第11話 決闘
それはとある一声から始まった――
「――午後三時になりました!」
凛とした声が謁見の間に響く。その声はうら若い女性のもの。しかしとても力強い。それでいて、高さはあるが女性特有のキンキンとした金切り声とは違う、どこか高潔さすら感じさせる声であった。
「只今、午後三時になりましたー!」
そして再び、堂々とした強い口調が謁見の間を震わせる。大音声を発して現在の時刻を告げたのは、ランド王国第一王子アレックスの側近のひとり。
元王国騎士団副団長、御剣ユウナ。
こういった特別な席などでは、大抵決まって一人か二人、口頭で時間を知らせる役割を担う者が存在する。これはこの世界ではさして珍しいことではなかった。ただ、通常『時計係』は兵卒か、それに類似する身分の者を起用するのが一般的だ。
簡単に言えば下っ端の仕事である。
間違っても、ユウナのような地位も名誉もそれなり以上にある者がやるべき役所ではない。というのも、時計をアクセサリーとして装備してしまうと、ドバイザーへのリンクを一時的に解除しなければならなくなるのだ。
『いや、なんでそこだけアナクロなんだよ』
これは余談になるが、とある異世界からやって来た格闘王は、この現象をこの世界の七不思議に認定している。
「只今の時刻は、午後三時でございます!」
ともあれ、ドバイザーとの接続を切るということは、この世界では丸腰になるのとほぼ同義。戦力外の新兵ならいざ知らず、この場でグラスに次ぐ実力者であろうユウナに割り当てられる仕事としては、あまりにも不自然である。
「もうそんな時間か」
そして。まるでユウナの知らせを待っていたとばかりに口を開いたのは、玉座に城主の代理として座っていたアレックスだった。
「ふん。こちらが指定した時間内とはいえ、随分と待たされたものだな。常識的に考えれば、こういった席では約束の時間よりも早く来るものだが。なるほど、冒険士という人種は存外に時間にはルーズなようだ」
今思えば、アレックスは初めからそうした皮肉や嫌味を言うつもりで、わざわざユウナに時計係を命じたのかもしれない。
「それが聞いてくれ、アレックス殿」
ただ彼にとって誤算だったのは、彼女にその話題を振ってしまったがゆえに、手痛いしっぺ返しが待っていたということだ。
「実はここへ来る途中、俺達は思わぬ通行止めに遭ってしまってな」
「通行止め?」
「ああ。そのせいで、城への到着が予定よりだいぶ遅れてしまったのだ」
そこで一旦言葉を止めると、シャロンヌはちらりと天の方に顔を向けた。おそらく念のため確認を取ったのだろう。
天は小さく、だが確実に首を縦に振った。
この時のシャロンヌの顔は、まさに水を得た魚そのものだった。
「ふふふ。貴殿ならば当然知っているとは思うが、この城に来るには周囲の城下町、そこの入口を通る必要があった」
「? それが何だというのだ。まさか冒険士ともあろう者達が、揃いも揃って道に迷ったとでもいうのか」
「道に迷ったのではない。繰り返すが、俺と俺の仲間達は『通行止め』に遭ったのだ」
その言葉を強調しながら、シャロンヌは得意そうに笑う。
「今日ここへ来る途中、我らはそこの門兵どもに、こう言われたのだ――」
そしてシャロンヌは言った。
「――町に入りたいなら正規の手続きを踏んでください、とな」
このシャロンヌの言葉にいち早く反応を示したのは、女史とやりとりをしていたアレックスではなく、周りで二人の会話を聞いていた下級貴族出身の若い騎士達である。皆が皆おろおろと目を泳がせていた。グラスの記憶が正しければ、彼等は普段、城の連絡係のような業務を担当していたはずだ。
ふとグラスは疑問に思った。
が、結果的にそれに思考する時間をとられることはなかった。次にシャロンヌの口から出てきた言葉が、そのまま答えになっていたからだ。
「これが驚くことに、その門兵どもは俺達が今日この城に招待されていることを知らなかったのだ。いや、この場合は『知らされていなかった』と言うべきだな」
「ッ!」
瞬間、アレックスの顔に理解と焦りの色が浮かび上がる。ここまでの話を聞いて、王国の若き王子は、ようやく自分が失態を犯していたことに気づいたのだ。
