2-3 正体不明の技
◆
最初、ミチヲは剣を抜こうとしない。
モエの方が殺気立っていて、今にもつっかけてきそうだった。
そのモエの前に、すっとミチヲが進み出る。
彼の腰には剣がある。やや長いだろうか。
でも彼はそれに手も触れようとしない。ただ立っているだけだ。
「下がっていて、モエ」
すっと彼が踏み出した時、僕は剣を抜いていた。
モエも剣を抜いたが、それはかなり距離がある。
ミチヲは、少しも姿勢を変えない。
僕はじっと剣を構える。間合いはまだ広いが、踏み込めない間合いではない。しかし地面がわずかに傾斜し、ミチヲの方が上である。
その地面も、石や木の根が張り出していて、不規則だ。
それなのに、ミチヲは少しも構わず、道を下りてくる。
剣の間合いになった。
一瞬だ。
僕の剣の切っ先が、瞬くように翻り、天に向く。
手には硬い手応えがあった。
もちろん、感慨に浸る余裕はない。
振り返って、即座に頭上からの一撃を受け止めた。
ミチヲは交錯の瞬間に剣を抜いていた。左手だけで逆手に抜いた剣で、僕の一撃を受けたのだと、今ならわかる。
そして手の中で剣を回転さえ、今は順手で左手のみでこちらに一撃を打ち込んできた。
もちろん、対応できる。
即座にいなして、剣を突き込む。
それを距離をとって回避するミチヲ。
僕は容赦しなかった。
習得している剣術を惜しげもなく、使う。
こちらが有利でも、常に油断しない。
容赦もしない。
深く踏み込み、「波濤」と呼ばれる連撃を繰り出す。
小刻みで休みない連続攻撃に、ミチヲが後退。
その懐へ一気に踏み込む。
これは「音階の歩法」と呼ばれる特殊な歩法で、全部で七種類からなる。
即座にこの場に適した歩法を駆使し、間合いは即座に消える。
刀をピタリと引き寄せ、必殺の間合いで、避けることのできない攻撃を繰り出す。
一振りで四回斬られると錯覚するほどの高速の剣、「四弦の振り」。
一瞬で叩き込まれた四度の攻撃に、ミチヲが片膝をついた。
違う! 倒していない!
瞬間的に間合いを取ったが、遅かった。
僕の服の袖と胸元に、切れ目が入っている。
「まさか」
「今のは」ミチヲが姿勢を取り戻す。「「六弦の振り」だよ」
僕の繰り出した四連撃を、ミチヲは数で上回る六連撃で弾き返し、その上で反撃さえした。
信じられないほどの使い手だった。
しかし、剣聖の力ではない。
「力押しもつまらないけど」僕は全身を弛緩させた。「決めさせてもらう」
体に力が戻った時、僕の姿は霞んだはずだ。
音階の歩法の中でも、いくつかの歩法を組み合わせる「和音の歩法」で、再び、間合いが消えている。
ミチヲの視線はこちらを捉えていない。
僕の手元が搔き消える。
四弦の振り、六弦の振りよりも超高速の、十二弦の振りを繰り出す!
甲高い音が響き、激しい火花が散った。
二人が同時に離れる。
もう一度、こちらから間合いを消す。和音の歩法にはやはり、ミチヲはついてきていない。
なのに!
絶対の間合いから、十二弦の振りよりも超高速の十六弦の振りを繰り出す。
再度の激しい音と、火花。
そしてもう一度、二人が離れる。
ミチヲの手元には二本の剣があった。右手に短剣があり、どうやら鞘に隠されていたらしい。
でもそれは、どうでもいい。
彼は二本の剣で十六連撃を完全に防いで見せた。
いや、それも今は、どうでも良いことだ。
問題はこちらの動きを視認できていないのに、なぜ、剣を合わせられるか、だ。
「どういう魔法だ?」
彼は右目を細めた。
「秘密ですよ。本当に僕を切りたいなら、本気で向かってくるべきです」
どうやら彼は僕の奥の手も知っている。
こうなっては、仕方がない。
「後悔させてやる」
我ながら、小悪党みたいなことを口にしている自覚がある。
でもそれ以外に何が言えただろう。
僕は切っ先を下げ、意識を集中させた。
右手に剣を持ち、左手を掲げる。
そして、振るう。
何かが、捻れた。
今度こそ、ミチヲは姿勢を乱した。
いや、逃げたのだ。
僕の集中は終わらない。左手を繰り出し、見えないものを縦横に走らせる。
山道の周囲の木々が爆ぜ、砕け、倒れていく。地面が抉れ、岩が跳ね上がって飛んでいく。
まるで見えない嵐が突然に吹き荒れたようだった。
その中をミチヲが無様ともいえる動作で逃げ惑う。
世界には、精神器、と呼ばれるものがある。
神秘とか奇跡とも呼ばれる、超常の力だ。
その中でも戦いに特化した精神器が、精神剣と呼ばれる。
今、僕が行使しているのも、そのうちの一つだ。
剣聖十二人の中でも、使えるのは、僕と、カナタだけだ。
と言うより、過去に精神剣の持ち主は五人しかおらず、その全員が剣聖になっている。僕とカナタ以外の三人は、すでに故人だ。
この強大な力に対抗できる人間は、いない。
ミチヲがいよいよバランスを崩す。
回避不能なところへ、力をぶつける。
ミチヲの体が跳ね上がり、翻弄され、地面に落ちた。
なんだ?
