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剣聖と剣聖  作者: 和泉茉樹
第3.25部 汚れた手
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3.25-3 再びの異国


     ◆



 聖都では私はサリーの補助のようなことをして、日を過ごした、

 彼女は私に研究のことをほとんど聞かなかった。一度だけ、

「もう研究はいいのですか?」

 と、尋ねてきたが、私が曖昧な返事をすると、もうそれきりにしたようだった。

 彼女からは意外な話もあった。

「キラが結婚したことも知らないのでしょう?」

「キラが?」

 彼女は私の屋敷に残っており、私とはもう何年も顔を合わせていない。

 彼女と数人の弟子が私の屋敷を管理しつつ、細々と診療所をやっているはずだ。

「誰とだね?」

 サリーが口にした名前に、私は思わず、なるほど、とつぶやいていた。

 その男は確かな腕前があるし、人間としても優れている。

 何より、私のように仕事に没頭し始めると、周囲が全く見えなくなるタイプではない。ちゃんと気を配れる男だ。

「幸せだろうな、彼女も」

「何を言っているんですか、先生。そう思うのなら、直接に会って祝福の一つでもしてあげてくださいよ」

 聖都で冬を過ごし、二人で春先にはそこを離れた。

「そういえば例のご老人と、何回か会っているのですが」

「うん、お元気そうか?」

「もちろんですよ。ただ、先生に言伝があったのを、ふと思い出しました」

 なんだろう? と思うと、サリーも不思議そうな顔をしている。

「眼球の移植手術の訓練をするようにとのことです」

「眼球……?」

 訳のわからない言伝だった。

 シュタイナ王国の中でも数人の外科医が、眼球の移植には成功している。そしてそのうちの一人に、私も含まれる。

 その技術はキメラやゼロ、チルドレンに対する実験の中で十分に磨かれているので、道具と環境さえ揃えば、やってのけることは難しくない。

 ただ、誰の眼球を、誰に移植するのだろう?

「不思議なご老人なのです」

 どうやらサリー自身はその言葉で、好奇心を抑え込んでいるらしい。

 二人で山岳地帯に分け入り、様々な薬草を採取した。サリーの知識はすでに私のそれを上回っていると、はっきりした。

 何せ、私が知らない薬草も多いのだ。私がシュタイナ王国にこもっていたからではなく、サリーはサリーで新しい薬物を探しているのだ。

 そしてその探索は、素晴らしい成果を上げつつある。

 山の中で野宿することになり、サリーは周囲に狼除けという粉を撒いて、戻ってくる。私が山菜の入った粥を小さな鍋の中でかき混ぜ、椀によそうと、彼女は礼を言って受け取った。

「こうして山の中にいると、自然というものを感じますね」

 急にサリーが話し出した。

「自然というのは、生まれ、生き、死ぬことです。私たちを取り囲む木々も、何十年も前に種から芽吹いて、今まで生き延びて、一本の木となっている。それって、凄いことじゃないですか?」

「時間というものは確かに、感動的ではある」

「私たちが死んでもこの木は残ります。そうしていつか、何かの理由でこの木も生命を終える。不思議なのは、樹木というのは生を終えても、形としては残ることです。死んでいる木が森には無数にある。では木々の生命の終わりとは、いつなのでしょうね。成長を終えた時? それとも塵に還った時でしょうか」

 なにやら難しい問答になったな、と思って、私はかすかに笑っていた。

「樹木にはどうやら意思がない。意思疎通ができないのでは、そもそも、どの段階で死が訪れたかを把握できない。それは人間にも言えることだ。怪我を負い、意識を失う。それでも心臓は動いている。医者は心臓が止まった時を死と定義している。では、樹木に心臓はあるのだろうか。樹木に耳をあてると、水を吸い下げる音が聞こえる。それが心臓の鼓動と同義か。考えることは多いな」

 私はゆっくりと粥をすすった。

「生命の謎はやはり、人が踏み込むべき場所ではないですね」

 さらっとサリーがそう口にした時、今の話は遠回しに私を戒めているのだな、と気付いた。

 キメラを良いようにして、チルドレンまでたどり着いた私に、生命というものを再確認させたのだろう。

 チルドレンのことは、私の頭から去ることはない。

 あれは、私が犯した最大の罪だった。

 生命を生み出した、生命を操った、それはとんでもない快感だったし、興奮を伴った。

 だが今になってみれば、それはまさに冒涜だった。

 犯してはいけない罪。超えてはいけない一線。

 それらをすべて薙ぎ払って、私は愉悦に浸っていた。

 愚かしいことだ。

 夜は静かに更け、そして明けた。

「あの老人を訪ねてみますか?」

 不意にサリーがそういったが、私には自分が今、アンギラスのどこにいるのかもわかっていない。時間があるとサリーが地図を持ち出して、私に現在地や方角の知り方を教えてくれるのだが、なかなか頭に入らなかった。

 私も年老いているのだろう。

 自分の衰えに、不思議と恐怖は感じなかった。

「私も会ってみたいと思っていたよ。すぐ近くか?」

「五日ほどでしょう。行きますか」

 私たちは五日間、黙々と歩き続け、山を降り、上がり、また山に分け入った。

 そうして夕方には懐かしい小屋が見えてきた。近くを川が流れている、その音が聞こえた。

「こんばんは」

 サリーが先に小屋の中に入り、私も続いた。

 例の老人は、こちらを見据えて、無言だ。これにはサリーも戸惑っているようだった。

 老人は少しすると瞼をパチパチさせ、わずかに笑った。

「また会えて嬉しく思う。薬師、そして医者の方」

 私たちは顔を見話せたが、奥へ進んだ。

「夕飯を振る舞おう。質素なものだが」

 老人が調理場に立ち、すぐにサリーが歩み寄り、何か話し始めた。彼女の手には山菜があり、老人は頷くと、それをまな板の上で切り始めた。

 そんな二人の様子を、私は黙って見ていた。

 夕飯になり、老人がやっと口を開いた。

「言伝は伝わっているか?」

「眼球のことですね? まだ器具が全て揃いませんが、技術には問題ないと思います」

「よろしく頼む」

「誰の眼球を移植するのです?」

 老人が微かに眼を細める。

「私の眼球だ」

 ……なんだって?

 場に沈黙が降りるが、老人は気にした様子もない。

「私はその時、死んでいるだろう。あなたは、私の言葉を形にしてくれると信じている」

 サリーを伺うと真っ白い顔をしているが、真剣な様子だ。

「誰に移植するのです?」

「いずれここに、私の目を必要とするものがくる。私はそのものに瞳を譲る。それが定めなのだよ。避けられないことだ」

 理解できなかった。妄想だろうか。

 ただ、私にはキメラを前にした経験があった。全く違う要素だが、この老人の不思議さ、奇妙な様子は、キメラの異質さと比べれば、許容できる。

「とりあえずは、承りました」

 私の言葉に、老人が深く頷く。

「その瞳には何が見えるのですか?」

 自然と尋ねると、老人も穏やかに答えてくれた。

「何もかもが見える。見えないものが、見える」

 謎掛けのようであり、はぐらかされているようでもある。

 どうやっても私には見れないのだ、真相を知ることはできないだろう。

「頼りにしている」

 老人が珍しく、笑った気がした。




(続く)

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