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第74話 到着

「小生がおぬしより遥か先にいることは、これで分かってもらえましたな?」


「…………はい」


 すっかりしおれた態度で床に正座する淳の顔はボコボコに腫れ上がっていた。


「ふむ。しかしペンとは、なかなかどうして使い勝手のよい道具ですな」


 悲壮感漂う絶世の男の娘をしばき倒した安物のペンをクルクル回しながら、ハゲ頭の騎士は優雅に椅子に腰かけて相手を見下ろしている。こちらは顔はもちろん、着ている衣服も、おまけに頭部も綺麗なままだ。両者の力関係が決した瞬間である。


「……この人がこんなに強いなんて聞いてないよ……」


 敗者の少年が敗者然とつぶやく。


「言っておくが、おぬしの師であるリナ殿は小生よりも強いですぞ」


「えっっ⁉︎」


 驚いて顔を上げる淳に、グラスはさらりと言った。


「直接勝負したわけではないが、彼女にはまったく勝てる気がせんのだ」


「じゃあ、もしかして……」


 淳はごくりと息を呑み、


「リナさんって、セイレス殿下よりも強いのかな?」


「ストーカーおん――『炎姫(フレイムプリンセス)』など、リナ殿の足元にも及ばぬ」


 グラスはきっぱりと断言する。ストーカー女もといセイレスなどリナの敵ではない。こちらも直接戦ったわけではないが。セイレスには逆に負ける気がしなかった。淳は動揺を隠せない様子だ。


