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剣聖と剣聖  作者: 和泉茉樹
第4部 剣聖の弟子 流浪編
33/136

4-2 凶刃

 サヤバの職業は、意外なところでわかった。

 ハラトにつくようになって二ヶ月が過ぎた頃、ハラトが珍しく娼館へ行った。彼には女性の影が全くなかったので、年齢的なものかと思っていたけど、実際は、彼特有の律儀さ、堅苦しさからくるようだ。

 娼館は宿場に三軒あって、僕はそのうちの一つをたまに利用していた。一番安い店で、一番安い女にしていた。

 で、ハラトが三軒の中では一番高級の店の奥へ行き、僕は玄関の脇で待っていたわけだけど、そこへサヤバが店の中から現れた。

 昼間、ハラトのところへ来る時とは全く違う服装、明らかに娼婦の形だったので、別人かと思った。

「あなたも律儀ね」

 彼女はそう言いながら、僕のすぐ横に立ってタバコをふかした。これがものすごく様になる。普段の彼女とはやっぱり別人の様だけど、今の方が自然に見えた。

「サヤバさんは、娼婦だったんですね」

「ここ三年はお客を取っていないわよ」

 そう言われて、腑に落ちたことがある。彼女とハラトの会話にあった、二人の共通する特徴にピンときた。

「経営者ですか?」

「ご明察。でも雇われているだけよ。経営者は、ハラトさん」

 どうやらサヤバはこちらがどれくらいのヒントで事実に気づくか、試したいらしい。

 僕は無言で、サヤバが吐き出す煙を見ていた。

 ハラトは旅籠を経営しているだけではなく、様々な事業をしているのは僕が一番そばにいるので、よく知っている。娼館を経営していても、おかしくない。

 ただ、実際はそんな枠にとらわれないほど、大きいんだろうと思った。

「この宿場は、ハラトさんのものなんですね?」

 探りが半分、投げやり半分で、そんな質問をサヤバにぶつけると、彼女は小さく笑い、少しだけ煙を吸い込んだ。

 ゆったりと口から吐かれた白い煙が空中に広がり、消える。

「やっぱり、察しがいい。よく見ている」

 明言を避ける返事だな、と考えて、あまり深追いしないことにした。

「気になることがあります」

「答えられることなら、答えよう」

「僕の前任者は、誰ですか?」

 今度は失笑が返ってきた。

「例の三人組だよ。あなたが叩きのめして、もう追放された」

「その前は?」

 じっとサヤバがこちらを見て、僕も見返した。彼女の瞳は、わずかな光を反射して光る。

 不思議な瞳だ。

 すっと逸らされたので、僕も視線を彼女から外した。

「あの三人組の前は、一人の剣士だった。今はいない」

「死んだ?」

「いや、去ったのよ。ハラトも引き止めようとしたけど、そうはいかなかった。でもハラトも、納得していたんでしょうね。こんな場所で終わるような器じゃなかった、あの男は」

 どういう人だろう? 気になったけど、やっぱり深追いしてはいけない気がした。

 黙っていること、知りたがらないこと、その重要性がさすがに僕にもわかってきている。

「あなたにどこか似ているわ」サヤバが呟くように言って、それはほとんど聞こえないくらいだった。「年齢も顔も、全く違うけど、どこかが似ているのよ。どこかしら」

 返事をすることもせず、僕はただ闇に目を凝らしていた。

 サヤバは黙ってタバコを一本、吸い終わると「お仕事頑張ってね」と言って建物の中に入っていってしまった。まったく未練のない素振りで、その彼女からはかすかに香水の匂いが置き去りにされ、わずかな時間、僕の周囲を漂った。

 一時間ほど待つと、建物からハラトが出てきた。

「少し歩こう」

 夜の外出では、ハラトは人力車と徒歩のどちらかになる。今日は徒歩らしい。

 二人で宿場の夜を歩いていく。パンターロの山奥では決して見なかった、絢爛とも言える多くの明かり。何よりも人いきれという言葉がぴったりの、人の濃密な気配。

 瞬間、何かの気配を感じて、僕は自然と動いていた。

 一足でハラトの前に出て、手を振る。

 刹那だけの硬く冷たい感触。

「なんだ?」

 足を止めたハラトを振り向かず、僕は投剣が飛んできた方を見た。闇が濃い、路地のあたり。人の気配はしない。いや、離れていく、か。

 転がっていた短剣を拾い上げる。やっとハラトも気づいたらしい。

「見事な腕前だな、カイ」

「いえ」

 他にどう答えようもなく、短く答えて、早く帰りましょう、とハラトを促した。

 その日は何事もなく、旅籠に帰った。ハラトは奥に入り、僕も自分の部屋に戻った。一人きりの部屋で、剣を久しぶりに抜いてみた。

 ミチヲの見立てが良かったからか、決してくたびれていない、不思議な剣だ。

 二週間前に研ぎに出したので、見事な色合いだった。

 ハラトが暗殺者に狙われるのは、初めてだ。それも、相手は明らかに手慣れている。技量ははっきりしないが、あの剣の軌道、速度は申し分ない。僕がもう少しハラトから離れてたら、あるいは防げなかったかもしれない。

