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剣聖と剣聖  作者: 和泉茉樹
第2.75部 狂気の研究
110/136

2.75-7 奇妙な瞳


     ◆


 フカミが私の元へやってきて、唐突にその話を始めた。

「アンギラスへ行くと良い」

「研究はどうなるのです?」

 私はゼロに関する研究に、自身は欠かせないと考えていた。

 それをアンギラスへ行っていては、他の研究者にも遅れを取るだろう。

「あまり、嬉しいお話ではありません」

「神の一角が、お前を待っている」

 ゾッと背筋に寒気が走った。

 神の一角。それは、あの地下にいる存在と同じものなのだ。

 それがなぜ、私を?

「復讐ですか?」

 わずかに表情を緩めたフカミが、首を振る。

「我々としてもお前には価値を見出している。それに」

 フカミがさっと手で自分の首のあたりを払った。

「お前を処分する気になれば、即座にできる」

 それもそうだ。フカミが手を汚すまでもなく、私には近衛騎士を一人、ぶつけるだけでいいのだ。

「それで、ゼロはどんな具合かな」

 世間話のようにフカミが話題を振ってくる。

「ゼロは自身の原型である被験者の経験を引き継いでいるようです」

 私の発言に、フカミは軽く頷くだけだ。

 だがこれは恐ろしいことだった。

 今、ゼロは一体が活動し、徹底的に調べられている。その中で、抜群の剣術を使うとわかっている。それも誰かが教えたのではない。初めから知っていたのだ。

 他にも文字に関する知識もある。

 私たちは彼に語学を教え始めた。どの程度の理解力があるのか、記憶力があるのかを知りたかった。

 それもまた、ゼロは完璧にこなした。彼は今、三ヶ国語を話す。

「恐ろしいかね?」

 フカミの挑むような言葉に、私はモゴモゴと答えるしかない。

「恐ろしいですが、楽しみでもあります……」

 ゼロがこの先、どうなっていくのかは、研究者の誰もが注視していることだ。

 しかし私にはアンギラスへ行けという。

「地図を渡しておこう。共を連れて行ってもいい。ではな」

 私に地図を手渡し、あっさりとフカミは部屋を出て行った。手元の地図を確認し、おおよその旅程を考えた。王都と往復すれば、半年はかかりそうだ。それも滞在する時間を度外視してだ。

