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剣聖と剣聖  作者: 和泉茉樹
第3部 剣聖の弟子 立志編
31/136

3-10 旅立ち

 数日を小屋の中での作業で過ごした。

 とても何かを話す気になれず、ミチヲも黙っていた。

「人の心を捨てた、と言われました」

 一週間ほどして、やっとそう言うことができた。ミチヲは頷いて、「そうか」とだけ答えた。

 沈黙が戻ってくるけど、それはまるで僕を責めているように感じられた。

「人の心、とは何ですか?」

 思わず尋ねたけど、返事まで少しの間、また沈黙。

「傷つく心のことだと思う」

 そんな返事だった。

「カイ、お前は誰かを切った時、何か感じたか? 何を感じた?」

「それは……」

 すぐには答えられなかったのは、振り返ってみると、あの時の自分が恐ろしく感じたからだった。

 あの時、僕は満足感、達成感のようなものを感じていたかもしれない。

 復讐できたこと、報いを受けさせたこと、そういうものを強く感じていた。

 それもそんな感情が爆発したわけではない。

 まるで最初から自分の中にあったかのように、少しの違和感もなく、特別なものとしてではなく、僕の心にピタッと寄り添っていた。

 それじゃあ、まるで僕が本質的に、人を切る人間だったみたいだ。

「剣を持つとは、そういうことでもある」

 ミチヲが草鞋を編む手を止めずに、話しているのが聞こえた。

「剣を持つと、凶暴になる人間は確かにいる。万能感のようなものも感じる。ただ、一度、それで命を奪うと、今度は逆に何もできなくなるものもいる。後悔、不安、恐怖、そういうものが抑えられなくなる。まさに、今のお前だよ」

 僕は手を止めて、ミチヲを見たけど、彼はこちらを見もしない。

「そこが剣の稽古の最大の矛盾でもある。剣術は人を切るための技だ。殺人術ということになる。技が冴えれば、大抵の相手を、たとえ相手が多数であろうと、抹殺できる。だけど、剣術は意識のジレンマを解消することはない。剣術を突き詰める中で、精神性のようなものを考えることもあるが、どれほど有効かは、俺にはわからない」

「心を、僕に教えてください。先生が何を考えたかを」

「それはあくまで俺の解釈だ。聞いたところで、意味はない。俺は俺で、お前はお前だ。そこを履き違えてはいけない。人を切ったのはお前で、今、苦しんでいるのはお前の心だ。俺が切ったわけではないし、俺は苦しんでもいない」

