第128話 帰るぞ
「お見事です、マスター」
ほんのりと上気した顔に浮かぶ、誇らしげな笑み。
シャロンヌは大満足の表情で、親愛なる主人の杯に酒を注いだ。
「当初の予定とは多少異なる部分もございますが、これでこの旅の目的は、すべて達成されましたね」
「いや、まだだ」
ぐびりと酒をあおり、天はいつになくシリアスな顔で言った。
シャロンヌが疑問の言葉を返そうとした、その時。
どこからともなく、白い霧が立ち込める。
「これは⁉︎」
驚愕するシャロンヌをよそに、霧はパーティー会場を埋め尽くし、王宮全体を覆い尽くしていく。
「これで十杯目」
混乱する周囲を尻目に、天は残っていた酒を飲み干し、空になったグラスをテーブルの上に置いた。
そして鋭く目を光らせ、揺るぎない瞳で言い放つ。
「さあ、最後の仕上げと行こうか」
次の瞬間、白い霧は、天とシャロンヌをあっという間に飲み込んだ。
◇◇◇
「どういうつもりじゃ、ダーリン!!」
辺り一面に広がる空白の世界。
神々しく清らかな空気に満ち溢れた天地。
この神の領域に、怒れる女神の大音声が響き渡る。
「なんでマトなんぞに連絡したんじゃ!!」
「そっちかよい」
呆れた顔で突っ込みを入れたのは、滝のような白髭を生やした翁だ。
「当たり前じゃ!なんで主神の儂を差し置いてこんな物作りしか取り柄のないジジイと交信するんじゃ!」
「ああ?テメェ喧嘩売ってんのかよい」
「まったく、見苦しいですよフィナ。まあ、気持ちは分かりますが」
もう一人の女神が、トレードマークである眼鏡のブリッジを中指で持ち上げながらそう言うと、髭の老神は心底驚いた顔をした。
「よいよい、まさかオメェまでこのバカの肩を持つ気かい?」
「正しくは肩を待つではなく、同意見です。そも、情報を求めるなら知識の神たる私こそ適任のはず。そちらのバカはともかくとして、あの場面では私が選ばれるべきです」
「さっきからバカバカやかましいーわ!!」
神界で繰り広げられるお馴染みのやり取り。
彼等こそ人型の世界を管理する者。
生命、創造、知識を司る三柱の神――。
「フィナ、マト、ミヨ」
そしてそんな最高神達に気安く声をかけられる、ただひとりの人間。
くたびれたTシャツに古ぼけたジーンズ。
男は言い争う神々の輪に平然と割って入り、
「『ペイル病』について教えてくれ」
そう言ってのけたのだ。
◇◇◇
「最初に違和感を覚えたのは、イザ=ベラと対峙したときだ」
低く重みのある声が、神の聖域に木霊する。
お馴染みのTシャツ姿で、至高なるもの達の前に立つ青年。
彼の後ろには、彼と同じく神域に召喚された、彼とゆかりのある者達の姿があった。
大国の王に女王。
高潔な英雄とその娘。
莫大な資産を持つ帝国貴族。
そして、彼の家族とも呼べる仲間達。
錚々たる顔ぶれが、誰ひとり一言も喋らず、頭を垂れて平伏している。
天上の神々の会話を、絶対に邪魔しないよう。
言われずとも、全員が理解していた。
神域に呼ばれた者は多数いるが、発言が許される者はただ一人だ。
「奴が儀式を行うにあたり、依代の体から出る必要がある。それがあなたから聞いた情報だ」
天の真実を探る目が、友人の老神に向けられる。
「だが、この話は肝心な部分が抜け落ちてる。おかげで、俺達は依代に入った状態のイザ=ベラと戦う羽目になった」
「……」
カカカ、といつもなら軽快に笑う老神が、無言で長い髭をさすり難しい顔をする。
「おそらく、奴が依代の体から出てくるのは、儀式の中でほんの僅かな時間だろう。儀式の始まりか、終わりか。タイミングはそのあたりだ。あなたはこの情報を、あえて意図的に伏せた。それは何故か」
細い目を薄く開いて、天は続く言葉を口にする。
「俺に『生命の玉』を使わせるためだ。依代となる器を一度壊してな」
「……天どんに隠し事はできねいな」
そう言って、マトは観念したように肩を落とす。老神は認めた。助けるはずのカグヤを、一度は殺す必要があった、と。
「あなたは俺の性格をよく知ってる。生命の玉は貴重だ。使わずに済むならそれに越したことはない」
