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第29話 まず一つ

「いま……なんて?」


 冷たく淡い光に照らされた室内に、掠れた声が流れる。


「いま……なんて言ったのよ、天!」


 そして一瞬の静寂を破ったのは、白と青の比較的カジュアルなドレスに身を包んだハーフエルフの少女、ジュリ。


「俺達はキミの母親から【奴隷の首輪】を取り外しにきた。そう言ったんだ」


「――ッ‼︎‼︎」


 天が事もなげに答えた瞬間、ジュリは今にも飛びかかりそうな勢いで天に迫った。


「それって! 本当に本当に本当のことなのッッ⁉︎」


「ああ、事実だ」


「〜〜〜〜!!」


 声にならない声を上げて、子供のように飛び跳ねるジュリ。それは少女にとって、実に十年以上ものあいだ待ちわびた瞬間だった。


「外す……この首輪を……?」


「姉さん。聞いてちょうだい」


 戸惑いを通り越して半ば放心状態に陥っているミレーナに、マリーは言った。


「そこにいる花村天さんは、この世界でただひとり、【奴隷の首輪】の完全解除に成功した人型なの!」


「ほんとに?」


 ミレーナはいまだ半信半疑という面持ちだった。


「誓って虚言ではありません」


 すかさずそう証言したのはシャロンヌ。


「マスターはすでに、五人もの人型を【奴隷の首輪】から解放されました。その中には私の妹も含まれております」


「ついに、ついに現れたんだよ、ミレーナ」


 もはや我慢できないという様子で、知尚が口を開いた。


「キミを首輪の呪縛から解放してくれる救いの英雄が、ついに現れたんだ!」


「あ、あなた」


 興奮と歓喜にむせぶ声を上げて自分に詰め寄る夫を見て、ミレーナの瞳に隠しようもない希望の光が宿る。そんな中。


「……」


 ただひとり。興奮のるつぼと化した部屋で下を向いている者がいた。一堂家次男夫婦の次女、一堂ミリーである。


「ア、アタシ、どうしよう」


 ミリーは無意識の内に心の声を吐露する。貴族の少女は完全に血の気を失っていた。突然、母ミレーナのもとに集まり。そこで見慣れぬ集団と鉢合わせ。過去にないほど腰の低い父。それらがすべて繋がった瞬間、ミリーの胸にひとつの思いが去来した。やってしまった、と。


 ……だって相手は弥生お姉様に不埒を働いた不届き者なのよ? そんなの悪態をつくに決まってるじゃない⁉︎


 頭の中で延々と言い訳を繰り返すミリー。彼女は従姉妹の一堂弥生に心酔していた。誰よりも美しく、そして淑やかな一つ上の従姉のことを、ミリーは実の姉の数百倍慕っていた。そんな憧れのお姉さまに酷いことをした卑劣漢。一堂ミリーは花村天という人型の存在をそう認識していた。だから天のことをひらすら責め詰った。容赦なく悪意をぶつけてしまった。よりによって自分の母親を救いに来てくれた人物に対して。それはマリーも引っ叩く。知尚も頭を下げる。


 これでもし話がこじれでもしたら、足元を見られでもしたら……


「一堂ミレーナ殿から【奴隷の首輪】を取り外すにあたって、こちらからいくつか条件を出させてもらう」


「――‼︎」


 淡々と紡ぎ出された天のその言葉に、ミリーは心臓が跳ね上がるのを感じた。


「何でもいいから早く首輪を外してよ天!」


「黙って聞きなさい、ジュリ」


 いつの間にか厳格な父親に戻っていた知尚に窘められ、ジュリが渋々口を噤む。伴って部屋に再び緊張感が訪れる。皆の声が途切れたところで、天が口を開く。


「こちらの出す条件は三つ。一つ目は、最初に述べたようにこの場でのことは他言無用に願いたい。二つ目は、取り外した【奴隷の首輪】はこちらで回収させてもらう。そして三つ目は、一堂ミレーナ殿が“首輪付き”ではなくなったという事実を、今はまだ公にはしないでほしい」


 言いながら、天はごつごつした指を三本立てて見せた。


「これら三つを守ってもらえるなら、今すぐにでも一堂殿から【奴隷の首輪】を取り外させてもらう」


「……え?」


 ミリーは思わず耳を疑った。それはタダ同然の条件であった。


「マスターが先ほどのあなたの行いに腹を立て、法外な謝礼を要求するとでも思いましたか?」


「!」


 不意に囁かれた声に、ミリーの心臓が再び大きくバウンドした。ツインテールの少女は悪さを見つかった子供のように、恐る恐るそちらに目を向けた。するとそこには、女帝の二つ名を持つ誇り高きメイドがいた。