 そう言われてしまえば、どうしようもなかった。

 しばらく、雪のせいで外に出ることもならず、小屋に篭っていた。

 雪がある程度、溶けてきた頃に、ミチヲが一度、村へ行ってみろ、と言った。

「そういう気持ちには、なれません」

「勉強になるだろう。行ってくればいいさ。何も考えずにな」

 結局、僕は小屋を出て、三日後に帰るという予定で、村へと雪を踏み分けて向かった。

 もう長い間、見ていなかった景色を前にして、自分が幼少期を過ごした小屋が、前と変わらずにあることに驚いた。

 小屋の中に声をかけると、記憶の中よりかなり年をとった母が飛び出してきた。

「カイ? カイじゃないの!」

 父も遅れて出てきた。僕を柔らかい視線で迎えてくれる。

 二人に謝罪したい気持ちでいっぱいになった。

 ミチヲの指導を受けても、僕は何者にもなれなかった。そう強く感じた。

 小屋の中に招き入れられ、いろいろなことを両親は僕に話した。

 話が終わった頃、父が僕の腰の剣を指差し、笑顔を見せた。

「あの方が言った通り、剣を見つけたのだな」

 これはミチヲが用意してくれたものだ、と答えることは簡単だった。

 でも、そうはとても言えなかった。

 この剣で、僕は初めて人を切った。殺してしまった。

 ミチヲが用意してくれた、と口にしたら、まるで僕の行動をミチヲのせいにしてしまう気がしたから、言えなかった。

 その日は夜更けまで三人で話し、翌朝になって朝食を食べた時、僕はやっと自分が両親と会っているという実感が湧いた。

 このままここにいる、という選択肢を、何気なく考えた。

 ミチヲを裏切るような行為だけど、ミチヲがその展開を考えないはずがない。僕が戻ってこないことも考えた上で、送り出しただろう。

 食事が済んで、また話が始まった。

「剣術を生かせればいいのだがね」父がそう言って、顎を撫でる。「この国で何か口があるかな、どうだろう」

 そんな父に、母は少し怒ったようだった。

「山で暮らせばいいのですよ。村で弟子を取れば、少しのお金になりますし、普段は畑や山で仕事をすればいいじゃありませんか」

「無名の剣士に、剣を習いたいものがいるかな」

「あの方の弟子なのです、問題ありません」

 変な方向に話が進んでいるな、と思いながら、僕は黙っていた。

 僕の剣術は、中途半端だった。何かを為したわけでもない。名を上げたわけでもない。

 ミチヲの弟子で、モエの弟子、という程度の背景しかない。

 そして、まだ十人程度しか、この手にかけていない。

 もう人を切りたくはなかったけど、それでは何のために技を磨いたのか。

 ジレンマ。ミチヲが言った通り、全てはこの矛盾に至ってしまう。

 僕は剣術を修めて、何をしたかったんだろう?

「お前は誰かに打ちのめされたかい?」

 急に父の問いかけが、はっきりと響いた。

「それは、先生にも、他の方にも、打ち据えられました」

「そうか。それは幸せだな」

 何を言われたかわからなくて、僕は父を見た。父は笑っている。

「自分より強い人間がいるのは、幸せなことだ。最も高いところへ立ってしまえば、あとは落ちるしかない」

 そんな単純なものだろうか? と、正直、考えた。

 僕は半端な人間で、弱くもないが、強くもない。

 それが幸せ?

 まだ先へ進む、上がるべき階段がある、ということだろうか。

 父はそれきり、別の話を始め、僕もそちらに集中した。

 三日はあっという間に過ぎ去り、午後になって、すぐに村を出る時間になった。

 まだ迷っていた。もう全てやめて、ここに留まっても、何の問題もない。

 でも、父も母も、そうは思っていないようだった。母は、目元を拭いながらも、笑みを見せている。

「次に帰ってきた時は、武勇を聞かせてくれると嬉しい」

 父がそういうと、母が即座に「危ないことはダメですよ」と言った。

 武勇。

 僕とはとても縁がないような方向だった。

 両親に見送られて、僕はミチヲの小屋に向かった。

 向かったけど、途中で道を変えた。わざと山の中へ分け入るように、誰も通っていないような方へ、進んでいく。

 自分がどこへ向かっているかは、わからなかった。

 ただただ、前へ進む。

 前? 前じゃないかもしれない。

 ただ進んでいるだけだ。

 このまま奈落へ落ちても、構わない。そう思って、歩き続けた。

 日が暮れて、寒さが厳しくなった。体が動くだけ前に進み、力がなくなると、手近な木の根元に座り込み、うずくまる。

 いつの間にか意識を失っていて、目を覚ました時、周囲には雪が降っていた。日が出ている。朝だ。

 でももう、動けない。

 ただ雪が落ちてくるのを眺めていると、人の気配がした。

「キツネが出る季節じゃないな」

 そう言って、ミチヲが僕の前に立った。

「死にたいか?」

「そうかもしれません……」

 しわがれた僕の声に、ミチヲが頷いて、自分の腰に佩いていた剣を抜いた。

「なら、俺と切り結んでみろ。立て」

 僕はゆっくりと立ち上がった。

 のろのろと剣を抜いて、構える。

 二人の動きが止まる。

 雪だけが、落ちている。

 気づくと、僕は何も考えていなかった。

 ミチヲのことも、雪のことも、寒さも、何も感じない。

 パッと何かがひらめいた時、僕は動いていた。

 五線譜の歩法。

 甲高い音。

 鋭い痛み。

「良い腕だな」

 こちらを見ずに剣を振ったミチヲの、その切っ先が僕の首筋に触れている。

 僕の剣は跳ね上げられ、明後日の方に向いていた。

「殺すには、惜しい」

 僕は何も言えず、首筋から剣が離れたのを、ただ見た。

「シュタイナ王国へ行け」

 剣を鞘に戻したミチヲがそう言って、僕の足元に、懐から取り出した小さな袋を放った。落ちた音で、中に硬貨が入っているのがわかる。かなりの額だ。

「剣聖と立ち会ってみればいい。やってみろ」

 そう言って、ミチヲは僕に背を向けた。

 僕はまだ剣を手に持っている。

 無防備な背中がすぐそこにある。

 今ならミチヲを切れるかもしれない。

 でも、そうする気にはなれなかった。

 とても、切れそうにない背中だった。

 彼が見えなくなってから、剣を鞘に戻した。それから足元の袋を見て、しぶしぶ、拾った。

 シュタイナ王国か。

 そこに行けば、何かあるのだろうか。

 持ち物は、剣と金しかない。

 生き延びられるとも思えなかった。

 どうせ死のうとした身だ、と考えた。

 なら何でもやってやろう。

 投げやりな思いで、僕は歩き出した。






(第3部 了)

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