瞬間、僕は呆気にとられた。
翻弄される? 落ちる?
ありえない。
僕はミチヲの体が吹き飛んでなくなる力を加えたのだ。
そして直撃しかありえず、つまり、今の彼はバラバラ死体のはずなのだ。
ゆっくりとミチヲが起き上がる。
その顔には、獰猛な笑みがあった。
「さすがは筆頭剣聖だな」
彼は軽い調子でそういうと、こちらへ歩み寄ってくる。
服はところどころが破け、それ以上に赤く染まっている部分も多い。
しかし彼は五体満足で、戦闘は続行だ。
信じられない。
僕が何かミスをしているのか?
背後に気配を感じたのは、ほとんど反射行動だった。
そこにモエが忍び寄っており、剣は腰に引き付けられ、切っ先はこちらを向いている。
剣聖で最速と呼ばれた、雷光の突きが来る。
切っ先は僕の左肩をかすめた。
転がって距離を置くと、モエも深追いはしない。
「これくらいにしましょう、ソラ殿」
すぐそばまで、ミチヲが戻ってきていた。
「あまり森を破壊するものでもありませんし」
呑気すぎる言葉に、僕は何も言い返せなかった。
「足湯でもどうです? まぁ、この格好では、ちょっと可笑しいかな」
ミチヲがそう言うなり、二本の剣を鞘に戻した。モエも剣をしまう。彼女はミチヲを立てているというより、絶対の信頼を置いているのだろう。
迷っていても仕方がない。
今はこの男の、謎を解明するべきだ。
そう決めて、剣を鞘に納める。
「足湯で話を聞かせてもらおうかな」
こちらから言うと、ミチヲがパッと笑顔を見せた。顔の傷跡があっても、見ているこちらが嬉しくなるような、暖かい笑みだ。
「久しぶりにシュタイナ王国のことが聞きたいですね。良いだろ? モエ」
「あんたがそう言うのならね」
こうして僕たち三人は山道を登り、小川のすぐそばに作られた、石を積んで周りと区切った一角に落ち着いた。
靴を脱いで、そこに足をつけると、ちょうど良い温度だった。
ミチヲとモエもリラックスしたように、足を入れている。
川の流れる音、風で木々が揺れる音、鳥の鳴き声。
久しぶりに癒されるような環境だ。
この場にいる二人を消さなければならない、ということさえなければ、本当に癒されたかもしれない。
「それで」
何気ない調子で、ミチヲが言った。
「シュタイナ王国は俺たちを抹殺したいのかな」
「ミチヲ殿は別ですが、モエは仕方ない、としか言えない。剣聖だから、放ってはおけない」
「敬称は不要で行きましょう、えっと……」
「ソラ」
うん、とミチヲが頷く。
「俺たちを狙っているのは、ソラさんだけかな」
「さっきの様子では、誰が来ても、無事では済まないしな」
「俺たちは放っておいて欲しいだけですよ」
「剣聖になったものは、そうはいかないな」
その一言で、気が立っているのが明らかだったモエが、我慢の限界に達した。
「別にいいじゃないの! 私は剣聖をやめたの。自由に次を選べば?」
「剣聖は死ぬまで剣聖だよ」
むすっとした顔でモエは視線を逸らした。
「もうちょっと議論しましょうか。幸い、ここも、村も静かなものです」
ミチヲは少しも動じないように、川面を見ながらそう言った。
(続く)