6-6 帰りたい場所
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串焼きの店で、食事をしている間に、僕はサカヤについて訊ねてみた。
「いい娘だと思うよ。可愛いし、機転が利く」
「機転が利きすぎるのも問題です」
「それがいいと思う時が来るよ」
どうやらハラトさんもサヤバさんの味方らしい。
「ここに来た事を後悔しているかな?」
串焼きに豪快にかじりつき、咀嚼しながらもごもごとそんな事を言う恩人に、僕は首を振った。
「まさか。お二人と会えて、嬉しいですよ」
「三人になる」
「そういう機転が、ややこしんですって」
二人で笑いつつ、串焼きを十分に食べた。そういえば、ハラトさんは普段から酒は飲まなかった。昨日は特別だったのだ。
「あの頃に比べて、この宿場も静かになった。平和だよ。決して、落ち着いて損はしない」
「ええ、それは、わかります」
「シュタイナ王国へ行ったら、ここに戻ってきなさい。それとも、やはりパンターロに帰るのかな?」
自分がどうしたいのか、正直、迷っていた。
帰るべき場所が多くある。また会いたい人も、急に増えた。
ただ、どうしても引っかかることがあった。それを打ち明けられる相手はそうはいない。
ハラトさんは打ち明けられる人、そのうちの一人だった。
「絶対に帰りたい場所が、ありました」
「今は、ないのか?」
「僕を見出して、剣術を教えてくださった方がいました。僕はどこにいても、その方のことが頭を離れなかった。全てを教えてくれる、まさに師でした。ですが、亡くなりました」
ふむ、とハラトさんは腕を組んで、黙っている。僕は言葉を続けた。
「だから僕が帰るべき場所は、もうないんです。自分がどこかに帰るということを、想像できないんです。おかしいことでしょうか? それともこんな僕もそのうち、どこかに帰りたいと思うでしょうか?」
わからないね、とハラトさんが小さな声で言った。
「みんな、そんなものだろう。行きたいところに行けたり、住みたいところに住む人は、ほんのわずかだ。みんなどこか中途半端で、宙ぶらりんな心で、生きている。カイ、君は幸せだったんだよ、そう思うだろう?」
「それは……、ええ、幸せだったかもしれません」
「いつかすべては失われる。どうしても、失われてしまうんだ。幸せはいつまでもは続かない。やはりどこかで失われる。それを受け入れることも、また生きるということだよ」
行こう、とハラトさんが席を立った。僕も立ち上がり、やはり会計はしなかった。
夜道をゆっくりと二人で歩いた。いつかも歩いた道だ。
何もかもが重なって見えた。中途半端な自分は、年ばかりとって、まだ半端なままなのか。
「サヤバの店に行きなさい、カイ。サカヤと話せばいい。私にしたのと同じ話をね」
「あの女の子に? ちゃんと伝わらないと思いますが」
「わからないさ。やってみなさい」
無責任な……。
しかし結局、僕はサヤバの経営する旅籠に戻り、例の部屋に入った。すでに布団が敷かれている。
横になっていると、廊下に通じるドアが開き、そっとサカヤが入ってきた。
「起きてらっしゃいますか?」
そろそろと彼女が入ってくるので、わざと僕は素早く起き上がった。
「ハラトさんに、君と話すように、と言われた」
「へ、へえ……」
彼女はススッと僕の前に座り込んだ。
「何の話でしょう?」
僕はさっき、ハラトさんに話したことをそっくりそのまま、繰り返した。
聞き終わったサカヤは、何かを考えていたようだけど、光る瞳でこちらを見た。威圧感さえも感じる強い瞳。
「私の父親は、もういません。ハラトさんの用心棒で、暗殺者に殺されました」
彼女は目を伏せも、躊躇いもしなかった。
「しかしその暗殺者も死にました。今の私の帰るべき場所は、母のところであり、ハラトさんのところです。でも二人は何もなければ、私より先に亡くなると思います。その時、私はどこへ帰ればいいか、考えてみれば、わかりません」
彼女が軽く口角を持ち上げた。
「私たちは同じ立場になる、ということです」
「だから、僕たちが親しくすることに、理由はあると?」
ありませんね、とサカヤが斜め上に視線を向ける。
「親しくしたいなら、すればいいんじゃないですか?」
「僕は特にしたくない」
「私も今はよくわかりません。母の意見を無視すれば。だって、昨日、初めて会ったんですから」
やれやれ、口が達者な娘だ。
「また会うことがあれば、その時、考えるとしよう。僕は昨日のお酒が残っていて、ちょっと具合が悪い」
嘘だったけど、サカヤは「わかりました」と洗練された動作で立ち上がった。その辺りは、サヤバさんの教育をうかがわせる。
「冷たいお水を用意しましょうか? この店には氷が常にありますから」
それはまた、豪勢なことだ。
「いくらかな?」
「無料でいいと思います。お持ちします」
彼女が部屋を出て行って、僕はやっと窓の外を見る余裕ができた。
月が見える。丸い月だ。
自分の言葉を吟味すると、少し恥ずかしい。
また会うことがあればなんて、ありもしないことを口にしながら、まるで僕がそれを望んでいるようじゃないか。
もう二度と会わない、と言っても良かった。
でもそうは言えなかった。不思議なものだ。何かを期待しているんだろうか?
ガラスのグラスで氷の入った水を、サカヤが持ってきてくれた。礼を言うと、彼女は微笑んで、部屋を出て行った。
その夜はスッキリと眠り、翌日、ハラトに、シュタイナ王国へ抜けるための偽造書類を用意してくれないか、頼んでみた。シュタイナ王国に入ることは、それほど困難ではないが、書類があれば街道を抜けることができるはずだ。
ハラトは嫌な顔一つせず、明後日には用意できる、と答えてくれた。
「実は明日にもできるんじゃないですか?」
不意に思いついて、突っ込んでみた。
「サカヤのために時間を作ったんですか?」
「それは勘ぐり好きだよ、カイ」
ハラトさんは微笑んでいる。底の見えない人なので、この時も真意がわからなかった。
結局、夜になるたびに、一時間ほどサカヤと話し合いをすることになった。これからのことなんかじゃなくて、お互いにどういう生き方をしてきたのか、情報交換するような会話だ。
僕はシュタイナ王国でやったことを話したし、サカヤはこの旅籠に来るまでに奉公していた別の宿場の旅籠の話をしてくれた。
書類が出来上がり、結局、僕はすぐに宿場を立たずに、サカヤと深夜まで話をした。
翌朝、見送りに出たのはサヤバさんだけで、彼女は苦笑いして、
「あの子は寝坊して、今も支度をしているのよ」
と、教えてくれた。
旅籠からサカヤが飛び出てきて、
「いってらっしゃいまし」
と頭を下げた。
「ありがとう」
僕は頭を下げ、親子に背を向けて歩き出した。
サカヤの元も、また僕が帰りたい場所の一つになった。
(続く)