「あなたがマスターのことをどう思うかはあなたの自由です。けれど今一度、それを自分の目で確かめてみることです」


 静かに、だがどこまでも力強く、彼女は言った。


「マスターは旧友の家族を救うため、恥も外聞も捨てて今日この場に赴かれました。それら全てを見届けたその後、自らの目と耳と頭で『答え』を出しても、決して遅くはないと思いますが」


「…………」


 ミリーは返事をしなかった。しかし少女のミントグリーンの瞳は、真剣に一人の男に向けられていた。



 ◇◇◇



「………………なによ、その条件」


 その時、ただひとり怨念じみた声を喉の奥から吐き出した者がいた。


「……それってつまり、もしこの場でお母さんから【奴隷の首輪】を外したとしても、そのことを家には報告しちゃダメってこと?」


「そう言っている」


 歓喜に沸いていたところに頭から冷や水を浴びせられた。そんな顔で自分を睨みつけるジュリに、天は臆することなく即答した。


「それじゃ全然意味ないのだよ!」


「なぜだ?」


「‼︎ このお母さんの扱い見て分かんない⁉︎」


 天がこれ見よがしに首を傾げると、ジュリの憤懣がさらに膨れ上がる。


「お母さんが『首輪付き』じゃなくなったって家の連中に教えられなきゃ、ボクら家族を取り巻く環境は前とちっとも変わらないじゃない!」


「ならばジュリさんが改善したいのは、あくまで『身内に首輪付きがいる』という世間体の方で、母親自体はどうでもいいと?」


「そ――そんなこと言ってないわよ‼︎」


「言ってるじゃない」


 しれっとした顔で口を挟んだのはミリーだった。


「花村様。先ほどは大変申し訳ございませんでした」


 そして貴族の少女は、その態度から何から改めるように、しとやかに頭を垂れる。


「重ねて、我が家の愚姉の短慮をどうぞお許しください」


「はあっ⁉︎」


「謝罪を受け入れよう」


 そう言って天は軽く会釈を返した。こちらの和解はこれで終わり、そんな取り澄ました表情を浮かべて、ミリーは熱り立つ姉のほうへ顔を向ける。


「お姉様、聞き分けてください。すべてはお母様を助けるためです」


「だからそのお母様を助けるためには、そんな条件は飲めないってボクは言ってるの!」


「それですと、花村様はお母様から【奴隷の首輪】を外すことなく、この場を去ってしまわれると思うのですが?」


「うっ」


 ミリーの言葉はまったくの正論だった。


「そ、そもそもミリーはそれで平気なの!」


「むしろ私には、何故お姉様がここにきて文句を言うのかが理解できません」


 と、ミリーはいっそう冷ややかな目でジュリを見つめる。


「お姉様は、すでに花村様が出された一つ目の条件を飲まれたはずですわ」


「そ、それがなんだって言うのだよ」


「では逆にお訊きしますが、この場でのことは他言無用――この条件を飲まれた上で、お姉様はどうやってお家の者達に、お母様が首輪付きではなくなったと伝えるおつもりなのですか?」


「……あ」


 そう。天が出した一つ目の条件と三つ目の条件は、いわば同じ類のものなのだ。というのも、ミレーナが【奴隷の首輪】から解放されたことを伝えるためには、どうしてもこの場で起こったことを他者に話さなければならない。しかしそうなると、当然他言無用の制約を破ることになる。たとえ天の存在を伏せて話したとしても、それは許されざる行為なのだ。