「あの人そんなすごい人だったんだ……」


「それが零支部特異課の豪傑たちですぞ」


 などと言いつつ、実際のところグラス自身も彼等のことはよく知らない。


「超人的な力を持つ彼等を認めさせる。これは並大抵のことではない」


「……」


 ただこの場合、それはさして重要な話ではないのだ。


「少なくとも、今のおぬしの実力では夢のまた夢ですな」


「……俺は」


「俺は?」


「もっと強くなりたい、です!」


「うむ! よくぞ言った、淳よ!」


 やる気になった少年を見て、グラスは会心の笑みを作った。そう、大切なのはいかに本人をその気にさせるかだ。


「よぉし!」


 淳は両拳を握り闘志を漲らせる。


「そうと決まれば、早速弥生を呼んでこの傷を治療してもらうぞ」


「たわけ!!」


 いきなり雷が落ちた。


「その程度のかすり傷で治療などと、かような軟弱な精神で強くなどなれるか‼︎ 恥を知れい‼︎」


「いや、何もそこまで言わなくても……」


 ハゲの指導は基本的にスパルタだった。



 ◇◇◇



 三時間後。


「998、999、1000……ふう、これで腕立て伏せのノルマも終わりましたな」


 いい汗をかいた。そんなポーズを取りながら、仁王像のように上半身の肉体美を惜しげもなく見せつける無髪の美丈夫は、気さくな笑みを浮かべて教え子に声をかける。


「淳よ。今日の指導はここまでにしますぞ」


「…………」


 返事がない。まるでしかばねのようだ


「ぬ。どうしたのだ淳よ? そのようなところで寝ては風邪を引きますぞ」


「…………」


 やはり返事がない。まるで眠り姫のようだ


「ううむ。これは一体どうしたことか」


 そのツルツル頭の上にいくつも疑問符を浮かべて、グラスは首を傾げる。


「小生はただ、この【ハゲの章】に載っていた筋力トレーニングなるものを試みたにすぎませぬぞ?」


 腕立て伏せ千回、腹筋千回、スクワット千回、その他もろもろ千回ずつ。それはあくまで天が『ハゲ用』に出した筋トレメニューであった。


「…………そりゃ鬼も逃げ出すよ……」


 精も根も尽きはてた姿で、淳が呻く。

 帝都学園の伝説の卒業生、暁グラス。

 彼は若者を先導し行動へと駆り立てる、生まれながらのカリスマ性を持っていた。


「ああ、なるほど」


 しかし同時に、


「これがバッツが前に申していた、寝落ちというやつですな」


 このハゲ頭は、相手の限界を見極めるのが壊滅的に下手だった。



 ◇◇◇



 リナさんは偉大だったんだな。


 淳は痛感した。疲労困憊で今にも意識が途切れそうな中で。いつも自分達を気遣ってくれたリナのありがたみを。


 そりゃあ弥生も憧れるよ。


 実を言うと、淳がリナに反発していた一番のワケは、最愛の妹である弥生を彼女に取られたような気がしたからだ。我ながらしょうもない理由だと思う。淳は心から反省した。


 次からはリナさんの言うことだけはちゃんと聞こう。


 このハゲはともかく。女神フェイスの少年は最後の力を振り絞り、乱れた美しい黒髪と汗に濡れた輝く白い肌を震わせ、突っ伏していた顔をわずかに持ち上げた。


「……いつか絶対あんたを見返してやる、からな……」


 そして淳は今度こそ意識を手放した。


 注・これは勝負時の場面ではなく、あくまで筋トレ終了後のシーンです。



 ◇◇◇



 そして翌日である。


「ふおぉぉォォォッ」


 案の定、淳は重度の筋肉痛によりベッドから起き上がることもできなかった。それはもう全身ギシギシのバキバキである。一時的だが寝たきりに逆戻りだ。しかもその状態を魔技やポーションなどで回復させてはいけないと言われた。


「なんでも、それをしちゃうと筋肉の発達を妨げちゃうらしいのです」


 リナの言葉である。これは【ハゲの章】にも書いてあった。異世界の知識だそうだ。ついでに食事も普段より多めにとらされた。最初はまったく意味が分からなかった。こちらの世界では筋肉痛も回復系の魔技やポーションで治療するのが一般的だ。それなのに何故わざわざ自然治癒に頼らなくてはいけないのか。淳は一刻も早くこの激痛から解放されたいと、一日中イライラしきりだった。


 だがその日の夜、痛み以上に衝撃的な出来事が少年の肉体に起こった。


「マジ、かよ……!」


 寝る前だった。淳は何となしに自分のステータスを確認したみた。そして次の瞬間に度肝を抜かれた。


 Lv 18

 名前 一堂 淳

 種族 人間

 年齢 16歳

 性別 男

 職業 Dランク冒険士

 最大HP 250

 最大MP 70

 力 46

 魔 24

 耐 47

 敏 39

 知 80

 美 999


 なんと『力』と『耐』のステータスが1ずつアップしていたのだ。淳は体中の痛みが一瞬で吹き飛んだ気がした。


「筋力トレーニングすげえ!!」


 びびりの男の娘が筋トレにハマった瞬間であった。



 ◇◇◇



 そうして一行がラビット号に乗車してから丸二日が経った頃。


《ご乗車ありがとうございました。次は終点ラビットロード、ラビットロード。いつまでも変わらぬ美しさ、境界の英雄、ルキナ女王の銅像は左手に見えますラビット自然公園の中央にございます》


 外は真っ暗な真夜中だった。


 国の玄関だけあって、駅のホームはとてつもない広さがあった。ただし灯りはほとんどなく、辺りは暗闇に沈んでいた。それでも乗客達は慣れているのか、みな平然と闇の中を歩いて行く。一行もまた、地元出身のリナを先頭にホームに降り立った。すると暗がりの向こうから……見慣れたTシャツ姿の青年が歩いてきた。


「よお」


 天だった。もはや軽いホラーである。


「宿は取ってある。まずは移動しよう」


 まるで都会から来た親戚を出迎える田舎のお兄さんだ。そのあまりの自然体ぶりに、淳と弥生は驚きを通り越して白昼夢でも見ているような顔をしていた。が。


「淳、弥生」


 二人を見やり、天は言った。


「明日ラムのいる病院まで案内してくれ。朝一番で向かうつもりだ」


 そして頷いた兄妹の顔は真剣そのものだ。


「だいぶ遅れちまったが、先輩にはきっちり挨拶しないとな」


 かくして、天達一行は北の超大国、ラビットロードに到着したのだった。

 

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