1-2 剣聖候補生
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葬式は葬式とも言えないものだった。
まず父さんの体はぺしゃんこになっていて、発掘されても体はないも同然とのことだったので、遺体がないままの葬式になった。
次に僧侶を呼ぶこともできなかった。
村人の中の何人かが来たけれど、何も振る舞えなかったし、彼らは一様に、どこに祈りを捧げるべきか、混乱した。
僕は適当な木から十字架を作り、そこになけなしの香を添えた。それからは弔問客はそこに頭を下げるようになった。
母さんが気を取り直して主張したのは、香典を受け取らない、ということだった。
これには村人達も困惑していた。
しかし母さんは、香典をもらっても返すことできないから、という自説を曲げず、僕もそれを受け入れた。
まぁ、別に構わないじゃないか。
必要なお金といえば、やってくる村人に出すお茶のお金くらいのものだ。墓地に遺体を埋めるための金も必要ないし、遺体を入れる棺もいらないんだ。
簡素過ぎる葬式らしいものは一日で終わり、日常が回復した。
回復したけど、実際は非常に難しくもある。
父さんからの仕送りが途絶えたので、僕と母さんの生活は、さらなる節約が必要になる。
鉱山会社からは、見舞金が送られてくることになっているけど、それで何年も暮らすのは不可能だ。
これはどうやら、僕も十六歳を前にして鉱山に行く必要があるかもしれない。
父さんの訃報を受けてから一週間くらいが過ぎて、夕方、畑を離れようとすると、車輪が回る軽い音を響かせて、モエが自転車でやってきた。
「ミチヲ、お疲れさま」
「うん、ありがとう」
「これ、ノートね」
受け取ったノートを包みに押し込み、僕は家に向かう。横に、自転車を押すモエが並んだ。
「お父さん、残念だったね」
残念だった、という表現が、どこか可笑しくて、おもわず笑ってしまった。
「笑い事じゃないよ」さすがにモエもムッとしていた。「これからどうするの?」
「ここで生きるか、そうじゃなければ、鉱山に行く」
「私、ミチヲが死ぬのは、嫌よ」
「運に任せるしかないね」
そんなことを言いながら、二人で歩いた。
「これはまだはっきりしないんだけど」
少しモエが声を潜めたので、僕も耳を澄ませた。遠くで蝉が鳴き始めている。
「剣聖が、すぐ近くまでくるらしいの」
「剣聖?」
おもわず声が裏返ってしまった。
シュタイナ王国の王を守ることが任務であるとされる、剣聖。
全部で十三人が任命される。特別な騎士だ。
どんな閣僚、どんな官僚よりも強い権限を持つ、高貴な存在。
でも、僕には全く縁がない。
「剣聖が来ても、何も変わらないよ」
僕は冷静さを取り戻し、指摘する。
「剣聖は剣聖候補生を探しているんであって、貧乏小作人を探しているわけじゃない」
「それはそうだけど、私はその候補生になりたいの」
足を止めるほど、驚いた。
そう、剣聖は定期的に、高い才能のある子供を探している。地方を回るのも、そのためだ。剣聖に見出された少年少女が、剣聖候補生で、これもまた特別である。
でも、なんでモエが?
「剣聖候補生に? モエが? なんで?」
「いいじゃないの、私でも」
彼女はさも当然のように胸を張った。
彼女は見るからにおとなしそうで、剣術なんて使えそうにない。
「あ、疑っているな。これを見てよ」
僕の心を読んだように、彼女が自転車を寝かすと、こちらに両方の手のひらを向けた。
その手には、いくつもタコがある。
僕と一緒だった。
「誰に習っているの?」
「タツヤのところの先生よ。私、筋が良いらしいの」
そうか……。
僕は何も言えず、頷くしかできなかった。
ちなみにモエの家はこの村の保安官で、父親が今はその任務に就いている。母親は専業主婦だったはずだ。
恵まれた人間と恵まれた人間が関係を持って、貧しい人間は貧しいままになる。
機会すらも奪われて、いずれは、人知れず死んでいく。
それじゃあ、僕って、なんで生きているんだ?
「私、王都に行きたいわ。剣聖候補生になれば、年齢も経歴も性別も出身地も、全部無視して騎士学校に入れるんだもの」
僕はまだ複雑で、どんよりとした気持ちを脱していなかった。
「うまくいくといいね」
どうにかそれだけ、口に出した。
途中でモエと別れて、家まで走った。走っても意味はない、ただ、走りたかっただけ。
全てを置き去りにして、走りたかった。
家に帰ると、母さんが床に倒れていて、びっくりした。血の気が引いて、かけ寄り、抱え起す。呼吸が浅く、そして小刻みだ。
どうにか寝台に運んで、僕はまた家を飛び出した。医者を呼ばないと!
