はきちんとドアを閉め、僕がドアを開けた時には、駆け出した彼女の背中が、どんどん闇の中に消えていくところだった。

 何のためにモエはここに来たんだろう?

 別れを告げに来たにしては、湿っぽくもない。

 それにあの握手に、何か意味があったんだろうか? ただの握手とも思えないけど、でもどうしてそう思うのかは、はっきりしなかった。

 それにしても、モエが剣聖候補生か。

 まだ剣聖になったわけでもないのに、雲の上の存在になったようで、少し寂しかった。

 またね、と彼女は言ったけど、もう、僕と彼女が対等の立場で顔を合わすことは、ないだろうな。

 その日、僕はモエとの思い出を振り返っていて、明け方まで眠れず、そのまま眠らずに、早朝に家を出た。

 村の中心部へ行くと、まだ早い時間なのに人が多い。

 タツヤの家の前に行くと、大きな馬車が停まっていて、その周囲に四人の兵士がもう立っている。

 その様子を遠巻きに眺める村人の中に、僕は混ざった。

 しばらくすると、輿がどこからかやってきた。輿を見たのは人生で三回めだ。

 輿から降りてきたのは、モエだった。質素だけど、着飾っているのがわかる。

 迎えるようにタツヤの家から背広の男と剣聖が出てきて、モエを伴って馬車に乗った。

 モエは僕に気付かずに馬車の中に消える。

 兵士たちが引かれてきた馬に乗り、彼らに守られて馬車が動き出した。

 村人たちが歓声をあげるけど、僕は無言だった。

 馬車を最後まで見送るのはやめて、駆け足で家に戻った。もう昼前に近い。どうやら時間を忘れるほど、僕は我を失っていたらしい。

 家に戻ると、母さんがお昼ご飯を作っていた。

「おかえりなさい」

 その声には、責めるところは少しもない。

「モエちゃんは見送れた?」

「うん」

「そう」

 母さんが笑顔を見せる。

「午後は午前中の分も、二人で働きましょう」

 その日の夕方、不思議な来客があった。

 簡素な服装の初老の男で、腰に剣を帯びていた。

「ミチヲというのは、お前か?」

 僕はその男をどこかで見た気がしたけど、思い出せなかった。

「そうですけど、どなたですか?」

「私は、ラッカス」

 ラッカス。

 衝撃は遅れてやってきた。

「タツヤのところの……」

 その男は、王都から来たという、タツヤの剣術の教師だった。

「どうして、ここへ?」

 尋ねられても、ラッカスは何かに納得していないように、こちらを見下ろしている。

「とある方から、剣術の指導をするように依頼された」

 とある方、というのは、タツヤでも、その親でもないんだろう。

 でもこの村に、この気むずかしげな騎士を自由に使える人間なんて、いるとも思えない。

 誰だ?

「手を見せろ」

 さっさと用事を済ませたい、というようにラッカスが言うので、僕は慌てて両手を前に出す。

「手の甲じゃない。手のひらだ」

 僕は手をひっくり返して、手のひらを見せた。

 じっとそれを見据え、次にラッカスは自分の手で僕の手のひらに触り始めた。

 かなり長い時間、そうしてから、頷く。

「良いだろう」

 何が良いんだろう?

「どういうことですか?」

「剣術を指南してやろう。ただし、夜だ。昼間は忙しいのでね」

 わけがわからなかった。

 指南してやろう、って、どういう意味だ?

「よろしくお願いします」

 振り返ると、母さんが頭を下げていた。ラッカスは軽く頷き、

「任された」

 と、宣言する。

 こうして、僕は理由も何もわからないまま、最初の師を得たのだった。





(続く)






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