第13話 化け物
「……………………え?」
最初に沈黙を破ったのは、間の抜けた兵士の声だった。
「グ――グラス団長ッ‼︎」
続いてユウナが悲鳴にも似た声を上げる。
「このようなことが……」
ケンイは弱々しく首を振った。
「そんな、バカな……!」
「あ、ぁああ」
まるで悪夢でも見ているように顔色を失うアレックスとリスナ。
「お、おい、嘘だろ?」
「まさか、あの団長が」
「ありえねぇって……」
「なんだよ、今のっ⁉︎」
そして目の前で起きた光景に愕然とする王国の騎士達。
――あの暁グラスが呆気なく敗れ去った。
――魔技はおろか武器すら使わぬ相手に。
煌びやかな謁見の広間が騒然となる。
「…………………………………………」
白銀の甲冑をボロボロにし、大理石の床に横たわったままぴくりとも動かぬランド王国最強の騎士。そんな彼の無残な姿を目の当たりにし、誰もが一様に同じことを思った――花村天とは何者だ?
◇◇◇
「リナ。あなたなら、いまマスターが何をされたか分かりましたか?」
「多分、組技系の闘技なの」
「組技系の闘技、ですか?」
思わず地を出して問いかけるシャロンヌに対し、
「恐らく突進してくる相手の力を利用したカウンター式の投げ技。それと投げる瞬間、意図的に相手を急回転させて体の自由を奪ってる。あれだと方向感覚も一緒に麻痺する。だから受身はほぼ不可能」
リナはあくまで正面を見据えたまま、淡々と答えた。
「えげつない技だけど、タイミングさえ覚えれば技の再現はそんなに難しくないから、闘技の会得難易度は高くても『中伝』あたり」
「っ……!」
全ての回答を得た瞬間。シャロンヌは羞恥に顔を火照らせ、そして同時に嫉妬した。前者は早々に考えることを放棄した自分に対するもの。そして後者は、あっさり答えを導き出したリナに対してだ。
……悔しいですが、やはりこの娘は天才です。
魔法術において、自分が他者に後れを取ることはまずあり得ない。だがこと戦闘センスにおいては、自分は目の前にいる犬獣人の娘に遠く及ばない。
それでこそ我が終生のライバル。
シャロンヌは武者震いにも似た感覚を味わいながら、口元に挑戦的な笑みを浮かべる。
ただその強者の面も長くは続かなかった。
「なっ……⁉︎」
ふと視界に入ったソレを目撃した瞬間、シャロンヌは思わず絶句した。
「……」
相変わらず、リナは謁見の間の中央にて残心をとる天をじっと見つめている。ただしその手には、天が床に脱ぎ捨てた上着が、しっかりと握られていた。
またしても持ってかれたああああああ!
シャロンヌは心の中で絶叫する。
またも先んじられた。
以前のおにぎりの時と同じだ。
……本来なら、それはマスターの従者たる私の役目ですよ⁉︎
残酷な現実がシャロンヌの両肩に重くのしかかる。現在の彼女の立場は、天のメイドではなく、あくまで天の同僚。なのでこの場合そういった行動に移ることの方が不自然。逆に何もしないのが自然なのだが。
――関係ない!
今のシャロンヌにとってそれらは瑣末なこと。というかそういう問題ではないのだ。
「フッ」
「ッ⁉︎」
その時シャロンヌは見た。こちらの動揺とその訳を察したであろう己が好敵手がわずかに、だが確実に、口角を吊り上げた。つまり笑ったのだ。
――なんという屈辱。
シャロンヌは改めて認識する。
彼女は自分にとって最大の壁だと。
自分と互角以上に渡り合う剛の者だと。
最高の友にして、最強の敵であると!
