表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
剣聖と剣聖  作者: 和泉茉樹
第4部 剣聖の弟子 流浪編
35/136

4-4 児戯

 ハラトが用意してくれた書類で、僕は国境地帯を抜けた。

 シュタイナ王国は農業が盛んなので、国境になっている山岳地帯を抜けてしまうと、途端にのどかになる。

 この国にも無数の宿場があるので、まずはそこで宿を取り、情報を集めた。

 金には余裕があるので、すぐに働く必要はない。

 この国に入って興味深いのは、剣を帯びている人が多いことだ。男性女性の区別はないし、子供でも老人でも、剣を持っている。

 それだけ剣術が盛んなのだ。

 試しに、道場へ行ってみることにした。ちょうどその宿場にあった道場へ、本当に気まぐれに、足を伸ばした。

 道場の建物の窓から、数人の町人が中を覗いている。

 僕もその横に並んで、中を見た。

 木刀を使って型の訓練をしている。師範らしい男性が、十数人の門人の間を歩き回り、何かが気にくわないと、その門人を打ち据えている。

 はっきり言って、拍子抜けだ。

 彼らの型の動きには確かにキレがある。無駄がないし、素早い。腰も落ち着いているし、脚さばきも滑らかだ。

 でもそんな全てが、僕が知っている二人の剣士とはまるで違う。

 ミチヲやモエが特別なんだろうか?

