2-8 異質な存在
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アンギラスでも放火は重罪である。
しかし今、この村では三箇所ほどで火の手が上がっている。
いつかのようなミチヲとモエへの襲撃と違うのは、火の勢いが強いことと、場合によっては村全体が火に包まれるような気配である。
僕は一足に二人が部屋を取った宿へ向かった。燃えてはいないが、外で店のものが客を誘導している。宿にも炎が及ぶ、と思っているのだろう。
ちょうどミチヲとモエが出てきた。今回は荷物を持つ余裕があったようだ。
警告しようとした。
しかし実際にはそれは間に合わなかった。
銀色の弧が火の赤い光を跳ね返す。
一瞬だった。
モエの眼の前で、若い男が倒れる。村人のような服装だが、手には黒塗りの剣があった。
しかし、寸前まで僕ですら、襲撃者の接近に気付かなかった。
宿の店員が目を丸くしたが、店員が体を震わせた時、その胸にやはり黒塗りの短剣が生えていた。
血に濡れている。背中から突き通されたのだ。
すでにミチヲとモエを五人が包囲していた。
二人は荷物を捨て、臨戦態勢である。
僕に気づくと、ミチヲがかすかに首を振った。なので僕はそっと、近くの家の陰に隠れた。野次馬はいない。ほとんどの村人が火から逃れようとしている。
二人を囲んでいる五人は、服装が村人でも、今の姿勢、体つきは、普通ではない。
殺気はほとんどなかった。
静かで、動きもない。
五人の姿が流れるように動いた。
三人がミチヲに、二人がモエに。
モエの剣が閃く。
二人が距離をとるが、片方は腕を切られていた。
ミチヲの方はもっと悲惨だ。
完全に見切っていたミチヲの反撃を受け、二人が倒れこみ、一人だけが後退したものの、その胸からボトボトッと血が落ちたかと思うと、その場で倒れた。
五人はあっという間に二人になった。
「素晴らしい冴えですな」
言いながら、二人のすぐそばに立ったのは、フカミだった。
モエは彼の顔を知っている。すぐに表情が変わった。
「死の剣聖よ」
彼女の口がそう動いた。ミチヲは堂々と、フカミへと歩み寄った。
「剣術比べと行くかね」
剣を抜いたフカミも、間合いを詰める。
お互いの剣の間合い。
ほとんど一つに聞こえる剣と剣の衝突音。
十二弦の振りはまったくの互角。
そこからフカミは、波紋の攻めと十二弦の振りの合わせ技、連鎖の剣を繰り出す。
不規則な連続攻撃を、ミチヲは大樹の構えで対抗する。
「では、これはどうかな」
和音の歩法の連続と組み合わせた雷光の突き。モエほどではないが、フカミの突きは超高速。
今度はミチヲの方が波紋の受けを繰り出し、全ての突きを跳ね返した。
瞬間、強烈な怒号、いや、気迫がフカミの口から発せられた。
獅子吼、と呼ばれる、気迫で相手をひるませる、小手先の技。ただし剣聖が使えば、大抵の人間が萎縮する威力はある。
もちろん、ミチヲは動じないが、そこへ踏み込んだフカミが、小刻みな連続攻撃、波濤を繰り出し、それをさらに加速させ、火花の舞、と呼ばれる超高速連続攻撃へ移行。
ミチヲの受けが不完全になり、体のそこここに傷ができ、血が舞った。
受けをやめて、攻め合いになる。
ミチヲが以前、僕に説明してくれた雷撃の域を繰り出す。
これは、波紋の受けと波紋の攻めを、さらに高速にしたものだ。
しかもこれに和音の歩法を組み合わせ、ミチヲの体がフカミの側面に回り込みつつ、不規則な波の軌道で寄せては返し、寄せては返しを繰り返す。
二人が飛び離れて、間合いができる。
「これほどの使い手にあったことはない」
言いながら、フカミが頬を手の甲で拭った。そこには血がべったりとついている。
ミチヲの方は、首を軽く手で押さえ、その手が血に濡れているのを見ると、軽く手を払った。
「こちらも同じ意見だな。さすがに剣聖一の剣術の達人には、無傷じゃ済まない」
「こちらは殺すつもりでしたがね」