「悪いとは思った。だがよ、こればっかりは譲れなかったよい」
「そうか」
天は静かに頷き、
「あの姫さんは、どのみち死んでたのか」
「……ああ」
マトは重く頷き返した。
神の御前で平伏するルキナの肩が、ぴくりと動く。
カグヤが死ぬ理由、その原因とは。
「ペイル病」
天が低い声で告げる。
そしてまたびくりと、ルキナの肩が震えた。
「おう、そういうこったぜい」
「ダーリンがラビットロードに来たときには、ルキナの娘はすでに病に犯されておったんじゃ」
「皮肉ですが、魔王クラスの魔人族が体に入っていたおかげで、彼女は辛うじて生き延びていたのです」
マトに続いてフィナとミヨの二女神が天の言葉を肯定する。絶対の真実を話す神々のカミングアウトに、ルキナは声を出すのを必死に堪えて全身の毛を波打たせていた。
「それで、あの姫さんはもう大丈夫なのか?」
「おうよ。呪いは完全に消えた。体も以前とは比べもんにならねいほど健康だよい。上手くすりゃあ母親よりも長生きできるぜい」
「生命の玉は、かの呪いを解く唯一の手段。逆に治ってもらわねば困ります」
「なにせ、儂の力が宿った神具じゃからの!」
天の問いかけに、マトが好々爺の笑みで答え、ミヨが眼鏡を持ち上げながら断言し、フィナが大威張りに大きな胸を反らした。わいわいと騒ぐ三柱の御前で、ルキナは密かにほっとした顔で息を吐いた。
「それにしても、あなたがそこまで部下想いとは知らなかった」
「まぁ、なんつーか、手のかかる奴ほど可愛いっつーかよ……」
天がちらとルキナを見やり、マトがそのような言葉を返すと、ルキナは耳の先まで赤くして、ぺこぺこと長い兎耳を動かした。先ほどから聞き耳を立てているのがバレバレだ。マトは大きく溜息をついた。
「こんなんでもオイラの英雄の中じゃ、一番の古株だよい。付き合いが長けりゃ、愛着もそれなりに湧くってことよ」
「だとしても、少々甘やかしすぎです。助言のみならいざしらず、特定の個人に有利に働くよう誘導するなど。我々のルールから逸脱するものです。現世を管理する一柱としての自覚が足りませんよ、マト」
「……返す言葉もねいぜい」
「ぷぷ、説教ジジイが珍しく説教を喰らっておる。儂に隠れてダーリンと交信するから悪いんじゃ。しっかり反省せいよ!」
「いや、そっちは反省しねいがよ」
「なんじゃと!」
「とっつぁんを選んだの俺だしな」
「ダーリン!?」
喧々囂々。いよいよ話が脱線して別の話題に熱が移りかけるが、天の鋭い声がこれを阻む。
「ところで、“呪い”とはなんだ」
その問いかけに、再び神界は緊張感に包まれる。
「ペイル病のことじゃよ。アレは病気ではなく呪いなんじゃ」
フィナが答える。淡々とした女神の態度は、知ったところで何もできない、とでも言いたげな達観したものだ。
「モンスターの中でも超希少種とされる樹木の魔物、トレント系が保有する災技『種呪』。これを受けてしまうと、生物は死ぬまで生気を吸われて魔物の養分にされます」
「この呪いのタチが悪いところは、呪われた本人には一切症状が出ねえんだ。だから発見がバカみてーに遅れる。身内が死んでようやく気づくよい」
「『種呪』は呪体となった者の子供や孫、その子孫を呪うんじゃ。世代を超えた呪いは強力じゃからのう。種を呪うとはよく言ったもんじゃよ」
ミヨとマトが説明し、最後にフィナがうんざりした声で吐き捨てた。
それから、三柱の神達は語った。
「今から二百年前、とある魔道士による進化の外法により、三体の植物系モンスターが生み出されました」
そしてペイル病が誕生した。
元凶となったモンスターの名は〔アナザーレント〕
世界三大厄災とされる魔物の一体である。
「歴史上で、最も人型に被害を与えたのがこいつだよい。なんたって討伐されてから百年以上経って、未だに犠牲者を出し続けてんだからよ」
遺伝性の呪いをうえつける災技を持ち、苗床となった生物はミイラになるまで生気を吸われ続ける。
有効な治療法は今現在も発見されていない。
