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第60話 そして二人の男は

 厳格な空気が辺りに漂う。


「……以上がこのたび一堂邸で起きた一連の騒動の原因と、その顛末であります」


 場所は帝都帝国城塞。最上階の総司令室。


「ご苦労でした、グレンデ将軍」


「いえ」


 グレンデは小さく首を振ると、司令席に座るローレイファに向かって優雅に一礼した。


「親愛なる我が姉上の頼みとあらば、このグレンデ、たとえ火のなか水のなか」


「何度も言っていますが、公共の場では私のことは総司令と呼びなさい」


「しかしどうやらここには俺と姉上の他に誰もいないようだ」


「まったく」


 ローレイファが短い吐息をつく。ただその声音には「しょうがないな」といった親しみが込められていた。


「それから若のことなのだが」


「ええ、分かっています」


 一変してローレイファの声と顔から穏やかな色が消えた。


「最悪セイランには()()してもらいます。我が帝国の害になるなら致し方ありません」


「そうか。ならば俺はそうならないことを祈るとしよう」


「……」


「なに、あれでも若は俺の可愛い甥なのだ」


「……あなたが男児に対しても博愛家だったとは知りませんでした」


「これは心外だ」


 グレンデは大仰に肩をすくめてみせる。破壊者などと呼ばれてはいるが、彼ら姉弟のうち、もっぱら人情味を担当するのは弟のグレンデのほうだ。ローレイファは毒気を抜かれたような顔で椅子の背にもたれた。


「それでどうでしたか、彼に直接会って」


「はて? 報告ならもう済ませたはずだが」


「あなた個人の意見を聞いているのです」


 茶化すなとグレンデを睨み据えるローレイファ。これは適当にはぐらかすことを良しとしない目つきだ。グレンデは早々に白旗を上げる。


「一目見て勝てぬと思わされたのは生まれて初めての体験だ」


「ではやはり……Lv100というのは真実であったと見るべきですね」


「アレはそんな生易しいものではないよ」


 グレンデは苦笑した。それは文字通り心からの苦笑いだった。


「まったくシスト王もとんでもない切り札を手に入れたものだ」


「グレンデ……?」


「アレは正真正銘の化け物だよ」


 そう言ってグレンデは天井を仰ぎ、目を細める。戦わずして負けるとはきっとこういう気分をさすのだろう。


「あの男に純粋な闘争で並ぶものなどおらんよ。それこそ世界中、いいや歴史中を探したところで見つからんだろう。かの時の英雄王ナスガルド一世ですら、あの男の戦力には遠く及ばぬと断言できる」


