2-7 剣術
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結局、ミチヲとモエと、一ヶ月も過ごしてしまった。
その間に十回ほど、正体不明の武装集団の攻撃を受け、主にミチヲがこれをことごとく撃退した。
僕は可能な限り関わらないようにして、一人も切らなかった。
この間、部下を周囲に走らせて、ミチヲを狙っている組織を調べさせようとしたが、さすがにシュタイナ王国ではないので、部下たちもすぐに成果を出せない。
アンギラスの警察や軍に、それとなく通報したが、彼らが動いている実感はない。
さて。
この一ヶ月の間に、ミチヲとはそれなりに親しくなった。
彼の剣の冴えは異常と言っても問題ない。
とにかく、相手を最短距離で切っていることが、僕にははっきりとわかった。
ただ、際どい場面も多い。
剣と剣が交錯し、ミチヲの剣が相手を命を奪う一方、相手の剣がミチヲを傷つけることがあるのだ。
多分、それもあって片目を失ったのだろう、と僕は考えていた。
モエの剣はそれほど見る機会がないが、しかし彼女も相当な使い手だ。
剣を抜きたがらないのは、自信がないのか、と最初は思っていた。
しかし彼女も剣を抜くときがある。
ただし、剣は見えない。
彼女が使っているのは居合だ。ものすごい速さの抜き打ちの後、一瞬、光を反射するだけで、もう鞘に戻っている。
彼女は剣聖だった時から、剣の速さ、鋭さには定評があった。
今でも覚えているが、彼女は前任の剣聖を切った時、相手に攻めさせるだけ攻めさせ、最後は居合の一撃で決着をつけた。
剣聖たちの間では、体力を温存して相手の疲れを待った、などと表現され、卑怯者だとも言われたが、僕は違う考えだった。
モエは一撃で決めるつもりで、そのために隙を待っただけのこと。
あの決闘の後、僕とカナタは詳細にモエの剣術を分析し、対応策を練った。
精神剣の使い手が最も注意するべきことは、精神剣が発現するまでのわずかな時間であり、ここを突かれると、最強の剣でも最強の盾でも、意味がない。
結論としては、モエの剣の鋭さには対応できる、というところに落ち着いたと覚えている。
しかし今の状況を見れば、その結論は意味がない。
モエの剣の速さは、あまりに速い。
剣を売り払ったのは事実だろうけど、彼女が今、持っている剣は、彼女の抜き打ちに合わせて作られているのに、やっと気づけた。
この一ヶ月は充実していた、と言える。
シュタイナ王国にいても出会えない剣術が、ただの二人の剣士から、いくつも現れたのだ。
ミチヲとは三度ほど、立ち合う機会があった。
最初の二回は剣を手にとって、僕は殺すつもりで向かっていった。
どうやらミチヲは別の心算だったらしい。
見せてくれた剣術の一つに、大樹の構え、というものがある。
これはほとんどその場から体を動かすことなく、相手の攻勢を受け止める技で、僕も噂程度しか知らなかった。
僕は手加減なしなので、十二弦の振りで襲いかかり、それを崩しとして、四弦の振りを本命として繰り出した。
とんでもなかった。
ミチヲは左手の剣だけで十二連撃をほとんどその場を動かずに弾き返したが、ここで僕には予定外の事態が起こった。
迎撃が強烈すぎて、こちらが微かに姿勢を乱した。
よろめくほどではなく、ただ重心が揺れた程度だ。
だが、それだけで詰めの四連撃はほとんど空振りに終わった。
即座に姿勢を整え、同じことを繰り返した。
本当に繰り返すことになった。全く同じ展開が出現する。
やはり重心が崩れ、間合いを支配されてしまう。
次は音階の歩法を駆使して、高速移動から不意を打とうとしたが、ミチヲはいつかのように、視線を向けることなく、大樹の構えのまま、こちらの連続攻撃を相殺した。
「何をやっているんだ……?」
思わず尋ねると、ミチヲは笑いながら、
「ただの剣術だよ」
と、答えた。
剣術? まるで奇跡だ。
三回目の立ち合いでは、僕は構わずに精神剣を繰り出した。
不可視の力の流れがミチヲに襲いかかり、彼は一転、逃げを打った。歩法も何もない、必死の回避で精神剣を躱していく。
服が傷つき、血さえも飛び散るが、ミチヲに致命傷が与えられない。
これではいつかのモエと同じだ、と気付いた。
こちらばかりが疲弊し、隙を突かれる。
しかし勝負を決めてしまえばいい、というのが道理だ。
なのに、決定的な一撃が、繰り出せない。
精神剣にはいくつかの要素があり、攻撃力であり防御力である物理的な力と、もう一つは空間の支配とも呼ばれるものだ。
空間の支配は、僕の精神剣の力が及んでいる空間では、その空間で起こる全てを把握できる。
ミチヲの体が次にどう動こうとしているのか、までわかるのだ。
わかるのに、致命傷を避けられてしまう。
全くわからなかった。ありえないことだ。
こちらは決定的な位置、回避不可能な位置に攻撃をしているのに、なんで避けられる?