「といっても、呪いを消す方法は単純なんじゃ。トレントに属する魔物の樹液を飲めばええ。そうすれば呪いは解けて、『種呪』への耐性もつく。じゃが、肝心のトレントがおらんのじゃ」
植物が魔物になることは稀で、仮に魔物化してもすぐ枯れてしまう。進化成長させることがとても難しいモンスター、それが植物系でありトレントだ。本来ならそれは喜ばしいことで、人類にとってプラスでしかない。ペイル病などという不治の病が、世に蔓延っていなければ。
「アナザーレントがその生涯で『種呪』をかけた人型の数はおよそ五千。ですが、かの厄災の真骨頂は未来を呪うこと……二百年の時を経て、今や呪いの因子を持つ人型は五十万を超えます」
「そこまでいっちまうと、もうどうしようもねい。たとえお目当てのもんが生まれたとしても、魔物化したばかりのトレントじゃあ採れる樹液も少ねぇ。助けられんのは、せいぜい十人足らずだ。それじゃあ焼け石に水だよい」
「奴が死んで災技の効果が弱まり、呪いを受ける者は一度に千人前後と限定された。本体がおらぬから生気が失われて命を落とすまでの期間もかなり延びた。昔はもって四五日でミイラになっておったからのう。こんなことを言っても、なんの救いにもならぬが……」
生命を司る美の女神が、至高の美貌に影を落とす。
「あの医者夫婦には申し訳ないんじゃがのう。こればっかりはどうにもならんのじゃ」
打つ手なし。諦めろ。
神々は口々に言った。
だがしかし
目標が困難なほど、目的達成が無理難題であればあるほど、燃えるのが、この男だ。
「この世界にトレントは居ない、そう言ったな」
長い時の中で、止まっていた歯車が、廻り始める。
「だったら、魔界ならどうだ?」
天の一言に、三柱が顔を見合わせる。
「……ふむ。その考えは盲点じゃった」
「確かに。魔界ならばトレント系のモンスターも多数存在します」
「おうよ。魔素だまりが強え中央エリアなら、大物もわんさかいるぜい」
難解なパズルのピースが、一つ一つ埋まっていく。
そして、歴史上で並ぶ者のない英雄は言ったのだ。
「俺が行ってとってくる。場所を教えてくれ」
ルキナが我を忘れた勢いで顔を上げる。呪われし女王は、期待と希望に満ちた瞳で彼の背中を見た。
「うーむ、ダーリンなら死なんじゃろうし、英雄がえりの願いで目的地まで送ってもいいんじゃが……」
「魔界はメノアの管理下にあります。人界の神でしかない我々が、勝手に許可を出すことはできません」
「何考えてっかわかんねー奴だが、神は神だ。自分とこの眷属つかまえて、好きに狩ってもいいとは言わねーだろうよ」
ルキナの目が失意に沈む。
やはり駄目なのか。
諦めかけた彼女の耳に、揺るぎない声が届いた。
「そいつは筋が通らねえだろ」
及び腰の神達を鋭く見据えて、天は言った。
「今回起こったラビットロードの一件は、その魔界の連中が好き勝手した結果だ。違うか?」
「「「…………」」」
三柱は頭を悩ませるように沈黙する。天の指摘が正当だからこそ、彼等は迷っているのだ。
「おい、ウッサン」
そして天は、最後の博打を打つ。
「あの魔族に殺された城の兵士は、何人だ?」
この場で自分以外の発言が許されるかどうか。またその問いにルキナが答えられるか否か。前者はルキナの英雄という立場を考えれば問題ないだろう。だが後者はルキナの女王という立ち位置を鑑みると微妙だ。たかが一介の兵士、あるいは名のある騎士であったとしても、国のトップがそれら全ての生死を把握し、気にかける。そんなことは稀だろう。
しかし、天には確信があった。
「十三人や!みんなええ子やった!!」
ルキナの魂の叫びが、神界に響き渡る。
失った家族を尊ぶ彼女なら、絶対に答えられる。
天は片膝をつき、三柱神の足元に跪いた。
「このたび魔界の脅威により失われた十三人、この命の代償を、何卒いただきたく存じます」
その瞬間、世界が静まり返る。
呼吸音すら聞こえない。そんな時間が過ぎていく。
神々しい三つの光が輝いては消えて、また煌めく。
