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剣聖と剣聖  作者: 和泉茉樹
第6部 剣聖の最期
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6-7 一度の稽古


     ◆


 ハラトさんの書類は完璧だった。

 僕は国境地帯を抜けて、堂々とシュタイナ王国に入った。

 街道を進むことを選んで、ゆっくりと進む。ここに至っては、急ぐ理由はそれほどない。

 むしろ、時間を使って、自分の中の気持ちを整理したかった。

 ある雨の日、ずぶ濡れになって旅籠にたどり着き、中に入れてもらった。お風呂に入りますか? と言われて、僕が礼を言って、風呂に入った。

 上がって部屋に戻り、軽い夕食を食べ、布団に横になった。

 翌朝、頭がぼうっとする。風邪だ。

 旅籠の人と話をして、何日か滞在させてくれるように頼み、金を渡しておいた。

 じっと横になって、窓の外を見た。

 もう秋も近い空だ。

 どれくらい経ったか、ドアがノックされ、声がした。

「薬屋の方がお見えですが、いかがなさいますか?」

 女中の声だ。

「入ってもらってください」

 小さな音とともにドアが開き、彼女が入ってきた。

 瘦せぎすで、背が高い女性だ。背中には荷物を背負っていて、服はどこかしら汚れて見える。たった今、山から出てきました、みたいな雰囲気だ。

 彼女は荷物を降ろして、僕の額に手を当て、頷いた。

「薬をお出しします」

 不思議と澄んだ声だった。

 荷物を開けた彼女が粉末を用意し、こちらに差し出してくる。枕元の水差しの水で、僕はそれを飲んだ。

「眠くなると思いますから、眠ってください」

「ありがとうございます」

「また明日、来ます」

 そういった彼女が立ち上がろうとして、動きを止めた。どこを見ているのかと思ったら、僕の枕元にある剣を見ているようだ。

 どこかギクシャクとした様子で、彼女がこちらを見る。表情には迷いが浮かび、困惑があり、しかし最後には理性が勝ったようだ。

「また明日、来ますから」

 僕は頷こうとしたけど、もう薬が効いたのか、眠気にやられて意識を失っていた。

 気づくと夜で、視線を巡らせると、そばに粥の入ったお椀があった。もちろん、冷えているし、糊のようになっている。

 書き置きもあった。無理してでも食べるように、とある。

 だいぶ体が楽になっているのを感じながら、僕は粥を平らげ、また横になった。お椀の横には紙で包まれた粉末薬があるので、それも飲んだ。

 やっぱり眠ってしまう。こんな薬は初めてだ。

 次に目を覚ました時には、例の薬師の女性がすぐそばにいた。

「具合はどうかしら?」

 額に手が置かれる。僕には熱がある雰囲気はない。

「大丈夫だと思います。お世話になりました」

「うん、そうだね。それで、聞きたいことがあるんだけど」

 手を引っ込めた彼女を見返すと、真面目な顔で、射るような視線がこちらに見てくる。

「その剣をどこで手に入れた?」

「僕の師の持ち物です」

「つまり、彼は死んだってこと?」

 彼?

「ミチヲ・タカツジを知っているんですか?」

「知っているも何も」彼女が笑う。「あの人の片目を潰したのは私だし、逆に私の体に傷痕をつけたのも、あの人だ」

 いきなり薬師の女性が服をめくり上げて、思わず、反射的にそこを見ると、古い傷痕がある。

「私の名前はサリー。あなたは?」

「カイです。先生とは、その、どこで?」

「山の中の山賊の砦で」

 訳がわからない。

「あんたはこれからどこへ行く? 王都?」

「そのつもりです」

「私も噂では聞いているよ。ミチヲ・タカツジの異常さはね。あんたがそれを真似する? 見たところ、普通の人間のようだけど」

 答えられずに、思わず笑っていた。

「普通の人間が戦うべきなんでしょうね、普通じゃない人を相手に」

「それもそうか。言い得て妙だね」

 二人が少し黙った後、サリーが話し始めた。

「私は子どもの頃から剣術を習っていた。誰にも負けない技を身につけた。でも人間の醜悪な欲望に負けて逃げ出し、そのまま放浪した。そんな旅の中で、剣を手に入れた。その剣だよ」

 指差している先にあるのは、僕の枕元の剣だ。

「無償で作ってもらったけど、最高の剣だ。その剣を受け取ってから、ミチヲとモエに出会った。ミチヲとは剣を交わし、一度は勝ち、一度は敗れた。私は致命傷を受けて、しかし二人は私を助けた。そして別れる時、私とミチヲは剣を交換した」

「剣を交換した?」

「私が二人と別れてから世話になった人の屋敷に、今もあるんじゃないかな。でももう、私は剣を手に取らない。歳も取ったし、体も限界だしね。あなた、何歳?」

「二十九になります」

 ああ、とサリーが微笑む。

「若いね。今が一番、楽しい頃だ」

 そう言ったきり、彼女は黙った。

 彼女がぐっと足に力を込めて立ち上がり、サリーが身振りでも僕に起き上がるように示した。

「少し剣の稽古をしよう。構えだけだ」

「え?」

「良いから、剣を持って表に出なさい」

 僕は寝間着の上に一枚、羽織って、剣を手に外へ向かうサリーさんに続いた。サリーさんは旅籠の一階で、用心棒から剣を借りていた。

 二人で通りで向かい合い、すぐにサリーは剣を抜いた。

 圧迫感が押し寄せた。

 危うく後ろに下がりそうなほどの、強烈な殺気。

 それに耐えて、ゆっくりと剣を抜いた。

 この剣を抜いたのは、初めてだった。そう、抜く気になれなかったのだ。

 まるでサリーが僕に剣を抜かせてくれたようなものだ。

 でも今はそれを考える余裕もなく、今すぐに襲いかかってきそうなサリーに切っ先を向け、威圧感を押し返す。

 どれだけそうしていたか、サリーがすっと剣を鞘に戻した。僕は汗だくな自分を感じつつ、剣を引く。

「いい腕をしている。ミチヲに教わったの?」

 二人で旅籠に戻りつつ、サリーが訊ねてくる。

「いろいろなことを教わりました。いえ、全てを教わったかもしれません」

「あの男がねぇ。しかも死んだとは、信じられない」

「僕もです」

「しかしその剣があることには、奴が死んだことを信じないわけにはいかないな」

 部屋に戻る途中にサリーが軽食を頼み、二人で部屋に戻って少しすると、お茶と一緒にそれが運ばれてきた。

「それでこれから、どうする?」

「王都に向かいます」

「本当に? ミチヲと同じ道を進むか」

 サリーが苦り切った表情で、お茶を一口飲み、焼き菓子を口はへ運ぶ。

「あいつが剣聖たちと渡り合ったことは、私もうんざりするほど、聞いたよ。もはや人間技じゃなかった、と聞いている。お前なんかより、比べ物にならないほど、ミチヲは強い。それを理解しているか」

 突然、その言葉が頭に浮かんだ。

 先生が死ぬ何日か前に言っていた言葉だ。

「技は弱者が勝つためにある」

 思わず言葉にすると、ピタリとサリーが手を止め、こちらを見た。

「本当の強者には、技があっても通用しないよ」

「かもしれません。でも弱い僕は、技を使うしかない」

 はあっと息を吐いたサリーが、一転、ニヤッと笑う。

「昔の私がそのまま導かれれば、あんたみたいになったかもね」

 二人で黙って、しばらくじっとしていた。



(続く)

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