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剣聖と剣聖  作者: 和泉茉樹
第2.75部 狂気の研究
109/136

2.75-6 実験の果てに


     ◆



「君がアキヒコという医者か?」

 研究室はいつの間にか私を中心に動き始め、私はもう何年も第二王宮に閉じこもっていた。

 その男は堂々と入ってくる。一目見れば立場はわかるし、顔も知っていた。

 次席剣聖、カナタ・ハルナツ。

「そうですが、何かご用ですか?」

「助けて欲しいものがいる。ついてきてくれ」

 私は席を立って、彼に続いた。歩きながらでも事情を説明してくれるかと思ったが、それはなかった。

 第二王宮を出て、別の場所へ向かうらしい。

「怪我人ですか? 病人ですか?」

 馬車に乗ったところで、思い切って尋ねた。

「見ればわかる」

 そっけない返事だが、どこか張り詰めたものがある。

 外を見ていると第三王宮へ馬車が滑り込むのがわかった。すでに夕日が差す時間帯で、堀が眩しい。

 第三王宮の玄関で馬車を降り、中へ入る。近衛兵がちらほらと見える。

 彼らの視線を感じつつ、私たちは地下へ向かった。

 地下一階から、地下二階へ。私は初めてくる領域だ。

「治療しようにも、器具や助手が必要です」

「それはいらない」

 いったい、どんな患者が待ち構えているのだ?

 一つの部屋をカナタはノックもせずに開けて、中へ入っていく。私も続いた。

 灯りが周囲を照らし、寝台が見えた。

 若者が横になっている。知らない顔だ。

 呼吸はかすかだ。肌の色はもう死人のそれである。

「私にどうしろと? すでに治療は終わり、手遅れのようですが」

 変に希望を持たせたくなかった。たとえ次席剣聖でも、何かにすがりたいときがあるだろうと、勝手に解釈した。

 そのカナタが、私を見た。

「そこにいる男に、キメラを植え付けてくれ」

「何ですって?」

 思わず聞き返す私に、静かにカナタが繰り返した。

「キメラを植え付けてくれ」

「……人では」舌がもつれる。「人ではなくなります」

「構わない」

 声とは裏腹に、カナタの心の奥が激しく揺れているのに、私は気付いた。

「とても、そうとは……」

「それ以外にこいつが生き残る道はない」

「生きているとは言えません」

 キメラの研究は進んでいる。

 だが、まだあの無意識状態を回避するやり方が発見されていない。

「一時的には、超人として、存在します。それを過ぎれば、人形です」

 念を押すように、私はそう言っていた。言いながら、でもカナタは諦めないだろう、とも思っていた。

「やってくれ。頼む」

 次席剣聖は頭を下げずに、しかし悲痛なほど語尾を震わせて、私に頼んだ。

 断るべきだった。しかし、私は彼の情に負けた。

 密かにこの若者を第二王宮へ移し、実験室で、最新の研究を応用したキメラの細胞を移植する。不安があるとすれば、この被験者がすでに意識不明で、その状態で、キメラの暴走を制御できるかだった。

 すでにキメラを制御する人間には、強い意志が必要だと、おおよそわかっている。

 今回のような意識不明の人間にキメラを埋め込むのは、ほとんど前例がない。

 移植から数日が過ぎても、被験者は目を覚まさない。彼は腹部に重傷を負っており、もし彼がキメラに支配される、もしくはキメラを支配すれば、その傷は治るはずだ。

 傷はなかなか、治らなかった。私は念のため、彼の腹部の傷に作用する薬を投与した。

 移植から一週間。変化があった。

 呼吸がはっきりとし、腹部の傷が溶けるように消えていった。

 そのうちに彼は呻くようになり、汗をかき、つまり死の淵を脱したようだった。

 だが彼は今度はキメラと戦わなくてはいけない。それに負ければ、彼は体を奪われ、即座に人ではなくなる。

 さらに一週間、彼はその状態を耐え抜いた。

 目を覚ました時、頻繁に実験室に顔を出しているカナタもいて、被験者は顔を覗き込むカナタにかすかに笑って見せた。

 翌日には彼は上体を起こし、次の日には床に降りた。

 実験が本格的に始まり、被験者、エダの体には何の問題もなく、しかも人間をはるかに超える運動能力を持っているとわかった。

 が、どういうわけか、崩壊は早かった。

 足の指の先から黒いシミが浸食する。そして意識も失われ始めた。

 カナタとエダは長い時間を話し合っていたが、私や研究者は遠ざけられていたので、何も知らない。

 二人の間で何かが決められたらしく、その要件はカナタから私に告げられた。

「エダの体を保存できないか?」

「保存、ですか? そのような前例はありませんが……」

「あいつを残したいのだ、どこかへ」

 そこで私は、身内からも反対意見のある実験を連想していた。

「キメラの複製を目指す実験があります」

 それはキメラの細胞を二つに分割し、それぞれが同じ要素を持つものになるか、という実験で、私が興味を持っている分野の一つだった。

 今の段階でマウスをキメラに浸食させ、その一部を切り取り、もう一匹のマウスを作ろうとしている、というだけで、二匹目のマウスは、歪な生物にしかなっていない。

 未完成も未完成、まだ完全には程遠い実験だった。

「その実験のための検体として、あの被験者の一部をいただきたい」

 カナタは思案したようだが、「任せる」とだけ言った。

 こうして突如、私の構想は、実際の人間を使って試す機会を得た。

 被験者のキメラに飲み込まれた片足を切断した。その脚はすぐに新しいものが生えるが、シミは消えない。

 一方、切断された脚はみるみる黒い液体に変わってしまうが、私はそれを容器に保存した。

 即座に培養を始め、失敗を繰り返した。

 被験者はみるみる弱り、それでも私は彼の体を切り取り、実験試料を手に入れた。

 被験者にキメラを移植して一ヶ月後、彼は意識を完全に失い、全身をシミに侵され、もう動くこともなかった。

 私はカナタにどう言い訳をすればいいか考えたが、彼は被験者を見て、私に礼を言った。

「無茶をさせた。すまなかった」

 この被験者はカナタにとって、大切な人間だったんだろう。正体不明の技術を使ってでも、生き長らえさせたかった。

 悲劇だが、しかし、私にそれを悲しむ権利はない。

 その悲しみを、私は利用したようなものだ。

 その被験者の亡骸は、地下に送られ、私は彼から手に入った試料を使って、実験を続けた。

 共同で研究を続けている科学者が、ある日、声を上げた。

 彼の手元の容器を見ると、黒いシミがある。

「キメラが増殖を始めたぞ! すごい速さだ!」

 それから半月は怒涛だった。

 半月後には、このために用意した巨大なガラスの容器の中に、溶液に沈んだ人のようなものが生まれていた。

 私たちはそれをゼロと名付けた。

 ゼロはやがて人のような姿になり、成人の体の大きさとなった。

 容器の中で目を覚ましたゼロが、こちらを見ている。

 好奇心は少しもない。ただぼんやり見ているだけだ。

 ただそれでも、この生命には、意志がある。

 私たちはこうして、生命を始めて、生み出したのだった。





(続く)

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