第37話 乗ってやる
「あぁ弥生。君は今日も変わらず美しい!」
ノックもなしに突然部屋のドアが開いた。かと思えば、全身をキラキラ輝かせた純白の貴公子が、ありえないほど空気を無視して弥生のそばへと歩み寄った。
「ふふふ、驚かせてしまったかな? ならサプライズは成功だ。そうさ、今日は俺の方から君を迎えに来たんだよ、弥生!」
「…………ご機嫌麗しゅうございます、セイラン殿下」
たっぷり五秒ほどかけて吐き出された言葉は、あらゆる負の感情を声に詰め込んだようなドンヨリさを発揮していた。弥生の顔は沈みきっていた。それこそ、心底という表現すら生ぬるいほどに。
確かに最悪のタイミングではあるが。
弥生のような淑やかな少女がここまで濁った顔をするものか、あんなに王子さまという単語が似合う奴も珍しいな、などと天はひとまず傍観者の立ち位置で二人を観察する。
「この屋敷に入った瞬間、君が自屋にいないことはすぐに分かったよ!」
「そうですか」
「けれど、そんなものは俺達二人の前では障害にもならない些細なことさ!」
「そうですか」
「何ものにも俺達を阻むことはできない。なぜなら運命の赤い糸が、どんな時でもこのセイランと一堂弥生を引き合わせてくれるのだから!」
「そうですか」
ここまで温度差のある男女を、天はいまだかつて見たことがない。無の表情で淡々と同じセリフを繰り返す弥生。これに対して、セイランは大仰に手を掲げて愛しの君へのポーズを決めてみせる。例えるならロミオと機械の姫。これも異世界ならではか。天が最初にセイランに抱いた印象は、嫌悪感より物珍しさの方が勝っていた。
「相変わらずなのだよ、この人……」
そう言ったのは床に正座する天の横で佇んでいたジュリ。彼女もまた、弥生ほどではないにしろウンザリした顔でセイランを見ていた。ジュリがそのような顔を誰かに向けられるではなく、向ける側にまわるのは非常に珍しいことだ。
「おや? そこにいるのは淳じゃないか」
「……お久しぶりです、セイラン殿下」
先刻までの苦悶の表情を残したまま、淳はセイランに頭を下げる。ベッドの上で妹の弥生に体を支えられながら。そう、弥生にぴったり寄り添われた状態でだ。
「……ところで、なんで君がここにいるんだい?」
「は?」
「だから、どうしてお前が弥生と一緒にいるのかと訊いているんだ!」
「いや、それは」
セイランはさも不機嫌そうに淳を睨む。当然淳は困惑していた。驚くことに、セイランはここがどこなのか、弥生が何故ここにいるのか、本当に分かっていない様子だ。
「とにかくだっ」
セイランは一層鋭い目つきで淳を見る。
「婚約者である俺の目の前でそんなに弥生とくっつくなんて、腹違いの兄といえど、いささか非常識じゃないか?」
「い、いや、これはそういうんじゃ」
淳はさらに困惑する。おそらくセイランの中では、ここは弥生がいる部屋、としか認識していないのだろう。そして淳は、言わば彼にとってはお邪魔虫。天もこういった人種を見たことがある。己の本能と妄執だけで動くそれ。ただ一つ言えることは、この場合非常識なのは間違いなくセイランの方である。
「……セイラン殿下。ここはもともと淳兄様のお部屋ですわ」
「ああ、そうかそうか。ここは淳の部屋だったんだね?」
愛しのフィアンセに声をかけられて簡単に機嫌をなおす帝国の皇子に、弥生は激しい頭痛を堪えるように述べる。
「ご覧の通り、今の兄様はご自分で起き上ることもままなりません。ですから、私が自分の意思で兄様に付き添っておりました」
「成る程そういうことか。これは俺としたことが、うっかりしていたようだ」
ハハハと爽やかに笑うセイラン。この変わり身の早さとあからさまな態度の違い。そして全身から漂うひどく軽薄な空気。天は一歩引いた視点からセイランを観察した結果――
――あ、俺こいつ嫌いだわ。
