表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
剣聖と剣聖  作者: 和泉茉樹
第6部 剣聖の最期
134/136

6-11 苦痛を乗り越える


     ◆



 シュタイナ王国でやるべきことはもう何もなかった。

 しかしまずは怪我を治さないといけない。王宮を出る前に、係員が気を利かせて御典医を手配してくれた。

「剣神さま、こちらへ」

 係員に案内されながら、僕は尋ねた。

「その称号はよく知らないんですが、どういうものですか?」

「そうですね、ええ、僕は歴史上で聞いただけです」

 歴史?

 係員が続ける。

「百五十年前、シュタイナ王国で内戦が起こった時、その争いに終止符を打つために、代表者による決闘が繰り返されました。それに最後に勝利した剣士に、当時のシュタイナ王が、剣神、という称号を送った、という記録があるのです」

「へえ、知らなかった」

 笑いを堪える気配の係員に連れられて、僕は御典医の部屋にたどり着き、そこで治療を受けた。

「剣神? そんな古いものを陛下は持ち出されたか」

 御典医の男性が感慨深そうに言う。年齢は六十代だろう。助手が二人いる。

「筆頭剣聖を切ったとは、恐れ入る。君も精神剣の使い手か?」

「まさか。普通の人間です」

「普通か。とんでもない普通もあったものだ」

 笑う御典医が治療を終えた。脇腹の傷は縫い合わされ、薬を塗られ、包帯できつく巻かれた。

「飲み薬を処方しておく。おい」

 御典医が助手に指示を出し、助手が部屋の奥の棚から様々な薬草を出し、薬を作り始めた。

「それで、君は剣聖になるのを拒絶して、これからどうする?」

「国に帰ります」

「国? ああ、そうか、やはり君はパンターロの人間か。肌が白いだけだと思っていた」

 話が早くて助かる。

 その御典医が、僕の体に顎をしゃくる。

「治療中に見たが、身体中に傷跡があった。それだけの激しい経験を積んだ剣士を、私は知らないよ。いや、一人、いたかな」

「どなたですか?」

「ソラ・スイレン」

 ちょっと驚いた。彼は精神剣の使い手でそんな苦労をするとも思えなかった。

 御典医が続きを話し始めた。

「彼の体を初めて見たとき、身体中に無数のコブがあって、驚いた。彼は話そうとしなかったが、あれは打撲が繰り返された痕跡だと思った。ソラは十五歳で剣聖になったはずだから、そんな不覚をとる可能性があるとすれば、幼い頃だ。話を聞かなくても、幼い彼が誰かに打ち据えられ続けたことは、想像に難くない」

「そう、ですか……」

 僕はもう何も言えなかった。

 どんな人でも、どこかで苦痛に耐え、それを乗り越えている。

 でも死を免れることはできないのか。

 では、何のための苦痛なのか。

 薬が出来上がり、御典医は「幸運を祈るよ、剣神さま」と部屋から送り出してくれた。廊下で待っていた係員に案内されて、僕は外へ出た

 例の庭が見えたけど、もう誰もいない。日が暮れかかっていて、夕日が眩しい。

 門を抜け、橋に差し掛かる。

 キラキラと瞬く堀の水面を眺め、しばらく足を止めてしまった。

 僕がもうこの街には戻らない。この光景を見ることはない。

 では、今、僕の腰にある短剣を持った誰かが、またここへ来るのだろうか?

 でも一体、誰が?

