6-12 二人
◆
「嫌ですよ、私は」
ハラトが力を持つ宿場、そのハラトの旅籠の一室に、大勢が揃っていた。
まず僕がいて、サヤバさんとサカヤ、ハラトさんと、ハラトさんの孫であるヴァイトもいる。ヴァイトとは何回か話をしていて、年齢は僕よりだいぶ下だ。サカヤよりも幼い。
「嫌です」
もう一度、サカヤがそう繰り返す。
沈黙の後、腕組みをしていたハラトさんが口を開いた。
「しかし、カイの決意は堅そうだな」
じっとこちらを見据えられたけど、僕は動じなかった。
「サカヤには一緒に来て欲しいと思います。妥協も譲歩も、考えていません」
「いきなり戻ってきて、強硬姿勢だこと」
サヤバさんが微笑みながら、全員の前の杯にちょっとずつ酒を注ぐ。誰も一口も飲んでいないので、すぐに溢れそうだ。
「カイ、本気なの? 今の話は」
ヴァイトが恐る恐るという感じで口を開いた。僕は頷き返す。
「サカヤと、所帯を持つと決めたよ」
「本人をそっちのけにしてね。その上、パンターロへ行くという」
皮肉げなサヤバさんに、僕は軽く頭を下げる。
また重苦しい沈黙がやってきて、ハラトさんが溜息を吐き、首を何度も振った。
「いきなりこれでは、話にならん。本当に、サカヤも混乱するだろう。カイ、少しの間はここにいられるんだろう? みんなで話し合おう」
「はい、それは、無理にさらっていくわけにはいきませんから」
はぁーっとサヤバさんが溜息を吐いた。
それをきっかけに少し空気が変わり、僕がシュタイナ王国に王都で何をやったか、質問攻めにされた。サカヤも同席したままで、じっと膝のあたりを見ている。
僕の話に食いついたのはヴァイトで、二言目には、「技を見せて欲しい」と言い出す。
「素人には真似もできないし、見ても理解できないよ」
僕がそういうとヴァイトはブスッとした顔になるけど、またすぐに僕の技や術について、質問してくる。
夜が更け、ハラトさんの一言で解散になった。
サヤバさんがハラトさんと話すことがある、と言って、その場に残った。ヴァイトは同じ建物に自分の部屋があるのでそこへ下がるようだ。
そうして帰り道は自然と、僕とサカヤ二人だけになった。
僕は有無を言わさず、サヤバさんの旅籠に部屋を取ったのだ。サカヤもそこしか帰る場所はない。まるでこの状態は、サヤバさんが気を利かせたようになった。
「お話しすることがあります」
夜の空気の中、サカヤが急に言葉を発した。自然と、彼女の方を見ていた。
彼女はこちらを見ない。前を向いたまま、続ける。
「私のお母さんのことを、私は知っています」
そのことか。
サヤバさんが暗殺を請け負う仕事をしていたのは、僕も知っている。だから驚くほどではないけど、サカヤの深刻さは、僕にすぐ、とある連想をさせた。
「君もやったことがある」
だから、彼女が口にする前に、僕の方から答えを出すことにした。これは、優しさだろうか。
サカヤはわずかに目を伏せたが、やはりこちらを向かず、足も止めなかった。
僕が黙ったための沈黙の中で、わずかにサカヤが小さくなった気がした。
「私も、手を汚した人間です」
ほとんどかすれて聞こえない声で、彼女は言う。
僕にどう答えることができたのか。
「みんな、そんなものだよ」
思わずそう答えた途端、サカヤは足を止め、膝を折り、しゃがみ込んで嗚咽を漏らした。両手で顔を覆い、泣きじゃくる彼女の横で、僕もしゃがみ込み、そっと背中を撫でた。
彼女は長い間、そうしていて、僕もそれと同じ時間、彼女の背中を撫でていた。
「すみません……、すみません……」
何に謝罪しているのか、彼女は震える呼吸の間に、そう繰り返す。
僕は今まで何かに謝罪したことがあっただろうか。それができる分だけ、もしかしたら僕より彼女の方が強いのかもしれない。
彼女が泣き止んで、目元を強くこすり上げ、立ち上がった。
表情はスッキリしている。
「ご迷惑を、おかけしました」
「気にしないでいいよ。君が女の子だとよくわかった」
強気な瞳が返ってくる。うん、いいことじゃないか。
やっぱり僕は、彼女を必要としている。僕は彼女と、一緒にいたのだ。
それからは僕はサカヤにリーのことと、つい数ヶ月前、僕を追ってきて命を落とした近衛騎士について、話した。