そして……
「……たった今、魔界の神メノアとの交渉が終わりました」
最初に口を開いたのは、魔界との交渉役を担っていたであろう知識の女神だ。
「かれこれ百年振りじゃが、いつ聞いてもあやつとの交信は慣れんのう。おぞけが止まらんわい」
「できりゃあ関わりたくねーが、背に腹は代えられねいぜい」
次いで生命の女神と創造の神が、どこか疲れた様子で愚痴をこぼす。お前らは大したことやってないだろと目で訴えかけつつ、ミヨは女神の聖気を解放し、神の威光をその身に宿す。
「これより、魔界の神メノアの言葉を伝えます」
ミヨが超然とした面持ちで告げる。するとフィナとマトも砕けた態度を消し去り、がらりと雰囲気を変えて底知れぬ神秘の力を纏った。
フィナ、マト、ミヨは天上へと舞い上がり、黄金色の後光で神界を照らした。
至高なる神々の降臨。
三柱の神は、口を揃えて神託を唱える。
《第六柱魔神メノアの名において、人界に対し、都合十三体に限り、魔界に息する生命を狩ることを許す》
神託を終え、三柱が空から降りてくる。
天はゆっくりと立ち上がった。
「その十三体で、五十万人分の薬を作ることは?」
普通に考えれば不可能だ。たった十三体で賄える量ではない。そう誰もが思うだろう。
ただし魔界なら、人の常識は通用しない。
知性を湛えた美貌に柔らかい微笑みを浮かべて、知識の女神が答えてくれた。
「可能です」
◇◇◇
魔界・中央エリア。
赤ちゃけた荒野に転がる無数の屍。そこには魔物や魔人、猛獣毒蛇に至るまで魔界に棲む数多の生き物の骨が散乱している。強烈な魔素だまりがある土地はそれだけで魅力的だ。少なくとも魔界では、金山や宝石の鉱脈などよりよほど価値がある。激しい縄張り争いが起こるのは必然といえた。千年以上続く戦いは未だ決着がつかず、結果どの勢力の支配下にも属さない広大な区域が誕生した。名無しの中央エリア。法などあってないようなもの、そんな魔界でもここは一種の無法地帯だ。そしてその中央エリアのさらに中心部に位置する場所に、美しい森があった。この荒野で不自然なほど潤った森は、断じてオアシスなどではない。その森へ足を踏み入れた誰かが、以下の言葉を残した。
あそこは地獄よりひどい。
昼夜を問わず森の奥から聞こえてくる獣の慟哭。命知らずの魔人でもそこには決して近寄らない。修羅が棲む魔界にて危険地帯と恐れられる場所。
そこは『鬼哭きの森』と呼ばれていた。
『グラララララララララァアアアアアアアア!!!』
森の大木を引っこ抜き、ビルほどもある魔物が、巨大な体を揺らして怒りの咆哮を上げる。
〔オークロード〕
戦命力4100
脅威度Aランク
あたかも棍棒の如く高々と持ち上げられた大木が、巨豚の魔物の前方、金色のトサカを持つ魔獣の脳天へと振り下ろされる。
『ギィシャァアアアアアアーーーーーッ!』
トサカの魔獣が超音波のような鳴き声を発した。次の瞬間すさまじい勢いで迫りくる大木は石に変わり、粉々に砕け散った。
〔キングバジリクス〕
戦命力5600
脅威度AAランク
両者は森の中央で対峙する。睨み合う、などという生易しいものではない。互いが互いの生存を一切認めないと言わんばかりの殺意のぶつかり合い。トサカの魔獣は蛇のような体を巻きつけて、敵を絞め殺そうとする。それを恐ろしい剛力で引き千切ろうとする巨豚の魔物。そこへまた一匹、新たな怪物がやってきた。
『ガアォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッッ!!』
五つの頭を持つ毒竜が、上空から竜の顎を大きく開けて襲いかかり、争っていた二体の首を噛み砕いた。
〔ヘルヒュドラ〕
戦命力9900
脅威度AAAランク
山のような巨躯が、悠々と地に降り立つ。五頭の竜は上機嫌に喉を鳴らす。今日は獲物が同時に二匹も取れた。さあ食事の時間だ。竜は五つの口を開いて、毒の涎を垂らしながら、トサカの魔獣と巨豚の魔物の屍に近づいた。その時だった――
――シュル、シュルシュルシュルシュルッ!