精神剣を収めると、ミチヲも逃げるのをやめた。お互いに息が上がっている。
「ありえない……」
思わず心の内が言葉になって出ていた。
「でもこれが、現実だよ」
ミチヲが袖で額を拭うと、彼の腕からの血がべったりの額についた。
「どうやって避けているのか、教えてくれ」
「秘密だよ」
この点に関して、ミチヲのガードはかなりきつい。
モエが歩み寄ってきて、ミチヲに手ぬぐいを投げた。こちらにも一枚、投げてきたので受け取った。
そこで、一つの可能性に行き着いた。
「見えているのか?」
「いや、見えはしない」
含みのある返事だ。それが逆に、答えをはっきりさせた。
「感じ取れる?」
「その通り。詳細は不明だがね」
感じ取れる……。
見えないということは、視覚的な感覚ではない。
つまり、精神剣における空間の支配のようなものか?
ミチヲの動きは人間の限界に近いが、機能を超越してはいない。
避けているのは、純粋な感覚能力、運動能力、機動力から来るわけではないはずだ。
そうなれば、未来が見える?
そんなことはありえない。
限りなく未来に近いものが見えるのか?
「精神剣を見せてくれて感謝するよ」
手ぬぐいで額をぬぐいつつ、ミチヲが言う。
「モエには貴重な情報だ」
「僕が彼女に切られることはない」
ちょっと意地になって言い返すと、ミチヲは笑っている。
「速さ比べだな。しかしやるとなれば、命がけだ。彼女は俺のようにはいかないから」
今の言葉を深読みすれば、ミチヲが使っている何かの手法は、モエには習得できていない、もしくは習得が不可能な何かとなる。
おそらく後者で、ミチヲ特有の何かがありそうだった。
旅は続き、僕の部下はミチヲを狙っている集団をおおよそ暴き出し、彼らの悪行をアンギラスに通報した。しかしやはり、アンギラスの反応は鈍いようだ。
立ち寄った宿場で、僕たちは食堂に入り夕食にした。
「そろそろ帰った方がいいんじゃないか?」
ミチヲの言葉に、僕はさすがに渋面になった。
「手土産なしでは帰れない」
「では、どういう手土産があればいい? 首じゃなければ、腕か?」
「それは惜しい」
思わず本音が出てしまった。ミチヲはニコニコと笑う。
その日はのんびりと夕飯を食べ、二人とは別の宿に入った。
「久しぶりだな」
部屋に入ると、老人が待ち構えていた。
「よくここがわかったね」
その老人は、フカミだった。まるでアンギラスの国民のような格好だが、顔は変わっていない。長い髭を触りつつ、こちらを見ている。
「これでも剣聖では三席なのでね、査問部隊を動かせる」
「僕に任せる気にはなれなかった?」
「長い時間、待っていた。国王陛下もだ。そのために、この老人が様子を見に来たわけだ」
やれやれ。ややこしいな。
「そろそろ帰るつもりだった」口からでまかせを、それっぽく言っておく。「ここらが引き時だろうね」
「ミチヲもモエも切らないのか?」
「フカミ、君はわからないだろうけど」
さすがに僕の声も真剣になった。
「ミチヲを切るのは、不可能だ」
「精神剣でも、ですかな?」
「彼は特別だ」
フカミは何かを吟味するような顔になってから、軽く顎を引くと、
「暗殺します」
と、何事もないように言った。
信じられなかった。
「やめてほしい、と僕が言ったら?」
「理由を尋ねますな」
「彼は失うのは惜しい」
「国賊です」
この老人はわかってそんな表現を使ったんだろう。
「彼の才能は、国賊であることよりも重い」
「どうですかな」
言うなり、フカミは立ち上がると、窓際まで進む。
いつの間にか、外が明るい。そんな時間ではない。
「やってみなくては、わかりますまい」
どこかで誰かが、火事だと喚いている。
僕は窓に駆け寄ると、火が起こっている方へ向かうべく、窓をほとんどぶち破るようにして外へ飛び出した。
(続く)