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第19話 その騎士が去ったのち

 ランド王国・某国大使館にて。


「わははははははははははーーッ!」


 高級感のある優雅な部屋に響き渡る、野太い笑い声。


「めでたい! 実にめでたい!」


 黒い髭に覆われた口をこれでもと開けて大喜びする壮年の男。


 ランド王国宰相ゴズンド。


 彼が連日の苛立ちを吹き飛ばすほどの朗報を受け取ったのは、つい先程のことだ。


「あの忌々しい小僧が国外追放とは! これを朗報と言わずして何と言えよう! がははははははっ!」


「そうですか。グラスが……」


 ゴズンドの傍らに控えていた茶髪茶目の青年騎士。国王直属親衛隊隊長ジシムは、密かに主人とは真逆の反応を胸の内に抱いた。


「くくく。カナモトの奴め。図体だけの木偶の坊だと思っておったが、最後の最後で実にいい仕事をしおったわ! うははははは!」


「その事なのですが、少々解せません」


「うん?」


 ジシムの冷や水のごとき一言に、ゴズンドが高笑いを止めて訊き返した。


「なんだ、解せぬとはどういうことだ?」


「ハッ」


 ジシムは小さく頭を下げる。


「確かにカナモトは己の分を弁えぬ愚か者でした。しかし同時に、狡猾に立ち回るという一点において、騎士団の中でも一二を争う男でした」


「話が見えん。もっと噛み砕いて話せ」


 ハッ、とジシムはもう一段深く頭を下げ。


「あのカナモトが、自分から矢面に立つような真似をするとは到底思えません」


「なにぃ?」


「奴は昔から、他者の背中に隠れないと行動ができない部類の男でしたので」


 ジシムは知っていた。カナモトという騎士のずる賢さを。あの男は、間違っても自分が責任を負うような立ち回り方はしない。必ず誰かしらを盾にして動く。逆に言えば、誰かの責任の中でしか動かない。


「つまりは?」


「例の城で起こったという暴動は、カナモトが計画したものとは考え難いかと」


 果たして関心があるのかないのかという様子のゴズンドに、ジシムは頭を下げたままそう答える。つまるところ、今回の騒動を起こした主犯は別にいて、カナモトはあくまでそれに便乗したに過ぎない。というのがジシムの主張であった。


 ……となると、あの二人の報告に虚偽があったことになるが。


 連絡役の二人の人物の名を、ジシムが頭に思い浮かべたところで。


「どうでもよいわ、そんなこと」


 ゴズンドは鼻を鳴らしながら、ジシムの進言を一蹴する。


「あの忌々しい騎士風情がランドから追放された、それが事実であれば、後のことなどさして問題ではない!」


「……承知しました」


 いい気分に水を差すなと声を荒げる主人にジシムは会釈程度だった礼を深々とすることで謝意を示した。その姿勢のまま、ジシムは次の話題を切り出す。


「……ところで、アシェンダ王女のことなのですが」


「あぁ、そういえばそんな奴もいたな」


 すっかり興味が失せた。そんな心情がありありと伝わってくる言い回しだった。


「ゴズンド様。このまま部下達に捜索を続けさせますか?」


「全員引き上げさせろ」


 打てば響くように答えが返ってきた。その指示はどこまでもジシムの予想通りのものであったが。


「よろしいのですか?」


「構わん」


 もう目的は果たしたからな、と付け加える主人に。


「恐れながら、王女をそのまま放置するのは危険かと思われます」


「フン。小娘ひとりに一体何ができる」


 小馬鹿にするように鼻を鳴らし、ゴズンドは言った。


「そもそも貴様らがいつまで経ってもあの小娘を捕まえられんのが悪いのだ! この無能どもめがッ!」


「申し訳ありません」


 この流れもジシムの予期した通りのものである。


「そういえば、数日前から部下の一部と連絡が取れなくなりました」


「フン。あんな小娘一匹に手を焼いているのだ。中にはそんな連中も出てくるだろうさ」


 そういう意味で言った訳ではないのだが。

 ともあれ、これで報告の義務は果たした。


「では、ただちに親衛隊の騎士達に伝令を送ります」


 そう言って、ジシムは速やかに退室する構えを見せる。


「ああそうだ。貴様、ここにはしばらく戻ってこなくていいぞ。勝利の余韻を味わう時間を邪魔されたくないからな」


 そして背中越しに、ふたたび野太い笑い声が聞こえてきた。


 つくづくおめでたい男だ。


 ジシムは一礼して退室し、扉を閉める。

 この時点で、アシェンダは何者かに保護された可能性が極めて高いと、ジシムは当たりをつけていた。


 ……親衛隊の精鋭で編成された追っ手を退ける実力者となると、一般的に考えれば冒険士か教会の上位陣クラスだが。


 どちらにしろ面倒事は避けられない。


「……まあ、どうでもいいがな」


 思わず口から零れ落ちたセリフは、今のジシムの心境を雄弁に物語っていた。


 もはやこの国に暁グラスはいない。


 ランド王国最強の騎士である暁グラスを超える。ジシムがゴズンドの腹心となり、邪教徒にまで身を堕とした一番の理由はそれだった。しかしその、ある意味ジシムの目標とも呼べる騎士は、もう自国のどこを探してもいない。二度戻ってくることもないのだ。


