4-5 圧倒
宿場を見物して数日で、変な目で僕を見る町人が増えた。
外国人が珍しい、というだけではないな、と思っていたけど、町娘たちがこちらに恐怖の視線を向けるので、やっとわかった。
僕が人殺しだという噂でもあるのだろう。
道場にはあの後、二回だけ見物に行ったけど、他の見物客も門人もこちらを敵意に満ちた目で見るので、もう行くのはやめた。
マツバの家に警察が来たこともあった。僕はハラトが用意してくれた書類を提示し、彼らは役所に正式に登録するように、と釘を刺していった。どうも彼らは密入国を理由に僕を拘束したかったらしい。
どうやらここに落ち着いてもいられないようだ。
初日からずっとこちらを怯えた目で見るマツバは、ほとんど会話もしない。
一方のカンバは僕を何度も道場に誘う。どうやら実力を見たいらしい。三回の見物で、あの道場の実力を僕はおおよそ把握していた。
どんな形式でも、彼らは僕に勝てないだろう。
だからカンバの誘いには丁寧に断ることを繰り返した。
「カイ殿は何かに怯えているのですか?」
食事の間でも、カンバは空気が悪くなることを少しも気にしない。初めて会った時とは別人だった。
「腰の剣が飾りでないというのなら、道場へ来るべきです。負けるのが怖いのですか?」
「私は遊びに興味はありません」
こちらも売り言葉に買い言葉で、そんなことを言っていた。
勢いよく、カンバが立ち上がった。
「表に出て、決着をつけよう」
「決着など」僕は座ったまま答えた。「つける必要はないと思います」
「愚弄するか!」
僕は反応を返さなかった。マツバはおろおろとしている。
「先生方、ここはどうか、俺に免じて、落ち着いてください。カイ先生、明日、道場へ行ってください。それで済むのです。何も、命をかけるわけではない、いいでしょう? どうか、どうか、頼みます」
僕はため息を吐いて、しかし明言を避けた。
翌日の朝食の席でも、カンバは僕を批難し、マツバは僕を道場へ行くように念を押す。
断りきれず、朝食の後、僕は道場へ向かった。
玄関から中に入ると、門人十三人が動きを止めた。師範の男もこちらへやってきた。
「お前がカイだな? カンバから聞いているぞ」
どう答えるべきかわからない僕を助けるように、師範がこちらを睨みつけて、言った。
「実力を見せてもらおうか。我々の遊びに付き合ってもらう」
仕方ない。僕は諦めた。
道場に上がると、剣を渡すように言われて、僕は素直に渡す。代わりに木刀が渡された。
師範の号令で、門人が壁際へ移動し、そこから一人がこちらへ進み出てくる。
一対一は守るようだ。
相手の門人は二十歳くらい。僕よりも上背がある。筋力も強そうだ。
ものすごい大声をあげたので、それで逆にこちらが冷静になった。
ミチヲもモエも、傭兵たちも滅多に声をあげなかった。
僕も声をあげない。
相手がすっと踏み込んでくる。でも露骨だったし、何の工夫もない。
一直線で、単純だ。
すれ違った。
門人たちが黙り込んだ中で、僕の一撃を首に受けた門人が、重い音ともに倒れた。
殺してはいないが、気は失っている。
「次だ!」
師範が声を上げるけど、震えを隠しきれていない。
二人目の門人が出てくる。小柄で、動きはすばしっこそうだけど、少しの挙動を見るだけでも、常識の範囲内だ。
さっきと全く同じことを僕はやった。
相手は牽制の一撃の後に側面に回り込もうとしたようだけど、そうはさせない。
牽制の踏み込みに合わせて踏み込み、回り込ます間も無く、首へ一撃。
また倒れた門人に、師範が目を剥いていた。
「カンバ! 行け!」
三人目としてカンバが出てきたが、彼は明らかに怯えていた。僕の剣術の冴えを理解できないわけがない。むしろ、こちらの実力、余裕を見せるように、二人を打ち倒したのだから、理解してもらわないと困る。