と最終的な結論を下したのだった。
◇◇◇
「セイラン殿下」
それはセイランが淳の部屋に乱入してきて数分が過ぎた頃。
「場所を移しましょう。ここでは殿下と満足にお話もできませんわ」
「おお、それもそうだね!」
弥生の提案にセイランは二つ返事で首を縦に振る。なぜ急に彼女がそのような事を言い出したのか、この場で分かっていないのは有頂天に喜ぶこの銀髪王子だけだろう。
「ジュリさん。……それに天さんも、兄様のことをよろしくお願いしますわ」
「ま――任せて!」
どうか、とジュリと天に深く目で礼をする弥生。可憐な輝きを帯びた美姫の顔には心からの願いが込められていた。そしてすぐさま動いたのはジュリ。金色の髪を振り乱してベッドに駆け寄った彼女は、親友に代わって痩せ細った淳の体を支える。
「なんだ、ジュリもいたのかい」
「はい。先ほどからずっといました」
それは中身のない会話だった。好き嫌い以前に互いが互いにまるで関心がない、そんな感じである。
「淳。大丈夫?」
「あ、ああ……」
ジュリが淳をそっとベッドに寝かせる。弥生が名残惜しそうにそちらを見つめた。それを見て、セイランはふんと鼻を鳴らす。
「それにしても君は情けないな、淳」
「「!」」
弥生とジュリが揃って表情を強張らせる。
「体を張って弥生を守ったことはまぁ評価するけど、その後がねぇ? 今の君は、まるで弥生に寄生して生きているようだ」
「そ、それは」
そして淳の顔が見る間に青ざめていく。
「この際はっきりさせておくけどね。兄が妹を守るのは当然のことなんだよ、淳」
「おやめください、セイラン殿下!」
「そもそも弥生が危険な目に遭ったのは、すべてリーダー役だった君の責任だ」
「ちが、あれはボクがっ!」
「つまり君がそうなったのは自業自得。実際には褒められることなんて何もしてないんだよ、君はさ」
「……、」
弥生が諌め、ジュリが抗い、そして淳が真っ青な顔で唇を震わせる。それでもセイランは止まらなかった。
「まあいい。どうせその弥生に依存する生活もあと少しで終わるんだ。俺が用意した医療チームの世話になる前に、せいぜい無能な兄として妹に世話を焼かれればいいさ」
セイランは口の端を吊つり上げて皮肉たっぷりに笑う。
「…………」
天はその横顔を無言で見据えたまま、床に散らばる花瓶の残骸を次々と握り潰し、サラサラな粉に変えていく。もう色々と限界だった。しかし天や弥生やジュリが行動を起こす前に、第二の訪問者が部屋に入ってきた。
「あー、なんかアタシ、弥生お姉様とお姉の気持ちがなんとなく分かったかも」
抑揚のない声と共に現れたのは。
「ミ、ミリー⁉︎」
「ミリーちゃん」
「ミリー……?」
人形のような容姿をしたツインテールのその少女は、緋色のスカートの裾をつまんでぺこりとお辞儀をする。
「ご機嫌麗しゅう、弥生お姉様、淳お兄様」
例によって、一番最初に自分の名を呼んだ姉のことは完全放置だった。
◇◇◇
「君はさっき廊下で会った……」
「はい。一堂家二男、一堂知尚の二女の一堂ミリーと申します」
どうぞお見知りおきを、とミリーはセイランに恭しく一礼した。
「……ところでさ」
セイランはさして興味もないという風にミリーを一瞥した後、その冷ややかな目をそのままにそちらを見た。
「そこにいる男はなんなんだい?」
「……」
その瞬間。道端の石コロでも見るようなセイランの紅い瞳と、わずかに開かれた瞼から覗く天の鋭い眼光が、正面から衝突する。ミリーがたまたま天を真ん中に挟んでセイランに挨拶した為、嫌でもセイランの視界に天が映ったのだ。
「随分と薄汚い格好をしているけど、まさか乞食が迷い込んだわけじゃないよね?」
