3.25-5 移植
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その日は、ミチヲという名前らしい男はだいぶ状態が安定した日で、朝食の後、老人が私とサリーに切り出した。
「街へ行って、あの男のための品々を揃えなさい。一晩、泊まってくるといい」
そう言って老人がどこからか、袋を持ってきて、私たちの前に置いた。
重い音がしたので、それが硬貨の袋で、相当な額だとわかった。サリーと思わず視線を交わした。
「そこまでしなくても私たちは、自分の世話くらいできるし、お金にも困ってないと思うけど」
サリーが断ろうとしたが、老人は頑として譲らなかった。
仕方なく、私とサリーはその袋を受け取り、村へ向かうことになった。しばらく進み、例の堤防のそばを抜ける。こんなに小屋と離れていたのか、と唐突に不思議に感じた。あの老人があまりに軽々と小屋まで運んだので、もっと近いと思っていた。
それに、あの小屋に運ぶより、村に連れて行った方が早かったのではないか。
同じことをサリーも考えているようだったが、言葉はなかった。
村でミチヲのための衣類を手に入れ、まだ必要だろう包帯などの医療品も手に入る限り都合した。サリーも薬や、薬を作るために必要な道具を買い求めている。
二人とも、老人が寄越した袋の中の硬貨を使ったが、しかし、中身はほとんど減らなかった。
かなり遅い昼食の席で、サリーがその話を始めた。
「ミチヲとは、不思議な関係で出会いました。敵でも味方でもなかった。でも、私たちは剣を交えて、最初は私が勝ち、次は私が負けた。彼は負けて死ぬはずの私を、助けたのです」
「善良な人間なのだな」
「とんでもない」
サリーが目を丸くする。私も驚いた。
「あの男は甘いんですよ。まぁ、そういう人間もいる、と勉強にはなりましたが。あいつも片目を引き換えにして、色々と学んだでしょう」
「片目?」
「ええ。私が切ったんです。気づいていなかったのですか?」
片目を失っている?
急に老人から聞いたことを思い出した。
目を移植する話だ。
今、老人の前に片目を失った男が現れた。これは偶然だろうか?
どんな存在にも、未来を予測することはできない。だが、老人は本来は見えないものを見る。
それが未来ではない、と断言することはできるだろうか。
思わず手を止めている私に、サリーが不思議そうな視線を向けているのに、遅れて気づいた。
「何か気になることがありますか?」
「老人が目を移植する話をしただろう。それが、気になった」
「まさか、ミチヲの目を治すのですか? どこに新しい眼球がありますか?」
「老人の目だ」
サリーが口元を撫でる。
「しかし、もうミチヲの傷は治癒している」
そう、そこが私にもわからない。それにもうミチヲの片目は、失ってから相当な時間が過ぎている。今更、新しい眼球を繋げるだろうか。
全て、私の考えすぎか。
その夜、ミチヲのことを案じつつ、私たちは夜にも拘らず、医薬品や手術器具を買うために、もう一つ先の街へ向かった。朝には到着し、すぐに買い物をし、来た道を戻った。
私たちは荷物を背負って歩いたので、それほど速くは歩けない。思った以上に荷物が多かった。休息しつつ、山に戻った。帰る頃には日が暮れるだろうと、二人共が日が落ちてくるのに急かされるように、先を急ぎ出す。
どちらが先に気づいたのかは、わからない。
老人の小屋が見えた時、誰かが外に倒れている。サリーが短い悲鳴の後、荷物を放り出して走り出した。私も続く。
倒れているのは、老人と、ミチヲだった。
老人は既に事切れている。
ミチヲは片腕を失っているが、呼吸は確かだ。ただし出血がひどい。時間がないだろう。
サリーの呼びかけに、わずかにミチヲは反応したが、すぐに意識を失った。二人で小屋に運び込む。左腕の傷を即座に塞がなくては。出血が酷いので、あるいは死ぬかもしれない。
ミチヲへの処置が終わり、あとは神に祈るだけになった。
老人の死体が外に置き去りだったので、それも葬らなければいけない。サリーが穴を掘った。
私は老人の亡骸を確認した。
瞳をどうするべきだろうか。しばらく考えたが、決断はすぐだった。
老人の瞳をえぐり出し、これも常備している保存液の入った瓶に、それを落とした。
「移植するのですか?」サリーがこちらへやってきた。「そこまでする理由がわかりません」
「この老人の最後の願いだと思ってね」
「その処置をされるミチヲのことは考えないのですか?」
それは確かに、大きいものだ。
だが、私はもう決めていた。
「この老人は、彼の目があの男に必要だと見ていた。そう、見たんだ。それが正しい未来だと、この老人には見えたんだろう。私はそれに従ってみる」
「責任転嫁じゃないですか」
そうかもしれない、と答えて、私は立ち上がった。
「手助けが必要だ。やってくれるか?」
大仰にため息をついて、サリーがシャベルを放り捨てた。
「良いですよ、どうなっても知りませんからね」
こうして私とサリーで、ミチヲの左目の眼窩に老人の眼球を移植した。やはりミチヲの左目は治癒が進んでいて、眼球の神経を繋ぐのに苦労した。苦労どころではない、諦めたかった。
無理をして、どうにか眼球を収め、しかし、これでは瞳を動かすこともできないだろう、と私は自分の手術の雑さに落胆した。
「これで何が変わるんでしょうね」
サリーは疑わしげにそういうと、さっさと小屋を出て行った。老人を埋めるのだろう。
私も外へ出て、それを手伝った。老人を埋めてから、それぞれに黙祷をして小屋に戻った。
数日がして、ミチヲが目を覚ました。
サリーがそれに気付き、私を呼んだ。しかし私が戻ると、もう意識を失っていた。
彼はたまに目を覚ますが、虚空を見据えてうめき声をあげ、また気を失うことを繰り返した。
それが一週間ほど続き、やっと彼の瞳に正気の色が戻った。
「慣れるまで時間が必要だろう」
ミチヲがこちらを見る。左目はやはり動いていないが、何かを映しているのは感じ取れた。
「あの男は奇妙な男だったが私に言づけてたことがある。いずれここに最強の剣士が来る。その剣士は左目を失っている。そこに自分の眼を移植するように。私はそう頼まれていた」
ミチヲが私をまっすぐに見える。少し脚色したが、許されるだろう。
しかし、こうして見据えられると、そわそわする。
どこか落ち着かなかった。
それから私は彼と短く言葉を交わし、薬を用意していたサリーも戻ってきた。ミチヲもサリーのことを覚えていた。
彼の面倒は主にサリーが見た。
サリーから聞いたところでは、彼はシュタイナ王国を目指しているらしい。シュタイナ王国と彼にどういう関わりがあるかも、サリーが教えてくれた。
ミチヲと行動を共にしていた女性が剣聖だったという。
私の知識の中では、欠番になった剣聖が一人いる。女性で、モエ・アサギ、という名前だった。断片的な情報だが、査問部隊がだいぶ動いたとも聞いた。
ミチヲもモエと同程度の使い手だと、サリーが教えてくれた。
そのミチヲの元に、チルドレンが送り込まれるのは、自然だろう。それらしい話もサリーが私に伝えてくれた。
すでにチルドレンは、走り出している。
私たちの研究成果が。
私は決断した。
ミチヲが起き上がった時を狙い、私は彼にキメラの話をした。
ミチヲは、私の提案を受け入れた。
彼の失われた左腕に、私はずっと持ち歩いていた、秘蔵のキメラの細胞を移植した。
結局、私は、好奇心には勝てないのだ。
(続く)




