3-2 見えた筋
ミチヲが両親と話し合っているのは、何度か見かけたけど、僕は近づけてもらえなかった。
その代わり、小屋の中に留め置かれることもなく、畑や山で、普通どおりに生活できるのは嬉しかった。
毎日のようにミチヲは小屋にやってきて、数時間は話をしていく。どういう話かは、やっぱりわからない。
以前と変わったことがあった。村の子ども達に、大人が剣術を教え始めた。前から十歳を超えると、暇があるものは剣術の稽古をしたけど、年齢の括りをやめて、仕事がないもの、もしくは、仕事を終えたものは、稽古の輪に加わる。
一度、僕の生活している小屋から出てきたミチヲが呼び止められ、先生役の大人に、剣術を見せてくれ、とせがまれた場面があった。
どうするのかな、と思うと、ミチヲは子どもの一人から木刀を受け取り、先生と向き合ったのだ。
無言である。先生もさすがに気づいたようだ。
どのようにでもかかってこい、と姿が如実に語っていた。
でもミチヲは構えもしていないのだ。ただ棒を手に下げている。
攻める気も受ける気もない、そう見えた。
どうするんだろう?
先生は木刀を構え、じりじりと間合いを測る。滑稽だったのは、先生の木刀とミチヲの木刀の長さが、まったく違うことだ。
倍ほども違う。つまり、先生の一撃が届く間合いでも、ミチヲの木刀はかすりもしない。
でもその木刀を選んだのはミチヲだ。それは先生も当然、考えただろう。
ミチヲには、その間合いの差をひっくり返す見込みがある。
それ故に先生も簡単には動けない。
僕はミチヲを注視した。
山賊を打ち払った剣術が見れる、と考えていた。
突然、先生が大声をあげた。気合いを入れたんだろうけど、打ちかかるには至らない。
一方のミチヲは無言。姿勢も変えない。
また間合いが変化し始める。先生の間合いは、すでに一撃を当てる距離だ。
それ以上進むと危ない、と僕は見ていた。
先生は今、確実に一撃を与えられる間合いになった。まだミチヲの木刀からは距離がある。あるけれど、それ以上の距離を詰めてしまうのは、どこか、危ない。
なんでだろう?
それは……先生が飛び込む瞬間に、ミチヲも踏み込んでくる?
両者が同時に動けば、間合いは一瞬でなくなる。
つまり、木刀の長さの差は、無意味になる。
それどころか、短い方が有利になる気さえする。
でもそれを先生に伝えるわけにもいかない。集中を乱すと思ったし、僕の感覚が正しいのかもわからなかった。
わずかにミチヲが姿勢を変えた。
誘いだと、後になればわかる。
先生が大きく踏み出し、木刀を振り上げて、一直線の打ち込み。
翻ったミチヲの影が、視界で踊った。
甲高い音ともに先生の木刀が宙に舞い、先生が尻餅をつく。その鼻先にミチヲの木刀が突きつけられた。
そして落ちてきた木刀を、ミチヲが片手で受け止めた。
子供たちが歓声をあげ、拍手する。ミチヲは軽く頭を下げ、そっと二本の木刀を地面に置いて、こちらを見た。
その時になって彼が少し目を丸くした。
僕は見返すしかない。
歓声も上げず、拍手もせず、僕は彼を見ていて、きっとそれが、変に印象的だったんだろう。
ミチヲが去って行って、稽古が再開されたけど、僕は稽古が終わるまで、別のことを考えていたし、小屋に帰って夕飯を食べ始めても、考え続けていた。
ミチヲは先生の木刀を跳ね飛ばした。
あれは、本気だったのか?
それがこの時の僕にはわからなかった。
だってあの瞬間、ミチヲは先生の木刀を狙わず、先生の首筋を打ち据えることができたように、僕には観察された。
本当の剣を持って向かい合っていたら、それで先生は死んでいる。
稽古でも、本気の木刀で首を打ち据えれば、死んでしまうだろう。
なら、あの木刀を跳ね飛ばしたミチヲの剣は、ただの演技、パフォーマンス、ということになる。
みんな、あの一撃の本当の怖さに、気づいていないのかな?