それはシャロンヌかグラスがこの場にいたら確実に逆上していたであろうセリフ。セイランは大袈裟に肩をすくめて、最上級に人を見下した態度をとってみせる。それは悪意ある侮辱であったが、天は別段腹も立たなかった。圧倒的強者と矮小なミミズ。余りにも格が違いすぎて相手をする気にもなれない。むしろ淳から自分に注意がそれてくれるなら願ったりだ。
確かにこの格好で来てよかったな。
と天がそんなことを思った。直後。
「で、殿下。そいつは!」
ベッドに横になった状態の淳が、必死に首を突き出し、セイランに声を飛ばしたのだ。
「……淳」
天はそれを見て意外感と驚き、そして思わず胸が熱くなってしまった。
「そいつは、天は……うっ!」
「兄様っ⁉︎」
「淳、無茶しちゃダメだよ!」
ベッドの上で痛みに呻く貴族の少年の姿を見て、弥生とジュリが顔を青ざめさせる。結局少年が何を言おうとしたのか、確かなところは分からない。
しかし天は、胸の奥から込み上げてくる熱を止められなかった。
セイランに言われっぱなしだった淳が、自分のために声を上げてくれたのだ。天はそれだけで救われた気がした。最早セイランの無礼な態度など、どうでもよかった。
「はぁ、またそうやって君は弥生に甘えるのかい?」
だが。
「本当に君は困った兄上だね。しかもこんな見るからに低俗な輩と知り合いだなんて……ああそうだ、どうせなら医療チームの連中に頼んで君を鍛えてもらおう。そうすれば俺と弥生の子供が生まれる頃には、きっと淳も少しはまともな兄になってくれるはずだ。そうだ、そうしよう!」
狂気を秘めた薄笑いを口元に浮かべて、セイランは言った。
「………………」
コレは駄目だ。
天の瞳に無情なる氷の意志が宿る。コレを野放しにしたら淳や弥生達の害になる。コレは確実に処理する必要がある。どんな手を使ってでも。天はそう決定づけた。その時――
「――ああ、思い出しましたわ」
唐突に、それでいて見計らったように、ミリーが口を開いた。
「その男は、弥生お姉様と以前チームを組んでいた『夜這い男』ですわ」
「「「‼︎」」」
ギョッと目を見開いたのは淳、弥生、ジュリの三人。天の元チームメイトだった少年少女らは、金縛りにあったように硬直する。
「何故このような者がここにいるのです!」
そんな三人を置き去りにして。
「この男は、弥生お姉様に不埒を働いた不届き者なのですよ!」
ミリーは悲鳴にも似た声を上げ、蔑むような目を天に向ける。吐き気をこらえるように口元を手で覆う仕草は、とても演技には見えない。
「……そういうことか」
天は瞬時に理解した。
ミリーの思惑を。
そして、同時に。
彼はニヤリと口角を持ち上げた。
――乗ってやる。
金切り声で騒ぎ立てる貴族の少女と凍りつく周囲。淳、弥生、ジュリ、ミリー、そしてセイラン。皆の視線が一人の男に集まる。役者は揃った。舞台は整った。天はゆっくりと立ち上がった。
「ご紹介に預かった、花村天だ」
パッパッと服についた乳色のガラス片を払うと、天はこきりと首を鳴らした。
「…………おい貴様」
美しい銀髪に端正な顔立ちをした白銀の皇子が、その甘いマスクに暗い影を落とし、ゆらりと天に近づく。
「あの娘が言ったことは……誠のことか?」
「なにがだ?」
「貴様が、俺の愛しの弥生を辱めたということだっっ‼︎‼︎」
激声。その紅の瞳は殺意に満ちていた。
「早く答えろ!!」
セイランは殺人さえも厭わないという表情で目の前の男を睨み据える。しかしそんな程度ではこの男はビクともしない。相変わらずのふてぶてしい面構えで、天は言った。
「もし本当だったら?」
「決まっている――!」
刹那。ヒュンと風を斬り裂き、銀色に輝くレイピアが天の目元に突きつけられた。
「貴様をこの場で斬り捨てる‼︎ 我が愛しき弥生を辱めたその罪、万死すら生ぬるい‼︎」
「では、俺からも言わせてもらおうか」
天は不敵に笑い、こう告げた。
「悪いが、一堂弥生は俺がいただく」




