2.75-5 決定的打撃
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実験の結果は、驚くべきものだった。
彼は死ななかったのだ。
むしろ人間を超越した。失われたはずの右腕が、日ごとに治癒速度を増して、おぞましい光景ながら、復活していく。
様々な実験が行われ、驚異的な事実が判明した。
全ての傷が、治癒していく。切り傷、骨折、火傷、全てが治癒するのだ。
私たちは彼の腕の生皮を剥いだりもした。彼は痛みを訴えたのも短時間だけで、皮膚は即座に再生した。
私たちは沸き立った。この時ばかりは他の研究者たちも私と抱き合い、声を上げた。
私たちは、まったく新しい生物へ近づいている。
その確信が全員にあった。
ただ、異常事態は唐突にやってきた。
被験者の近衛騎士は、ぼんやりとしている時間が増えてきた。私たちの言葉に答えない時もある。
ここまではまだ害はなかった。
握力を計測している時だ。彼が計測器を握りしめ、途端、虚ろな顔になった。
みんなが見ている前で彼は人間離れした握力を発揮し、測定器は限界まで針を振り切らせ、そこで停止した。
鈍い音と共に計測器が破壊された。
そこで近衛騎士は我を取り戻したが、私たちはみな、言葉をなくしていた。
確かに近衛騎士は生物の領域を超えた。治癒力、運動力、どちらも常人ではない。
だが、彼から理性が失われたら、一体その力を誰が管理するのか。
フカミに相談するべきだ。そう判断して、私は彼を訪ねた。
「それもまた実験か」
そう言って、フカミは一人の男を連れ立って、私たちの実験室へやってきた。
「実験室というより体育館だな」
広い広間に入ってきたソラ・スイレンがそう言って口笛を吹く。
彼の傷はすでに完全に治癒し、日常には何ら支障はない。それに彼は手傷を負って以降、さらに剣術を高めるために努力しているという噂も聞く。王宮の中にいなければ知ることもなかっただろう。
被験者の近衛騎士が連れられてきた。
ソラと向かい合い、近衛騎士に剣が手渡される。彼は不思議そうな顔だ。
「さあ、やろう」
あっさりとそう言って、ソラが剣を抜いて、間合いを詰め始める。私たちは距離を取った。
そしてこれから目の前で起こることを、細大漏らさず見届けるために集中した。
近衛騎士が姿勢を整える前に、ソラが躍り掛かった。
私には視認不可能な速度で滑るように移動し、剣が走った。
甲高い音。近衛騎士は防いでいる。しかしそこへソラの連続攻撃。
血飛沫が撒き散らされた。
倒れたのは近衛騎士だった。
「こんなもんか?」
ソラがこちらを見やる。
私はさすがに圧倒された。ここまでの使い手は、そういない。あまりに強い。
ただ、心の底から震えるものを感じもする。
この存在を、科学で圧倒できれば、もはや剣聖は特別でもない。
その興奮を裏付けるように、近衛騎士が立ち上がった。さすがにソラも向き直っている。
「えげつないものさ」
そう言ったソラの声が掻き消されるほどの濃密な風を切る音。
噂に聞く、ソラ・スイレンの最速の攻撃、十六弦の振り。
近衛騎士は三連撃までは器用にさばいたが、そこまでだ。
左腕がすっ飛び、右足も膝で切断された。
胸に何本もの傷跡の線が入り、最後の一撃が首を半ばまで断ち割った。
重い音ともに、倒れる。
死んだ。普通なら。
「どうなっている?」
ソラがまるで怖がるように間合いを取った。
床に転がっていた近衛騎士の腕と脚が真っ黒い液体になり、地を這う。
一方で、近衛騎士は失われた四肢が即座に再生し、起き上がっていた。
「なぁ、フカミよ」
まるで世間話をするように、ソラが私の隣にいるフカミに声をかけた。
「本気でやっていいのか? 塵も残さないくらい」
「やって見せろ」
フカミは落ちついたものだ。
「それも実験になる」
「僕はただ不愉快な気分なだけさ」
立ち上がった近衛騎士がソラに躍りかかる。
彼の目は、虚ろだった。
あの状態だ。攻撃性に支配される、無意識状態。
恐れていたことが、最悪の場面で起こっていた。
今、近衛騎士には理性がない。ソラを叩き潰すことしか、考えていない。
「弱い」
小さく、ソラが呟いた。
湿った、というより、鈍い、という表現が正しいだろう。
近衛騎士の胴体が腰で二つに分割された。それは見た。
あとは何が起こったか。
体がバラバラに分解された。さらに見えない何かがその破片をすり潰すように、空間を支配した。
結果、一瞬で近衛騎士は花火のように砕け散った。
決定的どころではない。
もう原型が少しもない。
飛び散った血や肉片が、すべて黒いシミに変わる。それがじわじわと一箇所に集まろうとするが、それも勢いが消え、最後にはまさにシミとなって、それで終わってしまった。
さっきのあの見えない力は何だ?
あれが、精神剣か?
「不死と言っても、死ぬじゃないか」
足元のシミを靴で弄りつつ、ソラが呟く。
「研究段階なのだよ」フカミが笑みを含んだ声で言う。「私にもどこに落ち着くかはわからない研究だがね」
その発言には、ソラの戦闘力よりも驚きがあった。
フカミは何を目指して、この研究をしているのだろう?
不意にそれが気になりだした。
「じゃあ、僕は帰るよ。後片付け、よろしく」
ふらふらっとソラ・スイレンが去っていく。そう、彼はわずかな手傷も負っていない。
「あなたの目的は何ですか?」
小さな声でフカミに問いかけると、フカミの返答は、これも意表をつくものだった。
「お前たちが私たちをどう解釈するかを知りたいのだよ。だいぶ遠回りをするが」
私たち?
フカミは、キメラの一員なのか。しかし、ソラも知ってはいる様子だった。
誰が知っていて、誰が知らない? どういう立場の人間が、何を知っているのだ?
私はフカミにどう質問するべきか、考えたが、しかし、浮かんでくる質問があまりにも頼りなく、口にはできなかった。
あなたは人間か? などと、目の前の老人には聞けなかった。
私たちが弄んでいるキメラは、何のか? などとも、聞けなかった。
フカミが去り、研究者たちが残留物を採取しているのを私は見ていた。
いつの間にか、恐ろしい場所へ私は踏み込んだようだ。
それなのに、私はその道をまだ進むつもりでいる。それが我がことながら、やはり、恐ろしかった。
それから長い時間をかけ、私たちはキメラに関して調べ続け、確かめ続けた。
多くの死刑囚が犠牲になった。
あの近衛騎士と同じ程度の使い手は、ほとんどおらず、それもあって、彼ほどキメラが馴染む個体も滅多に現れなかった。
その稀な被験者も、時間とともに意識を失っていき、ぼんやりとして過ごすようになる。言葉は通じているようだけど、返事はしない。頷きもしない。
ただ、ぼんやりとそこにいる。
剣を持たせることもあったが、その時は、大抵、フカミが同席した。
フカミはソラほどではないが、徹底的に被験者を解体し、それで被験者はもう終わりになる。
その光景を見るたびに、私の中にある種の安堵が生まれた。
私の実験は、まだ制御可能である。
しかしあまりに残酷で、非道なことを、私はしている。
何かに取り憑かれたように。
(続く)




