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剣聖と剣聖  作者: 和泉茉樹
第2部 高みのさらに高み
17/136

2-6 同行

     ◆


 二人に追いつくのにはそれほどの時間は必要なかった。

「最初とは顔つきが違うな」

 僕を見て、ミチヲはそんなことを言った。笑顔である。一方のモエは警戒を解いていない。

「どうしてあんな連中に追われている?」

「アンギラスに入った時、手を借りた組織があった」

 場所は街道に面した食堂だった。彼らが金を持ち出せたとも思えなかったけど、こうして食堂に入っているということは、身につけていたんだろう。

「密入国だから?」

「その通り。金も払ったけど、ちょっとした手伝いもした。それがいけなかった」

「人を切ったのか?」

 うん、とミチヲが頷く。

「最初に聞かされた話では、組織に敵対する男を切る、という内容だった。で、実際に切ってみると、組織の内部の人間で、つまり俺は鉄砲玉というか、よそ者で腕が立つ、という理由で罠に嵌められた」

「それ以来、追っ手が来る?」

「俺が切った男の他に、三人ほどが切られたらしいが、そのクーデターは失敗に終わり、今、組織を管理している連中からすれば、俺は大罪人、ということになる」

 事態の重さをミチヲが感じないわけがないが、彼の口調は軽やかだ。

「薬をもらったことを感謝しているが、俺にできることはあまりないな」

 食事の最中に、ミチヲがそんなことを言った。

「そこの女を差し出せば、問題ないな」

 僕の冗談に、ミチヲも笑ったが、モエは笑わない。

 彼女はいつも気むずかしげな顔か、無表情だ。

 食事を済ませて、三人で歩き始めた。モエは当然、警戒する。

「あの技は見事だった。波紋の受けかな?」

「さすがは剣聖、よく知っている。でももう俺の中では、ただの、波紋、と呼んでいる」

「受けでも攻めでもない、か?」

「あの剣術は多数を相手にすることが理由で発展した。だから、受けこそが本来は主体なんだな。ただ、それを攻めに応用した奴がいる。多数の囲まれ、回避不能な同時攻撃を受けた時に、初めて、活きる技だ。もちろん、最初は全部の剣をはじき返すだけだったが、今は、さっきのように逆に切り捨てることもできる」

 僕の中で、この男ともっと話をしたいという欲が出てきた。

 それほど、この男の剣術に対する理解が深い、と推測できた。

「どうやって習得した? 理屈ではわかっても、体が動かないのでは?」

「体感した、ということになる」

 妙な言葉だった。

「体感? 技を受けたということか?」

「それはどちらかというと体験だ。 俺が言っているのは、技を見た、感じた、まさに体感した、ということだ」

 奇妙な問答になりそうだったので、話題を変える。

「どれくらいで習得できた?」

「形だけは、一ヶ月。その後に何年も実戦で試してきたよ」

 それはそうだろう。この男は実戦には事欠かない立場にいる。つい昨日もそうなのだ。

「退屈じゃないか?」

 どうしてこんなことを言ってしまったのか、自分でも不思議になったのは、言葉を遅れて理解した時だった。

 ミチヲは歩きながら、笑っている。

「自分にこれほどの才がある、と実感するのは、退屈じゃない。ただ、実感するために命をかけ、同時に相手の命を奪う、と考えると、退屈かどうかはどうでもいいことだ。誰と向かい合っても、思うことは一つだな」

