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剣聖と剣聖  作者: 和泉茉樹
第3部 剣聖の弟子 立志編
25/136

3-4 来訪者

 最初は稽古どころではなかった。

 早朝に起きて、山の中を走らされる。ミチヲも一緒に走るけど、この人の運動神経は異常だとわかったし、そもそも僕とは体格が違うので、ついていけない。

 何せ斜面がきつくて、ミチヲが飛び上がれるような場所でも、僕は這うようにして登らないといけない。

 僕を引き離すと、ミチヲは少し先で待っている。僕が追いつくと、また引き離す。

 これは二時間ほど続き、どうにかこうにか小屋に戻ると、二人で交代での料理の時間になる。

 食事が終わると、ミチヲと一緒に近くに拓かれている畑に向かう。そこで作業をしつつ、ミチヲは話を始める。

 武術とは無関係の、様々な伝説や戦記の一部で、つまり物語だ。

 作業の間はずっと、ミチヲはその話をする。

 午前中はそれで終わり、交代で用意する昼食が済むと、少しの間、休む時間になる。僕は大概、横になって昼寝なので、ミチヲが何をしているかはわからない。

 時間になると起こされて、今度は基礎的な動きで、筋力作りになる。ミチヲが繰り返すのは、「お前は体を作っているわけじゃない。作るのは力で、それは大きすぎても足りなくてもいけない」

 という、理屈だ。

 よく分からないまま、ミチヲの指導に従う。

 終わると、夕方までの長い時間、棒を素振りする。最初はすぐにマメができて、それが破れて血が流れる。でもミチヲはそれに気づいても、やめるようには言わない。毎日、毎日、棒を振っていると、そのうちにマメはタコに変わった。

 日が暮れるとやっぱり交代の夕飯の用意になり、それが終わると、今度は小部隊での戦術とか、国の運営手法に関する講義などになる。ちんぷんかんぷんだけど、とりあえずは聞いていればいい、とミチヲが言ったので、聞き入ることに集中した。

 こんな具合の日々が、いきなり始まり、一年が過ぎた。落ち葉が舞い散り、雪が降り積もり、その雪が溶け、強い日が差した。

 この一年で、色々なことが変わった。

 まず山の中を走るのにだいぶ慣れた。自分でも、まるで猿かと思うほど、身軽になった。体も大きくなってきたけど、それ以上に、すばしっこさは圧倒的に増した。

 午前中の農作業の時、ミチヲが物語を話していた理由もわかった。

 今もミチヲは作業中、物語を聞かせてくれるけど、今はパンターロの言葉ではない言葉で、話してくる。シュタイナ王国の言葉らしい。つまり、この物語は、語学なんだとはっきりした。

 この一年で、少しずつ語彙が増えているけど、聞き取れても、発音できる自信はない。でもミチヲのことだから、そのうち、発音も教えてくれるだろう。

 体づくりや素振りの成果は、まだはっきりしない。でもこの一年で、素振りの棒の手で握っているあたりが、目に見えるほどすり減ったのは、どこか満足感を感じる点だ。

 そんな一年が過ぎた時、来客があった。

 今まで、近くの村から何人か来客はあったけど、その客は全く違う。

 第一、服装が違う。

 こんな山奥では見たことがないほど立派な服装で、しかも女性だ。

「この子が、あなたの弟子なの?」

 その女性は夕方、挨拶もなしに小屋に入ってきて僕を見てそう言った。しかしパンターロの言葉ではない。シュタイナ王国の言葉だ。かろうじて聞き取れた。

 当の僕は立ち上がって直立の姿勢をしている。ミチヲがそういう教育もしているのだ。

「まだ子どもじゃないの」

「見込みはあるさ」

 少しも平静の様子を崩さず、ミチヲがやっぱりシュタイナ王国の言葉で応じる。二人は小屋の真ん中で向かい合って座り、しばらく黙っていた。僕はまだ立っている。

「座っていい」

 ミチヲに許されて、やっと座ることができた。これはパンターロの言葉。

「この人は、モエ・アサギという人だ」

「モエさん、ですか?」

「そう、俺の相棒みたいなものだ。今は首都で生活している」

 パンターロの首都のことだろうか。かなり離れていて、この女性がどうやってここまで来たのか、不思議に思えた。

 ちなみに山岳地帯の多いパンターロの領土の中でも、数少ない平地に首都はあると聞いている。行ったことはない。

「この子にどこまで話したの?」

 どうもモエはシュタイナ王国の言葉で話したいらしい。ミチヲは平然と同じ言語で返した。

「まだほとんど話していない」

「あなたが剣聖並みの使い手だって知っているわけ?」

「どうだろうね。知ってる?」

 こちらに話を振られても、困る。

「剣聖に追われていたと父に聞きました」

 我ながら聞き取りづらいだろうと思いつつ、シュタイナ王国の言葉で答えた。

 それに、彼は軽く頷いた。

「彼女は剣聖だ」

 ……え?

