第31話 帝国軍最高司令官
エクス帝国の首都サリバー。帝国城塞。
この帝都サリバーには、二つの城が存在する。一つは、皇帝をはじめとする皇族達が住まう城、エクス皇宮。そしてもう一つは、世界五大勢力の一角をなす帝国軍の本拠地、ここ帝国城塞である。華やかな皇宮と違い、こちらは実に物々しい。通称・赤の守護者。難攻不落の要塞として知られる鋼鉄の城は、見たもの全てを圧倒する威圧感と存在感を有していた。
コンコン。
それは朝の定例会議を終えて間もなくのこと。巨大要塞の最上階にある司令室のドアがノックされた。
「入りなさい」
帝国軍最高司令官、ローレイファはやや不機嫌な声で来訪者を部屋に招き入れる。帝国のシンボルカラーである赤と黒で統一された軍服をまとった銀髪の女傑は、自らのデスクに両肘をついて指を組みながら、神妙な面持ちで座っていた。
「失礼します!」
凛とした声は女性のものだ。司令室に敷き詰められた真っ赤な絨毯の上を規律正しい動きで歩いてきたのは、真紅の絨毯よりもなお赤い髪と紅い瞳をした若い娘。彼女の服装もローレイファと同じく赤と黒で統一されていたが、こちらは軍服を着用しておらず、男が着るような貴族風の衣装に身を固めていた。
「三分の遅刻ですよ、セイレス」
「も、申し訳ございませんッ!」
娘セイレスの顔が緊張に強張る。時間を守れない者など無能以下だが、今回は完全にこちらの都合での呼び出しだ。ローレイファはそれ以上の皮肉は口にせず、早速本題に入った。
「昨日の午後、かの『常夜の女帝』が我が帝国に入国しました」
「シャロンヌ殿がですか⁉︎」
「やはり知らされていなかったのですね」
「うっ……」
ローレイファの溜息混じりの言葉に、セイレスは暗い顔で目を伏せる。だがローレイファは、そんな娘に慰めの言葉をかけてやる気にはなれなかった。
Sランク冒険士、常夜の女帝ことシャロンヌと、同じくSランク冒険士の『烈拳』のナダイが、つい最近まで西大陸で極秘の任務にあたっていたことをローレイファは知っている。それが祖国を震撼させたかの忌まわしい事件――『ヘルケルベロス双襲の災い』と深い繋がりのある任務だということも、冒険士協会の会長であるシスト本人の口から聞かされた。そして両者と同じSランクの冒険士であるにも拘らず、娘セイレスには一切声が掛からなかったことも、その折に知った。
「己の浅はかさを猛省しなさい」
「……はい」
冷然としたローレイファの叱責に、セイレスは目を伏せたまま唇を噛む。先日、ここ帝都で開かれた冒険士の上位ランカー陣による緊急会議。そこでセイレスは癇癪を起こして会議を途中で放り出した。それは立場ある者として絶対にやってはならない愚行だ。仮に自分なら、そのような愚か者に重要な仕事など間違っても任せない。ローレイファは断言できた。
「……シャロンヌ殿が我がエクスに訪れたのは、例の任務絡みでしょうか」
「そこまではまだ何とも言えません」
だがその可能性は高い。悔しさに歯噛みする我が子を見つめながら、ローレイファは思った。シスト主催により行われた五大勢力の報告会からそう日も経っていない。ならばシャロンヌがくだんの任務で帝国に来た可能性は十分にあり得る。
「もし彼女が接触してきたなら、すぐに私に知らせなさい」
「……承知しました」
セイレスは力なく頷く。その可能性は極めて低いだろう。そんな心情がセイレスの顔にはありありと浮かんでいた。
もともと同じSランク冒険士といっても、こと『常夜の女帝』と『炎姫』では格が違うのだ。
セイレスが新米のSランクなら、向こうは紛うことなき大ベテラン。実績や知名度も比較にならない。加えてセイレスはさきの会議でやらかしている。もし仮にシャロンヌが任務のため帝国を訪れたのだとしても、未熟者の同輩に助力を求めるとは到底思えない。そんなことはローレイファも最初から分かっている。