「生きたい、ということ?」

「まさに」

 そのまま僕たちは街道を進み、隣の宿場に入ったが、二人は足を止めなかった。

「ところで、どこへ向かっている?」

 宿場を過ぎて日が暮れてきたので、自然な質問だっただろう。

「パンターロヘ抜けるつもりだ」

 頭の中で地図を確認する。アンギラスの地図はまだはっきりと僕の頭の中にある。

 パンターロの領域に入るまでには、あと三ヶ月はかかるだろう。大陸縦断の半分に近い行程になる。

「いつまで付いてくる? 剣聖さん」

 街道から少し離れた木立の中で野宿の準備をしつつ、ミチヲが尋ねてくる。

「二人を切るまでかな」

「そんなことをしたら、いつまでも切れないまま一緒に旅をして、君まで脱走したことになる」

 すぐに冗談さえ言えなかったのは、モエよりも、目の前のミチヲに対する興味が、無視できなかったからだ。

 彼が本来は剣聖候補生になるはずだった、と聞いている。

 その判断は、正しかったのだ。

 もしミチヲが高度な教育を受ければ、また違った可能性もあったかもしれない。モエの代わりに剣聖になったことも、十分にあり得る。

 ただ、今のミチヲの底知れない感じは、僕たちが受けた騎士学校の教育では、養われなかった気もする。

 なんとなくだが、ミチヲには教師が向いている気がした。

 もちろん、第一級の剣の使い手で、剣聖と対等に戦えるが、彼の知識や解釈、理解は、無視できないものがある。

 野宿の準備が終わり、火を起こしてそこで湯を沸かした。

 食堂で分けてもらったお茶を飲みつつ、僕は自分の考えをミチヲにぶつけてみた。

「教師? 俺が?」

 さすがにミチヲも混乱していた。

「どうかな。騎士学校に席を用意できる」

「モエはどうする?」

 この質問は予想していた。

「身分を新しくして、別人にする」

 二人が顔を見合わせる。二人にしかわからない、視線での意思疎通があった。

「それほど」ミチヲが真面目な顔で言った。「シュタイナ王国を信用できない、というのが、俺たちの意見だな」

「しかし、異国で追い立てられて生きていくのは、長くは続けられない」

 何がおかしいのか、ミチヲが声を上げて笑った。

「その追い立てる役を、査問部隊も剣聖さえも、やっているのに?」

「いや」その通りだった。「失言だった」

 夜の静けさが周囲に立ち込めた。

「やりたいことが、ないわけではない」

「どんなこと?」

 ミチヲがじっと目の前の焚き火を見据えた。

「剣を極めたい」

 僕がすぐに答えられなかったのは、彼がすでに剣を極めつつある、その道に踏み込みつつあると感じたからだ。

 彼が言っている、剣を極める、というのは、剣技を極める、とは少し違うんだろう。

 不敗、無敗、そういうものを口にしたのだ。

 とんでもないことだ。

 人は必ず老いる。怪我もすれば、病気もする。体調が完全なままで生きていける人間はいないのだ。

 そして剣を合わせれば、様々な事態が起こる。

 剣が折れるかもしれないし、相手の一撃を受け損ねて負傷すれば、体の動きは鈍くなり、隙が生じる。

 何らかの偶然によって、相手の剣が一撃で命を奪う可能性すらあった。

 そういう全てを、ミチヲは飲み干そうとしている。

 全てを制圧する、無敵の存在。

「あなたは、そうは思わないかな?」

 視線が僕の目をまっすぐに見た。

 すぐには答えられなかった。

 だから、考えながら、喋った。

「僕は、十五歳の時に剣聖になった。その時は、すべてが未熟で、怪我もしたし、訓練で他の剣聖に打ち据えられることもあった。その時は、剣を極めたいと、確かに思った。負傷や痛みが悔しかったからだと思う」

 パチパチと木の枝が爆ぜる。

「そのうちに、誰も僕には勝てなくなった。精神剣を完璧に使えるようになったこともあるけど、それと同時に、剣術も上達して、こちらが棒で相手を打ち据え、そのうちに素手でも相手の棒に対処できるようになった」

 モエもミチヲも黙っていた。

「ある時、剣聖同士で剣を交えることになった。もちろん、真剣だった。こちらは挑戦された立場で、避けることはできない。一対一の勝負で、僕は精神剣を使わずに、彼を切った。たぶん、それより前から薄々は感じてはいたけど、倒れた彼を見たとき、自分はもう負けない、と思ったのを覚えている。自信と言うより、確信だった。慢心も過信もなく、純粋に、自分を把握した」「それで実際に、負けていない」

 僕が黙り込むと、ミチヲが入れ替わるように話を始めた。

「俺は何度も負けた。怪我も負ったし、完全とは程遠い。インチキのような力にも助けられたが、しかし、不完全で、弱い。でもそれは伸び代がある、これから先がある、ということでもある」

 彼が枝を火に投げ入れた

「シュタイナ王国に戻り、教師として生きていくのも、あるいは新しい発見があり、新しい感性に触れることになって、良いのかもしれない。でも残念ながら、俺はそれを受け入れない」

「どうしてですか?」

「実際の剣を目の前に見たいからだ」

 そう言ってから、ミチヲが天を仰いだ。

「愚かだな、と自分でもわかる。わざわざ命を危険にさらし、可能性を限定している。より多くを選べる方ではなく、より少ないものを目指している。本当に愚かだ」

 僕も彼に倣って、頭上を見上げた。

 木々が邪魔になって、夜空は少ししか見えない。

「答えは出ない。もしくは、見逃している、無視しているんだろう」

 ミチヲの声は、澄んでいるような気がした。

「でも人間は、見たいものしか見えないようになっている。なら俺は、前だけを見て、そこに本当に望んだものが出てくるまで、走り続けるよ」

 僕は何も言えずに、まだ空を見上げていた。





(続く)








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