されど、もはや手遅れであった。
「俺もこれまで数えきれぬほど城や宮殿などに招待されたが、こんな扱いを受けたのはこの国が初めてだぞ」
シャロンヌは最高の笑顔で、最上級の蔑みの言葉を玉座に座るアレックスに、ひいてはこの場にいる王国関係者すべてに送った。
――しかし誰一人として何も言い返せなかった。
言い返せるわけがなかった。
なぜなら彼女が言ったことは、何一つ間違っていないのだから。
「っ〜〜」
この時、この場におけるアレックスの体面は完全に地に落ちてしまった。
「も、申し訳ございませぬ! すべては小生の責任。いかなる処罰もお受けします!」
グラスは一も二もなく頭を下げた。若い騎士達の職務怠慢など関係ない。これは自分の監督不行届だ。実際、ユウナが騎士団の副団長を務めていた頃はこんな失敗は一度もなかった。グラスは、騎士団を取りまとめる立場の者として責任を取ると言った。
「私からも深くお詫び申し上げます。冒険士の皆さま。重ね重ねのご無礼、誠に失礼致しました」
グラスに続き、英知の英雄リスナも、心からの謝罪を述べた。本来ならばここで話は終わるはずだった……
「……先日、アリスがあんな目に遭ったばかりだからな。きっとその門兵らも、町に入る者に対し必要以上に神経質になっていたのだろう。其方らに限ったことでは――」
「それが驚くことに、あたし達以外の通行人はほぼ素通りだったのです」
「――ッ⁉︎」
しれっと発言したのはそれまで沈黙を守っていた犬獣人の娘、リナ。
「いやぁ、あまりの対応の違いにビックリしたの。こっちはシャロンヌさんの名前まで出して説明したのに、全然信じてくれないし」
彼女のこの証言により、アレックスの苦し紛れの言い訳は即座に切り捨てられた。
「ふふふ。礼ではなく嫌がらせをしたかったのなら、最初からそう言ってくれ。でないとこちらも対応に困るではないか」
「くっ」
結果として、アレックスの悪足掻きが新たなる争いの呼び水となってしまった。
「それとも、これがこの国流のもてなしだとでも言うのか?」
シャロンヌの不平不満は止まらなかった。
そしてとうとう、彼女の不満の矛先はこの場にいるランド王国関係者が最も触れられたくない、ある部分に向けられたのだ。
「そもそも何故この場には我々が助け出したかの姫はおろか、国の王すらおらんのだ」
「「…………!」」
息苦しいほどの静寂が場を支配する。
「ほとほと呆れるとは、まさにこの事だな」
そこで。
「シャロンヌ殿。もういいだろう」
「――!」
ヒートアップするクレームの女帝に待ったをかけたのは、例のごとく彼であった。
「会長への義理はもう十分に果たした。これ以上ここにいても仕方がない」
だが、今回は先ほどのように彼からの助け船は出なかった。いや。ある意味これは彼なりのせめてもの情けだったのかもしれない。
「そ……そうだな。もうここに用はない」
そして止まっていたシャロンヌの時間も動き出した。彼女は心からほっとした顔で、仲間達に告げた。
「行くぞ、二人とも」
「了解した」
「アイアイサー」
相手の意向など聞きもせず、勝手に帰り支度を始める三人。しかし彼等のこの態度も至極当然のものであろう。この度のランド王国の対応は、誰がどう評価を下しても『0点』を付けるに違いない。
「待て!」
天、リナ、シャロンヌの三名が、玉座に座るアレックスとリスナに背を向けて歩き出した直後。アレックスは、鋭い声で去りゆく三者の背中を呼び止めた。
「帰る前に貴様らに渡しておくものがある」
そのアレックスの声に合わせ、天一行の前に歩み寄る人影がひとつ。
「失礼いたします、冒険士の皆様」
それはアレックスのもうひとりの側近、ケンイであった。
「はじめまして。私はアレックス殿下の側近を務めさせて頂いております、ケンイと申します」
ケンイはその場で優雅に一礼した。ランド王国でも指折りの大貴族。その肩書きに偽りなしの貫禄のある顔立ちと、品格を感じさせる立ち振る舞い。それはエルフにしては珍しい年の深みによって醸し出される渋みのある魅力だ。グラスもこの御仁のことは、素直に尊敬できる人物だと認めている。