「……リナ。これだけは覚えておきなさい」
内に秘めた闘志を声にのせて、決意を新たにシャロンヌは言った。
「私は、いつの日か必ず、そのポジションをあなたから奪い取ります!」
「シャロ姉……どうでもいいけど、さっきから言葉遣い戻ってるのです」
リナはさらっと指摘するのだった。
◇◇◇
「貴様ら! 何を惚けているのだ!」
その時ひとりの騎士が怒鳴り声を上げた。
「我らが団長暁グラスが! 敵の卑劣なる罠にかかり、その命を落としたのだぞ!」
男特有の野太い声と共に色めき立つランド陣営。その騎士の口上に、大半の者達は戸惑いを浮かべていた。だがそんな中――
「――ど、どうりでおかしいと思ったんだ」
栗毛の少年騎士が怒りに声を震わせる。それを皮切りに、周囲に散らばる騎士の幾人かがその波に加わった。
「あ……危うく騙されるところだったぜ!」
「よくよく考えれば、あの団長があんな簡単にやられる訳がない!」
「そうだよ! 団長はあいつらに嵌められたんだ。絶対そうに決まってる!」
見れば皆、年若い騎士ばかりだ。大方憧れのヒーローの敗北を信じたくない。そんなところか。その少年騎士たちの反応を見て、同僚達を扇動していた騎士の男は、一瞬だけ口元を歪めた。
「者ども剣を持て! その卑怯者を許すな!」
剣を高々と掲げ叫ぶこの男。名をカナモトという。熊のような巨躯に強面。ひとたび礼装用の甲冑を脱げば、城の騎士というより街のゴロツキにしか見えないであろう。
この男こそ、現王国騎士団の副団長を務める人物である。
その立場も手伝ってか、困惑気味だった騎士達も次々に剣を構え出した。それに倣うように、身分の低い兵士らもいそいそとドバイザーから武器を取り出す。結果、あっという間に先の決闘が行われる前と同じ状態に戻ってしまった。
「よ、よせ! グラスが命を賭してまで場を収めてくれたのだぞ⁉︎」
「もうやめて……お願いだから……っ」
兵達の暴動を止めようと、アレックスとリスナはなけなしの気力を振り絞る。だが。
「今こそ我らが団長の無念を晴らすのだ!」
「「「オオオオオオオオオーーー!!」」」
母子の声は、無情にも再度上がった鬨の声にかき消された。そしてその一部始終を……
「「…………」」
ケンイとユウナは、唇を噛み締めんばかりの表情で、ただじっと眺めていた。
◇◇◇
「……こいつら、どうしようもない馬鹿どもなのです」
「確かに……だが幸いなことに、俺はこういった馬鹿どもの治療法を知っている」
「それなら、あたしも心当たりがあるの」
その瞳に憤怒の形相を浮かべ、リナとシャロンヌは声を揃えて言った。
「「馬鹿は死ななきゃ治らない」」
◇◇◇
一触即発の気配に満ち満ちた城内。とどまらぬ負の連鎖。このままでは最悪の結末もありうる。そんな空気の中。
誰もが蔑ろにしていた。
最も大切なことを。それは“彼”の仲間であるシャロンヌやリナも同じだった。さしあたりまず第一に考えるべきだ。今のこの状況に対して、この場で一番腹に据えかねているのは……一体誰なのかを。
「真剣勝負に泥を塗るな!!!」
修羅場を切り裂く雷の一喝。そこに込められたものはただ純粋な怒り。それは普段の天からは想像もできない、感情を剥き出しにした彼の姿だった。
「決闘の取り決めを忘れたか‼︎」
そして鳴り渡る二度目の怒号。普段はほとんど閉じている細目を全開まで見開き、感情の赴くままに声を荒げ、天は言った。
「俺は暁殿と約束した。決闘以外での戦闘行為はせぬと。暁殿以外の者には、決して手を出さぬと!」
「「ッ‼︎」」
その瞬間。騎士達はハッとしたように息を呑み、硬直した。そうだ。大事なのは決闘の勝ち負けではない。その先だ。グラスが天と決闘を行ったのは、一対一の勝負にてこの場での争いを終息させるためだ。
「俺は暁殿との約束を破るつもりはない」
静まり返った謁見の間の中央で、天は腹に力を込めて、今一度それを宣言する。
「誇り高き騎士、暁グラスとの真剣勝負を汚すつもりは――断じてない!!」
そして男は兵達に背を向けて歩き出した。
「俺はこれ以上お前達と事を構えるつもりはない。それでもまだ納得できぬ者、己の行動に誇りを持てる者は、遠慮なくその剣を振るえ。俺は避けない」
その長い口上が終わると同時に……
……ガチャ、ガチャ、ガチャガチャガチャ
ひとり、またひとりと、周りにいた騎士や兵士達が剣を床に捨て始めた。ただ無言で。
「き、貴様ら、何をやっておるか⁉︎」
いまだ剣を頭上に掲げたまま、叱咤の言を放つカナモト。だがその声に耳を傾ける者はもうどこにもいない。武器をドバイザーにしまうのではなく、あえて地面に投げ捨てる。その行為そのものが、そのまま自軍の降伏を意味していた。
「こ――この腑抜けどもがぁあああああ!」
もはや戦意を失った部下達へ罵倒を投げつけ、逆上の頂点に達したカナモトは、単身で敵に突っ込んでいく。
「死ねぇえええええええええーー!」
醜悪な奇声を上げながら、カナモトは両手で剣を振りかぶり、何の躊躇いもなく天の背後から斬り込んだ。次の瞬間――
――ガキンッッ!!