「……こちらが城から追放させようと暗躍すれば、一足先に国外追放になるとはな」


 この結末は、鋼鉄の騎士ジシムをもってしても失笑を禁じ得ないものであった。


「つくづくお前という存在は、俺の計画を狂わせるな、グラスよ」


 ジシムはその場で静かに目を閉じ、自分の中で折り合いをつける。


 …………。


 あの愚かなる主人を手に掛けたあかつきには、暁グラスの首を求めて各地を放浪するのも悪くはない。


「単に殺す順番が変わっただけだ」


 今はこれで自分の気持ちを納得させる。


「来るべきその日まで、首を洗って待っていろ……暁グラス」


 ジシムは淀みない足取りで、真紅のカーペットが敷きつめられた廊下を歩き出した。



 ◇◇◇



 この夜。

 ランド王国の王宮は、まるで廃墟のような異様な静けさに満ちていた。


「俺は……俺は……」


 両手で頭を抱え、広々とした豪奢な部屋の隅で、ひとり蹲る赤髪の青年。


「……俺はいったい何をした? 何をしてしまったんだ、俺は……⁉︎」


 その赤い瞳は苦悶の色に濁り、その整った顔は心の芯まで怯えていた。


「……おしまいだ……もう何もかもおしまいだ……」


 深い絶望が赤髪の青年――アレックスの心を蝕み、侵食していく。


 ……ズキッ。


 そのとき、アレックスの左頬に熱い痛みが走った。


「あっ」


 小さく声を漏らし、アレックスは熱を帯びた左頬にそっと手をあてた。


「……」


 アレックスはおもむろに立ち上がると、自分の事務机へと足を向ける。自分は王族として、自らが犯した失態を取り返し、皆の信頼を一刻も早く取り戻さなくてはならない。それが自分の身代わりになってくれた彼に対するせめてもの報いだ。アレックスはそう思った。


「……グラス」


 もう一度左頬を撫でると、まずは騎士団の人事異動の書類作成に取り掛かる。


 今のアレックスにとって、(とも)に殴られた頬の痛みだけが唯一の救いであった。



 ◇◇◇



「ふぅ……」


 リスナは深い吐息をつき、そして倒れるように寝室のベッドに身を投げた。つい今しがたまで、彼女は国の代表として、冒険士協会会長シストと映像回線で会談という名の謝罪を行なっていた。といっても、会談中、話をしていたのは主にリスナの方で、逆にシストの方はほとんど何も喋らなかった。大国の王は、ただ黙って隣国の王妃の言葉に耳を傾けていた。


 そして最後に、世界に冠たる英雄王はこう言った――



 ――彼とグラス殿に感謝しなさい。



 シストの返事はとても簡潔で、完結的なものであった。


 これが本物と偽物の違いか。リスナはそのように認めざるを得なかった。シストは紛れもない本物の王。そして本物の英雄なのだ。対する自分はといえば……


「……これでは、あの御仁に『紛い物』と評されても仕方ありませんね」


 寝室の中央に置かれた天蓋付きのベッドに顔を埋めながら、リスナは昼間の出来事を思い出す。


『なんだ、紛い物以外もちゃんといるじゃないか』


 あの時リスナは、グラスと天のやり取りを聞いていた。二人の会話の内容を正確に聞き取っていた。


『紛い物、とは?』


『俺がいちいち答えずとも、あんたならとっくに気づいてると思うが』


 あの瞬間、リスナは心臓を鷲掴みにされたような感覚を覚えた。彼が言ったことはグラスだけではなく、英雄リスナの急所をも的確に捉えていたからだ。


 彼の言う通り、今この国は紛い物であふれ返っている。


 紛い物の国王。

 紛い物の宰相。

 紛い物の王族。

 紛い物の貴族。

 紛い物の兵隊。

 そして、紛い物の英雄(じぶん)


 リスナは忸怩たる思いで、真っ白なベッドのシーツを握りしめる。


「……グラス殿。申し訳ありません……」


 リスナの胸に火花のような痛みが走る。


 自分がアレックスの手綱をしっかり握っていれば。自分が騎士達や兵士達を制御できていれば。自分が英雄としての役割をきちんと果たしていれば。こんなことにはならなかった。このような深刻な事態にまで発展しなかった。そのいくつもの前の段階で止められたはずだ。


 だが結局、自分はいつも通り何もできなかった。


 あのバッツという名の若い騎士のことにしてもそうだ。あれは本来なら自分がやらなければならないことだった。なのに相手の圧力に押されて、危うくカナモトの申し出に屈服させられそうになった。


 情けない。お前はそれでも英雄か?


 シストとの会談中、度々そんな気配が通信越しに伝わってきた。そして最後のあの一言だ。もっとしっかりしろ、そう説教された気がした。同じ主神の加護を持つ、英雄同士なのに。


 本当に情けない。


 リスナは胸が詰る思いだった。この世界では、至高の存在である三柱神に認められた英雄は、ある意味で一国の王よりも強い発言権を有する。にも拘らず、息子はおろか兵士ひとりの暴走すら止められない体たらく。最終的に最悪の結末は免れたが。それはひとえにグラスの功績であり、そしてあの御仁のおかげだ。


 あれはまさしく“本物”だった。


 外見はどこにでもいる平凡な人間の若者。

 しかしその実態はどこまでも非凡な人型。

 彼に対するグラスの過剰な反応も頷ける。

 あれこそ英雄と評されるに相応しい器だ。

 そう。かの英雄王シストや、かつての自分の姉――クリアナのように。


「……やはりあの時、あなたの方が国に残るべきでしたよ、姉さん」


 かすれた声で呟かれた言葉。

 あの日から幾度となく吐き出した言葉。

 過去に一人だけ、その言葉をはっきりと否定してくれた人がいた。


 だがその騎士はもういない。


 城にも、国にも、どこにもいないのだ。

 

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