2-4 理解の兆し
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足湯には意外に長い時間、滞在した。
途中で当然、何も知らない村人がやってきて、山道の周囲がめちゃくちゃになっている、何があったのか、とモエに質問していた。
彼女は、気づかなかった、と適当な返事をしていた。
村人はこちらをちらっと見て、それから横目でミチヲを見てから、川の下流へ行ってしまった。それを見送る段になって、彼の腰にカゴがあり、つまり魚を取りに行ったのだ、とわかった。
「どうにもこの顔では、親しくしてもらえない」
こちらに苦笑いして、ミチヲが言う。
「どこでその傷を?」
「とある剣士と斬り合いになってね。相手は死んだが、こちらは顔を切られた」
最初、査問部隊の誰かかと思ったが、先ほどのミチヲの技量を見れば、それはありえない。
彼を殺すことはおろか、傷つけることさえ、無理だろう。
「片目では不便でしょう」
「それは良いのですよ」
よくわからない理屈だ。
「どなたから音階の歩法と、あの振りを習ったのか、知りたいな」
一番、気になっていることを、率直にぶつけてみた。
「あれですか? シュタイナ王国の南部を旅した時、教わったのです。しかし、一本の剣での十六弦の振りは、初めて見た」
「初めてにしては、よく凌げましたね」
「それもまた、秘密です」
僕はもうちょっと踏み込むことを決めた。
「視線が追いついていませんが?」
「よく見ていますね。そう、確かにあれは、不意を突かれている」
「僕の踏み込みが速いから、君は反応できていない」
「矛盾していますね、それは」
わずかにミチヲが足を動かし、足を中心に波紋が広がった。
「俺はソラさんの動きに反応していない。しかし、十六連撃を完全に封殺できる。さて、導き出せる答えは?」
「整理すると、前者が間違っていることになる。後者は動かしがたい事実だ」
「それが自然ですね。つまり?」
答えは単純だ。
「君は、視覚以外の感覚を持っている。それなら精神剣をやり過ごしたのも、わかる」
「正解」
「いったい、どういう感覚なんだ?」
「それは言えないな。例え、筆頭剣聖でも」
僕たちが話している間でもモエは動かなかった。彼女もお湯に足をつけているが身じろぎしない。身構えているのがわかった。
ただ、僕はミチヲの何かを理解して、この短い時間で、長い知り合いのような気持ちになってきた。自然と、口調が砕けている。
「感覚はもう聞かないことにする。力比べだからな、こうなっては」
「俺もそう思います」
「君は一体、何連撃が可能なんだ?」
ニヤリとミチヲが笑う。
「片手では十二連撃、両手では二十四連撃でしょう。ただ、右手は短剣なので、間合いは狭い」
やれやれ、とんでもないな。
「もし足が無事なら、音階の歩法を使うのですが」
彼は軽く足を上げた。
「どうして負傷したのか、聞いていなかった」
「旅の途中で、挫いたんです。なかなか治らない。痛みもないのですが」
「医者には?」
「診せていないですね。でもそろそろ治るでしょう」
自分たちが薬屋に化けていることを伝えて、すぐに最適な薬が用意できることも話した。
「それで、ソラさんはどういう事態になったら、おとなしく帰りますか?」
「僕はそこにいる女を切って捨てるまで、帰れない」
「それは俺が許さない」
背筋が少しだけ冷えた。
ミチヲの殺気は、普段はほとんど感じ取れないのだと、やっとわかった。
彼の気迫は、ほぼ完璧に隠され、しかし常に彼は身構えている。
モエとは大違いだ。
「では、力比べをするしかないな」
「周りに迷惑がかからないなら、やってもいいですね」
この時、僕は日和ったのか、それとも何か、仁義のようなものを通したかったのか、変なことを言ってしまった。
「君の怪我が治った時に、やってみたい」
この言葉には、ミチヲも目を丸くした。
「俺はあなたと殺し合いをするのは、惜しいと思っている」
「僕もそうだ。でも、僕たちが衝突しない可能性はない」
「そうか。なら、仕方ないな」
立ち上がり、ミチヲが湯を出た。足をタオルでぬぐう。慌ててモエがそれに従った。
二人は村の宿屋の名前を告げて、去って行った。
僕は一人でその場に残り、ゆっくりとお湯に浸かっていた。