それはまるで、固い岩に剣を突き立てたような衝撃音だった。
「……へ? な、え?」
間の抜けた声をあげ、巨漢の騎士カナモトは床に尻もちをついた姿勢で呆然とする。その両手で握られた剣は、刃の中間でキレイに折れていた。
天はそちらを見向きもせず、ただ黙って歩いて行く。
まるで何事もなかったかのような態度だ。
この一連の出来事、その瞬間を目撃した周囲の反応は、
「な、なあ、いま確かに副団長の剣、あの人に当たってたよな?」
「間違いなく、な」
「あ、あの人の体、鉄かなんかでできてんのかよ⁉︎」
「「「…………」」」
驚愕。この表現が一番しっくりくる。
リスナ、ユウナ、ケンイらも含むその場にいた誰もが、まるで信じられないモノでも見たような顔をしていた。ソレはある意味において先に行われた決闘以上の衝撃だった。
天は言った通り一切抵抗しなかった。
端的に言えば、花村天は無抵抗のままカナモトの剣を受けただけだ。本当にただそれだけだ。
しかし、だからこそおかしい。
カナモトの斬撃は確実に天の首を捉えた。そして次の瞬間、斬りつけたはずのカナモトの方が、烈しい衝突音と共に弾かれ、彼の剣はあっけなく折れてしまった。
「な、なんだ、なんなのだこれはっ⁉︎」
折れた自分の剣を見ながらカナモトは奇声を上げて半狂乱になる。その様は、さながら怒りにまかせて大岩に斬りつけた挙句、自分の大切な剣を折ってしまった間抜けな騎士といったところか。
「……化け物だ」
アレックスは呻くように呟いた。それと同時にようやく理解した。
グラスは最初から気付いていたのだ。
あの人型の脅威を。そう考えれば全て辻褄が合う。グラスの不可解な行動には意味があったのだ。そう。今日この城にやってきた三人の中で、一番の実力者は常夜の女帝ではなかった。
真のナンバーワンは“彼”だったのだ。
アレックスは強い確信とともに、ごくりと喉を鳴らした。その直後である。
ドゴンッッッ‼︎‼︎‼︎‼︎
激しい爆音がアレックスの鼓膜を叩いた。
否、鼓膜だけではない。爆発音と同時に来た凄まじい衝撃が、城の大広間ごとアレックスの体を揺さぶる。
「約定違反はこれで勘弁してやる」
平坦な声が、痛めつけられたアレックスの鼓膜を再度震わせた。しかしその言葉が、アレックスの耳に届くことはなかった。
「か、壁が……!」
アレックスは我が目を疑った。
見ると、周囲の反応もアレックスと似たり寄ったりのものだった。
「「「……………」」」
この謁見の間にいるほぼ全員が、ある一点を見つめたまま静止していた。一同はただ唖然となったまま眺めていた……
ぽっかりと大きな穴があいた、分厚い王城の壁を。
「まさか、マーブルロックの壁を素手でぶち破ったのか?」
自分で言っていて頭がおかしくなりそうになる。『白のマーブルロック』は鉄の硬度とアクリルの耐久性を兼ね備えた万能石材。それを素手で破壊した。いとも容易く。
――こんな馬鹿げた話があるか。
――そんな人型いるわけがない。
アレックスは現実逃避をするように思考を繰り返す。
「おい」
ふいと呼びかける声があった。口調の気安さから、それが自分に対するものではないとアレックスはすぐに気づいた。ただあまりにも突発的なものだったので、アレックスは反射的にそちらに目を向けた。
「帰るぞ」
天は駆け寄ってきた仲間たちに一声掛けると、その内の一人から上着を受け取り、それを肩にかけて歩き出した。そんな彼に付き従うように、実に慎ましい態度でその背中に続くシャロンヌ。
来た時とはまるで別人である。
しかし、アレックスは別段驚かなかった。
こちらが彼等の本来の関係図なのだろう。
結局、最後まで自分は道化だったようだ。
アレックスは、ぼんやりと去りゆく彼等を眺めていた。
「邪魔をした」
去り際にそう言うと、天は自分で作った出口から悠々と引き上げていった。
……………………………………トクン。
その時、ひとりの騎士の唇が、かすかに震えた。
「…………みご、と……」