第9話 絶対的な強者
「っ…………」
この謁見の間でただ一人、グラスは他とは比べ物にならない緊張感を味わっていた。
「私はこのランド王国の王妃、リスナと申します」
「ランド王国第一王子、アレックスだ」
その二人の王族の挨拶は、まさに対照的であった。
「冒険士の皆さま。このたびは娘アリスを賊の手からお救いくださり、誠にありがとうございます」
「俺からも、一応礼を言っておく」
一方は恩人に対しきちんと礼儀を守った対応。
一方は相手に対して敬意のカケラもない対応。
「本日は皆さまに、心からの歓迎と感謝を申し上げます」
「このあと祝いの席も設けてある。まあ楽しんでいけ」
片や見事な教養人。
片や傲岸不遜を絵に描いたような王族。
「ぁぁぁ……」
グラスはハラハラしながら、半ば祈るようにその光景を見守っていた。
……頼むからこれ以上お客人方に無礼を働いてくだされるな。
グラスは心の底からそう思った。玉座で足を組み、相手を見下すような態度をとるアレックスを見て。客人ら、正確には『彼』の機嫌を損ねるような言動を取るな、と。
自分がおかしな心配をしているのは分かっている。
グラスの立場上、本来ならば客人がアレックスに無礼を働かぬよう目を光らせねばならない。だが今のグラスは、アレックスが客人に無礼を働かぬか神経を尖らせている。これではまったくの逆だ。しかし――
――王家と騎士団が守るべきものは、あくまでも『国』なのだ。
それはかつてグラスを導いてくれた先代の王と騎士団長の言葉であった。その教えを、意志を、魂を。グラスもしっかりと受け継いでいる。つまりこの場合、優先すべきは王族という個人よりも、国そのものなのだ。
――花村天がその気になれば、この国は間違いなく滅びる。
グラスの頬に汗が伝う。もしも天が、たとえばアレックスの傲慢な態度に腹を立て、ムカついたからこの城を落とす、なんてことにでもなったら、自分では到底守りきれない。グラスは断言できた。自国の騎士団を預かる者として情けない限りだが。今のグラスにできることといえば、天の顔色を伺いつつ、いざとなれば土下座でも何でもして彼に許しを請うことぐらいだ。
……他にも方法が無いわけではないが。
グラスはちらりと天に視線を走らせる。
「ふはぁ……」
彼は退屈そうにあくびをしていた。まるで百獣の王を思わせるふてぶてしい態度に、グラスは思わず感心してしまった。
◇◇◇
一行の中で最初に口を開いたのは、やはりというか彼女であった。
「ふふふ、アレックス殿といったか」
「……何だ?」
アレックスの眉がピクリと動いた。シャロンヌが自分のことを敬称を付けずに呼んだので不快に思ったのだろう。ただそれを言うなら先に不遜な態度をとったのはアレックスの方なので、お互い様ではある。
「貴殿はいま『一応礼を言う』と言ったな」
「それが何か?」
覚えておけ、とシャロンヌはすっと目を細める。
「その言葉は礼でもなんでもない。言ってみれば、自分から『これはただの建前だ』と何の臆面もなく相手に伝えるセリフだ」
グラスもまさにその通りだと思った。一方指摘を受けた張本人であるアレックスは、まるで悪びれた様子もなく。
「フン、よく分っているじゃないか」
「ああ、俺は分かっている。そして貴殿は自分の立場を何も分かっていない」
「なに?」
シャロンヌは相変わらず毅然とした態度のままだが、アレックスの顔からは余裕の笑みが消えた。
「仮にも国の代表の一人としてこの場にいるのなら、そのようなことを軽々しく口にしない方がいい。その国の程度が一発で知れてしまうからな」
「なんだと!」
「まあ、そう怒るな」
不自然なほど穏やかな表情を浮かべ、シャロンヌは言った。
「そんなセリフを招いた客に対して吐くぐらいなら、逆に何も言わず座っている方がまだマシだ。同じ王族として、そう忠告してやったまでだよ」
