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剣聖と剣聖  作者: 和泉茉樹
第1部 失われた剣聖の誕生
3/136

1-3 一撃

     ◆


 剣聖は本当に村にやってきた。

 そのことを知ったのは、昼間になってからだった。小作人の中でも僕より十ほど年上の青年が、午前中に姿が見えないと思ったら、剣聖の見物に行っていたのだ。

「まるで王様だ」

 お昼ご飯を食べつつ、そんな話を聞いた。

「豪華なローブを着て、服も上等さ。腰には銀色の鞘の剣を下げているんだ。あれはものすごく切れるんじゃないかな。金属でも切れそうだった」

 そんなこと言いつつ、剣を抜いたわけじゃないんだな、と僕は考えていた。

 僕の手元にある剣術の指導書には、剣聖についての解説もあった。

 彼らは各地と定期的に回り、剣聖候補生を探している。特別な素質の持ち主が選ばれるのだが、判断基準は不明らしい。

 まぁ、剣聖には何か、見えるんだろう。そんな風に僕は思っていた。

 昼休みはすぐに終わり午後の作業を始める。

 あれ以来、タツヤたちが僕の畑を荒らしてはいない。菜っ葉の一部は明日にでも出荷できそうだ。その収入で、二週間は生活できる。

 気候は真夏に近くなり、時々、木陰に入らないと死んでしまう。

 僕は畑を耕す作業が一段落し、今は畝を作っている。畑の真ん中なので、日陰がない。

 いつの間にか山手に日が落ちかかり、一日が終わる。

「ミチヲ!」

 突然の声に顔を上げると、モエが手を振っている。僕は手を手ぬぐいで拭い、鍬を持って彼女の元に進んだ。

「剣聖が来ているんだって?」

「そうよ。なんだ、知っているのか」

「で? どうだった? 剣聖候補生になれそう?」

 うーん、とモエは顔をしかめた。

「どうかな。剣聖は剣を抜きもしないのよ」

「それはそうでしょ。特別だからね」

「向かい合いもしないのよ。村人を眺めているだけ」

 僕にはよくわからなかった。

 ま、一流の騎士には見るだけで力量が分かるのかもな。

 それしか考えなかった。

 僕はモエと一緒に村まで歩いた。

「やっぱり王都から来る人は違うわね。雰囲気というか、空気が違う」

「今日はどこに泊まるって?」

「タツヤのところよ。もう、ご両親が大喜びでね。今日は大宴会らしいわ」

 豪勢だな。それだけの金があるということで、その金は小作人から巻き上げている金だ。

 心の中で怒りが渦巻くのを感じつつ、村に差し掛かった。

「剣聖の一行を見たくない?」

 僕は反射的に空を見た。もう真っ暗だ。

「もう宴会とやらが始まっているんじゃないの?」

「こっそりと見ましょうよ」

 そんな会話をして、結局、タツヤの家の前まで来てしまった。

 地主の屋敷なので、周囲をぐるりと塀が囲っている。もちろん、僕の背丈の倍くらいある。中をうかがうのは、モエが僕を肩車しても無理だろう。

「無理だね。僕は帰るよ」

 僕は背を向けるところで、だから、ここで起こったことは予定外だった。

「待ちなさい」

 声は落ち着いていて、どこか硬質だった。

 声の方を見たのは僕よりもモエの方が先だった。そのモエが息を飲む。

 僕が巡らせた視界の先に、その男はいた。

 真っ白な服で、銀色の縁取りがされている。胸にシュタイナ王国の紋章がある。袖には軍人の階級を表す飾りがあるけど、僕にはよくわからなかった。

 なんにせよ、この村でこんな格好をしている人間は、たぶん、一人だ。

「剣聖閣下よ」

 モエが囁き、その場に膝をついて、頭を下げた。

 僕がそれに倣わなかったのは、半ば呆然としていたのと、現実感がなかったからだ。

 そういうわけで、自然と剣聖と僕は、正面から向き合う形になった。

「ちょっとタバコを吸いたくてね」

 剣聖は言いながら、ポケットからタバコの箱を取り出すと、慣れた手つきで一本を咥える。ライターで火をつけ、その蓋がパチンと閉まった。

「空気のいいところで吸うタバコは、格別に美味い」

 何を話し始めているのか、僕はわからなかった。さすがのモエも、膝をついた姿勢で、頭だけは上げている。

「小作人か?」

「はい」

 やっとわかることを言われた。

「私に興味がないのか?」

「野菜にしか興味はないですね」

 思わず口にしていたが、ちょっと挑戦的すぎたかもしれない。

「野菜? なるほど」

 何に納得したか、不明だけど、剣聖は頷いた。

 指でタバコをつまみ、煙を吐いた。

「堂々としているのは、元からか? それとも事態がわかっていない?」

「わかってない、というか、何も知りません」

「剣聖のことも知らない?」

「初めて見ました」

 特に感慨もないように頷いて、またタバコを口に持って行き、その先が赤く光る。

「私と手合わせしたいか?」

 意外だったけど、僕はまだ状況がわかっていなかった。

 手合わせ?

