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剣聖と剣聖  作者: 和泉茉樹
第2.75部 狂気の研究
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2.75-3 命の冒涜


     ◆



 死んだマウスは焼却して、その灰は厳密に処理された。

 処理されたはずだった。

 処理の方法はもしもに備えて、鉄の箱に入れて厳重に封をする、というものだった。

 だがある日、研究室で何かが軋むのに気づいた。他の研究員達が不思議そうなのとは対照的に、私はすぐに気づいた。

 部屋の隅に保管されている四つの箱を中の一つを、開封した。

 本来は許されない行為だ。だが、私は我を失っていた。

「うわっ!」

 声を上げたのは私ではない。

 私の手元の箱から黒い液体が流れだした。

 キメラの細胞は死んでいない!

 私は慌てて容器を用意し、その中に全ての液体を回収した。手袋をすることを忘れなかったのは、ほとんど反射的な行動だ。

 新しい容器の中でうごめく黒い液体の一部を採取し、顕微鏡で覗いて、さらに驚いた。

 差し込んだ容器の中で黒い細胞が激しく蠢いている。

 それを観察し、記録を取れる限り、取った。

「恐ろしいことだ」

 急に声をかけられ、そこにはフカミが立っていた。彼は渋面で私を見ている。

「人間とは恐ろしい」

 彼はそう繰り返してから、私に一通の書状を手渡した。

「なんですか? これは」

「君には行ってもらう場所がある」

 封筒の中身を開封する。指令書と、ちょっとした地図。

「君の弟子と共に行くといい」

 今、サリーは席を外していた。彼女は貴族たちに薬を売る仕事を続けているのだ。

「すぐに出発ですか?」

 指令書にはそうある。フカミも頷いている。

「そのサンプルを回収していいかな」

 培養されたキメラの細胞だ。

「資料にまとめて、みなで共有するように」

 私が容器に移して経過を観察していた黒い液体は、こうしてフカミが持ち去ってしまった。

 その日の夜にサリーがやってくる。私はもうこの第三生物研究室で生活しているが、彼女はまだ旅籠で生活している。今はちょっと顔を出した程度だろう。

「ここへ行くように言われている」

 サリーに地図を手渡す。サリーはシュタイナ王国をほぼくまなく歩いているので、すぐに気づいたようだった。

「山ですね。何もないですよ、店も、泊まるところも」

「その程度はどうとでもなる」

「熱意がありますね」

 珍しいサリーの皮肉に、私は堂々と笑みを返した。

 翌日には支度をして、即座に王都を出た。地図にあった場所へ急ぐ。一週間をかけて、そこへたどり着いた。

 サリーが言った通り、山だった。それも材木商も手をつけてないどころか、下草が鬱蒼と生い茂る、野放図な森である。

 荷物にあった鉈を手にサリーが分け入って行く。私はそれに従った。途中で交代したり、小休止を挟み、いよいよ人の気配も消えた。

 斜面を上っていき、唐突に洞窟にぶつかった。

「あの地図でよくここまでたどり着くものだ」

 私の感嘆に、サリーは「慣れていますか」とのことだった。

 二人で洞窟へ入っていく。ひんやりとした空気に変わる。明かりはないので、これもサリーが荷物から取り出したランプを手に奥へ進む。

 洞窟は意外に深く、長い。

 音がしない。と思った瞬間、低い音が奥で起こった。

「いるらしい」

 私の言葉にサリーは顔を強張らせている。

「そこまで楽観できませんね、私は。命が惜しい」

「命を奪われることはない」

「なぜ?」

 私は答えずに、先へ進んだ。

 洞窟の一番奥に到達した。何かがうずくまっている。

 しかし大きい。既存の生物のそれではない。第二王宮の地下で見た個体とは、細部で異なるようだ。目の前の存在には翼はないし、見た目は熊のようだ。

「名は?」

 低い声で言ったのは、その不可思議な存在だった。

「アキヒコと言います。医者です」

「医者か。我らが同胞の気配を強く感じる」

「あなたがたを調べているのです。気を悪くされるかもしれませんが、人間は弱い。それを克服するのが、私たちの役目になります」

 低い音、と思ったら、それはその生物の忍笑いだった。

「弱いままでなぜいけない」

「え?」

「弱ければ弱いままで、生きればいい。そうではないのか?」

 私は真面目な顔で、頷いた。

「より強いものを目指すのが、私たちです。何を犠牲にしても、非道を突き進もうとも、私たちは強くならなくてはいけません」

「女は?」

 サリーが私の少し背後で肩を震わせた。

「女、答えよ」

 私はそっとサリーを伺った。

「私は、強さが全てとは思えません。それよりも、私は命を永らえさせることに興味があるのです」

 初めて聞く内容だった。

 謎の存在は、やはり忍笑いをもらした。

「強欲なことだ」

「それが人ですから」

 謎の存在が息を吐き、その風が私とサリーに押し寄せた。

「私たちには確かに死がない。生命でありながら、それを逸脱している。だが、人間と私たちが相入れることはない。私たちは同じ生命でありながら、違う世界を生きているのだ。それは人間と植物に近い。わかるか?」

「それは、わかります」

 私もサリーも頷いた。

 熊のようなものは、また息を吐いた。

「お前たちが何をしたのかを、断片的には知っている。私たちを支配することは、人には無理だ。そして私たちはお前たちを自在に支配することができる。その支配を形にしないのは、私の、私たちの善意だ。それを塗り替えたいのなら、お前たちは研究とやらを続ければいい。私の意志が伝わったか?」

 あまり手を出すな、ということだろう。

「あなたの名前は?」

 うっすらと熊のような存在が目を開いた。真っ赤な瞳。

「名などない」

「どういう存在なのです? あなたは?」

 しばらくの沈黙の後、彼は答えた。

「神の一角」

 またそれか。王宮の地下でも聞いた。

「あなたたちはどれほどの数がいるのです?」

「それを知ってどうする? 私たちは人間などとは比べ物にならない、長い時間を生きている。数はと聞かれれば、少なくなったと答えるよりない。だが、私たちは全てを知っている。人間にはわかるまい」

 数を尋ねるのは、明らかに私の動揺の表れだと、今になって気づいた。

 数など彼らには関係ない。そもそも死なないのかもしれない。

 実は世界中に、こんな存在が無数にいるのだ。フカミが知っているだろう。

「あなたの一部を与えていただきたい」

 熊が目を閉じた。

「その必要はないだろう。私たちに個体差はない。そしてお前たちが私たちを自由にするのは、大いなる間違いだと、はっきりさせよう」

「あなた方に間違いを指摘されないように、方針を教えてください」

「全く触れないことだ。それだけが人間への悲劇を回避できる。去れ」

 私はさらに食い下がろうとした。

「去れ」

 冷や汗が噴出すほどの殺気がこもった声に、私は言葉を飲み込み、頭を下げた。

 サリーとともに、足早に洞窟の外へ向かった。

 外に出て、やっと落ち着くことができた。

「この件からは手を引くべきです」

 サリーの言葉に私は答えられなかった。

 洞窟を振り返り、じっと黙ってその暗闇をに睨み付けていた。





(続く)

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