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剣聖と剣聖  作者: 和泉茉樹
第1部 失われた剣聖の誕生
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1-2 剣聖候補生

     ◆


 葬式は葬式とも言えないものだった。

 まず父さんの体はぺしゃんこになっていて、発掘されても体はないも同然とのことだったので、遺体がないままの葬式になった。

 次に僧侶を呼ぶこともできなかった。

 村人の中の何人かが来たけれど、何も振る舞えなかったし、彼らは一様に、どこに祈りを捧げるべきか、混乱した。

 僕は適当な木から十字架を作り、そこになけなしの香を添えた。それからは弔問客はそこに頭を下げるようになった。

 母さんが気を取り直して主張したのは、香典を受け取らない、ということだった。

 これには村人達も困惑していた。

 しかし母さんは、香典をもらっても返すことできないから、という自説を曲げず、僕もそれを受け入れた。

 まぁ、別に構わないじゃないか。

 必要なお金といえば、やってくる村人に出すお茶のお金くらいのものだ。墓地に遺体を埋めるための金も必要ないし、遺体を入れる棺もいらないんだ。

 簡素過ぎる葬式らしいものは一日で終わり、日常が回復した。

 回復したけど、実際は非常に難しくもある。

 父さんからの仕送りが途絶えたので、僕と母さんの生活は、さらなる節約が必要になる。

 鉱山会社からは、見舞金が送られてくることになっているけど、それで何年も暮らすのは不可能だ。

 これはどうやら、僕も十六歳を前にして鉱山に行く必要があるかもしれない。

 父さんの訃報を受けてから一週間くらいが過ぎて、夕方、畑を離れようとすると、車輪が回る軽い音を響かせて、モエが自転車でやってきた。

「ミチヲ、お疲れさま」

「うん、ありがとう」

「これ、ノートね」

 受け取ったノートを包みに押し込み、僕は家に向かう。横に、自転車を押すモエが並んだ。

「お父さん、残念だったね」

 残念だった、という表現が、どこか可笑しくて、おもわず笑ってしまった。

「笑い事じゃないよ」さすがにモエもムッとしていた。「これからどうするの?」

「ここで生きるか、そうじゃなければ、鉱山に行く」

「私、ミチヲが死ぬのは、嫌よ」

「運に任せるしかないね」

 そんなことを言いながら、二人で歩いた。

「これはまだはっきりしないんだけど」

 少しモエが声を潜めたので、僕も耳を澄ませた。遠くで蝉が鳴き始めている。

「剣聖が、すぐ近くまでくるらしいの」

「剣聖?」

 おもわず声が裏返ってしまった。

 シュタイナ王国の王を守ることが任務であるとされる、剣聖。

 全部で十三人が任命される。特別な騎士だ。

 どんな閣僚、どんな官僚よりも強い権限を持つ、高貴な存在。

 でも、僕には全く縁がない。

「剣聖が来ても、何も変わらないよ」

 僕は冷静さを取り戻し、指摘する。

「剣聖は剣聖候補生を探しているんであって、貧乏小作人を探しているわけじゃない」

「それはそうだけど、私はその候補生になりたいの」

 足を止めるほど、驚いた。

 そう、剣聖は定期的に、高い才能のある子供を探している。地方を回るのも、そのためだ。剣聖に見出された少年少女が、剣聖候補生で、これもまた特別である。

 でも、なんでモエが?

「剣聖候補生に? モエが? なんで?」

「いいじゃないの、私でも」

 彼女はさも当然のように胸を張った。

 彼女は見るからにおとなしそうで、剣術なんて使えそうにない。

「あ、疑っているな。これを見てよ」

 僕の心を読んだように、彼女が自転車を寝かすと、こちらに両方の手のひらを向けた。

 その手には、いくつもタコがある。

 僕と一緒だった。

「誰に習っているの?」

「タツヤのところの先生よ。私、筋が良いらしいの」

 そうか……。

 僕は何も言えず、頷くしかできなかった。

 ちなみにモエの家はこの村の保安官で、父親が今はその任務に就いている。母親は専業主婦だったはずだ。

 恵まれた人間と恵まれた人間が関係を持って、貧しい人間は貧しいままになる。

 機会すらも奪われて、いずれは、人知れず死んでいく。

 それじゃあ、僕って、なんで生きているんだ?

「私、王都に行きたいわ。剣聖候補生になれば、年齢も経歴も性別も出身地も、全部無視して騎士学校に入れるんだもの」

 僕はまだ複雑で、どんよりとした気持ちを脱していなかった。

「うまくいくといいね」

 どうにかそれだけ、口に出した。

 途中でモエと別れて、家まで走った。走っても意味はない、ただ、走りたかっただけ。

 全てを置き去りにして、走りたかった。

 家に帰ると、母さんが床に倒れていて、びっくりした。血の気が引いて、かけ寄り、抱え起す。呼吸が浅く、そして小刻みだ。

 どうにか寝台に運んで、僕はまた家を飛び出した。医者を呼ばないと!