「お兄さん、どこの人?」

 急に話しかけられ、そちらを見ると若い町人がこちらを見ている。

「旅をしています」

 アンギラスで生活していたせいで、ちょっとシュタイナ王国の言葉の発音が甘いな、と思いつつ、そう答える。彼はどうやら僕の発音で、異国人と気付いたようだ。

「どちらから? どこの国?」

 正直に答えるべきか迷ったけど、言葉は工夫できても、顔は変えられない。肌の色も髪の色もだ。

「パンターロから来ました」

 きょとんとした顔になった町人が、笑い出す。

「お兄さん、面白いね! パンターロなんて遠すぎるよ。せいぜい、アンギラスだろ?」

「アンギラスにもいましたけどね」

「良いね、気に入った。どこに住んでいる?」

 変な質問だな、と思いつつ、部屋を借りている旅籠の名前を告げた。町人がにっこり笑う。

「そこは引払いなよ。うちに来れば良い」

「うち、というのは、あなたの家ですか?」

「他にどこがある? 一人くらい面倒を見る余地はある」

 この人はいったい、どういう職業の人だろう? 不思議でしかない。顔に心が覗いていたのか、彼は道場の中を指差した。

「あの男がうちの客人よ。立派だろう?」

 指差している先を見ると、小柄だが、がっしりした男を示しているようだ。動きは他の門人と大差ない。

「そして、あんたが二人目の客人になる」

「えっと、なんの仕事をすればいいのですか?」

 また男が目を丸くする。そして不敵な笑みを見せた。

「アンギラスではどうだかしらないが、シュタイナ王国では剣士の面倒を見るのは、一つのステータスよ」

 ステータス? 剣士を囲っていると、箔がつくということか。

 どうやら自分が養ってもらえる、と判断して、僕はしばらく道場の稽古を見ていた。

 数十分で終わって、解散になった。町人と一緒に、例の男を待ち構えた。

 男が身支度を整え、ちゃんと腰に真剣を帯びてやってきた。

「先生、お疲れ様です」

 町人が言うと彼が柔らかな笑みを見せた。

「お仕事はいいのですか? 旦那」

「妻がやっとりますよ。一杯、どうです?」

「お付き合いしましょう。そちらの方は?」

 彼がそう言って、こちらを見る。町人が笑う。

「俺としたことが、名前も聞いちゃいない。俺はマツバ、お兄さんは?」

「カイと言います」

 僕が頭を下げると、剣士の方の男が頭を下げた。

「私はカンバ。マツバさんにお世話になっています」

 こうして話してみると、カンバという男は、見た目以上に落ち着いているようだ。年齢は僕よりかなり上かもしれない。

 三人で小さな料理屋へ行き、昼食になった。マツバが酒を飲み、カンバも少しだけ酌を受けた。昼間から酒を飲むのは意外だ。僕は飲まなかった。

 食事が済んで、やっとマツバの店というところに着いた。

 そこも料理屋で、しかし建物は三階建てだった。土地は狭いから、縦に伸ばした印象。一階と二階が店舗らしい。昼間なので、もちろん、営業している。

「帰ったぜ」

 そんなことを言って店に入ると、店員たちが返事をする。もちろん、客は大勢いる。びっくりするほど盛っていた。

「うちは安くて美味くて量が多い。客が来るのは当たり前さ」

 そんなことを言って、奥へ入っていく。

 三階で生活しているようだが、その前に一階の調理場に寄り、そこにいる若い女の肩を叩いて、振り向いた彼女に何か身振りをしていた。言葉はない。彼女は微笑んで頷く。

「奥方はアトという名前で、聾なのです」

 聾、というのは、つまり、耳が聞こえないのか。

 マツバとカンバと三人で三階に上がり、マツバは僕に貸す部屋を片付けると言って、どこかへ行ってしまった。

 部屋にカンバと二人になると、彼が少し感情の見える瞳でこちらを見た。

「どちらから来た方ですか? 北方のようですが」

「パンターロです」

「パンターロ? あの国で剣術の修行をしたのですか?」

「ええ」

 詳細を伝える必要もないと判断して、短く答えた。

 僕はカンバの実力を考えていた。あの道場での型を繰り返す動きが、果たして実戦でどれだけ役に立つのだろう? そもそも、彼は実戦を経験しているのか。

「人を切ったことがありますか?」

「え?」

 意外なことを聞いたつもりもなかったけど、カンバは驚いたようだ。

「人を切ったことなど、ありません」

「え?」今度はこちらが声を上げてしまった。「剣士ではないのですか?」

 うーん、とカンバが唸る。

「あなたの国ではどうだったか知りませんが、シュタイナ王国では剣術が奨励されても、人殺しは重罪です」

 どうも僕の感覚が大きくズレているようだ。

「何のために剣術を習っているのですか?」

「自分の心を高めるためです」

 全くわからない理由だった。

 心を高める? ミチヲがいつか、疑問視した要素だろうか。

 我ながら無茶な理屈だと思ったけど、人を実際に切れば、何時間、何日、何ヶ月、もしくは何年もの稽古よりも、はるかに心を高めることができるのでは、と僕は考えていた。

 途端に目の前にいるこの剣士が、つまらない存在に見えた。

 ただの人形のようなものではないか。剣術という形に操られる、それだけの存在。

 彼が振るっている剣に、意味があるのだろうか。

 黙り込んで向かいあっているうちに、マツバが帰ってきた。僕たちの雰囲気を不思議そうに見たようだけど、彼は明るい声で、僕を、片付けたばかりの部屋に連れて行ってくれた。狭い部屋で、埃っぽいけど、その空気も開け放たれた窓からの新鮮な空気と入れ替わっていく。

「じゃ、カイ殿、旅籠から荷物を持ってきておくれ。今日からは食事も風呂も、うちで面倒を見るから」

「本当にいいのですか?」

 尋ねると、マツバが豪快に笑う。

「良いんですよ、先生。いつか先生のお名前が世に轟けば、俺も鼻が高い。俺を助けると思って、剣術に励んでくださいよ、お願いですから」

 剣術に励む。

 とても返事をできる気持ちではなかった。あの道場の様子を見れば、少なくともこの宿場の剣術は、児戯に等しいとしか思えなかった。

 それをマツバに伝えるわけにもいかず、曖昧に頷き、とりあえずは旅籠へ荷物を取りに帰った。

 旅籠の人は不思議そうな顔をしていたけど、適当な言い訳で店を出た。荷物と言っても、とても少ない。マツバが与えてくれた部屋は広くはないけど、狭く感じることもない僕だ。

 夕方に呼ばれて、三階の広間で食事になった。

「カイ殿は」食事の間にカンバが声をかけてくる。「人を切ったことがあるのですね?」

 その言葉に、ポロリとマツバが食器を落とし、料理が床にこぼれた。

「本当ですかい? カイ先生」

 僕は食器を置いて、堂々と答えた。

「それが剣の道だと思っています」

 マツバの顔から血の気が引き、カンバは怒りに顔を赤くした。

「人を殺さないのが、剣の道でしょう」

 怒りながらも、カンバは冷静な口調で言った。僕は顎を引いて、返事とした。

「人を殺すのは、逃げです」

 逃げ? 僕の心に、わずかな揺れが起きた。

 彼の理屈は分からなくはない。剣術を磨き、相手を殺さずに制する、それが理想だ。だから殺してしまうのは、その理想に反している、だから、逃げ、という認識になる。

 ただ、僕の感覚では、相手が殺意を持っている場面で、理想にこだわるのは、馬鹿げている。

 命のやり取りをしてるのだ。精神や思想の崇高さを競っているわけではない。

「勉強させていただきます」

 僕がそういうと、カンバはやはり怒りを燃え上がらせたようだけど、何も言わなかった。

 マツバは、青い顔で、床に落ちた料理を見て、

「ああ……」

 と、呟いた。





(続く)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