どこからともなく伸びてきた無数の枝が、竜の全身に絡みつく。枝は一つ一つが、先ほど巨豚の魔物が振り回していた大木を上回る大きさだ。それら全てが意志を持った毒蛇のように、五頭の竜を雁字搦めに縛りあげる。抵抗する暇もなかった。複数の枝から生気を吸い取られ、山のような竜は一瞬でミイラと化した。
『――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――』
〔*****〕
戦命力89310
脅威度S+
奈落の底から天を貫く巨大な樹木。その年を重ねた幹に、にぃと邪悪な笑みが浮かび上がる。ソレはあまりにも大きすぎて、ついぞ竜達はソレを生物と認識できなかった。
◇◇◇
皆が言葉を失っていた。身動き一つできなかった。神界に映し出された、その一部始終を目撃した。彼等は図らずも覗いてしまったのだ。魔界の深淵、そこに存在するものを。
「竜を喰らう怪木〔タルタロス〕。その体内に流れる樹液なら、一雫で百人の呪いを解くことも可能です」
ミヨは言った。標的をじかに見せたのは彼女ができる最大限の助力であり、天への誠意と返礼だった。
「タルタロスは魔界に数いる『魔王種』の中でも屈指の怪物だ。アレには四王でも迂闊に手が出せねぇ。そいつをオイラ達の英雄が討つ、そんな日がくるなんざ夢にも思わなかったよい。いっちょ頼むぜい、親友」
マトは笑った。さも愉快げに嬉しそうに。長年苦しんできたルキナを見て、彼は密かに心を痛めていた。だからこそ期待せずにはいられない。俺の代わりにやってくれと、マブダチに希望を託すのだ。
「ダーリンは儂の英雄じゃ!儂だけのダーリンじゃ!ジジイにメガネも勘違いするでないぞ。ダーリンの力になるのも、ダーリンの功績をたたえるのも、すべて儂の役目じゃ!」
フィナは大きな胸を張った。とりあえず態度もデカかった。
「英雄がえりの儀式すたんばいおーけー。いつでも魔界へ送れるのじゃ、ダーリン!」
「ちょっと待ってくれ」
そう断りを入れると、天はくるりと三柱に背を向けて歩き出した。といっても大した距離ではない。お目当ての人物達はすぐ近くにいた。天はその男女の前まで行くと、親しい身内にしか見せない気安い態度で、二人の肩をぐいっと抱き寄せた。
「カイト、アク。わりいんだけど、もう少し待っててくれるか」
カイトは爽やかな笑みで応えた。アクリアは顔を真っ赤にして何度も頷いた。ちなみにカイトと一緒にアクリアも男友達のようなノリで肩を組んだのは、以前カイトだけにそれをして盛大に拗ねられたからだ。
「お兄ちゃん!」
三柱の元に戻ろうとする天に、ラムが抱きつく。神の御前で礼儀をわきまえない行動だが、フィナ達は特に何も言わない。ラムは特例でそれが許されるのだ。本人に自覚はないが、この世で二番目に神に顔が利く黒猫娘である。
「お薬、お願いしますですぅ!」
「任せとけ」
ラムの頭をくしゃっと撫でると、天は背中を向けて行ってくると手を上げながら、
「俺がペイル病をこの世から殲滅してやる」
そして、彼の体は光に包まれた。
「……魔界も空は青いんだな」
天は悟りを開いた顔で呟いた。青い空の中を猛スピードで落下しながら。どう見ても人が助かる高さではない。
「あのバカ女神、俺じゃなきゃ死んでるぞ」
魔界の上空で愚痴っていると、バカでかい枝が伸びてきた。見覚えのあるそいつは、飢えた獣のように一直線にこちらへ向かってくる。
「おいおい、随分せっかちだな」
拳をごきりと鳴らし、闘気を解放する。わざわざ来てくれるなんて、気が合うじゃないか。やる気満々なのはお互い様のようだ。空の上で両腕を広げて、天は牙を剥くように笑った。
「さあ、やろうか」
その日、魔界の空に白い太陽が昇った。
《闘神技・天照一耀白》
◇◇◇
「母上、ご無事でしたか!」