「――であれば、こちらからの接触も視野に入れるべきでしょう」
「ッ!」
ローレイファのその発言に、セイレスが大きく目を見開いて口を開こうとする。
「セイレス」
しかし娘の反論は、母のひと声によって封じ込められた。
「彼女の持つ情報は、我々としても喉から手が出るほど欲しいのです」
「…………わかりました」
少し間を置いてから、セイレスは不承不承そうに頷いた。最悪自分で行って情報を引き出してこい。ローレイファは言外にそうセイレスに命じたのだ。
「彼女の足取りが掴め次第こちらから連絡します。話は以上です」
「……」
伝えるべきことは伝えた。ローレイファは椅子を回転させ、体ごと横を向く。プライドの高い実娘のことを慮るつもりはない。大失態を犯したのだ。その程度の恥辱には耐えてもらう。
「ところで」
それよりも、ローレイファには一つ気になることがあった。
「セイランはどうしたのですか?」
「そ、それが、その」
セイレスは口ごもり目を泳がせる。この反応は既に答えを持っている時の反応だ。ローレイファは目だけ動かし、「言いなさい」と厳しい視線を娘に送った。
「その、今日も朝から一堂家の方に」
「またですか?」
ローレイファは口から漏れだす溜息を堪える気にもなれなかった。高まっていた緊張感が崩れた瞬間である。
「確かにあの子の方には、とくに予定がなければと伝えはしましたが」
「ここへ来る直前まで説得したのですが、その……」
「いつものように、式の打ち合わせがあると煙に巻かれたと?」
「……はい」
セイレスが渋々と頷く。ローレイファはまた溜息をついた。急な呼び出しだったので一応時間があればと付け加えたが、まさか本当に来ないとは思わなかった。
「はぁ、貴女といい、セイランといい。色恋沙汰となると、どうしてそう周りが見えなくなるのです」
「わ、わたしは決して、そそ、そのようなことはっ‼︎」
姉弟揃ってという母の言葉に、セイレスは己の頭髪に負けぬほど顔を真っ赤に染め、断固抗議の姿勢を見せる。だがローレイファから言わせれば、その反応がすでに全てを肯定していた。
◇◇◇
「ふぅ……」
ゆでダコになった一人娘を帰し、ひとりになった司令室で、ローレイファは深い吐息をついた。
「本当に困った子たちね」
天下に名だたる【九英雄】が一傑。英知の英雄、プロフェッサーなど、数々の英名を持つ大帝国きっての女傑は、自分の子育てうんぬんについて真剣に考えてしまう。
「今がどういう時期なのか、少しは考えてほしいものだわ」
五日後に迫ったセイランと弥生の挙式の予定表に目をやり、そのあまりの内容にローレイファは軽いめまいを覚えた。
「軍の強化カリキュラムでも、ここまで無茶なスケジュールは組まないでしょうね」
できれば出席したくない。ローレイファは息子の結婚式を欠席する言い訳を本気で探していた。なんなら弟のグレンデ――帝国軍最強といわれる猛将――を使って式当日に何か問題でも起こさせるか? などと良からぬ計画まで立案してしまう始末だ。
「式には“彼女”も列席するでしょうしね」
ローレイファは悪趣味なほど豪華な作りの結婚式の招待状をしまうと、椅子の背もたれに体を預ける。彼女とは一堂家当主、一堂真冬のことだ。現在エクス帝国で最も【真理英雄】に近いのは、他でもない彼女である。ローレイファは半ば確信していた。
「あの悪癖さえなければ、グレンデもあるいは至れるかもしれませんが……」
血を分けた実の弟のことを思い、ローレイファは瞼を閉じる。
帝国最強の矛。『灰の破壊者』グレンデ。
姉のローレイファがエクス帝国の「知」の象徴ならば、弟のグレンデは世界最高勢力である帝国軍の「力」の象徴である。西の皇国に魔皇エインがいるなら、東の帝国にはグレンデ将軍あり。大陸全土に轟くその勇名は確固たる実力に裏付けされたものだ。あのセイレスですら、叔父であるグレンデには手も足も出ない。
