4.75-3 稽古
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私は一人で剣術の稽古をしていた。
陛下が即位されるまでは、毎日、みっちりと稽古をしたものだ。今は忙しくなってしまい、質を向上させるしかない。
今も、剣術指南役に任命された二人の男性が、私を見ているが、何も言わない。
文句の付け所がないんだろう。実際、私が本気になれば、二人はあっさりと制圧できる。
部屋は広く、四十人は同時に稽古出来そうだが、私が王族のために、人払がされている。
されているはずだった。
そこにやってきた男がいる。
「好調みたいだな、姫様」
ソラ・スイレンだった。彼はその立場上、自由が保障されている。
私は彼を睨みつけ、剣を鞘に戻した。剣術指南役の二人は頭を下げていた。
「ちょっと手合わせしてもらおうと思ってね。カナタは出かけちまったし」
「筆頭剣聖の相手など、私には、とても……」
口ではしおらしいことを言いつつ、私は臨戦態勢だった。
この男は油断ならない。
まさにそれを証明するように、彼がすっと手を振った。
見えているぞ。
私の視線の先で、何か鈍い音がして、風が吹いた。
ヒューっとミチヲが口笛を吹く。
「前にやりあったのは、いつだったかな」
「三ヶ月ほど前です」
「そうかい。ちょっとばかり、本気でやろう」
すっとソラが剣を抜き、鋭い踏み込み。
芸のないこと。和音の歩法とは。
素早くすれ違う。剣に軽い手応え。
切ったわけじゃない、精神剣で防がれた。
彼の剣は私に掠りもしない。
反転したソラの連続攻撃。十六弦の振り。回避し、跳ね返し、また回避。
私の精神剣の知覚能力が相手の隙を正確に読み取る。
だがそれは偽装の隙だ。
誘い。
それを無視して、私も滑るように移動。
氷面の歩法などと呼ばれる、まさしく滑るような移動。
ソラが付いてくる、再度の十六弦の振りを横へ横へ、間合いを広げずに逃れていく。
痺れを切らしたソラが、剣による攻撃を誘いに変え、本命の精神剣を繰り出す気配。
濃密な一瞬の末、私の精神剣がソラの精神剣をはじき返し、二人が離れる。
姿勢を取り戻し、私は腕にかすかに痛みを感じた。
見ると、服が切れ、かすかに血が滲んでいた。
「互角、って感じだね」
そう答えるソラの肩にも傷がある。
「もうちょっと遊ぼうか」
堂々とソラが間合いを詰めてくる。私も応じる。
激しい攻防が繰り返されるが、お互いに決定打に欠いているように見えるだろう。
しかし私も全力ではないし、ソラだって本気ではない。
「陛下は何を考えている?」
剣術の応酬の中で、ソラが問いかけてくる。
「ミチヲ、モエは、生きていてはいけないのです」
「理由を知りたい」
「ミチヲこそが、重要らしいです」
ぐらっとソラが姿勢を乱す。
私はそこへ切っ先を突き出す。寸前で止めて、私の勝ちになる。
はずだった。
強烈な精神剣が私を打ち据え、防御したが、跳ね飛ばされる。平然と着地するが、その着地する瞬間を狙われるかと思った。しかしソラは動きを止めていた。
「あいつにどれだけの価値がある?」
訝しげな表情だ。
「精神器を持っている」
「だがあいつは剣聖ではない」
私はすっと剣を鞘に戻し、構える。居合の構えだ。
「答えろ」
「次の一撃を防げたら」
ぐっとソラが表情を引き締めた。
私は一歩、踏み出す。それでも間合いは広すぎる。
清流の踏み込み、と名付けられた歩法で、その間合いを消した。
相手に接近を悟らせない歩法にソラは確かに、反応しなかった。
だが、精神剣をぶつけてくる。
当然、私も精神剣でそれを受け流す。間合いは消えた。
あとは剣を振るだけだ。
二振りの剣が交錯し、私たちがすれ違った
「防いだぜ」
振り迎えるソラは首を傾げている。
どうやら少しは本気を見せたらしい。
私の方も無傷だが、ソラの剣を避けるがために、わずかにこちらの剣が伸びなかった。
つまり、ソラは相打ちを選択したのだ。
馬鹿な男だ。
「答えてくれ、ミチヲの何がそんなに重要なんだ?」
私は剣を鞘に戻し、息を吐いた。これで今日は終わりだ。
最強の剣士と手合わせできたのだ、よしとしよう。
「陛下ははっきりとはおっしゃらないが、ミチヲは剣聖にふさわしく、つまり、切ることに意味がある」
「例の人身御供の発想か?」
剣聖たちは言葉にこそしないが、その理屈を知っている。
強いものを高位の存在に捧げるという思想。
「それ以外にはないですね。ミチヲ・タカツジはシュタイナ王国で生まれ育った人間。この国に捧げられるのは、当然です」
「不死存在が勝てると思うか?」
「まさか」
私は反射的に答えていた。
不死存在はおぞましい。死なないのは、何よりも強みだろう。だが、本当に死なない存在がいるだろうか?
それ以前に、不死存在の剣術は剣聖にも劣る。
つまり、不死存在は目的を達することは出来ない。
「ジードが心配だな」
やっと剣を鞘に差し込み、唸るようにソラが言う。
「まだわかりません。ミチヲ・タカツジがここへ来るかも、わからないのです」
「陛下がそう仰られた?」
「陛下は何も口にしてはいません」
そう答えてから、不意に疑問が兆した。
陛下は、もしかしてミチヲをここへ誘いこむつもりなのか?
ミチヲがシュタイナ王国を憎み、破壊するように仕向けた?
そう、陛下はまるで、ミチヲの全てを知っているようだった。
「姫様、何を考えている?」
「いえ、なんでもありません……。またいずれ、稽古をしましょう」
「そちらがやる気なら、いつでもいいよ。僕の方でも考えておく。じゃあな」
さっさとソラは部屋を出て行ってしまった。私は少し考え、剣術指南役を下がらせると、陛下がいる書斎へ向かった。
中に入ると、何かを書き綴っている最中で、集中している。
しばらく私は黙ってそこに立っていた。
「ミチヲのことが気になるか?」
ペンを置いて、陛下がこちらを見る。見抜かれているようだ。
「陛下は、彼がここへやってくると思っているのですか?」
「そういう幻を見た」
「幻……」
椅子にもたれかかり、陛下が小さな声で言った。
「ミチヲはいずれ、三つの目を手に入れ、二つの体を手に入ると、私に告げたものがいる」
「フカミ殿ですか?」
あの老人なら言いそうなものだ。
しかし陛下は首を振った。
「あいつは何も言わない。幻は、私が見たものだ」
「三つの目と、二つの体、とは?」
「人の目、神の目、そして悪魔の目。人間の肉と、神の肉だ」
よく飲み込めない言葉だった。
そんな私に陛下が笑みを向ける。
「お前は人の目と神の目を持っている」
「それは、精神剣のことですか?」
「そうだ」
「悪魔の目、とは?」
じっと陛下が黙り、「わからない」と囁くように言った。
「何が見えるのだろうな? その目には。しかし人にも神にも見えないものが、見えるのだろう。エーナ、怪我をしているな?」
急に話題が変わる。ここまで、ということらしい。
私はソラとやりあったことを話し、陛下は微笑んだ。
私は暇な時間に図書室で悪魔の目について調べたが、何もわからなかった。
剣聖たちは暗殺部隊からの連絡を待ち続け、ピリピリし始めた。
そこへやっと、通報がやってきた。
(続く)