 聞き間違いかと思って、モエを見る。だって、彼女ってことは、女性はこの場に一人しかいないわけで。

 モエは剣を帯びているわけでもない。そもそも、服装だって、剣士のそれではない。

 でも、そうか、体つきは一般人とは少し違う。

「あなたが、剣聖?」

「昔ね。今はどうなっているかは、知らないわ」

「剣聖が、その、えっと、どうして、この国に?」

「逃げたの」

 逃げた?

 わからないことばかりだった。そんな僕を見かねたか、ミチヲが話し始めた。パンターロの言葉だったので、少し理解できそうだ。

「シュタイナ王国には、騎士学校というものがある。そこに入るには色々な道があるが、一つに、剣聖候補生になる、という道があるんだ。剣聖候補生は、基本的に剣聖が自ら認定し、それを受けた王国が、無条件で騎士学校へ入学させる。剣聖候補生は最低でも近衛騎士になる」

 モエは黙って聞いている。

「彼女は剣聖候補生になり、騎士学校に入学した。そして剣聖を倒して、剣聖の座に着いた。そう、剣聖は終身制で、常に挑戦を受けなければならない。だから、剣聖じゃなくなる人間はいない、とされている。剣聖でなくなる時は、死ぬ時だ。逆に言えば、剣聖になりたければ、剣聖に勝たなければいけない」

 全く知らない話だった。

 つまり目の前の女性は、剣聖の一角を倒したことになる。

 僕が凝視すると、モエが軽く肩をすくめた。意味はわからない。

「それで、俺は、彼女と逃げる羽目になって、ここまで流れてきた」

 いきなりものすごく端折られた気がするけど、追及することもできない。

「事情は、ええ、その、わかりましたけど」

 何を言っていいかわからないけど、口は動いた。

「モエさんは、今、何を?」

「首都で傭兵会社をやっているの。まぁ、パンターロは平和だから、出番は少ないけど」

 そんな返事が彼女からあった。

 僕が黙ったからか、モエが近況を話し始め、ミチヲも話している。二人が真っ先に確認したのは、シュタイナ王国からの追っ手のことだったけど、僕にはよくわからない。ミチヲは僕に講義する中で、パンターロの行政や軍について教えてくれたけど、まだシュタイナ王国の実際には内容が及んでいないからだ。

 二人の情報交換はお互いの経済状況や交友関係になる。この話でも、僕には知っていることが少ない。モエの方は様々な国の有力者の名前を挙げているけど、僕には半分もわからない。さすがに首長会議の議長の名前はわかったけど、目の前にいる普通の女性がそんな有力者を繋がってるとは、想像できなかった。

 しばらく二人が会話をし、落ち着くと、夕飯になった。

「田舎料理もたまにはいいわね」

 僕が作った夕飯への評価はそんな感じだった。

 二人は夜通し話をしていて、僕も付き合える限り、付き合った。滅多に出さないお酒まで出て、僕が眠ってしまい、翌朝、目が覚めた時も、二人は起きて話していた。シュタイナ王国の言葉なので、すべては理解できないけど、二人の信頼関係のようなものは、はっきり感じる。

 起き出して、僕は一人で走りに出た。いつも通りの道を駆けていく。斜面を上がり、跳ね、進んでいく。一年間、小屋の周囲を走り続けたので、もう迷うことはない。

 小屋に戻ると、モエとミチヲが外に出て棒を向け合っていた。

 僕は足を止めて、二人の様子を見る。

 次の瞬間、何が起こったか、わからなかった。

 二人の体が霞んだ、としかわからない。

 遅れて、空気が引き裂かれるような音が理解でき、それが高速で棒がやりとりされたことによる、と気づけた。

 二人の立ち位置が変わっていて、動きを止める。

 もう一度、見たい。

 そう思った僕に応えるかのように、二人がまた動いた。

 今度は見えた。動きを予測していたかもしれない。

 超高速の足捌きと連続攻撃。

 今度はより激しい音が鳴り、二人が持っている棒が同時に弾けて、バラバラになった。

 動きを止めた二人がゆっくりと息を吐き、お互いに笑みを見せたのが印象的だった。

「さすがに速いね」

 そんなことを言うミチヲに、モエが肩をすくめ、手に持っていた棒の端を放り捨てた。

「これから歩いて帰らなくちゃいけないのに、疲れたわ」

「村で馬を都合してもらおうか?」

「良いわ、たまには運動しなくちゃ」

 そんなことを言う二人が、ついさっきまで、超人的な技を使ったとは、とても思えなかった。

 ミチヲがこちらを見る。

「カイ、朝ご飯にしよう」

 僕は恐る恐る、小屋に向かった。

 初めて、ミチヲが怖いと感じた。




(続く)

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