第5話 二人の王女
ランド王国・王城にて。
「はあ……」
豪華絢爛な城の廊下を、ひとりの騎士がとぼとぼと歩いていた。腰まで伸びた黄金色の髪。煌めく白銀の剣と鎧。豪奢なマント。その出で立ちはどこをどう見ても位の高い騎士そのものである。
「……遂にこの日を迎えてしまいましたぞ」
ただ一つ違和感をあげるなら、現在のかの騎士からは威厳というものがまるで感じられなかった。
「はあ……とうとう王が不在のまま、国の恩人達を城に招くことになってしまった」
騎士は見るからに気が重いといった様子で独りごちながら、盛大な溜息を量産する。男女問わず魅了するその甘いマスクは、今日は朝から終始どんよりとした曇り模様だ。
「それにしても、客人方に迎えの車ひとつ用意せぬとは。彼等の功績を考えれば、国賓待遇が当然だというのに……」
この国にはもはや『礼』という言葉は存在しないのかもしれない。ランド王国騎士団団長――暁グラスは、喉元まで出かかったそんなセリフをぐっと呑み込んだ。
「とにかく、今は目の前の仕事ですぞ」
そうこうしているうちに、グラスはとある部屋の前までやってきた。
……コンコン。
グラスは軽く部屋の扉をノックした。すると中から如何にも偉そうな口調で、「入れ」という応答があった。
「……」
グラスはその場で一旦深呼吸し、王国の騎士団長として最低限の心構えを整えた後。
「失礼します」
と、静かに扉を開けて部屋の中に入った。
「何の用だ」
最初に飛んできたのはそんな無感情無愛想な言葉だった。声を発したのは言わずと知れたこの部屋の主。ランド王国第一王子アレックスである。彼はこの時間帯、決まって自室で政治経済文学などの書物を読んでいる。
「連中が城に来るまで、まだ時間はあるはずだが?」
「はっ……」
アレックスは肘掛椅子で読書をしたまま冷たい視線をグラスに向ける。そんなアレックスの言動に対し、グラスは少なくない失意を覚えた。
……仮にも実の妹君の命の恩人達をつかまえて『連中』呼ばわりとは。
この呼び方には親しみ、あるいは軽視といった趣旨がある。アレックスが使ったそれは明らかに後者だ。相手に対する敬意など微塵も感じられない。これがもし自分の部下なら小一時間ほど説教をしてやるところだ。
――だが今の自分の身分でそれは許されぬこと。
諦めの気持ちとともに、グラスはアレックスの前に進む。
「殿下。国王の居場所が分かりましたぞ」
「ああ、聞いたよ」
分厚い本に目を落としつつ、アレックスは自虐めいた笑みを浮かべる。
「一国の王がよりによって自国に所在する他国の大使館に逃げ込むなどと、まさに前代未聞の珍事だ。あまりに滑稽すぎて笑い話にもならん」
「……」
グラスもそう思ったが、立場上それを大っぴらに口にするわけにもいかないので、姿勢を正したまま沈黙に徹する。
「おまけにあの愚か者は、我が国の領土を勝手にソシストに売り渡していたのだ」
一方のアレックスは、父王への嫌悪感を隠そうともせず、非難と誹謗を繰り返した。
「あんな鉱山地帯に価値などないが、だからといって隣国の領土を拡大させるなど言語道断だ! シスト王もあのような不毛な土地を買い入れて、一体何を企んでいるのだ」
「……聞くところによれば、ジェーン王妃やアニク王子、それにアシェンダ王女も国王とご一緒とのことです」
そこでグラスは少々強引に話を本筋に戻した。このままでは友好国とその王の悪口に発展しかねない。そう思ったからだ。
「フン、つくづく思うが、あの連中は恥という言葉を知らんらしいな」
「お、お待ちくだされ、アレックス殿下!」
思わずグラスは声を上げた。
「ジェーン王妃はともかく、まだ幼いアシェンダ王女やアニク王子に責はありませぬ!」
「年齢など関係あるか」
グラスの反論の言葉をアレックスは冷たく切り捨てる。
「幼かろうが年老いていようが、我が国の王族である以上、あれらもあの愚王と同罪だ」
「なっ⁉︎」
それはグラスにとって、どうしても聞き流せないセリフであった。
「殿下! お二方は、ただ欲にまみれた大人達に振り回されているだけですぞ!」
「黙れ」
アレックスは音が鳴るほど勢いよく両手で本を閉じる。
「グラス。貴様はあらゆる面において有能な騎士だが、子供に対し甘すぎる」
「そ、そのようなことは……!」
「そして女に対し厳しすぎるのも玉に瑕だ」
聞け、と目でグラスを制しながら、アレックスは椅子から立ち上がった。
「貴様にはいずれこの国の中枢を担う一人になってもらう。無論それは国のいち騎士団長としてではなく、政治的な意味合いでだ。俺の言いたいことは分かるな?」