 係員に促され、僕は一人で橋を渡った。渡りきったところで係員は僕に握手を求めてきた。握った彼の手はひんやりとしていた。

 橋を守る近衛騎士もこちらを正面において、背筋を伸ばした。

 僕は軽く頭を下げ、背中を向けた。

 街を行く人たちがざわついている。断片的な言葉で、彼らがソラ・スイレンが切られたことで騒いでいることがわかった。腰の短剣はそっと隠しておいた。

 旅籠についてもう日が暮れているのに、僕はそこを引き払った。

 短剣は荷物の中に入れ、一人で外へ出た。まだ騒いでいる人が大勢いる。

 僕は王都の街道をまっすぐに進み、城壁が迫ってくるのを、夜闇の中で透かし見た。

 前方に誰かがすっと立ちふさがった。

 敵意は無い。

 老人が僕の前に立ち、笑っている。

 フカミ・テンドーだ。

「見事に使命を果たしたな」

「そうでしょうか?」

 謙遜するものでは無い、とフカミが笑う。

「ミチヲ・タカツジの使命を、お前が引き継ぎ、全うしたのだ。誇ればいい。あの者の重荷を背負える者は、限られた存在だけだ。そのうちの一人として、お前は成功した。誇れ」

「僕は」

 急に涙がこみ上げた。口元を撫で、震える声を必死に制御した。

「僕は、これからどうすれば?」

「自由だ。しかしいずれ、お前にはお前の使命が、訪れるだろう」

「それを果たすために、僕の命はあると?」

 深く、フカミが頷いた。

「使命を果たし死ぬか、使命を誰かに任せるかは、私にもわからない。だが、誰もに生きている理由がある。それを見つけろ。自由の中から不自由を見つける、自由の上に立つからこそ不自由が見えることもあるのだ」

 すっとフカミが道を開けるように、立ち位置を変えた。

「さあ、自由に踏み出せ、カイ・エナ。お前は誰よりも強く、しかしいずれは力を失う。誰かに何かを託せ。それが人間だろう」

 僕は心を決めていた。

 フカミに頭を下げ、僕は彼の前を抜け、城壁の門を抜けた。街道を進み、ついに僕は王都を後にした。

 夜でも構わず、歩き続けた。

 深夜、背後で馬の蹄が地を蹴る音がした。一騎だけだ。

「カイ・エナ!」

 一瞬だった。

 僕の体が振り向くことなく、跳ね、背後からの一撃を回避する。

 腰から剣が走り、馬をまず切った。

 相手が放り出され、空中にいるところを僕の剣が刺し貫く。相手の勢いで剣はすぐに抜けた。

 馬が激しい音ともに転がり、力なく嘶いた。

 地面に倒れこんだ相手は、胸の中心を僕に刺し貫かれ、もう動くことはできない。

 僕は彼を見下ろす。

 例の近衛兵だった。リー・ファイの話をした男。ここまで僕を追ってきたのだ。

「お前が……」血を吐きながら、彼が呻く。「最強な、ど、あり、えない……」

 どう答えることもできなかった。

 まだ何かを続けようとしたようだが、もう言葉にならず、ゴボゴボと濁った音になっただけだった。

 彼が生き絶え、見開かれた目を、僕はそっと閉じさせた。

 どうすることもできず、死体をその場に残し、僕は歩きを再開した。

 朝に宿場に着き、部屋を確保して、横になった。

 脳裏に、リー・ファイのことが浮かんで、消えない。

 彼を切って、あの近衛兵を切って、さらに僕はまた人を切って生きていくのか?

 呪いだ、まるで終わらない地獄。

 眠りがこないまま、布団に横になり、動かないで時間を過ごした。

 昼が過ぎ、夜になり、僕はそれでも眠れなかった。

 夜明けが来て、外へ出た。旅籠を引き払い、一人きりで、街道を進む。

 もう誰も追いかけてこないでくれ。

 必死にそう念じて、歩を進めた。

 夏が終わろうとしている。

 僕の使命はすでに終わり、確かに自由になった。フカミの言う通りだ。

 自由だけど、頼りない心が、僕を余計に不安にさせた。

 支えを失ったような気分だ。

 誰にも追跡されないまま、秋も終盤という頃、僕は始祖国アンギラスに密入国することに成功していた。

 サカヤの事を、考え始めた。

 まるで、すがりつくように。



(続く)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