そんな自他共に認める王国の顔役が、今日は心なしかその表情を曇らせていた。
「……皆様のこたびの働きに対し、殿下より謝礼が出ております」
どこか後ろめたさを感じさせる声でそう言うと、ケンイはあらかじめ手に持っていたドバイーを操作し、一行の先頭に立つシャロンヌの目の高さにそれを掲げた。次の瞬間――
――バサバサバサバサバサ。
おびただしい札束の山が、彼等の行く手を阻むように床にぶちまけられた。
「…………なんだこれは?」
前口上があったにも拘らず、シャロンヌはアレックスに対し説明を求めた。その美しい容姿に落ちた影の深さが、そのまま彼女の心情を物語っていた。
この時、グラスにはシャロンヌの気持ちが手に取るように分かった。
「10億ある。はした金だが持っていけ」
だが肝心のアレックスにはまるで伝わっていなかった。それどころか、
「足りなければその倍の金をくれてやる」
「……」
「ただし、今日のこと、そしてアリスの一件については決して誰にも口外するな」
「……く、くくく、フハ、フハハハハハハハハハハハハーー!」
甲高い嗤い声が謁見の間に響き渡る。
シャロンヌは嗤った。人目もはばからず盛大に。
もはやグラスは、彼女の、そして天やリナの顔がまともに見れなかった。あまりにも恥ずかしくて、あまりにも申し訳なくて……。
「くくく……つくづく救いようがない」
「なに?」
ひとしきり笑った後、誇り高き女冒険士は言った。
「どうやらこの国の王族は『恥』という言葉を知らんらしいな」
「――ッ!!」
それはまさしく、今朝アレックス自身が実の父や義理の弟妹たちに送った、心からの侮蔑の言葉に相違なかった。
◇◇◇
「聞け、勇猛なるランドの兵士たちよ!」
銀色に輝く宝剣を掲げ、赤髪のプリンスは高らかに宣言する。
「その狼藉者どもを討ち果たしたあかつきには、貴様らに望むものを与えよう!!」
「お、落ち着くのです、アレックス!」
美しい白銀の髪を振り乱し、必死に声を張って、リスナ王妃は息子に訴えかける。
「ウォオオオオオオオオオオオーー!!」
しかし城の兵士達の鬨の声が、何もかもすべて飲み込んだ。
「はぁ、これだから馬鹿は嫌いなのです」
「まったくだ。この馬鹿どもはこの後のことをまるで考えておらん」
殺気立つアレックスや城の兵士らとはまさに正反対。突きつけられた無数の刃など見向きもせず、呑気におしゃべりをするリナとシャロンヌ。
「あ、そうだ。せっかくの機会だし、あたしシャロ姉と勝負したいの」
「ほう。なにやら面白そうだな」
「どっちが多く城の兵を無力化できるか。それで負けた方が今日の事後処理担当」
「フッ、いいだろう。その勝負受けて立つ」
そこには、紛うことなき強者の余裕があった。
――もはやこれまで。
一触即発の状況の中。
王国を守護する騎士団の長は。
覚悟を決め、ついに決断した。
「花村天殿、貴殿に決闘を申し込む!!」
雷鳴にも似た一声が轟く。
その声が発せられた途端、謁見の間は水を打ったように静まり返った。
「このまま双方が争えば、この神聖なる場所が血に染まるは自明の理。もしそのようなことになれば、偉大なるランドの先人たちに申し訳が立たぬ!」
しんと静まった王城の大広間に、気高き聖騎士の声だけが流れる。
「然らば、両陣営による一対一の決闘をもって、此度の騒動を手打ちにして頂きたい!」
その口上を終えると、グラスは謁見の間の中央に立つ人物をまっすぐ見据え、深く深く頭を下げた。
「手前勝手な申し出であることは百も承知。ですが花村殿……どうか小生との決闘をお受けくだされ!」
このグラスの申し出に対し。
「受けよう」
天は迷うことなく即答した。
「この勝負、どちらが勝っても負けても、その決着をもって互いの矛を収める。決闘の取り決めはこれで相違ないか?」
「……かたじけない」
心よりの感謝を述べたのち、グラスはゆっくりとおもてを上げた。
「我が名は暁グラス。このランド王国を守護する騎士の長として、持てる力のすべてを尽くし、貴殿に挑ませていただく!」
「そうだ。俺に真剣勝負を挑むやつは、いつもそんな顔をする」
かくして大一番の舞台は整った。