 その日はゆっくり休んで、翌朝からまたいつも通りの日々になった。

 それでもハラトも事態を把握したいらしく、彼の元に宿場の自警団の関係者が来たり、アンギラスの国家警察の支隊の数名が顔を出したりする。

 僕がいるから安全、と考えないあたりがハラトの現実主義者っぽいところだし、数より質などという神話も彼の中にはないんだろう。

 ただ、そんな協力者の目も完全ではなく、何もわからないまま時間だけが過ぎ、季節が秋になろうかという頃、それは起こった。

 その夜は僕は自分の部屋にいて、眠っていた。少しだけ暑い夜で、それもあって眠りは浅かったようだ。

 微かな物音と小さく弱い悲鳴。

 跳ね起きて、剣を掴むと足を忍ばせて、廊下に出る。明かりは廊下に点々と置かれていて、しかしかなり不気味だ。

 不気味だろうと、やることはやる。

 音を立てずに、さっきの小さな物音の方へ向かう。

 調理場の辺りと思ったが、そこに行ってみると、わずかに外へ通じる扉が開いている。

 そしてそこに、若い女中が倒れていた。体の姿勢だけで、すでに絶命しているのがわかった。

 侵入者。

 声を上げるべきかと思ったが、それは意味がないだろう。

 この旅籠へ忍び込む理由は、一つしかない。

 ハラトだ。

 僕は足音を消したまま、素早く移動した。侵入者がハラトの居場所を知らないとか、そういう奇跡は起きそうもない。あの女中も気になる。たまたまあそこにいて殺された、というのは穏当な考えで、実際はもっと違うはず。もしかしたら侵入者を手引きした可能性もある。口封じで殺されたのだ。

 旅籠の奥へ進む。数回だけ、ハラトの寝室に行ったことがあったので、場所は把握している。

 前方に人影。手には刃物を持っているのが、かすかな明かりの中で見える。

 僕には気づいていない。ただ、彼らは今にも部屋に飛び込みそうだ。

「侵入者だ!」

 僕は大声を出して、一気に間合いを詰めた。

 動揺も一瞬で侵入者たちが動き出す。三人のうちの二人が室内に飛び込む。一人が僕の前に立ち塞がった。

 相手の高速の剣技は、意外に筋がいい。

 何より、思い切りがいい。

 僕も剣を抜き、応戦する。

 相手をする時間がない。

 和音の歩法で相手の側面へ。一撃で胴を薙ぎ払う。悲鳴をあげて倒れこんだ男を越え、部屋へ踏み込んだ。

 二人の侵入者が、目の前で寝台に剣を突き立てたところだった。

 僕はもう構わずに、二人に肉薄し、一人は背後から切り倒した。三人目はこちらに向き直るのが限界で、僕の剣に薙ぎ払われ、振り向く勢いのままに転倒し、地面に這った。

 しかし彼らに構っている暇はない。

 寝台を見て、僕は思わず息を吐いた。

 布団は膨らんでいるが、少しも血に汚れていないし、見れば膨らみも不自然だ。布団を剥いで見ると、案の定、そこには毛布を丸めた筒があった。

「仕事、ご苦労様」

 背後で声がして、女中を連れたハラトが平然と現れて、僕は怒りを感じたけど、しかし、どうにか押し込めた。

「予測されていたのですか?」

「警戒するべき、とは思っていた。君の働きで、もう危険は去ったがね」

 女中から明かりを受け取り、襲撃者をハラトが検めている。

「これを見てごらん」

 僕は促されるままに、すでに絶命している三人を見た。

 どこかで見た、と気付いて、すぐに記憶が蘇った。

 この三人は、僕が例の賭場で、叩きのめした三人だった。

「因果なものだが、これもまた人の世の常、かな」

 よくわからないことを言って、ハラトがこちらに微笑む。

「今日はさすがに不安だ、そばにいてくれると助かる。もっとも、眠れるとも思えないがね」

 そう言ってハラトが通路へ出る。明かりは女中の手に戻り、彼女が前を照らしていた。僕は彼の言葉をやっと理解し、彼の背を追う。

 背後で、喧騒が起こったけど、ハラトは頓着しない。

 その翌日からも、ハラトはいつも通りに仕事をして、僕も彼のそばについていた。

 三人を切り倒したことを、何度も思い返した。

 人を切ることに慣れているような気がする。受け入れているような気がする。

 それが正しいのかを、繰り返し、考えたけど、答えは出ない。

 僕の剣は、ハラトを守った。

 でもそれは、正しいのか?

 答えの出ない問いは、頭からなかなか立ち去らなかった。




(続く)


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