 再びローレイファへ視線を戻すと、グレンデは口の中に苦いものを感じながら、こう言った。


「認めたくはないが、あの男は間違いなく我ら人型の歴史上で最強の存在だ」


「……負けず嫌いのあなたが他者をそこまで評価するとは、少々意外です」


「話せと言ったのは総司令殿ではないかね」


 グレンデはやれやれと頭を振る。円満な関係性を築くには、時にはささやかな反撃も必要なのだ。


「それはそうと、例の『取引』の件だが」


「よくやりました」


 満足げに一言。そしてローレイファは重役机に両肘をつく司令ポーズを決めながら、こう続けた。


「彼の申し出はこちらにとっても願ってもない話です。断る理由がありません」


「姉上ならそう言うと思っていた」


 グレンデはニヒルに微笑む。ローレイファは目で頷いた。


「やはりあなたに任せて正解でした」


「そう思うなら少しばかり休暇をいただきたいのだがね」


「駄目です。あなたにはこれからやってもらうことが山ほどあります」


「いや、そろそろ愛する女たちの相手をしてやらねば、本気でヘソを曲げられてしまう」


「私とその娘たち、どちらの要望にも応えれば済む話です。違いますか、グレンデ?」


「やれやれ、我が姉君は昔から人使いが荒いのだ」


 グレンデは天を仰いで苦笑した。


「もっとも、あの男に比べればまだ可愛いものだがね」



 ◇◇◇



 数日後。


「まるで嵐のような御仁だったわね」


 真冬は書斎の椅子に腰を下ろすと、ふと心地よく弾む思いをそのまま声に出していた。


「ねえ、瀬川さんもそう思わない」


「御意にございます」


 真冬の背後に控えていた瀬川が、いつものように執事的な相槌を打つ。


「うふふ。それにしても、こんなことってあるのかしら」


 真冬は酔ったように吐息を漏らした。


「立て続けにこれだけのトラブルに見舞われるなんて、まるで途方もない運命の歯車に巻き込まれた気分だわ」


「後悔なされているのですか?」


「まさか。それこそあり得ないわ」


「左様でございますか」


 芝居がかった口調で言葉を交わす二人。女主人と老執事のいつものやり取りである。


「今頃はローレイファ様もさぞ喜んでいることでしょうね」


「では帝国軍は花村様の申し出を受け入れると」


「当たり前じゃない」


 真冬は愉快げに言った。


「軍にとっても国にとってもメリットしかない話ですもの。これで断ったら愚か者もいいところだわ」


「それでは、早速こちらも各方面に手を回させましょう」


「ええ、お願いします」


 その真冬の声に、瀬川は恭しい一礼をもって応じる。


「ああそれと、外の庭はしばらくあのままにしておいてちょうだい。あれは貴重な戦いの記録ですから」


「かしこまりました」


「うふふ、我が家はもともと商人の家ですもの。使えるものはなんでも使わないとね」


「……安心いたしました」


 瀬川がぽつりと呟いた。その老執事の反応はいつもと若干異なるものだ。


「恐れながら、久方ぶりに昔の奥様とお話ししているような気がいたします」


「あら、昔っていつのことを言っているのかしら? これでもまだ六十前なのだけれど」


「これは大変失礼いたしました」


「ふふふ。でも実を言うと、私も昔に戻ったような気分なの」


「それは何よりでございます」


 真冬と瀬川は、いつになく穏やかな顔で言葉を交わす。


「なんにせよ、これから忙しくなるわ」


「はい」


 そう。これまでの退屈な日々、灰色の日常は終わりを迎えたのだ。


「だって私は、天殿と一緒に世界を変えるんですもの」

 

 花のように美しく少女のように無邪気な、そんな笑顔であった。


「あぁ、心が踊ってしかたがないわ」



 ◇◇◇



「な、なあ、弥生」


「なんでございましょう、兄様」


 とある一行の最後尾を歩きながら、淳と弥生はボソボソと囁き合う。


「俺達、本当についてきて良かったのかな」


「御当主様からのお許しは得ています。それに道案内を買って出たのは他でもない兄様ですわ」


「そりゃまあそうなんだけどさ……」


「兄様はラムちゃんに会いたくはないのですか?」


「そりゃ会いたよ」


 二回目は即答してから、淳は気恥ずかしげにそっぽを向いた。


「ラムは俺達の大切な仲間だし。あいつのことはずっと心配だったし。……俺の体が治ったことだって、直接会って伝えたい」


「私も同じ気持ちですわ」


 弥生は頷きながら微笑む。


「でもなぁ、どう見ても場違いだと思うんだよな俺達」


「そこは私も否定できませんわ」


 前をゆく一行の顔ぶれを見て、淳と弥生は揃って溜息をついた。


「なんかの手違いで英雄のパーティーに配属された気分だ……」


「……当たらずとも遠からずだと思います」


「おーい! やよいー、あつしー!」


 貴族の兄妹が最後尾で縮こまって歩いていると、前方から声が飛んできた。


「ちょっと二人に訊きたいことがあるのー」


「リナお姉様! ただいま参りますわっ!!」


「お、おい。ちょっと待ってくれよ弥生!」


 暖かな陽光に背中を押され、少年たちはバタバタと駆けていく。


 その道の先は、彼ら兄妹にとって希望に満ちたものに違いなかった。



 ◇◇◇



「それでは! 小生にも闘技をご教授いただけるのですか!」


「ああ。お前にその気があればの話だが」


 天が歩きながらそう答えると、グラスは小躍りせんばかりに喜んだ。天はいちおう釘を刺しておく。


「ただし、お前本来の戦闘スタイルは剣主体のものだ。あまり闘技にこだわるな。戦術の選択肢の一つぐらいに覚えておけ」


「はっ! 心得ましたぞ!」


 どうもこの坊さん騎士はリナに感化されたみたいだ。なんでも屋敷の二階から彼女の戦いぶりを見て強いショックを受けたらしい。まあ天としても、自分が考案した技術に興味を持たれて悪い気はしないが。