アテことルキナが神界から戻ると、四番目の娘カサンドラが血相をかいて駆け寄ってきた。当然やな。あんな事があったばかりや。そら心配にもなる。でもパーティー会場のドア壊さんでくれへん。あんたこないだ正位の間の椅子も壊しとったやろ。クウコもナイフ片手に副長時代んときと同じくらい殺気出して、周囲を警戒しとるし。まぁ、それもしゃあないけど。
「あの霧、まさかまた魔族による襲撃では……!」
グレーテルが焦りまくっとる。魔族にあんな神聖な霧は出せへん。けどタイミングが悪すぎてそう思うのも無理ないわ。普段は賢い子やからそんくらい見抜くんやけど、極度の疑心暗鬼で判断力が鈍っとる。アテが説明してもええんやけど、今は時間が惜しい。
「厳命や」
アテが告げると、カサンドラにグレーテル、クウコを含めた会場内の全員が一斉に跪いた。あまりやりたないんやけど、話を聞かせるにはこれが一番や。
「アテはしばらく城を空ける。理由はラナディースが全部知っとるからそっちに聞け。アテがいないあいだ国のことはラナディースとグレーテル、カサンドラに任せる。どうしても三人の話がまとまらん時は、ラナディースの指示に従え。ええな?」
グレーテルが代表してアテの言葉に頭を下げる。アテはひとつ頷くと、腹が立つほど優秀なメイドに顔を向けた。
「クウコ。カグヤのことよろしく頼むで」
「かしこまりました」
本当はコハクたんのことも頼みたいんやけど、目の前にカサンドラおるし。てかなんでいちいち頼まなあかんの。コハクたんあんたの娘やろ。自分の娘ぐらい面倒見ろや。アテがひたすら目で訴えとったら、クウコが溜息をついて小さく頷いた。伝わったようやな。てか溜息ってなんやねん!
釈然としないもんを感じながら、アテは後宮にある自分の部屋に向かった。
「ごめんな。ホンマは側にいたいんやけど、どうしても外せん用なんや」
カグヤに小声で話しかける。アテのベッドですやすやと寝息を立てる姿は控えめにいって天使や。起きる前に出発せなあかんのが死ぬほど辛い。でも行かな。
「母ちゃん、行ってくるで」
カグヤのおでこにチューをすると、カグヤが笑ってくれた気がした。やっぱり天使や。添い寝したい。あかんこれ以上ここにおったらやらかす。
アテは断腸の思いで《神魔》を使って城を離れた。
「目的地は世界最北端、『テング岬』や」
テング岬。この世の果てとも呼ばれる世界のてっぺんや。その裏の意味は、世界で一番魔界に近い場所。
アテはマト様に言われたことを思い出す。
『よい、ルキナ。テメェは下界に戻ったら、すぐテング岬に行け。いいか、寄り道なんてすんじゃねーぞ?テメェがもたもたしてたら、最悪、天どんは魔界から帰ってこれねぇ。もう一度言うがよ、絶対に寄り道すんなよい!』
最後の方はなんや知らんけど怒られた。天ちゃん魔界に送ったはええけど帰す方法どないしょ。あーそういえば天ちゃんパーティー登録した面子なら五百キロ離れてても居場所わかるて言うとった。ほんならここにいる誰かが魔界に一番近いテング岬に行こか。そんな流れでアテに白羽の矢が立った。テング岬に行けて《神魔》も使えるまさに適材適所や。だいたい人型で最初にテング岬見つけて名付けたんアテやし。せやからサランダもシャロンヌちゃんも自分も行くとか心配せんでええよ。レオスちゃんもマト様に自分も行くとか頼まんでええから。この境界の英雄に任せなさい。
「テング岬まで《神魔》三、四回ってところやな」
《神魔》の一つ空間移動はむちゃ使える魔技なんやけど、いくつか制限もある。一度行った場所にしか使えんし、一回の移動は最長百キロまでや。日に使える回数も限られとる。せやからルート選びは慎重にせな。よっしゃ、次はモッコ山の山小屋にある便所や!
「……ふう、着いたな」
テング岬から一番近場の公衆便所から出てくる。こっからは歩きや。まだ《神魔》二回使えるんやけど、何かあった時の備えは大切や。あとは海岸沿い進めばええから迷わんやろ。にしても相変わらず殺風景なところやね。海の向こうが魔界やから、誰も来たがらんし。アテも一生で四回目、いんや五回目やったかな?