「きさま……っ!」
毒たっぷりのシャロンヌの言葉にアレックスが玉座から腰を浮かせる。そこで。
「アレックス」
リスナがすかさず立ち上がり、我が子を制する。そしてそのまま見目麗しい王妃は、客人達に深々と頭を下げた。
「申し訳ありません、皆さま。息子アレックスの非礼をお詫びいたします」
「は、母上⁉︎」
「謝罪を受け入れよう」
シャロンヌは勝ち誇ったように微笑む。そんな彼女のことを、アレックスは苦虫を噛み潰したような顔で睨みつけていた。
「……」
「……」
ちなみに、シャロンヌと同じく玉座の前で跪かず、立ったまま彼女の背後に控えていた二人は、両者共に我関せずを貫いている。ただシャロンヌと王族とのやり合いに気後れしているというよりは、二人とも単純に興味がないといった様子だ。とグラスが思った矢先に――彼がおもむろに口を開いた。
「シャロンヌ殿」
「なんでしょ……な、なにか?」
シャロンヌは途端にしおらしくなる。
「気持ちはわかるが、こういった席で最初から喧嘩腰というのは、正直いかがなものかと思うぞ?」
「ッ!」
そして女帝は固まった。
「俺も人のことは言えんが、人前で一国の王妃に頭を下げさせるのは少々やりすぎだ」
「そ、そうだな。た、確かに俺も少し……いいや、かなり大人気なかったかもしれん!」
その美しい顔に隠しきれぬほどの狼狽の色を浮かべ、シャロンヌは慌てて自分にも非があったことを認める。
「シャロンヌ殿。ここはひとつ、クールにいこうぜ」
「……反省する、心から」
この時。この世界にたった六人しかいないSランク冒険士の一人が、『態度が悪い』とお叱りを受けた。その真相にたどり着けたものは、ランド王国陣営ではグラスただ一人であった。
◇◇◇
タルティカ王国・王宮。玉座の間。
気品と風格に満ちた赤と白の大広間。
日常からかけ離れた高貴なる雰囲気の中。
銀の玉座に深く腰を下ろし。
黒髪褐色肌の偉丈夫、タルティカ王国国王マクドルフは口を開いた。
「こたびの働き、大義であった。さすがは我が国が誇る守備隊の精鋭達だ」
「……はっ」
タルティカ王国守備隊隊長・相澤ジョージは、玉座の前で跪いたまま、覇気も歓喜もない声で返事をする。もともと彼はこういった堅苦しい席が苦手だった。しかし今はわけあって、その居心地の悪さが何倍にも膨れ上がっていた。
「おお、そうだそうだ」
こんな茶番は早く終わってほしい。ジョージがそのようなことを心の中でボヤいていると、マクドルフが何かを思い出したように玉座の肘掛けを叩いた。
「そういえば、先ほどシスト王から返事がきたぞ。お前が進言していた例の件だ。わざわざ本人に連絡まで取ってくれたそうだぞ」
「! それで、先方はなんと!」
この玉座の間にやって来てからずっと伏せていた顔を、ようやく上げたジョージに。
「『彼の言葉をそのまま伝えさせてもらう、死地を共にした戦友達を手ぶらで国へ帰すわけにはいかんだろ、以上なのだよ』――だってよ」
そう言うと、マクドルフはその彫りの深い顔立ちに、ニヒルな笑みを貼りつける。
「うははは、あのアンちゃん。なかなかニクいことを言ってくれるじゃねえか。なあ、おい!」
「はぁ……俺達は、本当の本当に何もしちゃいないんですがね」
ジョージがそうこぼすと、マクドルフはさも愉快そうに言葉を続けた。
「いやいや、それにしても驚いたぜ。まさかテメェ以外の全員が勲章授与を辞退するなんてな。うははは、こいつはタルティカ始まって以来の珍事じゃねえか? ええ、おい」
「本音を言えば、俺だって出席したくなかったですよ」
ひとりぽつんと玉座の間に跪きながら、ジョージはため息をひとつ零し。
「けど国の守備隊が王の招集にみんな仲良くボイコットじゃ、さすがに色々と不味いでしょう」
