第21話 はじめまして
「ははは……まいったね、どうも」
事務所のソファーの上でがっくりと項垂れるエルフの青年。冒険士協会零支部支部長カイトは、いつもの爽やかスマイルの代わりに乾ききった笑みを口元に刻んだ。
「もう、何から突っ込んでいいのやら」
何気なく呟かれた声からは、心底と評するに値する気疲れが伝わってくる。零支部一の苦労人を以ってしても、天達が城から持ち帰った報告は中々にくるものがあったようだ。
「あなた達には耳の痛い話でしょうが、これが現実です」
と、人数分のコーヒーカップをテーブルに置きながらシャロンヌ。言い方こそ無遠慮だが、そのティータイムには彼女なりの気遣いがあった。
「…………」
ちなみにあなた達のもう一方、零支部副支部長のアクリアは、カイトの左隣でいまだ終始無言を継続中である。
「でも、今日はシャロ姉ひとりに任せなくて良かったのです」
「奇遇だねリナ。俺も今まさに同じことを思ってたところだよ」
「……聞き捨てなりませんね」
シャロンヌは全員分のカップをテーブルに並べ終えると。
「断固として、あなた達に前言の撤回を要求します」
そう言って、女王様メイドは今度のあなた達――カイトとリナをじろりと睨む。
「「今の段階で『常夜の女帝』に城を落とされでもしたらたまらない」」
一方ソファーに向かい合わせで座る両人はといえば、全く同じタイミングでコーヒーカップを手に取り、全く同じタイミングで同じセリフを口にした。
そんな仲間達の歯に衣着せぬ物言いに、女帝なメイドが若干たじろいでいると――
「私は、アレックスの行動に違和感を覚えます」
それまでカイトの隣でじっと黙っていたアクリアが、神妙な面持ちで口を開いた。その様子から、どうやら彼女が今まで無言でいたのは、精神面での問題ではなさそうだ。
「アレックスは確かに虚栄心が強いところがありますが、同時にランドを思う気持ちも人一倍強いのです。なのに……」
「俺も話を聞いて同じことを思ったよ」
テーブルにカップを置きながら、カイトが相槌を打つ。
「今日、城でアレックス殿下が兄さん達にしたことは、どれをとってもランドにとってマイナスにしかならない行動だ。それは色んな意味で彼らしくない」
「はい」
アクリアが深く頷き。
「だいいち金銭を使って口止めなんて、シャロ姉に通用する訳がないのです。そんなの少し考えれば分かりそうなものなの」
リナがコーヒーカップに口をつけながら肩をすくめた。
「ああ。そこも含めて彼らしくないんだよ」
「常夜の女帝の潔癖は有名な話ですからね」
リナの指摘に反対意見は挙がらなかった。
「それに、よしんばソレをやるにしても、俺の知る彼ならきっと部下を使って裏で動くはずだ。もしもの時の逃げ道をいくつか用意した上でね」
「ええ。あのアレックスが公の場で、しかも自らの名を出してそのような蛮行に及ぶなど到底考えられません」
角度を変えると中々にアレな発言がくだんの王子の腹違いの姉と従兄弟の口から告げられる。
「恐らくですが……」
と、そこでシャロンヌが口を挟む。
「あの城は、既に高濃度の『陰の魔力』に汚染されていました。その影響を受けた可能性が高いですね」
「それって、たしか人型の魔力とは違う、邪教徒特有の魔力だっけ?」
「正確には、モンスター化した生物の魔力などがこれに該当します」
リナの問いかけにそう答えて、シャロンヌは神妙な面持ちで言葉を続ける。
「以前私は、邪教徒が長年潜伏していたと見られるある村を調査したことがあります。その際、そこに住む村人達からもこれと似た症状が見られました」
「似た症状というと……」
「人型の粗暴化です」
不安と恐れが入り混じったアクリアの合いの手に、シャロンヌは淡々と応じた。
「人によって影響はまちまちですが、陰の魔力に長時間さらされ続けた人型は、理性的な判断ができなくなるのです」
「どうりで」
リナの相槌に続いて、アクリアとカイトも納得した表情を浮かべる。ここまでの話を聞いてまだ理解が及ばぬ者は、零支部特異課には存在しない。
「ただ住んでいるだけで、徐々に理性が失われていく城でございますか」
「まるでお伽話の世界だね」
そう言ったカイトとアクリアの顔には、隠しようのない古巣への失望があった。
「無論、英雄リスナや暁グラスのような例外もいますが。大概の人型は、まず間違いなく何らかの症状が現れるでしょう」
アクリアとカイトの顔は目に見えて雲っていたが、シャロンヌは構わず話を進めた。同情はするが余計な情けは挟まない。それがプロというものだ。
「例えば、突然凶暴性が増したり、短慮な行動を起こすようにもなりますね」
と、そこで。
「まあ早い話、性格が魔物に近くなるってことだろ」
不意に割り込んできたその声は、事務スペースの一番奥の部屋から聞こえたものだ。
「仰る通りでございます」
丁寧な肯定の言葉と共に、シャロンヌは部屋から出てきた人物に向かって恭しく頭を下げる。彼女がこのような態度を取る人型はこの世に一人しかいない。
「悪い。ちょっとばかし親父殿と話し込んじまった」
砕けた調子と相反する凛とした立ち姿。その格好は、くたびれたTシャツに古ぼけたジーンズといつも通りのものだ。
「んじゃ人数も揃ったところで、早速そこにいるお姫様から話を聞かせてもらおうか」
その瞬間。
ビクッというあからさまな気配があった。
それから数秒ほど沈黙が流れたのち……
「……、」
恐る恐る、観念したように、二階に続く階段の奥から、白い寝巻き姿の幼い少女が出てきた。
「あ、あ、あの」
「はじめまして」
と怯える少女を安心させるように。
「私は花村天と申します。以後お見知りおきを、アシェンダ姫」
天は胸に手を当てて、優雅に一礼した。