第151話 勝利条件
「解せん」
レイギルバードはしかめ面で魔鳥を操りながら、広大な風景を背に、夜の空を飛んでいた。
「どうしました、ギル?」
「……お師様はよいが、貴様がその名で我を呼ぶな」
「これは失礼いたしました」
同じく空から見廻りを行っていたカオスラトスが、綺麗な会釈をして言葉を続ける。
「ですが、そう呼ぶように取り決めたのは、他でもないそのお師様でございます」
「貴様がお師様を、お師様と呼ぶな!」
今度は激声をお見舞いされる。
しかし、カオスラトスは優雅な笑みを崩さず、流れる夜景を眺めながら言った。
「パーティー登録の件ですか?」
「分かっておるなら、いちいち聞くな」
老賢者の険しい眉間に、さらに青筋が浮かぶ。これ以上刺激すると空から落とされかねない。カオスラトスは慎重に言葉を選んだ。
「私とて、偉大なる三柱様の英雄にご自分を安売りして欲しくはありません」
「……」
「しかしながら、致し方ない点もございます。我が君の『特性』は破格ですから」
「……あんな有象無象どもに頼らずとも、我らがいれば充分だ」
「使えるものは何でも使う、そうでなければ条件クリアは難しいと判断されたのでしょう」
「……ふん」
レイギルバードは不機嫌そうに鼻を鳴らし、不貞腐れた顔で威厳のある髭をいじる。これは全て分かった上での文句だ。要するに、愚痴である。
「この空の旅と、中身は同じですね」
「…………」
カオスラトスが満面の笑みで言うと、レイギルバードは心底嫌そうな顔をした。
実の所、レイギルバードが魔鳥に乗って空を飛ぶのはこれが二回目。若葉マークもいいところだ。そもそも、ゴーレムに乗るという概念がこの世界にはない。
では誰が言い出したのか、答えは決まっている。
『できるできないじゃない、やれ』
天のありがたいお言葉である。
最初は渋っていたレイギルバードも、天が制作した飛行術のレポートを見て目の色を変えた。
それからカオスラトス、グレイマリアも加えて急ピッチでゴーレムを使った飛行術を完成させた。
だが、術式の工程があまりに多いため、レイギルバードひとりでは手が回らず、補佐役としてカオスラトスも同行しているのだ。
「…………あと数回も飛べば、貴様の手助けも必要なくなる」
「さすがは老師」
心から賛辞を述べると、麗しの天才魔道士は、額にかかった銀髪をかき上げて遠くを眺める。
夜空には光り輝く星と、大きな月が浮かび、青白い雲がゆったりと流れている。
「しかし残念です。この光景が見納めになるのは、いささか名残惜しい」
幼少の頃より法十字教会の神童と呼ばれ、信仰と魔道の申し子として厳しい修行に明け暮れ、様々な経験を積んできた。そんな特異な人生の中でも、ゴーレムを操縦して空を飛ぶなど初めての体験だ。
「おや?」
カオスラトスが切れ長の目を細める。空からの夜景を楽しんでいたら、たまたま視界に入ったそれら。
『――』
猿のような顔に、人のような手足。しかし明らかに人とは違う四枚の翼と、極端に伸びた長い鼻。
夜の彼方から現れた異形の集団が、空を歩くように列をなして押し寄せてくる。
「翼持ちの『テング』か」
と、レイギルバードが言った。
テング。猿が魔物化したモンスターで、森や山奥などに現れることが多い。面倒くさがりな性格のため人里には滅多に降りてこない。しかしその反面、テングはある行動に出たとき非常に積極的な姿勢を見せる。それは誰かから何かを『奪う』こと。
北大陸では、旅人を装った二匹のテングに村を乗っ取られたという記録がある。その際、村人は全員テングに命を奪われた。
尚、翼持ちとは単純に飛行能力のある個体だ。魔石は通常と同じDランクだが、討伐難易度はCランク相当になる。空を飛べるモンスターはそれだけで厄介なのだ。
「ふむ、二十はいるか」
「そのようですね」
「我は手伝わん」
「では、空の清掃は私が担当しましょう」
その会話はまるで緊張感がなかった。ともすれば先程までのやり取りの方がよほどシリアスだ。
テング達はニタニタと気味悪く笑っている。こちらもまた戦う態度ではない。ただ、それがテングの性質である。この魔物は争いに快楽など求めない。自分達が一方的に奪うのだから。
「気に食わん」
レイギルバードは舌打ちをして、魔鳥でテングの群れを威嚇する。しかし、テング達は余裕の笑みを崩さずに平然と向かってくる。大人二人を乗せているゴーレムはそれなりのサイズなのだが、数で圧倒すれば容易に狩れると判断したのだろう。
やはり自分で蹴散らすか、レイギルバードが剣呑な目つきでそんな事を考えていると――。
「無知とは哀しいですね」
優雅に、ゆったりと、カオスラトスが手を前に出した。
それが開戦と、決着の合図となった。
《烈火竜》
《猛氷虎》
夜空に現れたのは巨大な二匹の獣、そう見紛うほどの精巧な魔技。
闇を焦がし、夜を凍らせる魔の怪物に、テング達の相貌が初めて変わる。
だが、もう遅い。
火の竜と氷の虎が、テングの群れを蹂躙していく。
「レベルフォーか」
その二つの魔技は、それぞれが火属性Lv4と氷属性Lv4の上位スキル。レイギルバードも扱うことはできるが、これほど精巧で強大な魔技を生成する自信はなかった。
「あの黄金の魔鳥に比べれば、取るに足りません」
気を使われた。そう感じたレイギルバードが、激昂してカオスラトスを睨みつけようとしたが、その行動を途中で中断した。
「あの大魔術に比べれば、あんなものは何の価値もありません……」