「うははは、違いねーや」
堰を切ったように砕けた言葉のキャッチボールが展開される。だが周りにいる王族や国の重鎮達は誰もそれを咎めようと――ジョージのことを――しない。むしろ、つい先刻までより断然いきいきしてる国王とざっくばらんとした守備隊隊長のやりとりを苦笑混じりに眺めている者がほとんどである。まあ有り体にいえば、これがタルティカ王国のスタイルでありスタンスだったりする。
「クソ、あいつら帰ったら覚えてやがれよ」
「ときにジョージよ」
いきなりマクドルフが王の顔に戻る。自分から空気をぶち壊しておいて気分で戻すのはやめてほしい、とジョージは思った。
「かの者が貴様らに渡したその報酬とは、一体どのようなものなのだ?」
「…………」
実を言うとジョージはまだそのことを自国の王にすら報告していなかった。モノがモノだけに、そして何より『それら』は向こうに返すつもりでいたからだ。しかし。
――死地を共にした戦友達を手ぶらで国へ帰すわけにはいかんだろ――
こんなことまで言われて受け取りを拒否した日には、失礼にあたる。それこそ相手の顔に泥を塗る行為だ。ジョージは観念して、懐から少々大きめの皮袋を取り出した。
「これは昨夜、我が国の国境に現れた魔物の軍勢……その魔石でございます」
そう言ってジョージは懐から取り出した皮袋の紐を解くと、その場で無造作に中身をぶちまける。
カン、コン、コロコロコロコロ……
ガラス玉を落としたような乾いた音が、広大な玉座の間に反響する。ジョージは床に広げた『それら』からなるべく視線を外し、平常心を失わぬよう、マクドルフの顔を真っ直ぐに見て答えた。
「Cランクモンスター『ハイオークの魔石』が二つ。そしてBランクモンスター『オークキングの魔石』を丸々一つ。これが彼から渡された、我ら守備隊への報酬にございます」
「「んなっ!」」
驚きの声を上げたのは周りにいた王族や貴族らだ。玉座の間が一斉にざわめき立つ。ジョージは気にせず話を続けた。
「ついでながら、この三つの魔石の品質はどれも『最良』でございます」
「は、はは……いやはやとんでもねえアンちゃんだな、おい」
深紅の床の上でユラユラと光り輝く三つの魔石を見て、マクドルフはその威厳に満ちた強面をこれでもかと引きつらせる。ジョージの言葉に嘘偽りがないことは、その見事な魔石たちが証明してくれていた。
「王よ。彼は一体何者なのですか?」
「わからん」
ジョージの神妙な問いかけに対し、軽く肩をすくめるマクドルフ。
「こないだ城に呼んだとき、一目見てただ者じゃねえとは思ったが。まあそんなもんをホイホイよこす時点で、とんでもねえ馬鹿か大物かのどっちかだろ」
言いながら、マクドルフは再度その三つの魔石をまじまじと見つめる。
「全部で10億……いや競売にかければその倍はいくな。もしかすっと物の価値をしらねえのか? そんだけありゃ、下手すっとこの王宮を丸ごと建て替えられるぜ。なあ、おい」
「おそらくですが、彼からしてみれば野うさぎを狩ったそのお裾分け、程度にしか思ってないかもしれません」
「野うさぎだあ?」
「はい」
「いやいや待て待て!」
マグドルフは思わずといった様子で、玉座から身を乗り出した。
「相手はBランク二体とCランク五体の化け物集団と聞いたが?」
「左様にございます」
「なら、そいつはいくら何でも――」
「事実です」
ジョージは国のトップとそれに連なる血族らの前で、しかし臆することなく自分の意見を言ってのける。
「私が見た限りでは、彼にとってこれらの魔物たちは野うさぎかそれ以下の……矮小で取るに足らぬ生物でした」
そして勇猛なる王国の兵士長は語った。
昨夜に起こった事の顛末を。
この世には、常識では測れない絶対的な強者が存在することを。