「ソラの方が強かったよ」
すでに周囲に村人の姿はない。
いや、あることはある。三人を囲んでいる村人が四人。
だがこれは、村人ではない。
フカミが連れてきた兵士だった。査問部隊よりも強力な使い手が集められる、暗殺部隊。本来は国外で活動しないが、フカミは、査問部隊では力不足と見たのだろう。
「一人で相手をするつもりかな?」
じっとフカミがモエを見ると、ミチヲはちらっと彼女を見た。
「ややこしいから、終わりにするよ」
あっさりとミチヲはそういうと、モエと一緒に即座に間合いを詰めた。
これには、フカミは対抗できなかった。
ミチヲが短剣も抜き、二十四弦の振りを繰り出す。これをフカミはよく凌いだ。並の使い手なら、惨殺されている。
しかし、防ぐだけで手いっぱいだ。
側面に幻のように出現したモエの手が霞む。
ミチヲとモエがわずかに距離を置いた時、フカミの首がぐらりと傾き、そのまま地面に落ちた。
鮮やかすぎる一撃だった。
ただ、逆にフカミの手応えのなさは、二人の警戒を買ったようだ。
それもそうだ。あっさりとやられすぎている。
立ち尽くしているフカミの首なし死体を、訝しげに見ている二人に、僕は叫んでいた。
「切り刻むんだ!」
ミチヲがこちらを見ようとした時、それは始まった。
死体が動き、首を拾い上げると、生首と胴の傷口を合わせたのだ。
「早すぎますな」
フカミが、平然と喋る。
「不死という噂は、本当ね」
モエの手が閃く。
今度は容赦なかった。
連続する居合が、フカミの体を十の塊に分解する。
暗殺部隊が気を取り直して、迫ってくるのを跳ね返しつつ、二人は火に包まれている村から、逃げて行った。
僕は地面に転がっているフカミの体に歩み寄った。
僕が見ている前で、その死体がドロリとした液体になると、そのまま一塊になり、その塊が人の形を取り戻した。暗殺部隊で近くにいた二人の兵士が、顔を青白くさせている。
復活した全裸のフカミは、老人の姿ではなく、十代の青年のそれだ。
「やれやれですな」
声まで変わっている。
パッとフカミが手を振ると、指先から何かが飛び、それは生き残りの暗殺部隊の兵士の額に、穴を作った。二人が間をおかずに倒れ、動かなくなる。
口封じだ。
「あの二人に情が移りましたか? 筆頭剣聖」
「少なくとも、どこかの化け物よりは、情を持てるね」
新生したフカミがニヤリと笑う。
「化け物を殺してみますか?」
「敵になったらな、殺してやるよ」
「楽しみにしていますよ、その時を」
自分で倒した暗殺部隊員の身ぐるみを剥ぎつつ、フカミは口を止めない。
「それで、彼らのことをどうするつもりです」
「このまま、どこかへ逃げたことにするさ。お前が来たのは、いい機会だ。暗殺部隊の損失が、やや大きいがな」
「実際、あれほどとは思いませんでしたな」
やっと服を着たフカミが肩をすくめる。
「ミチヲが相当な使い手になるのは、予測していたのですが、あの小娘も、なかなか、やりますな」
「なんだ、わざと攻撃を受けたんじゃないのか?」
「三回、あるいは四回なら受けられたでしょうな。それ以後はさすがに、動きが追いつかない。小娘なりに考えたのでしょう。こちらをまず動けなくする、そういう打ち込みから入っていく」
僕はモエと真剣に剣を合わせたことはなかった。
今のフカミの発言は、彼女にも剣聖としての力がある、と認めていることになる。
「一つの村から、しかも同い年で、二人の剣聖が出るとはな」
「二人ではありませんよ、一人です」
自分の剣を手に取り、その刃をまだ燃えている家の火の明かりにかざす。
「もう一人はさながら、忘れられた剣聖、とでも呼ぶべきでしょう」
「今度は俺とカナタで当たるさ。本当に処刑しなければならなければ」
「小娘を切るためには、あの若造を切らなくてはいけないでしょうな」
じっとフカミは剣を見ている。
「剣の道は、深く、長いものですな」
僕は何も言わずに、フカミが剣を納めるまで、その刃を遠くから見ていた。
(続く)