僕が涙を流すことはない。心がどれだけ痛んでも、ひび割れ、崩れていっても、僕はもう涙を流すことはないのだろう。
非情がいつの間にか、僕を支配しているのだから。
「そんな瞳をしないでください」
歩きながら、こちらを見上げて来るサカヤを、思わず僕は見返していた。
「どんな瞳をしているのかな」
「悲しそうで、虚ろです」
「虚ろか。自覚がなかったよ」
二人でクスクス笑い、旅籠の前に着いた。
「お母さんとハラトさんが、どう思うかは知りませんが、私は決めました」
立ち止まり、僕たちは向かい合った。
「私、ついていくことにします。パンターロのことは、言葉も文字もわかりませんが」
「僕が教えるよ」
「そうしてもらわなければ困ります」
旅籠に入り、僕は一人きりの部屋で、じっと夜を過ごした。
翌朝、サカヤは今までと全く違う素振り、そっけない感じで、食事の世話をしてくれた。僕が食べ終わる頃、「お母さんのところへ行きましょう」と耳打ちされた。
旅籠の最上階のサヤバさんの仕事部屋で、サカヤはサヤバさんの説得に言葉を尽くし、一方のサヤバさんは黙って聞いていた。
「異国に行くということを、本当に理解しているのかしら?」
サヤバさんの問いかけに、サカヤが強く頷いた。
「覚悟しています」
「この街を出るということは、あなたがこの宿場で受けていた特権は全くなるなるのよ」
「それも、理解しています」
そう、と頷いたサヤバさんがこちらを見る。
「彼女を不幸にしたら、ただじゃ済まさないわよ」
笑いそうになるのを、必死にこらえて、真面目な顔で頷いておいた。
まるで演劇だ。
ため息のようなものを吐き、サヤバさんが席を立ち、「ハラトさんに報告しなくちゃね。二人は返事を待っていなさい」
サヤバさんが部屋を出て行ってから、サカヤが息を吐いて額を擦る素振りをした。
「あんなに怖いお母さん、初めて見た」
……それほど怖くなかったけど、意外に子煩悩だったのかもしれない。
二人で表に出て、サヤバさんを待ち受けるべく、旅籠が出している腰掛けに並んで腰掛けた。
「パンターロでは、こんにちは、なんて言うのですか?」
僕は言葉にして教えてあげた。サカヤは苦労して発音を真似していたけど、比較的、様になっている。すぐに覚えられるかもしれない。
「パンターロでは、カイさんのご両親に会えるんですよね?」
「何もない、山の中の小さな集落だよ。もう長い時間、帰っていないけど、何も変わっていないだろうね」
「それはこの宿場も同じです。長い間、何も変わらないんですよ」
短い沈黙の後、私は、とサカヤが小さな声で言った。
「私は、私自身は、もう変わってしまうようですが」
「きみを見知らぬ土地に連れて行くことは、申し訳ないことだと思う」
「いえ、自分で決めたことです。変わっていく私が不安で、でも一方で、楽しみなんです」
どう答えるべきか、迷っているうちに通りを籠がやってくる。
目の前で止まり、ハラトさんが転がるように出てきた。
あまりの慌てように、僕とサカヤは視線を交わして、笑いあった。
鏡があれば、僕の瞳に、今、どんな色が浮かんでいるか、確かめたかった。
虚ろな色ではないはずだ。
果たして、何色だろうか。
失われた剣聖の弟子がいる。
その弟子こそがシュタイナ王国に蘇った神、剣神、と噂が流れたが、形にならないまま、消えてしまった。
それよりも伝説的な強さで一時代、筆頭剣聖の座を守り続けた男が、何者かに切られた、という話題の方が世間を激しく動揺させた。
国王は公の場でその剣士を悼み、国葬を行った。
その数年後、ひっそりと次席剣聖から筆頭剣聖へ昇格した剣士も死去し、殆ど時を置かずにカイト・シュタイナ十三世も崩御した。
次にシュタイナ王国の王位についた、リシャ・シュタイナ八世は、剣聖の解散を積極的に断行することになる。
剣聖はこうして、伝説の存在になった。
そしてありとあらゆる、全ての剣技は曖昧になり、霧散し、やがて消える。
科学の時代がやってきて、重火器が発展すると、剣術はもう誰も力とは見なくなった。
剣聖の時代は、こうしてひっそりと、終焉を迎えた。
(第6話 了)