2.75-4 精神力
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王都へ戻り、サリーは薬草を採取しに行くと言って去っていった。
私は一人でキメラの細胞をひたすらマウスに埋め込み、そのマウスがキメラに飲み込まれ、形さえも失う様をじっと観察し続けた。
フカミが頻繁にやってくる。
「死刑囚を用意しよう。初めてではあるまい」
その一言で、私は第二王宮の中の一室で、寝台に縛り付けられている死刑囚と対面した。体格のいい男で、暴れているので、寝台もベルトも激しく軋む。
私は用意していた、活動が活発な細胞を、その死刑囚の腕に植え付けた。
死刑囚は唐突に体を痙攣させ、唸り始めた。頬が紅潮するとどころではなく、首筋まで赤い。熱を測るとかなりの高熱だ。
高熱は度がすぎると生命に影響を与えるとすでに知っている。
最新の解熱剤は用意されていた。それを使えば、この男は生き延びるだろうか?
しかし、熱の理由はキメラの細胞なのだ。
そして私はこの死刑囚を生き延びさせるために、彼を実験対象にしているわけではない。
呻いて、喘いでいる死刑囚を前にして、私は冷酷さを取り戻した。
じっと観察する。何も見逃さないように、検査を続ける。
だが彼の命にはこだわらなかった。
死刑囚はキメラの移植から九十六時間ほどで、死亡した。
死亡しても実験は終わらない。キメラの細胞が死体を喰い漁っていく様を、記録し続けた。
実験開始から十日で、死刑囚の肉体の半分が黒い物質に変わっていた。その黒い物質は粘土のような手触りで、今の所、人間の形を保っている。
さらに十日が過ぎ、死刑囚は全て真っ黒い物質に飲み込まれ、まるで真っ黒いゼリーか何かのようだ。
「処理しなければなるまい」
その日もフカミが来ていてそんなことを言った。
彼の指示で彼の部下らしい兵士が、キメラの細胞にすり替わった人間を袋に押し込み、運ぶ。私とフカミもそれと一緒に、地下へ降りた。
例の檻の前で、兵士たちは去っていく。
檻の向こうでドラゴンが起き上がり、こちらへやってくる。やはり巨大だ。
手がこちらに伸び、爪の先で袋を引き寄せ、檻の中に引きずり入れた。
そして私たちが見ている前で、ドラゴンはそれを一飲みにしてしまった。
「これが最も安全な処理方法だ」
何の感慨も無い声で、フカミがそう言う。
「我々が自由になれば、命は無いと思え」
唐突にドラゴンが人語を話した。私はその高い位置にある異形の頭を見上げた。
「我々を弄ぶことの代償は、大きいぞ」
私の中には、意外なことに、恐怖はなかった。
「私は人間です。人間はおそらく、誰にも負けないでしょう」
「ふざけたことを」
「人間は常に対策を考える。私を殺しても、私以外の誰かが対策を考えるのです。その私以外の誰かが倒れれば、また別の誰かが後を引き継ぐ。人間が絶滅するまで、あなたたちは戦わななくてはならない」
もうドラゴンは何も言わなかった。檻の奥へ戻り、身を丸める。
「行くぞ」
フカミに連れられて、私は牢を離れた。
「君をあまりここには近づけるべきではないな」
「そのようです」私も自然に答えられた。「しかし人体実験は必要です」
「心配するな。死刑囚は多い。秘密裏に都合できる」
こうして私は人体実験に邁進し、三十人ほどが私の被験者になった。
キメラの細胞の大きさ、埋め込む位置、など、様々に工夫した。
死刑囚たちはやはり高熱を起こす。私は試しに解熱剤を与えてみた。ダメだった。解熱剤には効果はない。
前進らしい前進といえば、死刑囚の一人が熱から解放された時、意識をはっきりと取り戻したことだ。
彼とは毎日の診察で言葉を交わした。
右腕に埋め込まれたキメラの細胞は、彼の手首から先を真っ黒に染めている。
痛みはあるのかと聞けば、ないと言う。
感覚はあるのかと聞けば、あるという。
つまり、個体差があるものの、キメラを埋め込まれた人間、という存在は、全くの不可能ではない。
その被験者は右腕の全部が黒く染まった時、唐突に、高熱を発して意識を失い、死亡した。死体はやはり、まっ黒い塊になり、フカミ付きの兵士がやってきて、回収していった。
私は死刑囚の情報を厳密にチェックし、その意識を保った死刑囚に関して、必死に探り始めた。
どこかに彼が意識を維持できた理由があるはずなのだ。
彼は元は兵士だったとわかった。それが重要な意味を持つだろうか。
私が目をつけつつあるのは、精神力というものだ。キメラを植え込まれて死んでしまう個体は、キメラに意識を奪われているのではないか。
強靭な意志さえあれば、キメラを服従させることができる。
ありそうなことだが、人間はまだ意志力というものを計測することはできない。
苦肉の策として、私はフカミに泣きつくように、近衛騎士の一人を実験材料にさせてくれ、と懇願し続けた。
フカミがそれを受け入れるわけもない。
だが、意外な事態になった。
一人の近衛騎士が剣聖に挑戦し、切られたというのだ。
治療室へ飛び込むと、手術の最中だった。寝台に横に進み出ると、その若い剣士は右腕を失っていて、そこはもう縫合が終わっている。
今は胸の傷を縫い合わせていた。
研究の傍ら、フカミに請われて、私は王宮の医師に外科手術の手法を教えていた。今、手術を行っているのはそんな弟子の中でも一番の技術があるとみている医者だ。
実際、何の問題もなく、手術は終わった。
「生き残れそうか?」
私が弟子に尋ねると、ため息が返ってきた。
「五分五分ですね。ただ、剣聖に負けたのですから、死ぬしかない。なぜ、生かしたのやら」
そう、そこがおかしいのだ。
剣聖に敗れたものを治療することは本来、ありえない。
「フカミ様も何を考えておられるのやら」
弟子がそう呟いて、私はピンときた。
これはフカミから私への贈り物なのだ!
私はその近衛騎士の治療に力を貸し、彼は二週間の昏睡の後、目を覚ました。
いよいよだぞ、と私はその間にも実験と観察を重ねていたキメラの細胞の移植技術を、再確認した。
予想通り、フカミがやってきた。
「所望していた近衛騎士を与える」
そっけない言葉なのは、私が知っていることをフカミも理解しているのだ。
「ありがとうございます」
フカミはもう何も言わずに部屋を出て行った。
私の元に例の近衛騎士がやってくる。車椅子に座っていた。
いくつかの問診の後、私は彼の失われた右腕にキメラを植え込むこととした。
実験に先立って、私は彼に事情を説明した。
「生命への冒涜ですね」力なく彼が答える。「しかし僕は死ぬしかない。受け入れましょう」
「それでは困る!」
私は即座に彼に怒鳴った。
「生き残る、キメラを支配する、それくらいの気迫で臨んで欲しいのだ。私は君のその精神力に期待している。そこが今、最も高いハードルであり、君にはそれを超えることの期待がかかっている。本気になれ。生き残れるんだと」
近衛騎士は私をじっと見据えてから、頷いた。
「良いでしょう。生き残ってみせますよ」
こうして実験は始まった。
(続く)