6-8 訪問者の指示
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サリーとは結局、別れらしい別れもなかった。
三日間はこれを飲みなさい、と薬包をくれて、眠くならないから安心して、とも言われた。
街道を進み、すれ違う人が剣を帯びているので、シュタイナ王国だな、と感じる。この街道を通ったことはあったはずだ。シュタイナ王国を巡った時、通った。
街を抜け、村を抜け、山を越え、川を渡し船で越える。
そのうちに建物が立派になり、馬車ともすれ違う。
前方に街が見えてきた。
王都だ。
周囲を囲う城壁が徐々に巨大に見え、その上から無数の兵士が見下ろしてくる。
僕はゆっくりと普通の旅行者の様子を装って、王都に踏み込んだ。
懐かしい。何も変わっていない。
複雑に堀があり、いくつかの王宮がその内側に鎮座している。
王都を長い間、歩き回り、しかし顔見知りとはすれ違うこともない。王都を立って十年が過ぎている。一部で有名になってしまった僕も、もうどこにでもいる一人の男なんだろう。
旅籠に部屋を取り、そこでゆっくりと休んだ。
「少しいいかな」
反射的に跳ね起きたのは、声を掛けるどころか、足音も、ドアを開ける音もなく、そこに人が現れたからだ。
老人。服装はどこにでもありそうなそれ。腰には剣。
「何者ですか?」
相手を組み伏せられるか、もしくは逃げられるか、考えていた。
どちらの方が目があるだろうか?
相手の老人の顔をまじまじと見て、記憶が繋がった。
「フカミ・テンドー?」
「剣聖を呼び捨てにするか、カイ・エナよ」
恐れ多い、どころじゃない。
僕を抹殺しに来たのか?
その割には、老人は寛いでいる様子だ。年齢は前に見たときとそれほど差がない。
何歳だろう? 八十歳か?
「お前がここに来ることはわかっていた」
「間諜が見張っていた?」
「まさか。お前が知らない目がこの世界には多くある」
訳がわからないが、少なくとも、僕は彼の目は欺けないらしい。
「今日は伝えるべきことを、伝えに来た」
「なんですか?」
「剣術の御前試合がある。一週間後だ」
それはまた、都合のいいタイミングだ。本当にフカミは僕の行動を把握しているらしい。
「その御前試合で、剣聖を切れ」
その一言に、背筋が冷えた。
御前試合で、剣聖を、切る。
答えに詰まり、どうにか声を出す。
「あなたは、どこまで知っているのですか?」
「ほぼ全てを知っている。悪いようにはしない」
「悪いようには、って……」
御前試合で、剣聖に敗れれば、僕は死ぬのでは?
八百長が目的なわけもない。真剣勝負、殺し合いのはずだ。
「勝てばいいのだ、勝てば」
「そんな無茶な……」
「自信がないのか? 私が見てきたカイ・エナという剣士は、並みの剣士ではない」
どう言われても自信が湧くわけもない。
「登録は当日で構わない。場所は第二王宮だ。全ての剣聖、そして陛下がご臨席される。怖じ気づかなかったら、来るといい」
すっとフカミが立ち上がり、振り返ることもなく部屋を出て行った。さっきはどうやって入ってきたのかは謎だが、考えるのはやめよう。
一人きりになって、じっと自分のことを考えた。
御前試合。もしかしたら、先生にもこれが見えていたのかもしれない。御前試合だけではなく、僕がどこでどういう旅をして、どのタイミングで王都につくのかさえ、先生には全て見えていた。
自らの命を絶つタイミングさえ、計算されていたのか。
先生は片目を取り戻してから、何か、見えないものが見えるようだった。
僕はそれをただ、幻を見ているんだろうか、などと考え、深く話をしなかった。
でも今になってみれば、先生はきっと、過去も未来も、近いところも遠いところも、全てを見ることができたんだと、想像することができた。
それは人間に把握できる情報ではない。
並大抵の人間だったら、その巨大な存在の前に正気を失うのではないか。
先生はそれを、きっちりと御した。
最後の最後まで。
僕が御前試合に出るのは、もう決まったことなんだ。
僕は荷物を整え、剣を帯びて外へ出た。旅籠を出る前に研ぎ師の店の場所を聞き、そこへ向かった。
店は繁盛しているようで、広い作業場で見世物のように二人の若者が刃物を研いでいた。包丁のようだ。
店主らしい老人が応対してくれて、僕が剣を差し出すと、恭しく受け取り、それから老人は鞘から剣を抜いて、動きを止めた。
ゆっくりと動きが戻り、二本の剣を彼はじっと眺め、黙っていた。
もしかして研げないのだろうか?
「明日の朝には、仕上がっています」
老人が愛想も何もなく、冷ややかな声で言った。
「お代はいかほどですか?」
伝えられた金額をその場で支払った。引き取る時に必要な書類を受け取る。
その日は王都を見物し、新しい建物の様子や、今の流行に視線を向けつつ、御前時代のことを考えた。
負けるわけにはいかない。
しかし最近は全く稽古をしていない。していないけど、僕と対等の使い手がそこらにいるわけもない。
問題は剣聖だ。
旅籠に戻る前に軽い食事で腹を満たし、旅籠に戻った。
翌日になって、朝食の後、研ぎ師の店に向かった。店の外で店先を掃いている若者に頭を下げ、中に入る。
店主の老人が待ち構えていて、どういうわけか、奥に通された。
そこで僕の前に、先生から受け継いだ剣が差し出された。
「素晴らしい剣です。どなたが打たれたのか、是非、知りたい」
「僕の師の剣で、もうそれを知っている人はいないんです。いや、そうか」
サリーが作った剣だから、サリーは知っているのかもしれない。
「あるいは、知っている者がいるかもしれませんが、旅をしているようです」
「いつか、お引き合わせを。試し切りをされますか?」
僕は目の前に並ぶ二本の剣と鞘を眺め、「失礼します」と断ってから長短二本の剣を手に取り、光にはをかざしてみた。
完璧に、綺麗に研ぎ上がっている。
「試し切りは必要ありません。ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ、ありがとうございました」
僕は鞘に剣を戻し、店を出た。
それから御前試合の日まで、人気のないところを選んで、路地の奥のぽっかりと空いた空き地などで、剣術の稽古をした。ここなら都合がいいので、夜になっても人目を忍んで、剣を振った。
体の動きはぎこちない。こんなことでは、誰にも勝てないだろう。
日を追うごとに、少しずつ、感覚が戻ってくるが、御前試合には到底、間に合いそうもない。
見合わせるべきだろうか?
見合わせて、次にいつ、どんな機会がある?
剣を鞘に戻し、汗を拭って夏の夜空を見上げる。
月は見えない。薄い雲が多くて、星もなかった。
体を取り戻すしかない。
翌日も、翌日も、体を動かし、ついに翌日が御前試合になった時、少しだけマシな動きを取り戻せたようだった。
御前試合に出ることを、決めた。
できることをやるしかない。
死にたいわけではない。それになぜか、自分が明日、死ぬとも思えなかった。
それは誰もが同じかもしれない。
明日、自分が死ぬ、と確信がやってくるのは、選ばれた人だけだろう。
僕には決まった未来は、まだやってこないようだった。
(続く)