僕の父は剣術には詳しくなく、この質問をしても、答えがないことはわかっていた。
知っているのは、ミチヲだけだろう。
だから翌朝、仕事が早く終わったらミチヲのところへ行っていいのか、両親に訊いてみた。
父は難しい顔になり、母はどこか悲壮だったけど、行っていい、と認めてくれた。
その日は急いで薪割りと畑の手入れを済ませ、ミチヲの小屋に向かった。同じ村で三歳年上の少年が、念のために、とついてきた。
二人で山の中のかろうじて見分けがつく道を進み、急勾配の斜面にある小屋にたどり着くと、まるで僕たちが来るのを知っていたようがミチヲが外に出てきた。
「話は歩きながら聞くよ。薪を探しながら」
そうして三人で森の中に入り、薪を拾いつつ、僕はミチヲに昨日の夜、考えたことを話した。
「木刀を跳ね上げた意味は?」
「意味? 意味はない」
「じゃあ、理由」
「理由か。お前は少し、理屈っぽいな」
ミチヲはそう言って笑ったので、僕はちょっとムッとした。
「だって、あそこで木刀を吹っ飛ばしても、意味がないと思う。先生を倒せたんじゃないの?」
「詳しく話してみて」
こちらを見もせずミチヲが促してくる。考えていたことを、短くするのに少し考える時間が必要だった。
「木刀を飛ばす前に、先生の首を飛ばせた」
自分で言っておきながら、過激すぎたな、と思った。実際、お目付役の少年が動きを止めて、こちらを驚いた表情で見ている。
でもミチヲは軽く頷くだけだ。
「勘違いですか?」
「事実だ。よく見ていたと思う」
その言葉で、僕の考えが正しかったことがわかった。
これで、僕の目的は、達成されたことになる。
ミチヲが何も話そうとしないので、黙って薪を拾うのも機会を無駄にする、という考えのもと、僕はミチヲの過去について尋ねてみた。
「ご両親は何も言っていなかった?」
そんなことを言われて、「何も」と答えるしかない。そうか、小屋にやってきて、そんな話にもなったんだろう。
「ミチヲは、どこから来たの?」
「シュタイナ王国だ」
「元は剣士だった?」
「剣士という職業はないけど、剣を取っていたのは事実だな。傭兵だった」
「傭兵?」
「金で雇われる兵士だ」
その言葉に、僕はあまり興味を惹かれなかったけど、一緒の少年が歓声をあげた。
「剣術で生活するなんて、かっこいいなぁ」
そんなことを言うと、ミチヲは微かに笑ったようだった。
「命がけだぞ。剣で生きるっていうのは、そういうものさ」
そんな話をしているうちに、薪も集まり、小屋に一度、戻った。
「カイ、確認したいことがある」
僕たちが帰ろうとすると、ミチヲがそう言って呼び止めた。
「何?」
「剣術をやる気はあるか?」
剣術?
「今でも村でやっているよ」
「本気でやるか、ということだよ」
本気? どういうことだろう?
すぐには連想が働かなくて、適当に答えるしかなかった。
「考えておく。仕事も忙しいし」
ミチヲは苦笑いして、「また会おう」と小屋に入っていった。
帰り道、一緒の少年が僕の肩を叩いた。
「なんだよ?」
「お前、さっきのあれは、お前を弟子にしたい、っことじゃないのか?」
「え? そんなことはないと思うけど」
弟子にしたい?
本気で剣術をやるっていうのは、ミチヲから指導を受ける、ってことなのかな。
「でも、お父さんもお母さんも許さないよ」
「惜しいよなぁ」
そんなことを言いながら、村に着いてそれぞれに家に帰った。
両親が待ち構えていて、いろいろ聞かれたけど、剣術をやるか誘われたことは、黙っていた。話したのは、この前の剣術の稽古で、先生は本当なら死んでいた、ということがわかった、ということだけど、それだけで、母が泣き崩れて、びっくりした。父は無言だ。
ものすごく気まずいまま、その日は眠って、翌朝も空気は変わっていなかった。でも仕事をする必要はあるし、天気も良かった。
そうこうして、数日が過ぎて、またミチヲがやってきた。
僕は例によって外に出されるのかな、と思ったらが、逆に小屋の中に来るように、父に言われた。
初めて両親と三人で、ミチヲと向かい合った。
「お子さんを、悪いようにはしないつもりです」
前置きもなく、ミチヲがそういうと、母が叫ぶように言った。
「当たり前です! そんな、当たり前です!」
「お子さんには才能がある。いえ、才能があると思う」
「そんな曖昧なもので、この子をあなたに預けろと?」
父の声はいつもより低くて、攻撃的な意志が伺えた。
それでにもミチヲは動じない。
「本人の努力が全てです。私はそれを支え、導くだけです。どこへ進むか、どこまで進むかは、彼が決めるでしょう」
「そんな、無責任な……」
「誰にも人の命に責任を持つことはできません」
ミチヲがそういうと、母は泣き始め、父は黙った。
僕とミチヲだけが、平然とお互いを見ていた。
無言の時間が続き、ミチヲは軽く頭を下げた。
「ご家族で、考えていただけますか? 私は所詮は流れ者です。お気になさらず」
小屋から出て行くミチヲを見送る僕を、母親が強く抱きしめた。
(続く)