「要するにアタシたちは釘を刺されたってわけ。浮かれまくって軽はずみな行動に出るなって」


 ミリーはいつもの調子に戻り、皮肉げな笑みを浮かべて肩をすくめる。


「お姉の気持ちも分かるけどさ? それでお母様が首輪を外せなくなったら、それこそ本末転倒もいいところじゃない?」


「……」


 ジュリはグッと奥歯を噛み締める。ミリーの主張はやはり正論だった。


「この場合、姉さんの立場が問題なのよ」


「ジュリ。これはミレーナを守る処置でもあるのだ」


 とはマリーと知尚。


「帝国の名門、一堂家の貴夫人である姉さんが首輪付きではなくなった。この事がもし表沙汰になれば、そのニュースは瞬く間に全世界に広がってしまうわ」


「そうなれば帝国はもちろん、各国のあらゆる機関が一堂のもとに使者を送るだろう。ミレーナも連日のように尋問されるはずだ」


 二人は大人の事情を丁寧に説明する。


「きっと自分達にも首輪の解除方法を教えろと、全世界が姉さんと一堂家を責め立てるでしょうね……」


「そこまでいってしまうと、こちらも知らぬ存ぜぬでは済まなくなってしまうのだ」


「だったら隠さずに全部教えてやればいいのよ!」


 叔母と父親の意見を突っぱね、ジュリは天を再度睨んだ。


「だいたいこんな凄いことを、何でいちいち隠す必要がっ」


「マスターは『今はまだ』と仰られているのです」


 と、底冷えするような声が差し込まれた。


「我が妹、エレーゼや他の元首輪付きの者たちも、今はまだ世を忍ぶような暮らししか許されてはいないのです。……耐えているのが自分ばかりだと思うな」


 部屋の空気が一瞬にして張り詰める。あまりにも聞き分けのない小娘に対し、よほど腹に据えかねたのだろう。シャロンヌは極寒の眼差しでジュリを睨み据える。


「素人は常に最高の結果だけを見据え、追い求める。これに対し、プロは常に最悪の事態を想定して行動する」


 氷漬けにされた元チームメイトの代わりに口を開いたのは、しばしの間ジュリ家の家族会議を傍観していた天だった。


「ジュリさんが今思い描く最高の結果は、自分の母親が貴族としての地位を取り戻しなおかつ世界中の首輪付きがその苦しみから解放される、こんなところか?」


「ぇ、あ……うん」


 ジュリはぎこちなく頷く。遠回しに自分が素人だと言われているのだが、現在の彼女は凍りついた首をわずかに動かすだけで精一杯のようだ。


「対して俺達が予測し得る最悪の事態は、首輪が『奴等』に改良され、俺でも取り外し不可能な仕様にされてしまうことだ」


 その瞬間、しんと静まった部屋でいくつか息を呑む気配があった。それはまさしく一つの最悪の事態と言えた。天は『奴等』という部分を強調し、淡々と言葉を重ねる。


「奴隷の首輪の解除法が見つかった。このことが大々的に公表されれば、必然的にその情報は奴等の耳にも入ることになる」


 以前、天はディゼラという邪教徒の正体を暴くために、この情報をあえて開示したことがある。が、その時は相手を最初から生きて帰すつもりがなかったため、情報漏洩の危険はほぼ皆無だった。しかし今回はそれとは全く話が異なるのだ。


「そうなると当然、奴等も黙ってはいないだろう。何らかの対抗策を用意するはずだ」


「……それが首輪の改良ってこと?」


 恐る恐る訊ねるジュリに、天は頷いて。


「可能性としては十分ありえる対策の一つであると、俺は考えている」


 ジュリの顔色はいまだ回復とは程遠いものだったが、天は率直な意見を述べる。


「仮に首輪を外すイコールで『死』に繋がるような細工を施された場合、その解除はたとえ俺でも極めて困難なものになるだろう」


「……!」


 ジュリが完全に言葉を失う。それが天達が想定した最悪のシナリオの一つだ。もともとこのライブストの輪――奴隷の首輪の正式名称――は、強い衝撃を与えると瘴気を生成するという悪意の塊のような魔導具だ。そんなものを平気で作り出す輩が首輪にさらなる手を加えれば、その先に明るい未来があるはずもなかった。