先ほどの村人が下流から戻ってくる。こちらに歩み寄ってきた。
「あの二人のお知り合いで?」
「いや、あまり親しくはない」
「あれは厄病神だと言われとります」
村人は小柄で、まだ若いのかと思ったが、話をしてみるともう初老だった。それでも足腰は少しも衰えてはいない。自然とそんなところを見てしまう。
「厄病神?」
「噂があるんでさ。この辺りの村々で、シュタイナからやってきた二人組みが、人を殺しているっちゅう話でさ」
それはたぶん、事実だろう。
この村人は、殺されたのは住民だと思っているようだが、実際は、査問部隊の兵士が殺されているのだ。
ミチヲもモエも、手はドロドロに汚れていることになる。
もちろん、僕の手も血に染まっている。
「死んだのは、どんな人だい?」
「旅のものが多いらしいですな。だから、お兄さんもお気をつけなさって」
気をつけるも何も、僕が二人を切るか、あるいは僕が二人に切られるか、それしかない。
僕は男に魚のことを聞いて、男は今日は数が取れなかった、といったものの、僕に二尾ほど売ってくれた。
彼を見送って少し足湯に入っていると、背後から気配が近づいてきた。
「ご無事でしたか」
部下が二人、そこにいた。
「二人は?」
「宿に戻りました。すぐに動くようではありません」
「この魚で夕飯にしよう。宿に部屋を借りたいが、目立ちたくはない。君たちも今日も野宿でいいかい?」
「構いません、慣れております」
片方の部下が魚を手に取った。
「それと、後でモエとミチヲのところに薬を持って行ってやれ」
「は?」
「ミチヲが足を怪我している。軽く診察もしてやれ」
「彼らは敵ですが?」
自分が変なことを言ったのがダメだったのだ。でももう取り消せはしない。
「いいから、行ってやれ。こちらの正体を悟られるなよ。身振りに気をつけて」
「身振り、ですか?」
「訓練を受けていると悟られるな」
二人は軽く頭を下げ、去って行った。
ふやけた足を上げて、手ぬぐいで水気を取る。靴を履いて、来た道を戻った。
途中で、ミチヲと戦った場所に来る。
僕の精神剣の攻撃は、まったく容赦ないものだったので、一抱え以上もある木が何本も倒れているし、人の体が隠れても余裕のある岩が、ほとんど消し飛んで、粉砕されている。
それだけの力を、いったい、ミチヲはどうやってやり過ごしたのか。
僕の精神剣の攻撃を防ぎきったのは、カナタくらいだ。
彼も精神剣を使える。
では、ミチヲも?
でも彼は、攻撃には剣しか使わなかった。
手札を残したのか、それともこちらの勘違いか。
防御に特化しているようでもない。実際に、彼の服も体も、傷ついていた。
わざとそんなことをする理由はない。
日が傾いてくるまで、僕はその場で戦いを振り返っていた。
村に戻り、宿屋の前を抜け、途中の店で保存食を買った。村を出ようとすると、先ほどの川であった男と出くわした。
「あれ、旦那? こんな時間にどちらへ?」
すでに日は沈みかかっていた。
「金がないので、野宿なんだ」
「うちに泊まれば良いですぜ。金なんていりません」
妙な申し出だった。
「いや、それは申し訳ないから、遠慮するよ」
「大きい声では言えませんがね」
男がこちらの耳元に口を寄せた。
「用心棒をどこもかしこも、欲しがっているんでさ」
「用心棒。あなたの?」
「馬鹿言っちゃいけない。この村のですよ。どうです? ただで泊めて、飯も出しますんで、もう少し、ここにいちゃくれないかね?」
「もう少し?」
男が顎をしゃくった方を見ると、宿がある。
「あの二人がいなくなるまで、でさ」
どうにも妙なことになったな。
しかしこれで、自然とこの村に滞在できる。
あまり気乗りしないが、二人の様子を見ることがそもそもの任務だ。
「金は払おう」
僕がそういうと、男は嬉しそうな顔になり、すぐに家の中に入れてくれた。一階では魚を煮たものを売っているようで、その匂いが充満していたが、商品自体はない。売れたのだろう。
男の妻らしい女性がやってくる。年齢は不釣り合いなほどに若い。
その日、僕はその家に厄介になった。
部下との連絡はその翌日に再開し、ちゃんと体制を整えた。
ミチヲには診察と薬を施したようだった。
しかし、僕はこの先、どうするべきなんだ?
(続く)