「…………」
自分は子供に甘いのではなく子供が大好きなだけだ。女に厳しいのではなく女が生理的に無理なだけだ。さらに言えば、女性全般が駄目というわけではない。異性を感じさせる雌どもがNGなのだ。グラスは拳をぎゅっと握り締め、今にも叫び出したいほど狂おしい衝動を懸命に抑えつけていた。
「用が済んだなら出ていけ」
そんなグラスの心境を見抜いたかどうかは定かではないが、アレックスは不機嫌そうな身振りでグラスに背を向ける。
「…………失礼します」
こちらも納得とは程遠い精神状態ではあったが、グラスは渋々と頭を下げ、部屋から退室した。
「……貴様か……」
部屋の扉をゆっくりと閉めると、グラスはぼそりとそう呟く。アレックスの自分に対する二人称が『お前』から『貴様』に変わったことをグラスはすぐに気づいた。先ほどの物言いもそうだが、最近のアレックスは自分こそがこの国の次期国王なのだと主張するところが多々見られる。
「先のことばかり考えているようでは鬼に笑われますぞ」
自分の足音よりも小さな声で独り言を呟きながら、グラスはもと来た道を戻っていく。
――この国の王族や貴族たちが、少しでもアシェンダ姫のような他者を思いやる心を持ってくれれば。
グラスは密かに心のオアシスとしている少女のことを思い、今日何度目かになる溜息を吐くのであった。
◇◇◇
「う、うぅ……」
少女は夢を見ていた――。
『――やれやれ、やっと捕まえたぞ』
『たく、このガキがっ! 手間とらせやがってよぉ!』
それは身も凍るような恐ろしい夢。
『で、どうすんだよコイツ?』
『ひとまずこのまま隊長に引き渡せば、あとは向こうで勝手にやるだろ』
『おいおい、今この場でヤッちまえばいいじゃねえか! どうせあとでバラすんだろ!』
『馬鹿を言うな、と言いたいところだが……たしかに捕まえろという指示は受けたが、生け捕りにしろとは言われてなかったな』
『だろ? 生かしたまま連れて帰ってまた逃げられでもしたら面倒だぜ』
『ふむ。一理ある』
だれか……たすけて……
『俺ァ、前々から“英雄種”ってやつを思いっきり斬り刻んでみたかったんだよ!』
『英雄種といってもまだ子供だがな』
『細けぇことはいいんだよ!』
『おまけに死にかけのボロボロだ』
『気に入らねーなら、テメェはそこで見物でもしてろよ』
『フッ、馬鹿を言うな』
ああ……わたしはここで死ぬんだ……
『ヒャッハー、たかぶってきたぜェー‼︎」
『おい、なるべく原形をとどめるようにしろよ? 死体が誰か分からなくなったら元も子もないからな』
『ハッ、知るかよ! 細けぇことなんざヤッちまったあとにでも考えりゃいいんだよ!』
『――そいつは名案だ』
…………………だれ?
『細かいことは、お前らを片づけたあとゆっくり考えるとしよう』
『『へ?』』
あなたは……だれなの…………
「………………はっ!」
長い長い悪夢から目覚めた少女は、自分がまだ生きてることに気づく。額に滲む汗、不規則に脈打つ心臓の音、そして身体を優しく包み込む柔らかな布団のぬくもり……どれも少女に確かな生を実感させた。
「気がつきましたね」
ビクンと少女の身体が跳ね上がる。かけられた声は若い女性のものだった。少女は怯えた瞳で、恐る恐る声の主の顔を見上げる。
「大丈夫。ここにはもう、あなたを追いかけまわす悪い大人達はおりません」
そこには優しい微笑みを浮かべる一人の女性がいた。白いローブに身を包んだ、青い瞳に青い髪をした女性だった。
――なんて綺麗な女の人だろう。
お美しい。この世のものとは思えない。そんな場合ではないことは分かっている。けれど少女は見惚れてしまった。髪が少々短いのが気にはなったが。そんなものは彼女の美貌の前では実に些末なことだ。
「もう大丈夫ですよ」
動揺する少女に、女性は今一度その言葉をかける。そして少女の汗ばんだ額にそっと手を置いた。たったそれだけのことなのに、少女の傷だらけの心は、大きな安堵感に包まれた。
「私はアクリアと申します」
にこやかに微笑んで、アクリアは言った。
「よろしければ、あなたのお名前を教えていただけませんか?」
「アシェ……ンダ……」
アシェンダは、その女性のことを地上に舞い降りた女神さまだと思った。
元ランド王国第一王女アクリア。
現ランド王国第二王女アシェンダ。
同じ悲運を背負い、そしてその理不尽な運命に真っ向から抗うことを選んだ腹違いの姉妹の、これが初めての対面であった。




