閑話 早く帰ってきてくれ
西大陸・ソシスト共和国。
冒険士協会本部。最上階の会長室にて。
「ふう……」
銀髪の老紳士は、部屋の奥のデスクに腰を下ろし、太いため息をついた。彼がおもむろに懐から取り出したものは、金色に輝く小型の端末だった。
「……」
老紳士は、端末を開くと共に国際通信のパスワードを画面に打ち込む。しかし途中でその手を止めて、金の端末を懐に戻し、代わりにデスクの上に用意されたコーヒーで渇いた喉を潤した。心なしかいつもより苦い味がした。
ある種の予感はあった。だが毎度のごとく予想の斜め上を行かれた。
老紳士は内心で苦笑する。最早なるようにしかならない。コーヒーを半分ほど飲んで一息つく。そこで、傍らにいた短髪のエルフの女性が口を開いた。
「いかがなされましたか? シスト大統領」
「いやなに、大したことではないのだよ」
シストは軽く手をあげて、曖昧な返事をするにとどめた。案の定、第二秘書のベレッタは訝しげな顔でこちらを見てくる。まあ実際問題として、これは国家レベルで大したことではある。しかし流石に、大国エクスと一悶着あるかもしれない、などと軽々しく言えるわけもない。シストはこの話を適当にはぐらかすことにした。
「あー、ベレッタ」
「はい」
「ここでは儂のことは大統領ではなく、会長と呼んでほしいのだがね」
「失礼いたしました、シスト会長」
「うむ」
「ところで、先程の無線の件なのですが」
「……」
先程の無線、つまりマリーとの通信のことだ。シストはこめかみを押さえたい衝動を懸命に堪える。相変わらず勘は良いくせに空気は読めない。というか読まない。そして仕事はできるくせに融通が利かない。シストがベレッタよりもマリーを重宝する一番の理由はそこにあった。
「やはり、例のあの御仁が関係しているのですね?」
「だったらどうだと言うのかね」
シストは不快感を隠さなかった。
「会長。彼は危険です」
だがベレッタは、お構いなしにその先のセリフを口にする。
「あの者は、いつか我がソシスト共和国と冒険士協会に破滅をもたらします」
「そこまでだ」
トントンと太い指で自分のデスクを叩きながら、シストは声色から感情を消し去る。
「それ以上自分の主張を通したいのなら、最早ここに君の居場所はない」
「!」
「すぐにでも荷物をまとめて、ここから出て行ってくれて構わんよ」
「……出過ぎたことを言い、申し訳ございませんでした」
ベレッタは奥歯を噛み締めるような顔でうつむく。同種族のエルフでも、ベレッタはマリーとは似て非なる価値観を持っていた。
人型の価値は、魔力の高さと容姿の良さで決まる。
言うなれば、それはどこまでもエルフらしい考え方だ。自分よりも魔力が低く容姿が劣る存在を息をするように見下す。エルフ特有の悪癖とも呼べる、それ。だから彼女は信じられない。認められない。そして何より恐れているのだ。花村天という人間の特異性を。
「ベレッタ。君は勘違いをしておる」
「勘違い、でございますか?」
「うむ」
シストは一つ頷いた。
「君は、儂や冒険士協会が彼の後ろ盾になっている、そう思っているのではないかね?」
「……違うのですか」
逆なのだよ、とシストはデスクに両肘をついて、顔の前で左右の指を交差させる。
「冒険士協会やソシスト共和国が彼の後ろ盾としてあるのではない。我々の後ろ盾に彼がいるのだ」
「なっ!」
反論の声を上げようとするベレッタを手で制し、シストは言葉を重ねる。
「彼が我々にもたらすのは破滅ではない。繁栄と勝利だ。彼は我々人型にとって、真の救世主なのだよ」
「……失礼ながら、俄かには信じがたい話です」
「そうだろうね。シャロンヌなども、最初は君と同じことを言っていたのだよ」
だが、彼女はその考えと価値観を根底からひっくり返された。天と直接関わったことで変えられてしまった。シストは思わず愉快な気分になり笑みをこぼしてしまう。
「君もいつか分かる日がくる。彼が我々の側についてくれた事が、どれほどの僥倖かを」
「…………あの、」
しばしの沈黙の後、ベレッタは神妙な面持ちで口を開いた。
「シスト会長。一つよろしいでしょうか」
「なにかね?」
こちらも真剣な表情で、シストはベレッタに次の言葉を促した。ベレッタは意を決してたように言った。
「会長とマリー先輩が、その……男女のご関係にあるというのは事実なのでしょうか!」
「……」
なんの話だ。
シストは自分の部下が何を言っているのか本気で分からなかった。
「マリー先輩が会長に贔屓にされるのは、二人がそういう関係だからだと、先日飲み会で受付嬢の娘達から聞かされたもので」
「……君はその話を信じたのかね?」
十中八九からかわれたのだろう。
しかし、どうやら彼女はそれに気づいていないらしい。
「シ――シスト会長!」
ベレッタは体をモジモジさせながら、断腸の思いとでもいうような表情でシストを見つめる。
「おお、お尻を触るくらいなら、一日三回までなら我慢しますわ!」
「何を言っておるのかね、君は……」
今度こそ頭痛を堪えきれず指でこめかみを押さえる。シストは心から思った。
マリーよ早く帰ってきてくれ、と。