もしもあの時、エクス帝国に二体の〔ヘルケルベロス〕が現れたあの瞬間、グレンデさえ帝国を留守にしていなければ。ローレイファは、何度自分のデスクに拳を打ちつけたか分からない。
三柱直属の英雄に至り、皇族となった折、二人は戸籍上は他人となった。だがローレイファは、今もなお自分にとって一番近しい身内は弟のグレンデだと思っている。だからだろうか、愛する弟を差しおいて英雄の真理に至るかもしれない真冬を、ローレイファは意識的に忌避し、また危惧していた。
「よりにもよって、あの女の孫娘を選ぶなんてっ」
思わず汚い言葉が口から出してしまう。ローレイファは気を落ち着かせようと、一度深呼吸をした。実のところ、一堂弥生がセイランの許嫁であるというのは半ばでっち上げの偽情報である。少なくともローレイファは認めていない。許可を出した覚えもない。
エクス帝国の皇族は、帝国貴族の中から自由に配偶者を選べる。
その権利を使って、幼い時分に弥生に一目惚れしたセイランが、弥生の両親を説き伏せてともに口裏を合わせ、弥生は自分の許嫁だと周囲に言い触らしているだけだ。つまりこの縁談は完全なるセイランの独りよがり。一堂家と縁を結んでも何のメリットもない。ローレイファの考えは頑ななまでに一貫していた。そう、これまではそうだった。
「花村天」
唐突に紡がれたその名と共に。ローレイファはデスクからとある資料を取り出した。それは娘セイレスが先日の会議で持ち帰った唯一の成果。そして、ローレイファが息子セイランの横暴に目をつぶる理由である。
「見れば見るほど馬鹿げた能力値ですね」
手に持つ資料に目を落としながら、ローレイファはひとつ息をつく。史上初のLv100到達者。話によれば、その実力はセイレスを含めた六人のSランク冒険士が束になっても到底歯が立たない――その話を聞いて馬鹿娘は癇癪を起こした――という。もしそれが真実なら、人類史上最強の人型といっても過言ではない。
「我が帝国に、ぜひ欲しい人材です」
ローレイファは、そこで初めてその唇に笑みを浮かべた。
◇◇◇
「すっご〜い! では花村様は、腕力だけでアレを外されたのですか?」
「ああ、まあ」
「ちょっとミリー! さっきから天にくっつきすぎなのだよ!」
ギギギと開かれた巨大な門を潜る、三人の若者。
「それでは、花村様が〔リザードキング〕を素手で倒されたというのも、本当のことなのですね!」
「ああ、まあ」
「だ・か・らー! 離れろって言ってんでしょうがこのガキャーッ!」
ポニーテールとツインテールの金髪美少女二人に挟まれて、真ん中に地味な黒髪の男が一人。それは傍から見れば、文字通り両手に花という並びである。
「お姉、ちょっとうるさい」
「はあ⁉︎」
「今アタシ、花村様とお話し中だがら。邪魔しないでくれない?」
「な! 邪魔はどっちよ!!」
「……」
しかしながら、間に挟まれている青年は嬉しさや気恥ずかしさといった感情とは対極の雰囲気を醸し出していた。
「ていうか、なんであんたまでついてきてんのよ⁉︎」
「ここ、アタシの家でもあるから」
「今日一日ぐらい、あっちの屋敷で過ごせばいいでしょ! お父さん達と一緒にさ!」
「あんなラブラブな空気の中にいられるわけないから。ほんとなんなのあの二人? 普段と違いすぎて正直キモいし!」
「…………」
自分を電柱がわりにしてキーキーと喚き合うハーフエルフの姉妹を余所に。俺は恵まれていたんだな、と彼はいつも隣で爽やかな清涼感をもたらしてくれた相棒の顔を、ふと思い浮かべる。
「あぁカイトが恋しい」
空を見上げながらぼやいていた。どんよりとした曇り空は、あたかも彼の心境を代弁しているようだった。
かくて史上最強の人型こと花村天は、エクス帝国の名門、一堂家の本邸に到着した。