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第17話 最後の仕事

 闇の中を彷徨っていた。

 ただあてもなく。

 自分がどこにいるのか。

 自分がどこに向かっているのか。

 何も分からない。

 何も覚えていない。

 そんな時、不意に誰かの声が聞こえた。


 ――真剣勝負に泥を塗るな‼︎


 雷のような大音声が闇に轟いた。

 ああ、そうだ。

 すべて思い出した。

 自分は負けたのだ。

 完膚なきまでに敗れたのだ。

 花村天という、真の武人に。

 その名を頭に思い浮かべた次の瞬間。

 目も眩むようなまばゆい光が。

 漆黒の世界を白一色に染め上げた――。



 ◇◇◇



「……生き延びてしまったか……」


 医務室のベッドの上に横たわりながら、グラスは振り絞るように声を出した。


「だ、団長!」


 グラスの覚醒と共に若い女の声が上がる。


「わ、私のことが分かりますか、団長⁉︎」


 ぼやけた視界に飛び込んできたのはいかにも生真面目そうな女騎士の姿。それは少し前までグラスの日常風景の一部でもあった。


「……ユウナよ。できればもう少し離れてもらえるとありがたいのだが……」


「グラス、団長……っ」


 グラスが城の者達から『残念な聖騎士』と陰で呼ばれる所以。その歯に衣着せぬ物言いがベッドに横たわる青年の口から炸裂した瞬間、しかしユウナは目に涙を浮かべ声を震わせる。暁グラスはしっかり生きている。そう思って心から安心したのだろう。


「良かった……貴方が無事で、本当に良かった……っ」


「……ユウナ」


 こちらを覗き込むユウナの顔には所々うっすらと汗が滲んでいた。おそらく今の今まで休みなしでグラスに回復術を施していたのだろう。彼女はこう見えて、この城でも屈指の衛生兵なのだ。


「……そうか。またおぬしに世話をかけてしまったようですな」


「もう慣れましたよ」


 グラスが独り言のように呟くと、ユウナは苦笑しつつそう答えた。ただその皮肉っぽい言い回しとは裏腹に、ユウナの顔はどこまでも穏やかなものだった。それから二人は柔らかな表情でお互いの顔を見つめ合う。


 が、その時間も長くは続かなかった。


「おぬしのおかげで、思ったよりも早く復帰できましたぞ」


 そう言いながらグラスは早々にユウナから視線を外す。もともと年頃の娘と長々と目を合わせるなど考えただけで鳥肌ものだ。しかし今回は、それとは別に理由があった。


「団長?」


 きょとんとした顔で首を傾げるユウナ。聡明な彼女をもってしても、グラスの奇怪な行動を予測するのはほぼ不可能だ。まあそれはある意味いつものことなので。特に気にする必要もなかった。それよりも今は。


