表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
剣聖と剣聖  作者: 和泉茉樹
第2.75部 狂気の研究
104/136

2.75-1 闇からの誘い


     ◆



 兵士に案内された治療室は血の匂いに満たされていた。

「先生、こちらへ」

 兵士に案内され、寝台の脇に立つ。

 意識を失って倒されているのはソラ・スイレンだ。何度か顔を合わせたことがある。

 胸から首元にかけてを切り裂かれている。致命傷にも見えるが、傷の割に出血が弱い。

 あるいは精神剣が無意識に作用し、出血を止めている可能性もある。それはそれで興味深いが、彼が死ぬまで観察するわけにもいかない。

「手を洗おう」

 それが、私が彼に外科手術を施す意志を示した一言になった。

 手を丹念に消毒し、ソラと向かい合う。傷口を消毒し、細い糸の付いた細い針をピンセットで操って縫合していく。道具は全部、この部屋にあるものだ。さすがに王宮だけあって、一級品が揃っている。

 惜しむらくは、それを完璧に使いこなす医者がいないことだ。

 どれくらい集中していたか、気づくと包帯を巻いているところで、どうやら手術は終わったらしい。

 私がやったのだが、集中しすぎたか。

「ありがとうございました」

 王宮で働く数人の医者が私に頭を下げる。

「アキヒコ殿はどこで学ばれたのですか?」

 医者の中でも一番若い者が質問してくる。それは確かに気になるだろう。

「野山で学びました。では、これで」

 不思議そうにしている医者たちを残し、部屋を出た。

 野山で学んだのは本当だ。私の外科手術の技術は、全て、動物が教えてくれた。

 生きている動物を捕まえ、切り裂く。そして針と糸で傷を縫合し、命が途絶えるか、永らえるかを見た。

 最初のうちは、まったくうまくいかなかった。消毒のための薬品を惜しんで、縫合した傷口が化膿して、そのまま死ぬ動物が多い。消毒はやはり欠かせないと、それでわかった。

 他にも様々なことを、時間をかけて学んだ。

 薬学もそうだ。まだ学問というほど系統立てられていないが、今はそれは、弟子の一人に任せた。

「医者のアキヒコ殿か?」

 王宮の表玄関へ向かっているその途中で、背後から声をかけられた。そこに誰かがいるとは、全く気づかなかった。

 振り返ると老人が立っている。ローブを着ている。剣聖が着るローブだ。

 その色で、相手が誰かわかった。頭を下げる。

「私にご用ですか? フカミ・テンドー様」

 老人がすぐ目の前まで来た。私は頭を下げたままでいて、彼の足が見える。

「かしこまる必要はない。この国で五指に入る医者だと聞いている。ソラ・スイレンに医術を施したのか?」

「医術というほどではありません、ただの技です」

「技か。医療も神頼みではなく技術の時代というわけだ」

 褒められているようだが、よくわからない褒め方だ。

「君だけに話すわけではないが、君にも参加してほしいことがある。こちらへ来たまえ」

 頭を上げると、すでにフカミはこちらに背を向けている。付いて来い、ということらしい。

 彼を追って王宮の中へ戻り、階段を降りて地下へ向かう。王宮の地下に入ったことは今までにない。

 地下からさらに深く潜り、洞窟のような場所になった。

 灯りがあるので、足元に不安はないが、どういう場所だろう?

 と、目の前に巨大な檻が現れた。その中がよくうかがえない。フカミがその前に立って足を止めたので、私も横に並んだ。何だ? 何がいるんだ?

 唸り声が聞こえた。低い、轟くような声だ。

「見えるか? アキヒコ」

 檻の中には真っ黒い何かが蹲っている。

 見たことのない動物だった。伝説にあるドラゴンが近いだろうか。巨大な羽が見えたのだ。首は短い。鼻が迫り出し、裂けるような口は今は閉じている。

 私が見つめると、まぶたが開いて、真っ赤な瞳が現れた。

「これは、何です?」

 やっと質問することができた。フカミは静かな調子で教えてくれる。

「いずれ、詳しいことも知るだろうが、ここにいるのは、神の一角だ」

「神……」

「極めて稀な存在だ。彼らを私たちはキメラと呼んでいる」

 キメラ……。それもまた伝説では聞いたことがある。無数の生物が融合した、奇形の存在。

 強烈な目の前の存在の圧力は、伝説の存在でもおかしくない。

 圧倒されるような、強烈な圧力がある。

「彼らを研究するチームに君にも入ってもらう。それだけの知識と技術があると、私は見た」

「それは」どう答えればいいだろう。「光栄ですが、私の知識では、とても追いつかないかと」

「知識が追いつくものはいないのだ。全員が追いつくために必死なのだ」

 しばらく二人で檻の中を見ていた。

 地上へ戻ると、ホッとした。緊張していたというより、あの存在の気迫に圧倒されていたのが、やっと楽になった、という感じだ。

「第二王宮の第三生物研究室が公の名称だ。君をそこへ登録しておく。いつでも入れる用意に計らっておこう。では」

 フカミはあっさりとどこかへ去って行ってしまった。

「先生?」

 唐突に声をかけられ、そちらを見ると私の弟子の一人が立っていた。サリーという女性で、元は剣士だが、今は薬屋をやっている。一人きりのはずだ。彼女に薬物に関する知識を叩き込んだのは私だ。

「サリー、いつここへ来た?」

「王都に薬を納品に来たのですが、王宮で薬に詳しいものを探している、という噂を聞いて、取引相手の薬屋が私をここへ連れてきました」

 彼女がちらっと背後を見ると、少し離れたそこに初老の男性がいて、私に頭を下げた。薬屋だろう。

「ソラ・スイレン殿に薬を?」

「ソラ・スイレン? いえ、別の方でした。まだ若い方で」

 私もよくは知らないが、ソラはどこかの誰かと相打ちになったと聞いている。サリーはそのソラの相手の方に処方したんだろう。

 立ち話をする場所でもないので、私たちは一緒に歩いて、外へ向かった。例の薬屋も加わる。

「しばらく私は王都に滞在するが、君も残りなさい」

「何故です?」サリーが身振りで外を示す。「ちょうどいい季節で、薬草を集めたいんです」

「面白い対象を見つけた。君も研究に加われるように、私が動く」

「研究? 王都でですか? 国の主導で?」

 サリーが何を気にしているかはすぐわかった。彼女は一時期、人斬りとして指名手配されていた。

「過去のことは誤魔化せるだろう。それほど大きなことだ」

「いえ、遠慮します。ご迷惑でしょう」

「君が必要だ」

 結局、その日は答えが出ないまま、サリーの滞在している旅籠を聞いて、王宮の外で別れた。

 私は私で、契約している貴族の診察があったのだ。屋敷を二つ回ると、外に出た時はもう王都は闇に包まれていた。

 部屋を借りている旅籠へ行くと、女中がやってきて、明日も王宮へ来て欲しいという内容の伝言を教えてくれた。礼を言って、部屋に引き上げる。

 一人になって、もう一度、あの地下で見た謎の生物を思い返した。

 あれは確かに普通の生物ではない。そもそも生物だろうか。

 あの生物を直接は無理でも、間接的に研究すれば、何かわかるかもしれない。でも何がわかるだろう? 生命というもの、それ自体の謎へ通じているような気がするが、生命というものの定義は、未だ誰も辿り着いていない地平だ。

 私は部屋の寝台に横になって、明日、王宮へ行ったら、第三生物研究室に顔を出す、と決めていた。





(続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