「シャロ。向こうから何か連絡はあったか」


「近々皇宮に呼び出すので、私とリナにはしばらく帝国に滞在して欲しいと」


 シャロンヌがすっと天の背後に現れて、主人の声に応える。


「それで?」


「当然断りました」


 清々しいまでの即答である。


「あと一日ぐらいなら待っても構わんが」


「パレード等の準備もあるそうなので、早くても一週間後だそうです」


「お前やリナを一週間も貸せるか」


「はい」


 シャロンヌは心なしか嬉しそうに頷いた。


「残念だが、あのとっつぁんと酒を酌み交わすのはまたの機会だな」


 帝国の街並みを見上げて、天は言った。

 気持ちよく晴れた空はどこまでも青く澄み渡っていた。



 〜追想〜



「俺と取引をしないか」


「取引?」


「ああ」


 それは語られぬ歴史の裏側。


「こちらの要求は一つ。一堂家の一堂弥生とエクス帝国第二皇子セイランとの関係をすべて無かったことにしてくれ」


「それは昨日の一件をすべて揉み消せということかね?」


「そうじゃない。俺が言っているのは両者の関係図の完全リセットだ」


「つまりは」


「互いが以前から懇意にしていたという事実そのものを無かったことにしてくれ。無論その中には二人が許嫁だった経歴も含まれる」


「これはまた途方もないことを言う」


「どうせ情報操作はする気だったんだろ? それを徹底的にやってほしいと言っている」


「ふむ……」


「その代わりとして、こちらも本日この場で起こった真実を捻じ曲げさせてもらおう」


「……ほう」


「まず敵軍の将である邪教徒チェルノボーグを討ち取ったのはあんただ。――持ってけ」


 ゴトッと無造作に放られたのは管理者チェルノボーグの首だった。


「…………この俺に、他人の手柄首を横取りしろと?」


「最初に奴を追い詰めたのはあんただ。トドメをどちらが刺したかなんてのは戦った順番の違いでしかない」


「よく言う」


 周りにいた何人かも呆れ顔で小さく頷いている。


「次に、帝国軍のクロイス少佐殿は、本日この場で殉職した」


「……続けてくれ」


「本日午前、一堂邸の上空より魔物の軍勢が現れた。駆けつけた帝国軍はこれと交戦し見事勝利を収めた。しかしその際、帝国軍のクロイス少佐殿は市民を守り、名誉の死を遂げた。これが俺が見たことのすべてだ」


「感心するほどの不正直ぶりだな」


 先ほどよりも頷く人数が増えた。


「この取引の対象となるのは事情を知る全ての関係者だ。つまり俺が目撃したことは、今この場にいる全員が目撃した事実となる」


「なるほど。我々帝国軍と我が副官が手にするものは歴史的栄誉か、はたまた歴史的汚名というわけか。ふむ、これは取引というよりも悪魔との契約だな」


「今なら偶然にも現場に居合わせたSランク冒険士シャロンヌ、並びにBランク冒険士リナの証言もついてくるぞ」


 歴史的偉業を達成してほくほく顔の犬耳娘と、敵を瞬殺しすぎて逆にまったく目立てなかったむっつり顔のメイドが、それぞれ無言のまま会釈で返事をする。


「これは実に魅力的な特典だ。早速麗しき美姫達を交えて、今後の打ち合わせをしたい」


「では」


「断る理由がない。我らが総司令殿ならそのように答えるだろう」


「決まりだな」


 これは語られぬ歴史の裏側。


「まあ欲を言えば、あの邪教徒だけは生け捕りにしたかったがね」


「……さすがに生け捕りは無理だった」


 いやできたでしょ⁉︎

 周囲から無言の抗議が殺到する。


「食えん男だな」


「よく言われる」


「どうかね、今度酒でも飲むかね? ついでに我が軍にくるならば歓迎しよう」


「ずいぶんと雑な誘い文句もあったものだ」


「生憎と男を誘うのは慣れておらんのだよ」


「酒なら機会があれば付き合おう」


「そちらは本命ではないのだがね」


「どちらも本命と思えなかったが」


 ひとしきり軽口を言い合った後。


「そういえば、まだお互い名乗っていなかったな」


「確かに」


 彼等はどちらともなく歩み寄ると。


「俺が帝国一の雄、グレンデである」


「冒険士協会零支部所属、花村天だ」


 そして二人の男は、固く握手を交わした。

 

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