「小生には……うっ、まだやらねばならぬ事が、残っているのですぞ」


「い、いけません団長!」


 全身を支配する痛みに抗いながら、グラスはベッドから身を起こした。途端にユウナが目を剥く。


「今しがた回復術で傷を塞いだばかりなんですよ⁉︎ まだ動かれては駄目です‼︎」


「手出しは無用に願うッ」


 ユウナは必死にグラスをベッドに押し止めようとする。だがしかし、王国の騎士団長は止まらなかった。


「小生は、この国を守る騎士団の長として、務めを果たさねばならぬ……!」


 それだけ言うと、グラスは鉛のように重い体に鞭を打ち、息も絶え絶えにベッドから抜け出した。


「まだ小生には、ランド王国騎士団団長として……最後の仕事が残っているのだ!」


「団長……」


 ユウナの制止を振り切り、グラスは体中に包帯を巻きつけた姿でキョロキョロと部屋の中を見回した。


「……はぁ、探し物は『これ』ですか?」


「おぉ!」


 傷だらけの体を震わせて今にも倒れそうな彼の前に、スッと差し出されたのは白銀に輝く一振りの聖剣。それはまさしく、グラスが探し求めていた己の愛剣だった。


「こうなったら、貴方は何を言っても聞きませんから」


 どこか諦めたような顔をして、ユウナが言った。さすがは長年の女房役。彼女こそ副官の鑑であろう。


「小生を、リスナ王妃とアレックス殿下のもとに!」


 きっとそこに『やつ』もいる。


「本当に、団長は一度死にかけても少しも変わりませんね」


「それが騎士道精神というものですぞ!」


 ユウナは溜息と共に動き出す。その後ろに続いて、グラスもおぼつかない足取りで医務室を出る。


「うっ、く、なんのこれしきッ」


「…………」


 なお、ユウナがこの時あえてグラスに肩を貸さなかったのは、彼女が残念な聖騎士の性質を知り尽くしているがゆえ、とだけ補足しておこう。



 ◇◇◇



「なりません!」


 色の白い肌に線の細い体。まるで白百合ような、と形容されそうな可憐な淑女が、その見た目のイメージをかなぐり捨てるような剣幕で言った。


「そのような事は断じて認められません!」


 焦燥に身をわななかせ、謁見の間の副玉座から立ち上がったのは、ランド王国第一王妃リスナ。


「ですが王妃、これは我が国にとって必要な行動であると愚考いたします」


 と、国の英雄を相手に冷ややかな声を返した男がいた。相対するリスナとは何もかもが対照的。王城の騎士達の中でも圧倒的な体躯を持つ強面の巨漢騎士。ランド王国騎士団副団長カナモトである。


「此度の件に関しては、非があるのは完全に我らの方です!」


 リスナは強く主張する。彼女がこれほど感情的になるのは非常に珍しいことだ。


「たとえそうだとしても、何もせず全てを水に流すというのは、国家として如何がなものかと存じますが?」


 対するカナモトも強硬な姿勢を崩さない。両者の意見は真っ向から対立するものであった。


「なんと言われようと、此度の一件についてこちらから言及するつもりはありません」


「お言葉ですが、それはいささか弱腰外交が過ぎるのでは?」


「いいえ、この話はもう終わったのです」


「しかしあれほどの事をされて罪を問わぬというのは、国としてどうなのでしょうか」


「だからといって冒険士協会に抗議状を提出し、謝罪と損害賠償を求めるなど……」


「では、あの三人の身柄を我がランドに引き渡してもらうというのは?」


「それこそ言語道断です!」


 リスナとカナモトが互いの意見を激しくぶつけ合う中。


「……」


 仮初めの玉座に坐り、ひとり力無くうなだれる青年がいた。


「…………」


 ランド王国第一王子アレックス。彼は先刻から一言も発言せず、ただ顔を伏せたまま玉座の上で塞ぎ込んでいた。それは常日頃から王族としての強固な自尊心に満ちあふれている青年からは、およそ想像もできない有り様である。


 しかし周囲の者は、誰も彼もそれに気づかぬ風を装っている。


 それは暗黙の了解とも取れた。失意に打ちひしがれた自国の王子の姿など、どこにも見えない。皆が皆、壊れ物には極力触れぬようにしている。そんな感じだ。


「先に手を出したのはあくまでもこちら。この事実を、我々は重く受け止めなければなりません」


「これだけの被害を受けたら、もはやそのようなことは問題ではないと思いますが?」


 ただそこにいるだけのアレックスをよそに二人の口論は続けられる。


「カナモト殿。彼等は我が娘アリスを救ってくださった恩人達です。その事をくれぐれもお忘れなきよう」


「やれやれ。国を代表する英雄がこのように弱腰とは。もしもゴズンド閣下がこの場にいらしたら、一体なんと言うことやら」


 カナモトの態度は明らかに目の前にいるリスナを小馬鹿にしていた。これに対し、リスナが怒る、というより頭が痛いといった様子で口を開きかけたところで。


「特にあの花村なる冒険士が最後に行ったことは、我が国に対する宣戦布告ともとれる」


「そ、それは……」


 途端にリスナが口ごもる。そこへ畳み掛けるように、カナモトは言った。


「あのような行いを放置してしまったら、それこそ我がランド王国は近隣の国々から御し易い相手と認識されてしまいましょう」


「っ……」


 カナモトの高圧的な物言いに、リスナは言葉を詰まらせる。


「……」


 だが、かの王妃の息子はまるで反応を示さなかった。普段のアレックスならば、ここで間に入ってカナモトを叱り飛ばすだろう。そして身分をわきまえぬ無礼者を厳しく処罰していたに違いない。