そうこう考えとる内に、アテはお目当ての場所に到着した。
「……なんべん見ても断崖絶壁やね」
聳え立つ崖を見上げて、アテは呟いた。細く伸びたその崖が、猿のモンスター〔テング〕の長い鼻に似っとったから適当に名付けたんや。今は思い出したくなかったけど思い出したわ。
「……登るか」
アテは凸凹の岩壁に手をかけて崖を登り始める。多分ここまで来れば上とか下とか関係なく、天ちゃんに居場所は教えられる。
だからなんや。
灯台の光は高いところにあるもんや。何より、アテがじっとしてられへん。
「もうすぐやで、ルミナス」
初めての子やった。目に入れても痛くない可愛い娘やった。青い毛並が綺麗で、アテがなにをやっても優しく微笑んでくれた。ホンマにええ子やった。
そんな娘がペイル病にかかって、あっという間に死んでもうた。
そこでようやく、アテは自分が呪われとったことに気づいた。どこまでアホなんやろ。呪い受けてから百年、救いようのないマヌケや。そっから必死になって呪いを解く方法を探して、英雄がえりにもなった。
結果は、残酷な真実を突きつけられただけやった。
そして今度は、長男のヘイゼルがペイル病にかかった。
また目の前で子供が呪いに蝕まれていく。同じ頃に長年連れ添った旦那も亡くした。あんときコハクたんが生まれてなかったら、アテは折れてたかもしれん。
「……よっこらせや」
感傷に浸ってたら、いつの間にか崖の頂上に着いとった。強い潮風に、濃い磯の香り。テング岬にご到着や。こっからは我慢比べやで。
「アテは絶対ここを動かへん。一週間でも二週間でも待っとるで、天ちゃん!」
どかりと尻を落とし、地面にあぐらをかく。あの地平線の向こうに魔界があるんや。アテが海を眺めていると、海の上を走るTシャツの人型が見えた。
「早ない!?」
驚いて立ち上がると、あっちもこっちに気づいたのか軽く手を上げた。そんで次に見たら消えとった。どこいった思たら目の前におった。もうわけわからん。実は《神魔》使えるやろ自分。
「よお、待たせたか」
「……いんや、今来たところや」
ホンマにそやった。
「ほれ、やるよ」
「なんなん、コレ?」
いきなり小汚い瓶を投げつけられた。なんや黄色いドロっとした液体が入っとるけど。アテが答えに辿り着けんでいると、天ちゃんは呆れた顔で言った。
「寝ぼけてんのか、トレントの樹液だよ」
「ぶふッ」
うっかり瓶を落としそうになり、必死になって全身でキャッチする。ミヨ様のお言葉通りなら、こんな少量でも数千人以上の呪いを解く薬が作れる。なんやよく見ると光り輝いとる。アテが生涯をかけて追い求めたもんが、ついに手に入ったんや。
「せやけど……」
ペイル病の患者も、呪い持ちの子孫も、世界に仰山おる。これをアテが独り占めするわけにはいかん。
「安心しろ。樹液はまだまだある。それはあんたの家族分だ」
「この男前ー!!」
よっしゃチューしたる。めいっぱいチューしたるからな!
「やめろ、うっとうしい」
「そんなこと言うてホンマは嬉しいんやろ?女苦手ぶってカッコつけとるのバレとるよ、坊や」
「わかった。今すぐ崖から突き落としてやる」
「やめーや!この高さは洒落にならへん!」
こうしてアホなことやってると、あまり実感が湧かんけど、あんたと出会って一週間そこらでアテの人生の悩みが全部解決した。ずるいやんシスト坊。こんなええ男、今まで独り占めして。
アテは天ちゃんの肩に飛び乗る。
「次はどこ行くんや」
心臓がばくばく鳴っとる。さっきまでとは見える景色が違う。殺風景な崖の上のはずやのに、こん子の肩の上から見渡す世界は、黄金色に輝いて見える。こんな気分は、冒険士を始めた頃以来や。
「行き先は決まってる」
勢いよく崖を飛び降りて、天ちゃんは言った。
「帰るぞ、家に」
心臓のばくばくが、どきんどきんに変わった……。
天ちゃん、崖飛び降りんのは移動手段ちゃうよ!!