 今度は本気で走った。村の真ん中にある病院に駆け込むと、医者は渋い顔になった。待合室には二人の男女がいる。

「待っている人がいるのでね、待ってくれよ」

 待つしかなかった。

 待合室で不安に苛まれながら、僕は時計を睨んでいた。

 結局、医者が病院を出るまで三十分が無駄に過ぎた。家にたどり着くまでに、二十分がさらに浪費される。

「人力車でも呼んで欲しいものだよ」

 人力車や馬車を雇えば、医者に治療費を払えない。

 僕はどうにかその言葉を飲み込んだ。

 母さんの命さえ助かるならいくらでも金を払える、とすら言えないのが、僕が置かれている本当の貧しさだった。

 医者は家に汗だくでたどり着き、その時にはもう日が暮れていた。

 母さんは寝台の上で唸っており、医者は手早く診察をすませると、注射器で何かの液体を腕に注射し、粉薬を鞄から取り出し、僕に押し付けた。

「毎朝、これを一包ずつ、飲ませなさい。あとは、幸運を願うしかない」

 僕は診察料と薬の料金を払い、医者を見送った。

 何もかもを忘れるように、僕は一心に棒を振って、剣術の稽古をした。

 翌朝、母さんはもう落ち着いていた。目が覚めたところで、僕は少量の粥を食べさせ、医者からもらった薬を飲ませた。

「ごめんね、ミチヲ、ごめんね……」

 僕は無言で母さんの背中を撫でた。

 畑に行くと、麦は何の問題もなかったが、野菜には異常があった。

 畑の五分の一ほどが荒らされて、めちゃくちゃになっている。

 動物のやったことじゃないのは明らかだ。いや、動物といえば動物だけど。

 僕は畑に残る足跡をよくよく観察し、それが大人のそれではないと知った。それもそうだ、大人はこんなことはしない。

 仕方なく、そこを片付け、秋のための畑に鍬を入れる作業をする。

 お昼ご飯を食べていると、タツヤとその仲間がやってきた。

「へいへい、ミチヲ。元気かい?」

 僕は何も言わずに微笑んでみせる。

 微笑みながら、彼らの足元をそれとなく見る。全員の靴が泥で汚れていた。

「不味そうなものを食っているな、ミチヲ。もっと野菜を食った方がいいぜ」

 連中がゲラゲラ笑いだす。

 周囲にいる老人たちは無言で、目を伏せている。彼らも地主の子どもにはなにも言えないのだった。

 何もかもが間違っている。

 僕は咄嗟にそう思った。

 何が正しいのか、誰もが見失っている。

 僕は反射的に足元に落ちていた石に手を伸ばした。指先が触れる。

 でもそれを握り込むことはなかった。

「俺たちは学校があるんでね、暇じゃないんだ。農作業、頑張ってくれたまえ」

 タツヤたちは去って行った。

 噛み締めていた歯が砕けそうだった。

 午後の仕事の最中は、とにかく、色々なことを考えた。

 僕も王都へ行きたい。王都へ行けば、こんな仕事をしないで済む。

 剣聖候補生か。

 確か、騎士学校は試験こそ厳しいけど、入ってしまえば学費はいらないと聞いている。

 その難しい試験が、剣聖候補生には、ないのだ。

 いいことずくめだ。

 でも、もし僕が剣聖候補生になって、この村を出て行ったら、母さんはどうなる?

 働けなくて、寝込みがちで、どうやって生きて行く?

 それを考えると、僕はまるで自分の足がこの不愉快で、救いのない村に縛り付けられているような気がする。

 絶対に解くことのできない、絶対の束縛。

 母さんに早く死んでほしい。

 そう思った瞬間、ぞっとした。

 自分はなんて、ひどい人間なんだろう。

 こんな人間が、剣聖候補生になれるわけがない。

 ひときわ強く、叩きつけるように鍬を振るった。

 日が暮れてから家に帰ると、母さんはまだ寝台に横になっていた。

 自分の料理を作り、パンを焼いた。一週間は保つけど、味は悪い。でも仕方ない。

 剣術の稽古をして家に戻ると、母さんが横になったまま、こちらを見た。

 その目尻から涙が一筋、確かに、流れた。

 僕は無言に頷いて、まるで涙を隠すように明かりを消すと、布団に入った。

 このくそったれで、馬鹿げた村から、どうやったら逃げ出せるだろう。

 母さんを連れて逃げる?

 それで、どうなる?

 結局、答えが出ないまま夜が更け、僕は眠った。



(続く)







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