「…………」


 しかしアレックスは乱れた前髪で顔を隠すように俯いたままである。


 ただ、代わりに口を開いた者がいた。


「あれは……俺達が団長とあの人が交わした約束を無視したから……そのせいで起きたことじゃないかっ」


 握った拳をプルプルと震わせながら声を上げたのは、周囲にいる騎士達の中でもひときわ若い、短い栗色の髪をした小柄な騎士。


「俺達があんな馬鹿な真似さえしなければ、あの人たちはあのまま大人しく帰ってくれたんだ!」


 感情の赴くままに言い捨てたのはその青さゆえか。その騎士はまだ少年と呼べる見た目をしていた。


「んーなにか今、こっちの方から聞こえたような気がしたが?」


 そう言いながらゆっくりと少年騎士の方に歩いてきたのはカナモト。このどこまでも無礼な男は、リスナとの会話は勝手に切り上げたようだ。


「なあバッツ。お前何か知らないか?」


「……」


 栗毛の少年騎士。バッツはやや目線を下げながら、しかしはっきりと答えた。


「あんな事になったのは全部俺達が悪い。そう自分が発言しました」


「一応訊いておくが、貴様が言う『俺達』というのには、まさかこの俺も入ってるわけじゃあないよな?」


「というより、副団長がその筆頭ですよ」


 バッツは気安い口調で即答した。瞬間。


「どうやら貴様には教育が必要なようだな」


 カナモトは額に青筋を浮かび上がらせ、少年騎士の胸倉を掴みあげた。


「へ、へへへ……俺、五人兄弟の一番上だから分かるんすよ」


 丸太のようなカナモトの太い腕で体を宙吊りにされながらも、バッツは笑った。


「俺の弟や妹、揃いも揃ってイタズラばっかするんすよ」


「なに?」


「まぁ大概は笑って済ませられるような小さい悪さなんすけど。たまにとんでもない事やらかす時があるんすよ、うちのチビども」


 バッツは一方的に話を続けながら、精一杯強がった笑顔をカナモトに向けた。


「そういう時、その後始末と説教が終わったらとりあえず一発、思いきりゲンコツをお見舞いすることにしてるんすよ俺」


「貴様、さっきから何を言って――」


「んで痛そうに頭を押さえてるチビどもに言ってやるんす、『これでチャラな』って」


「!」


 バッツが何を言いたいのかようやく理解したのだろう、カナモトの顔が見る見る歪んでいく。


「そうだよ」


 へへっと笑い、少年騎士は言った。


「あの人はあんたが悪さをしでかしたからそれを清算したんだよ……」


「ッ!」


 カナモトが怒りに目を見開く。


「あの時あの人が城の壁を壊したのは……全部あんたのせいなんだよ!」


 しかしバッツは臆することなく、謁見の間にでかでかと空いた大穴を見やり、上官に言ってやった。


 それは少年の魂の叫びだった。


「あの時あんたがあんな恥知らずなことをしたから、あの人は上を納得させるために、ああするしかなかったんだ!」


 それはこの場にいる皆の気持ちだった。


「分かれよそんぐらい、この脳筋野郎!!」


 そしてそれは、憧れの騎士との約束を今度こそ守るという決意の表れだった。


「…………言いたいことはそれだけか?」


 カナモトは表情を消し、掴みあげていたバッツを床に投げ飛ばした。


「ぐっ」


「いい度胸だ、小僧」


 そう言うと、カナモトはすぐそばにいた中年の兵士に目を走らせる。


「おい。剣を貸せ」


「は?」


「貴様の剣をよこせと言ったのだ。さっさとしろッ!」


「は、はい!」


 兵士は慌てて持っていた剣を差し出す。

 カナモトは、それを乱暴に奪いとった。


「ああそうだった。あんた自分の剣を折っちゃったんだもんな」


 バッツは大理石の床に尻をついたまま、兵士から剣を取り上げたカナモトを見て、くくくと笑ってみせた。


「それにしてもアレはないよな、アレは。ぶっちゃけ超ダサかったっす」


「その減らず口……今すぐ叩けなくしてくれるわっっ‼︎」


 野太い怒声と共に高らかと振り上げられた軍剣。その冷たく光る刃が、少年騎士の頭上めがけて振り下ろされようとした、まさにその時――


「――そこまでですぞ」


 修羅場を一声のもとに切り裂き、謁見の間の大扉の向こうから姿を現したのは。


「グラス団長ーーッ!!」


 バッツはその名を大声で叫んだ。ランド王国最強にして最高の騎士の帰還。たった今まで精一杯虚勢を張っていた少年の目に薄っすらと涙が浮かぶ。


 ウォオオオオオオオオーー!!


 殺伐とした城内の空気が一気に色めく。


「あぁ、グラス殿。よくぞご無事で……」


 大きく前に身を乗り出し、心から安堵した様子で息をつくリスナ。


「……、」


 その時。

 それまで抜け殻のようだったアレックスの肩が、ピクリと動いた。


 オオオオオオオオオオオオーーッ!


 しかして、グラスの登場に湧き立った城内でその事に気づいた者はいなかった。

 

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