木刀をとって向き合い、カンバは例のごとく、声をあげた。
なるほど、臆病を振り払うには、声もいいかもしれない。
でも声では、誰も倒せない。
僕は動きを止めた。駆け引きが必要な相手ではないのは明らかだ。
それは油断だったと、理解したのは背中に痛みを感じてからだ。
本当に慢心していたら、死んでいただろう。
反射的に振り返り、背後から不意打ちをしてきた門人を打ち倒した。
その手には僕の剣がある。背中に濡れる感触、血が流れている。
門人たちが同時に大声をあげ、木刀を手に押し包んできた。
痛みが僕を瞬間で最高の緊張へと高揚させ、体の全てが切り替わった。
夢中というわけでもなく、自然と体が動いた。
終わった、と考えた時、十三人の門人は全て床に倒れ伏し、師範もその中に混ざっていた。
つまり道場の中で立っているのは僕一人だ。
誰も殺していない。いつかカンバが言っていた、逃げ、という表現を思い出した。僕は今、逃げなかったわけじゃない。逃げる必要はなかった。
床に転がる抜き身の剣と鞘を拾い上げ、僕は道場を出た。
警察が待ち構えていたけど、数人を残して道場へ踏み込んでいく。僕についた二人の警官は、僕を確保するわけでもなく、むしろ、背中の傷について尋ねてきた。
「医者へ行きます。どこか、教えていただけますか?」
「懇意の医師がいます。ご案内します」
警官は丁寧だった。いつの間にか集まっていた町人をかき分け、警官とともに医者の元へ行った。医者は老人だったが、口調もしっかりしているし、動きもキビキビしている。
背中の傷を見て、「いい体だな」などと呟いた。
それから背中の傷を縫ってくれて、薬をふりかけ、包帯も巻いてくれる。
「三日は運動は禁止。落ち着いて過ごしなさい」
返事をして立ち上がり、そばで待っていた警官のひとりと一緒に、外へ出る。
「事情を聴いてもよろしいですか?」
僕はマツバやカンバのことを、正直に話した。カンバの悪意をどう伝えるかが難しかったけど、可能な限り客観的に話した。
カンバが捕まれば、僕が人を切ったと話したことも警察に伝わるだろうと考え、そのことは自分から話した。
「異国でのことですから、調査も追及もできません」
警官はそう言ってくれた。
マツバの料理屋へ戻ると、三階の広間でマツバが項垂れていた。僕に気づくと、その目には涙が光っている。
「先生、申し訳ない、申し訳ないですが、出て行ってください。こんなことになるとは……その、とんでもないことを……」
なんのことかは推測するしかないけど、あるいは、例の道場が叩き潰されたことで、マツバは立つ瀬がないのかもしれない。
僕は荷物をまとめた。
次の宿場へ向かっても良かったけど、背中の傷が気になった。今までの人生で、一番深い切り傷だ。
医者の判断を聞いた方がいいだろうな。薬ももらえるかもしれない。
荷物を手に医者の元に戻ると、老医師は目を丸くし、
「うちにいなさい。三日だけな」
と言ってくれる。でも、彼にも迷惑がかかるかもしれない。
「気にするな。医者とは因果な職業で、そういうこともよくある」
結局、三日間、僕は病院の裏にある医者の家で過ごした。何かさせてくれと言ったけど、背中の傷に障るから、と何もさせてくれない。
三日目が過ぎ、宿場を出る朝、病院に警官がやってきた。今度こそ殺人を追及されるか、と思ったけど、そうではなかった。
「ここから四つ南に向かった宿場に、剣聖様がおられる、ということをお伝えしに参りました」
「剣聖?」
「もし、お会いしたいのなら、お急ぎください。では、旅のご無事を祈っております」
警官はあっさりと去ってしまった。
医者が僕の背中に薬を塗り、軽く肩を叩いた。
「剣聖に会いに行け、若いの。お前の噂が本当なら、何かわかるだろう」
実感が湧かないまま僕は宿場を離れ、南へ向かった。
(続く)