カオスラトスはどこか悔しそうに、テングを次々と焼き殺し氷漬けにする自分が創り出したそれらを眺めていた。
「……そういえば、一定以上のモンスターを討伐した祭は報告義務がありましたね」
「我らには関係なかろう」
「そうもいきません。マリアから斥候隊のお二人に伝えて頂きましょう、名前は……もう覚えてませんが」
「我も覚えておらん」
二人の魔道士はまるで興味がない様子で言葉のやり取りをしながら、空から落ちていくテングの群れを、ただ無関心な眼で眺めていた。
それから暫くして、レイギルバードが口を開く。
「死体は回収せんぞ」
「ご自由に。我が君も、Dランクの魔石などに興味はないでしょう」
◇◇◇
「ダッシュで戻って、回収してこい」
真夜中の草原のど真ん中で、天は腕を組んで仁王立ちしていた。その目の前で、レイギルバードとカオスラトスが正座させられている。つまり、説教である。
「お、お師様、これには訳が……」
「お待ちください。魔石の回収を拒んだのはたしかに老師ですが、止めなかった私にも責任があります」
こやつ。
レイギルバードは、しれっと責任逃れをするカオスラトスの横顔を睨みつける。
「おい、この戦いの勝利条件を言ってみろ」
だが文句を言う前に、師から質問がとんでくる。弟子としてこれを放棄するのは重罪だ。レイギルバードは正座のまま深く頭を下げて答えた。
「誰一人死者を出さない、でございます」
「そうだ。このスタンピードで死人は出さん。俺が決めた」
ぶるりと老体が震えた。やはりこの御方の言葉には力がある。説教を受けているにも拘らず、レイギルバードは至福を感じた。
「今の状況で、死ぬ可能性が一番高いのは誰だ」
「老人、でしょうな。もともとあれらは生への執着が薄い。このような事態に巻き込まれれば、ストレスや体力の低下で重病を患って、簡単に命を落とす。ただ――」
「その可能性は、マリアがいれば除外できます」
口を挟んだのはカオスラトスだ。レイギルバードは今度こそ文句を言ってやりたかったが、敬愛する師の前なので我慢した。
「はい。私の回復術は病気や精神にも有効ですので」
やや離れた場所から返事をするグレイマリア。自分まで説教の被害を受けたくない、ローブ姿の美女からそんな空気がひしひしと伝わってくる。
「彼女の回復術は、こういった局面でこそ力を発揮します。後方支援にまわして、昼夜問わず働いてもらいましょう」
「さよう。お師様。こやつがいれば大抵の傷病はなんとかなります。どうぞ好きにお使いくだされ」
「……あなた達に言われるのは違う気がしますわ」
ともあれ、これで老人や体の弱い子供といった線は無くなる。であれば、最も命を危険に晒しているのは誰か、死と隣り合わせにいる者達は誰なのか、聡い老魔道士は簡潔に答えた。
「最前線で戦う者……冒険士ですな」
「そうだ」
パチン、と天が指を鳴らす。
夜の冷たい風に乗って、獣の遠吠えが聞こえた。
天が編み出した魔物を呼び寄せる特別な波長、それに誘われてやってきたのは一匹のヘルハウンドだ。
「いいか。よく聞け」
天は魔物の方を見向きもせず、説教を続ける。
ヘルハウンドは低く唸って、天に飛びかかった。
「俺やお前らが死ぬことはまずない」
言いながら、天はデコピンでヘルハウンドの頭を吹き飛ばした。
「だが、最前線で戦っている冒険士達はそうはいかない。常に死と隣り合わせだ」
一体どれほど力の差があれば、こんな芸当ができるのか。首から上が完全に無くなった魔獣を見て、グレイマリアが顔を青ざめ、カオスラトスはうっとりと酔心地になる。
「そんな彼らに必要なものは何か。分かるか?」
「装備やアイテム、魔石など自己を強化する物資でございます」
そしてレイギルバードは爛々と目を輝かせ、師が望むであろう回答を示した。
「そうだ。特に魔石は、手っ取り早く能力を上げるには最適の物資だ」
天は石の表情で倒したヘルハウンドを回収する。
「そんな魔石の元になるモンスターの死体を、お前らは二十も放置した。この意味が分かるか?」
「面目次第もございませぬ!」
「我が君、どうか愚かな私に挽回の機会をお与えください」
レイギルバードとカオスラトスが、揃って草原に額をこすりつける。その様子を、グレイマリアは白けた顔で見ていた。
「例のスキルだが、三柱様から『修得』の許可をいただいた」
天がそう告げた次の瞬間、グレイマリアが光の速さで正座した。スキルの概要は事前にレポートで知らされている。
「何をやっているのですか、二人とも!せっかく三柱様からご慈悲を賜ったというのに!」
美貌の女魔道士は、いつでも草原に額をこすりつけられる構えをとる。
「本来なら、俺に認められなければ覚えられないスキルだ。今回の特例は、三柱様がお前達に期待したからだ。そこを勘違いするなよ」
「承知しております」
「勿論でございますわ」
「…………」
レイギルバードは返事をしなかった。いやできなかった。早々に師の期待を裏切ってしまった自分に、その資格があるのか……。
深刻な顔をする教え子に、天はけろりと表情を変えて言った。
「まあ、もともとギルに関していえば細かい誓約はないが。なにせ、俺の弟子だし」
「っ!ただちに魔石を回収してまいりますぞ!」
案外この二人は似た者同士なのかもしれない。夜中の草原で戯れ合う師弟を見て、カオスラトスとグレイマリアは同じことを思った。
スタンピードから三日目の夜。
討伐したモンスターの数は二百を超えたが、冒険士陣営にいまだ死者はゼロである。




