2.75-2 研究室
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一週間ほどでソラ・スイレンは重傷から回復し、目覚めている時間は短いものの、傷は癒えつつある。
その診察の必要もあって、第二王宮へは一週間、毎日、すんなりと入れたし、第三生物研究室にも初日ですぐにたどり着けた。
私が初めてそこへ行った時には、四人の研究者が実験器具で何かを分析したり、あるいは培養しているようだった。一人などはラットに何かを植えつけている。
そのうちの一人の顔は知っていた。
五年ほど前、王立医学会で表彰された男なのだ。たまたまその式典に混ざってしまい、退屈だったが、そこでその男を見た。
名前はわからなかった。
私が彼に挨拶しに歩み寄ると、露骨に嫌な顔をされた。
「ここは馴れ合いの場じゃないですよ」
素早くそう機先を制され、私は黙るしかなかった。
「研究資料はあっち、実験器具は請求すればいくらでも手に入るから、あそこの請求書を使ってくれ」
素早くそう言われて、仕方なく、私はまず資料の束をちらっと眺め、請求書の書式も確認した。このまま帰るのも癪なので、意地になって研究資料の束を手に、休憩用らしいソファに腰を下ろした。
資料は、すぐに私を魅了した。
あの地下にいる存在から採取した検体を、様々な方法で分析している。
あの生物は人間が培養しようとすると、大半のパターンでは死滅してしまう。だが、特別な条件が揃うと、死滅せず、生き続ける。
その資料を作った研究者は、この生物はおそらく不死である、としていたが、その文章の結びは、不死の存在はこの世に存在しないはずだ、である。
どう解釈するべきだろうか。
何はともあれ、その資料の真偽を再確認するしかない。
素早く実験器具を整えるための請求書を書き上げ、申請するためのポストに放り込んだ。それから時間が許す限り、そこに居座り、資料を読みふけった。
夜になっても研究者たちはなかなか帰ろうとしない。それもそうだ、研究とは時間との勝負なのだ。より長い時間を費やした方が、より先へ行ける。
私は深夜に部屋を出て、そのまま第二王宮を後にした。
旅籠に戻り、明日は別のところに泊まる、と女中に話した。
初めて研究室に顔を出した翌朝、旅籠を引き払い、まずはサリーがいるだろう旅籠へ向かった。サリーは旅籠の部屋で薬を作っているところだった。
「君の力が必要なんだが、どうだろう」
「あまり時間がかからないなら」
サリーは薬作りを続けつつ、そう返事をした。
「不死の存在が気にならないか?」
「酔っ払っているのですか? 先生?」
それもそうか。私は思わず笑ってしまった。その声を聞いて、サリーが顔を上げた。
「本当に酔っているのですか?」
「いや、素面だ。不死存在に興味は?」
「やっぱり酔っていますね」
これではいつまで経っても私の知っていることは彼女には伝わらないだろう。
「例の患者に薬を投与しているか?」
「まさにこの薬ですよ」
「では、それを届けるついでに、私に付き合ってくれ」
うんざりしたようにサリーがため息をついたが、最後には私に従うことに決めたらしい。
その日の午後、私はサリーを伴って第二王宮に上がり、彼女の用事が終わってから、私は第三生物研究室に彼女を導いた。
彼女は医学界にはそれほど関係がないので、その時、ちょうど部屋にいた三人とは面識も何もない。
胡散臭いものを見るような様子のサリーに、研究資料の束を手渡す。
「なんです、この気持ち悪い場所は」
そんなことを言いつつ、サリーが資料を眺め、黙り込んだ。集中している彼女のそばを離れ、私は自分の研究スペースに移動する。そこでは私のための実験機材で、キメラの細胞が培養されている。
顕微鏡で容器を覗き込むと、小さな細胞の塊がそこにある。
「本気ですか?」
どこか声を震わせながら、サリーがやってくる。
「不死存在なんて、いないですよ。それは生命ではない」
「これを見たまえ」
顕微鏡を覗くように促す。彼女はそれを覗き、こちらを見る。私は静かに、言い含めるように解説する。
「その細胞は私が培養した。条件を整え、これまでの研究の通りなら、いつまで経っても死滅しない、不死の細胞になるはずだ。今、私はまずそれを検証している」
「本気ですか? 妄想ではなく?」
「ここにいる全員が妄想に取り憑かれているとでも言うのか?」
恐々とサリーは周囲を見て、私に視線を戻した。
「私を巻き込んでも、私はただの薬屋ですよ」
「私の助手として、そばにいたまえ。それで君も何かを得るかもしれない」
返事はなかった。サリーが顕微鏡の方を見ている。
彼女は恐れている。しかし、恐れていては何もできない。
私が彼女に教えられなかったことの一つがそれだ。薬には危険なものが多い。私も多くの動物の命を使って薬効を確認したし、死刑囚を使って実験もした。
そういうものの上に立った、安全がある程度、保証された事柄を私がサリーに教えた。
サリー自身は、危険を冒して薬を開発する経験が、私とは段違いに少ない。
「良いね? サリー」
結局、サリーは私に同意した。
私たちはそれぞれの患者に治療や処方をし、それが二週間ほどを拘束した。それが終わって、私たちは第三生物研究室に本格的に参加し始めた。
他の研究者はやはり寝る間も惜しんで研究を続け、まさに日夜、新しい資料を付け加えていく。
私たちはそれらを総合的に分析し、信じるに足るものは信じ、疑うべきと思ったものは自分たちでも検証した。
それらを続けつつ、二人で議論を重ね、新しい視点、手法を探り続けた。
私が培養した細胞は、一ヶ月が過ぎても死滅しない。栄養を与えていないので、おそらく水分だけで生き続けていることになる。
この細胞を試しに火で炙ってみた。
当然、消し炭になる。その炭を私たちはまた培養し始めた。
本当に不死なら、火にも耐えられるのではないか。
消し炭を環境を整えた溶液に落とし、毎日、それを観察する。
一週間ほどで、驚くべき結果が出た。
炭から新しい細胞が生まれ始めた。私がそれに気付き、サリーにも確認してもらった。私の勘違いか、幻想かと思った。
しかしサリーが真っ青な顔でこちらを見たので、これが現実だと理解できた。
キメラは、不死に限りなく近い要素を持っている。
私たちはキメラの細胞をとりあえず、無数に分割して培養し、数を増やした。あとは乾燥させてすりつぶしたり、取り寄せた氷に挟んで冷凍状態を再現したり、酸を数滴落としてみたり、様々なダメージを細胞に与えた。
結論としては、キメラの細胞は、死滅しない。
その瞬間は、死滅したように見えても、時間をかけて再生して、元へ戻る。
私たちはそれを資料にまとめて、例の束に追加した。他の研究者たちもそれを見たはずだが、反応は薄い。知っていたのか、と思うが、それなら先に資料を作っただろう。
次の段階の研究として、私たちはキメラの細胞を生物に定着させることを選んだ。
できることならキメラを純粋な個体として再現したかったが、私たちはキメラの細胞がどこから来るかは教えてもらえなかったし、顕微鏡で見るサイズの細胞から個体を作るのは、永遠に不可能だろう。
それなら、何かの生物をキメラに飲み込ませるように、細工すればいい。
私たちは三匹のマウスを用意し、キメラの細胞を植え付けた。
マウスは一日経たずに死に絶えた。
私たちは検討を続けた。
(続く)