今度は本気で走った。村の真ん中にある病院に駆け込むと、医者は渋い顔になった。待合室には二人の男女がいる。
「待っている人がいるのでね、待ってくれよ」
待つしかなかった。
待合室で不安に苛まれながら、僕は時計を睨んでいた。
結局、医者が病院を出るまで三十分が無駄に過ぎた。家にたどり着くまでに、二十分がさらに浪費される。
「人力車でも呼んで欲しいものだよ」
人力車や馬車を雇えば、医者に治療費を払えない。
僕はどうにかその言葉を飲み込んだ。
母さんの命さえ助かるならいくらでも金を払える、とすら言えないのが、僕が置かれている本当の貧しさだった。
医者は家に汗だくでたどり着き、その時にはもう日が暮れていた。
母さんは寝台の上で唸っており、医者は手早く診察をすませると、注射器で何かの液体を腕に注射し、粉薬を鞄から取り出し、僕に押し付けた。
「毎朝、これを一包ずつ、飲ませなさい。あとは、幸運を願うしかない」
僕は診察料と薬の料金を払い、医者を見送った。
何もかもを忘れるように、僕は一心に棒を振って、剣術の稽古をした。
翌朝、母さんはもう落ち着いていた。目が覚めたところで、僕は少量の粥を食べさせ、医者からもらった薬を飲ませた。
「ごめんね、ミチヲ、ごめんね……」
僕は無言で母さんの背中を撫でた。
畑に行くと、麦は何の問題もなかったが、野菜には異常があった。
畑の五分の一ほどが荒らされて、めちゃくちゃになっている。
動物のやったことじゃないのは明らかだ。いや、動物といえば動物だけど。
僕は畑に残る足跡をよくよく観察し、それが大人のそれではないと知った。それもそうだ、大人はこんなことはしない。
仕方なく、そこを片付け、秋のための畑に鍬を入れる作業をする。
お昼ご飯を食べていると、タツヤとその仲間がやってきた。
「へいへい、ミチヲ。元気かい?」
僕は何も言わずに微笑んでみせる。
微笑みながら、彼らの足元をそれとなく見る。全員の靴が泥で汚れていた。
「不味そうなものを食っているな、ミチヲ。もっと野菜を食った方がいいぜ」
連中がゲラゲラ笑いだす。
周囲にいる老人たちは無言で、目を伏せている。彼らも地主の子どもにはなにも言えないのだった。
何もかもが間違っている。
僕は咄嗟にそう思った。
何が正しいのか、誰もが見失っている。
僕は反射的に足元に落ちていた石に手を伸ばした。指先が触れる。
でもそれを握り込むことはなかった。
「俺たちは学校があるんでね、暇じゃないんだ。農作業、頑張ってくれたまえ」
タツヤたちは去って行った。
噛み締めていた歯が砕けそうだった。
午後の仕事の最中は、とにかく、色々なことを考えた。
僕も王都へ行きたい。王都へ行けば、こんな仕事をしないで済む。
剣聖候補生か。
確か、騎士学校は試験こそ厳しいけど、入ってしまえば学費はいらないと聞いている。
その難しい試験が、剣聖候補生には、ないのだ。
いいことずくめだ。
でも、もし僕が剣聖候補生になって、この村を出て行ったら、母さんはどうなる?
働けなくて、寝込みがちで、どうやって生きて行く?
それを考えると、僕はまるで自分の足がこの不愉快で、救いのない村に縛り付けられているような気がする。
絶対に解くことのできない、絶対の束縛。
母さんに早く死んでほしい。
そう思った瞬間、ぞっとした。
自分はなんて、ひどい人間なんだろう。
こんな人間が、剣聖候補生になれるわけがない。
ひときわ強く、叩きつけるように鍬を振るった。
日が暮れてから家に帰ると、母さんはまだ寝台に横になっていた。
自分の料理を作り、パンを焼いた。一週間は保つけど、味は悪い。でも仕方ない。
剣術の稽古をして家に戻ると、母さんが横になったまま、こちらを見た。
その目尻から涙が一筋、確かに、流れた。
僕は無言に頷いて、まるで涙を隠すように明かりを消すと、布団に入った。
このくそったれで、馬鹿げた村から、どうやったら逃げ出せるだろう。
母さんを連れて逃げる?
それで、どうなる?
結局、答えが出ないまま夜が更け、僕は眠った。
(続く)