 年齢的にも長い旅をするのは、今をおいてない、とも言えた。

 私の中で、ゼロと、神の一角が、天秤にかけられた。

 結局、私は、神の一角を選んだ。そこに出向けるのは、私だけだからだ。

 共を連れて行くことは考えなかったが、王都でたまたまサリーと再会した。彼女は頻繁に王都に薬を売りに来ると言っていた。

「体はどうかな」

 私が尋ねると、それを真っ先に聞いてくださいよ、と笑ってから、

「もう慣れていますから、大丈夫ですよ」

 と、返事があった。

「アンギラスへ行く用事があるが、どうだろう、来るか?」

 反射的に彼女を誘っていた。彼女ならちょっとした護衛になるし、彼女自身としてもアンギラスへ合法的に入国し、そこで薬草などを調べられる、という利があるはずだ。

 彼女は不審げな顔をしてから、腕を組んだ。

「何かありそうですけど、厄介ごとではないんですね?」

 厄介ごと、とは、つまり、キメラ関係ということだ。

 彼女が第三生物研究室にいた時間は、本当に短いものだった。彼女はある夜、真っ青な顔をして、「もう出来ません」とつぶやいて、泣き出した。

 彼女はその夜で、研究室を抜けた。

 フカミなどがサリーの口を封じようとするのでは、と思ったが、フカミはそうはしなかった。あるいはサリーにはまだ利用価値がある、という判断かもしれない。

 それなら、ここでサリーをアンギラスへ連れ出し、そこに置いてくれば、彼女は当面、安全になる。

「厄介ごとを背負うのは、私だけだ。君は付き添いだよ」

 考えさせてください、と彼女は答えを先延ばしにした。旅籠の場所は教えてもらえた。

 それから一週間後、私とサリーは並んで王都を出た。季節は春で、気持ちのいい日だった。

 旅は順調に進み、三ヶ月経つ前にアンギラスへ合法的に入国した。国境地帯は想像よりも殺気立っていない。

「いつもこんなものですよ」

 サリーがあっさりとそう評価した。

 どうやら彼女は何度かアンギラスに密入国しているらしい。シュタイナ王国とアンギラスの国境地帯は山間で、植物も様々なものが生えている。それを手に入れるためのようだ。

 アンギラスの山岳地帯をひたすら進み、平地に下りていく。

 野宿を重ねていたが、ある夜、私が足を滑らせ、足首を挫いた。

「医者が怪我をするとは、やってられん」

 思わずぼやきつつ、応急処置をして、先へ進んだ。サリーの薬も役立った。

 だが、どういうわけか、私は熱を出し、ある夜を境に意識が曖昧になった。

 サリーが私を背負っている、とぼんやりと思い、次の瞬間には、私は粗末な部屋に寝かされていた。

「起きたか」

 声のほうを見ると、老人が座って食事の用意をしていた。

 こちらを向いた瞳は、どこか、違和感がある。変な光り方をしている、妙な瞳だった。

「友人は薬草を取りに行っている」

 老人はそう言って、こちらに背を向け、黙り込んだ。

 そのうちにサリーが戻ってきて、私が二日ほど意識不明だったと教えてくれた。だいぶ心配したようだが、それを押し隠している。

「あのご老人は?」

 尋ねると、サリーが小声で答える。

「たまたま、泊めてもらっただけです」

 老人が食事を出してくれて、私たちもそれを受け取った。老人はひたすら寡黙で、じっとどこかを見て動かない時間が多い。

 夜になり、朝になる。

 私たちは老人に金を渡してそこを去ろうとした。

「頼みがある」

 老人が急に言ったので、驚いて、「なんですか?」と即座に言葉にしていた。

「またこの国に来る時には、ここへ来てくれ。それが、必要なことなのだ」

 訳のわからない言葉だった。

「私がまたここに来ることは、ないかと思います」

 正直に答えると、老人がニヤッと笑った。

「私には見える」

 実に奇妙な老人だった。何が見えるのかは知らないが、言葉には確信の色があった。

「良いでしょう、では、訪ねさせていただきます」

「助かる」

「こちらこそ、ありがとうございました」

 そうして私たちは別れた。

 山の中を進み、地図にあった場所にたどり着く。

 小さな洞穴だった。

「君はここで待っていれば良い」

「帰ってこなければ、私は先に逃げますからね」

 心にもないことを言うサリーに笑みを見せて、私は洞窟に入った。

 結果は、空振りだった。

 奥まで進むと、広い空間があった。天井がないのは、そこにあるはずの岩盤が崩落したからだ。光が差し込み、洞窟の中を抜けてきたとは思えない。だが、誰も、何もいない。生命の痕跡もない。

 ゴツゴツとした一面の岩を見てから、私は声を出す気にもなれず、元来た道を引き返した。

 サリーがいない、と思うと、どこからか彼女が戻ってくる。短い時間でも薬草を探したいようだった。

「もう用事は済んだのですか?」

「いや、どうだろう……」

 私は答えに窮して、もう一度、背後を見た。

 洞窟には何もいない。これは、ただ、踊らされただけだったか。

「戻るとしよう」

「どこへです?」

「王都だ」

 サリーが頷いて、少し表情を変えた。

「私はここに残ってもいいんですよね?」

「そういう約束だ、気にすることはないが、大丈夫か?」

 サリーがこれからどうやって生きていくのか、私が案じても仕方ないのに、思わずそういうことを考えてしまう。これもまた、情か。

 さっぱりとサリーは笑みを見せた。

「生きようと思えば、どこでも生きられます」

「力強いな。では、ここで別れるとしよう」

「今まで、ありがとうございました」

 深く頭を下げたサリーの肩を叩くのが、私にできる最後の優しさだった。

 一人で山の中を戻っていく。例の老人の小屋がある方を見たが、もちろん、見ることはできない。木に遮られ、起伏に遮られている。

 私は秋になる王都に一人で帰還し、そこで、私がいない間に起こったことを、初めて知った。

 恐怖の研究は、新しい形を見せはじめていた。





(第2.75話 了)

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