「俺の仲間の母親は、今もなお奴等の奴隷として捕らえられたままだ」


「「!!」」


 ジュリが驚愕に目を見開く。そばでミリーも絶句していた。天の話は少女達の未成熟な精神に強いショックを与えるものだった。しかし天は構わず言葉を続ける。


「おそらく俺の仲間が受けている苦痛は、キミたち家族の比ではないだろう」


「本当のことよ……あの子に比べたら、姉さんや私達はまだ恵まれているわ」


 姪の姉妹にそう語るマリーの表情は哀愁に満ちていた。双方と親しい間柄の彼女だからこそ、その言葉には確かな重みがあった。


「万が一、ここで一堂殿を『助けたせい』で彼女の母親を助けられなくなったら、俺は一生仲間達に顔向けできない」


 糸のような細目を力強く見開き、天は言った。それが天の偽らざる本心だった。


「お姉。贅沢言うのはもうよそうよ」


 ミリーが姉の肩にそっと手をかける。


「お母様の待遇はたしかに今と変わらないかもだけどさ……これまでのことを考えたら大進歩だよ。これ以上ワガママ言ったらバチが当たるから」


「で、でも!」


 ジュリがそれでもと口を開いたその時、覚悟を宿した表情でスッと前に歩み出た者がいた。


「よろしいでしょうか、花村様」


 これまで一言も発せず、ただ黙ってその場の成り行きを見守っていたミレーナである。


「私はこの度の花村様のお申し出を、謹んでご辞退させていただきます」


 そしてミレーナは丁寧に頭を下げた。


「ミ、ミレーナ⁉︎」

「いきなり何を言ってるのよ、姉さん!」

「なにそれ全然意味わかんない‼︎ せっかく首輪を外してもらえるんだよ⁉︎」

「…………」


 当然のごとく周りの家族達は混乱する。

 だが、ミレーナの目に迷いはなかった。


「私が幸福になることで誰かが不幸になるのならば、それが正しい行いとは到底思えませんので」


「本当にいいんですか?」


 天はまっすぐにミレーナを見て訊ねる。


「はい」


 ミレーナは躊躇うことなく答えた。それから数秒の沈黙を挟み、天はひとつ頷いた。


「承知しました。――シャロンヌ」


「はっ!」


 主人の言葉と共にシャロンヌが結界を維持していた魔力を引っ込めた。ともなって、天井に描かれた魔法陣が消失する。


「それでは、俺達はこれで失礼させてもらいます」


 そう言って、天は静かに一礼する。


「……………………やだ」


 その時、いまにも消え入りそうな声で彼を引き止める者がいた。


「ここで見たことは、絶対に誰にも言わないって、約束する、から」


 帰ろうとする天の腰にすがりつき、嗚咽混じりの声で、ジュリは言った。


「天……お母さんを、助けてぇぇ!」


 そして次の瞬間――


「――たく。お前は相変わらずとことん世話のかかる奴だな」


 呆れて疲れたような、少女にとって馴染みのある応答があった。その直後。



 カァンッッ!!!



 乾いた金属音が部屋に鳴り響いた。次いで焼けた鉄のような臭いが室内に漂う。それはまさに一瞬の出来事だった。


「ふぅ」


 いつの間にか天のその両手には、綺麗に真っ二つに分かれた首輪の残骸が――しっかりと握られていた。


「ほら、抱きつくんならあっちにしろ」


 面倒くさそうに言いながら、天は顎でそちらを指し示す。ミレーナが床にへたり込んでいた。彼女は戸惑うような素振りを見せていたが、自分の首元に手を当てた途端、唖然とする。


「無い……どこにも……」


 ミレーナはたどたどしい手つきで、もう一度、今度は両方の手のひらで自分の首を隅々まで触る。そこにはもう、あるべきものは無くなっていた。


「みんな……見て……」


 言葉にせずにはいられなかったのだろう。ミレーナはそっと首元から手を離した。その瞬間、彼女の細く綺麗な首が、十一年ぶりに家族の瞳の中に映し出された。


「あ、あぁあ」

 

 知尚が大きな肩を力なく震わせる。最愛の妻を見つめる夫の目には、これまで必死に隠し通してきた涙があふれていた。


「姉さん……」

「お母様……」


 妹マリーと娘のミリーも、両手で口元を覆い、小刻みに背を震わせ、嗚咽していた。二人の目にも涙があった。


 そして。


「お母さん!!」


 ジュリが涙と鼻水で顔をくしゃくしゃにしてミレーナに抱きつく。


「ミレーナ!!」


 知尚もこれに続いた。


「あらあら、まあまあ」


 胸に飛び込んできた長女と夫の頭を優しく撫でながら、ミレーナは穏やかな笑みを浮かべる。それは紛れもない母の顔だった。


「なんでもいいけど、アタシたちが抱きつくスペースがもうどこにも無いし」


「そうね。そういえばあの二人って、昔から姉さんにだけは凄く甘えるのよね」


 出遅れたミリーとマリーは、ミレーナを独占する姉と義兄にジト目を向けながらも、どこか嬉しそうにその光景を眺めていた。


「お疲れ様でございます、マスター」


「ああ、これでまず一つだ」


 天は破壊した【奴隷の首輪】の残骸をシャロンヌに渡すと、やれやれと腰を伸ばし、肩をぐるりと回した。


 かくして、一行の旅の目的の一つが果たされたのであった。

 

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