「僕は一撃で首をはねられると思います」

「何も知らなくても、その程度の常識はあるのか?」

 次の瞬間、剣聖の手が翻った。

 反射的に、飛んできたタバコを避けていた。顔面にまっすぐに飛んできたのだ。危うく当たるところだった。

 でも、そんなことを考えている暇はない。

 どんな足捌きだったのか、わからない。

 目の前に剣聖が立っている。

 一方の僕は、まだ片手に鍬を持っていて、身構えもしていない。

 何をされたかわからないまま、僕は弾き飛ばされていた。肩から地面に落ち、転がる。

 勢いを利用して跳ね起きた時には、胸に激痛が走った。

 かすかな月明かりの中で、僕の胸が赤く染まっている。

 剣聖は今、剣を帯びてすらいない。

 素手による一撃で、僕の胸は切り裂かれていた。

 僕が睨みつける先で、剣聖は新しいタバコを箱から取り出す、ゆっくりと火をつけ、頷いた。

「また会おう」

 そう言って今度こそ、剣聖は身を翻し、タツヤの家の門の方へ歩いて行った。

 彼が背中を向けても緊張は解けず、彼が門の向こうに消えても、僕は息を吐くことができなかった。

 ほとんど倒れる段階になって、やっと息が漏れた。

「だ、大丈夫?」

 モエがすぐ横まで這うようにしてやってきた。

「殺されちゃうのかと思った!」

 彼女は興奮しているようだったけど、僕はとてもそんな状態ではない。

 僕こそ、殺されるかと思った。

 全身が冷や汗にまみれている。服がぐっしょり濡れるほどの冷や汗だ。

「ミチヲ、血が……!」

 触るまでもなく、深く斬られているのはわかる。

 殺すつもりだったのか?

 手加減されているのは、はっきりしている。

 もし剣聖が本気になれば僕みたいなそこらの小僧なんて、あっさりと殺せるのは間違いない。それは剣を持っているとかいないとか、無関係だ。

 実際、あの、剣聖の一撃には、死の気配しかない。

 でも僕はまだ生きている。

 やっぱり、手加減されたんだ。致命傷にならない程度に。

 僕はいつの間にか手放していた鍬を探し、どうにか立ち上がると、それを拾った。

「ミチヲ、お医者さんに行かないと」

「お金もないし、すぐ治るよ」

 そんなことを言って、僕はモエを押しとどめだ。

 それでも彼女は僕の家の前まで来た。

「ありがとう、モエ。帰り道、気をつけて」

「うん、ミチヲも、あまり痛いようならお医者さんに行くんだよ」

 僕は去っていくモエを見送った。

 家に入ると、母さんは穏やかに眠っていた。

 僕は服を脱いで、傷の様子を確かめた。

 まるで剣で切ったように、パックリと傷口は開いている。

 清潔な布を押し当て、常備されている包帯でぐるぐる巻きにしておいた。これで大丈夫なはずだった。

 さすがに今日は剣術の稽古をする気にはなれなかった。

 母さんと、自分の分の粥を作りつつ、剣聖の動きをもう一度、頭の中で再現した。

 動きは予測できなかった。

 前触れがなかったのだ。

 歩法が独特なものだというのは、今になればわかる。その歩法に、前触れを消す理屈があるのだろう。

 鋭い踏み込みと、地面を蹴る動き。

 どちらも見たことも聞いたこともない、新鮮な動きだったな。

 それにしても、胸を切ったのは手刀だったけど、あまりの動きの鋭さが、素手ながらあの切れ味となると、剣を持った時の威力は計り知れない。

 がっちりした鎧でさえ、あの剣聖は斬って捨てるのかもしれない。

 冗談ではなく、実際にそうなりそうな、思い出しても震えるほどの、動きだった。

 考えに没頭していて、粥を焦がしてしまい、それで気持ちが日常に戻った。大事な食料が、無駄になったな。

 母さんには無事な部分を残し、僕は焦げを中心に粥を飲み込んだ。

 明かりを消して布団に入って、また痛みがぶり返してきたけど、どうしようもない。

 剣聖という存在を知ってはいたけど、あれほどとは。

 どうしても暗闇から飛び出してくる剣聖を、考えてしまう。

 その想像の中でも、剣聖は素手だ。

 その攻撃をどう防ぐか、あるいは、どんな攻撃が来るのか、それが頭の中で無限に展開し、きりがない。

 いつの間にか眠っていて、目覚めると朝だった。まだ薄暗いから、早朝だ。

 反射的に胸を見下ろすと、包帯に血が滲んでいるようではない。痛みも昨日よりだいぶ楽だ。これは予想よりも早く治るかもしれない。

 朝食を用意していると、母さんが起き出してきた。

「具合はどう? 大丈夫?」

「ええ、ありがとう。今日はこちらから、お医者さんに行くわ」

 朝食の時、よっぽど剣聖のことを話したかった。

 でも話してどうなるものでもない。

 畑に向かう途中で、遅れて気づいた。

 剣聖候補生になったら、その立場を利用して母さんを良い療養所か、もしくは王都に連れて行けば良いじゃないか。

 でもそれは、無謀というものだ。

 母さんを療養所に入れることは、何の解決でもない。むしろ母さんを捨てるのに等しい。

 王都へ連れて行っても、母さんはきっと、自分が息子の足を引っ張っている、と感じるんじゃないか。

 決断するしかないのはわかっている。

 いつか、なんらかの形で母さんとは別れるから。

 でもそう簡単に、全てに対して決断できる人は、そういない。

 僕はその日、雑念を振り払うように仕事をした。菜っ葉を出荷し、畝は完成した。

 今日はモエも来なかった。剣聖の噂も聞かない。

 家に帰ると、母さんは少し元気そうに料理をしていた。

 一人で剣術の稽古をして、布団に入った。

 だから翌朝、その知らせを幼なじみの一人が知らせてきた時、僕には何の心の準備もできていなかった。




(続く)







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